花を手折るハチドリ

広瀬 広美

花を手折るハチドリ

 弓木榛野はるのは兄の恋人だ。まだ福良かなめが実家暮らしの高校生だった頃、両親への挨拶と称して、兄に連れられていたのが彼女だった。


「仁くんには、バイト先でお世話になっていたんです」


 炬燵が有難い冬の日。みかんの皮を剥きながら、要は二人の馴れ初めを聞いた。仁とは、兄の名前だ。思いやり。慈しみ。そんな意味のある言葉で、これは真実、兄そのものである。榛野は、そんな兄の柔らかな光に熱されて、くらりと、落ちてしまったのだ。


「私にはそんなに優しくなかったですよ」


 要がそう言うと、榛野は口元に手を当てて上品に笑った。


「だったら、自分の恋人を紹介なんてしないわ」


 果たして、そうだろうか。そうかもしれない。要は記憶を呼び覚ます。例えば、小さな頃、駐車場の大きなスーパーで迷子になった時、最初に要を見つけたのは兄だった。その日の朝にボソリと言った、プリンが食べたいという言葉を覚えていて、子供の行きがちなオモチャコーナーを探した母よりも、先に要の元へ辿り着いた。


「そうかもしれないですね」

「きっとそうよ。要ちゃんは、もっとずっと大切にされてるわ」


 持ち前の大人らしさも相まって、榛野の言葉は随分と頭蓋に響き渡った。


 それから二年が経って、喪服を着込んだ要は思う。妹よりも先に大切にすべきものがあっただろうと。口に出せば両親にも、天国か地獄かにいる兄にも怒られてしまいそうだが、確かにそう思った。

 みんな自分を大切にすればいいのに。

 恨まれながら死にたくはないというのなら犯罪はしないだろう。他人の不幸よりも自分の幸福を欲するのならいじめは起きないだろう。金に糸目をつけなければ、あの奇病にも早く気づけただろう。

 受付に立つ要は、次々に訪れる参列者から、香典とお悔やみの言葉を受け取る。兄の交友関係の広さに驚く。しかし不思議なことに、英単語の暗記の如く何度も言われた言葉たちは、一つとして頭の中に残らなかった。


 かわいそうに、と言われた気がする。たぶん。


 榛野は何と言っていただろうか。彼女は昨夜の通夜にも参加していた。今日の告別式にはまだ来ていないが、昨夜に必ず行くと言っていたので来るのだろう。兄への言葉は思い出せる。両親への言葉も思い出せる。ただ要への言葉だけがすっぽりと記憶から抜けていた。

 これがショックというものなのだろうかとぼんやりと考える。頭蓋をひっくり返して脳みそを落としてしまったかのようだ。そんな呆けから意識が戻ったのは、読経が始まって、そういえば榛野が来ていないな、と気づいた時だ。

 読経が終わり、両親に倣って焼香をあげる。席に戻って扉の方をじっと見ていたが、いよいよ榛野が来ることはなく、出棺の時間を迎えた。棺の中には、兄が好きだった青い薔薇の花を添えた。花言葉が好きだと、そう言っていた。


「弓木さん、どうしたんだろう」


 母に聞いた。

「彼女も色々と忙しいんだろう」と、普段は無口な父が答えた。母は何も言わなかった。

 告別式は秋のように早々と過ったが、火葬を待つ時間は冬のようにゆったりとしていた。控室には歳の近い親戚もいたが、誰とも話さずに兄が骨になるのを待っていた。静かな時間だった。穏やかという意味ではなく、酷く冷えているという意味で。


「ええっ、本当に『ハチドリ病』なのか!?」


 要が五月蝿いと感じたのは、父と話していた親戚がそう声を荒げたときだけだ。


 肉の無くなった兄は少し焦げ臭い匂いがした。

 まずは父が箸を持ち、骨壺に骨を収めていく。係員が、足からですと父を促す。

 足。そう、足だ。それこそが兄の命を奪った処刑人だ。

 父は一度骨を掴んだけれど、持ち上げられずにその場に落としてしまった。母が父の縮こまった背をさする。そんな母の背を、要はただ見ている。聞こえてくるすすり泣きが、どちらのものなのか判別できない。あるいは、自分自身のものだったのかもしれない。


 兄の死因は心不全だ。心臓が止まって、死んだ。問題は、どうして心不全が起きたかだ。兄が発症した奇病は、その原因が不明であり、どのようにすれば死ぬか、だけが分かっていたため、『ハチドリ病』あるいは『マラソン病』若しくは『マグロ病』と呼ばれた。由来は何とも分かりやすい。飛び続けなければ死ぬといわれるハチドリと、足を動かし続けなくては死ぬという症状とをかけたものだ。歩き続けなくてはならないから『マラソン病』。泳ぎ続けなければ死ぬから『マグロ病』。結局、マラソン走者や漁業関係者への配慮から、報道関係者はハチドリ病と呼んだ。とはいえ、ハチドリ病にも動物愛護団体からの改名を求める声明文が出されはした。呼び方は今も変わっていないけれど。


「私が先にやろうか?」と、意を決して父に声をかける。振り返って、要の顔を見た父は、「いや、いい」と言って兄の骨を拾った。要は自身の番になると、ふくらはぎ辺りの骨を骨壷に収めた。思っていたより重くて、落としそうになった。

 骨壷は、父が抱えるとより小さく見えた。そんな父の遺伝子を余すことなく享受した兄も背は高かったが、今はこんなに小さくなっている。母でも抱えられるほどに。


 ハチドリ病は感染症ではなく、遺伝子疾患だ。よくこの情報だけが一人歩きして誤解を招いているが、遺伝性があるかどうかはまだ分かっていない。遺伝子の突然変異によるものである、という説が有力で、実際、遺伝子検査によってハチドリ病の診断は下される。とはいえ、下されるのは発症可能性がどれ程あるのかどうかであり、最も重要な、いつ発症するのかについては、死ぬまでわからない。そのうえ、生きているうちの遺伝子検査の精度が悪く、可能性ありの信頼度は九割に迫る一方、可能性なしという診断の信頼度は五割にすら満たなかった。

 学校に登校して席に着けば死ぬかもしれない。会社に行こうとして満員電車に揺られれば死ぬかもしれない。着替えていれば死ぬかもしれない。いつ死ぬかは分からない、なんて事は誰だって同じだけれど、その恐怖はまるで影のように、常にピッタリと側に立っていた。


 例えば、今、この瞬間。火葬場を後にして、車に乗り込む、この、瞬間。

 断頭台へと続く階段が、悠々と立ち上がる。一歩進むごとに空気が冷え、頂上に聳えるギロチンの刃は煌めきを増した。

段々と呼吸が荒くなる。胃から何かが込み上げてくる。褪せた白の乗用車が目前に迫る。


「……っ」


 そこで、要は口を押さえながら蹲った。胃からは何も出なかったが、涎で手がベタついた。そんな様子を見て、父が駆け寄る。


「ま、待って、ダメ!」


 そう言ったとき、すでに父は隣で膝をついて、要の背をさすっていた。


「どうした?」


 目の濁った父が言う。要は思う。父は死ななかった。そして、父が死んでいないと理解している自分自身もまた死んでいない。まだ、足を止めることが許されている。

 空を見上げると、あいにくの灰の空であったが、ギロチンはどこにも見えなかった。


×


 ハチドリ病に関する議論のうち、もっとも白熱したものは、歩き続けるべきか、止まり続けるべきか、というものだった。

 前者の意味はすぐに読み取れる。止まれば死ぬというのなら、歩き続ければいい、という。家の中ではランニングマシンで過ごす。レジ前ではくるくると回り、レストランには行かない。職種は随分と狭まるが、選り好みしなければ無いわけではない。全国的に知れ渡った今では、理解ある会社もそれなりに多くあるだろう。しかし、この方法にはあまりにも大きな問題がある。それは睡眠だ。重度の夢遊病で常に歩き回っているというならいざ知らず、たいていの人間は寝たら動き続けることができない。脳みそを左右で交互に眠らせる、半球睡眠がヒトでもできるのかがお昼のワイドショーで真剣に議論されることもあった。

 睡眠は本能だ。睡眠を取らない、という選択肢は生きている以上、有り得ない。不眠の最長日数はおよそ十一日という実験結果があり、老衰まで眠らないということが、不可能に限りなく近いことが窺える。

 この睡眠という強大な壁に対して、発想を逆転させて挑んだものが、止まり続ける、という選択だ。歩いて、止まることが死の原因なら、どちらかを失えばいい。

 ハチドリ病は一度たりとも作動せずに、人間は耐用年数を迎える。足を使うスポーツはできないが、車椅子スポーツならできる。そして最も大きな利点は、寝相を抑制する拘束具付きであれば睡眠も可能という点だ。

 しかし、生活様式はガラリと変わる。家はバリアフリー化を余儀なくされ、あらゆる場面で人の助けが必要になる。それに、そもそも主張の基盤が仮説でしかないのだ。何十年と犠牲にして、ある日突然死亡する、なんてこともあり得るかもしれない。

 結論は未だに出ていない。多くの人にとって、この議論は毒にも薬にもならず、結局は普段通りの生活を選んだ。タバコを危険と知っていながら吸い続けてしまうのは、ニコチンの依存性によるものだが、日常にもまた高い依存性があったのだ。非日常におかれて、初めて日常の有り難みを知るように、ハチドリ病は一歩の価値を高めるだけ高めたまま、同じ歩数をヒトに歩ませた。


 茨の道を進め。その先にある一輪の薔薇が、あるいは青色であるというのなら。


×


「私は、今、歩いています」


 金城かねしろ雅紀まさきはマイク片手に、ステージ上を右から左へ、そして左から右へと歩く。やがて中央の演台に来ると、ピタリと止まった。


「そして、止まった。ここで質問をします。今、私は死んでいますか?」


 いいえ、と前方に座る何人かの学生が答える。講義室の後方で、気だるげに講演を拝聴する要は、石のように黙りこんだままだ。

 現在、大学四年生。私立の工学部生体工学科に進んだ要は、義肢に関する研究室に所属し、その室長から、今回の講演への参加を促された。きっと、あなたの研究課題の解決に役立つから、と。


「ええ、私は死んでいない。しかし、確かに死ぬ可能性があったのです。確率にして、約〇・一パーセント。これは最新の遺伝子検査によって判明した、私の心筋が止まる確率……つまり、ハチドリ病で死ぬ確率です。この確率は……おおかた、犬が鎮静剤で亡くなる確率と同等です。ご自身で、あるいは恋人、ご友人で、そんな風にして飼い犬を亡くした方はどれほどいるでしょうか?」


 今度は誰一人、声をあげなかった。


「ここにはいない。しかし、世の中には確かにそうして愛犬を亡くした方がいらっしゃる。私も同じです。確率上、私は老衰よりも先にハチドリ病で死ぬ。息子を殺した病に、私自身も殺される。酷く悩みました。ええ、もう五十六になりますが、うつ病にもなりました」


 金城雅紀は渋く重厚な演技を高く評価された俳優だった。日本アカデミー賞主演男優賞候補にも選ばれたほどだ。そしてその息子、金城つるぎも当然のように注目を集めた。しかし、その名を最も世間に広めたのは、俳優としての評価ではない。

 名優の息子が、ハチドリ病で死んだ。ついにハチドリが有名人の命を吸い上げた。


「ちなむと息子の剣は、約〇・六パーセントでした。おおよそ私の六倍、死に近い。だからって、こんな理不尽があるか、と。そんな絶望の淵にいた私は、ある本を読んで、自らの意識を変えました。このままではいけない。剣の死を無駄にしたままでは」


 そう言って、金城は演台に置かれていた本を手に取った。『ハチドリを手なずけた少女』というタイトル。バックスクリーンにもでかでかと写された表紙には、車椅子に座った少女がこちらに笑顔を送っていた。


「この本は、表紙の少女、カタリーナの闘病記です。八歳でハチドリ病の発症確率、四二・二パーセントと診断された彼女が、その後四回歩き、亡くなるまでの数年間を綴ったもの。八年間、特別なサービスを受けずに生き残れた時点で、天文学的確率です。そこからさらに四回も! 彼女の奮闘を知り、私は居ても立っても居られなくなった! 私もなにかしなくては、と」


 要は、その言葉に違和感を覚えた。けれど、具体的に思い至るよりも先に、ステージ近くの席から手が挙がった。


「四回、ではなく三回ではないでしょうか」と、どこかで聞き覚えのある大人びた声で、その学生は質問した。

 金城は少し驚きながら「良い質問だね」と言い、今度は笑顔を作って「こんな風に、皆さん気になった部分はすぐに質問していいですからね」

それから少し間を置いて、金城は語る。


「彼女の指摘した部分は、この闘病記が医学的に評価されている最重要ポイントです」




 カタリーナの最初の選択は、止まり続けることでした。どちらかというと、両親の選択が、ですが。最初の二年間は、身体を拘束されて生活したようです。遊びたい盛りの子供には、さぞ辛かったでしょう。そうして十歳になった彼女は、ある権利を得ました。治療行為に対する自己決定権です。なお同国における法律では、年齢によるものではなく、各個人の認知能力等に左右されるとしています。

 さて、改めて、カタリーナの持つ発症確率は驚異的です。四二・二パーセント……僅か一歩で命を落としうる彼女が、まだ、生きている。そこに目を付けたのがとある大学病院の研究チームでした。彼女を研究すれば、人類のハチドリ病への理解が飛躍的に伸びることは確かです。しかし、彼女は未成年。法律によって硬く保護されている。それでもチームは、治療行為と称してカタリーナにコンタクトを取りました。

「君にお願いがあるんだ。君と、その他の大勢の同志のために」

 チームが要求したのは、筋電位センサを付けて歩いて欲しい、というものでした。筋電とは、筋肉の収縮に伴って発生する微弱な電磁波のことです。それを測定する機械が筋電位センサ。

 つまり、足の筋肉の収縮によって発生する、どの筋電が心筋を止めるのか、というハチドリ病の命題へのダイレクトな実験です。

 無論、歩くという行為には常に四割の死亡確率が伴う。しかし、普通、ここまでの数字はない。死刑囚の死体を用いた実験では上手くいかず、通常の生体実験ではそもそもの確率が低く、実験として成立しない。剣ですら、上位数パーセントに入る超高確率です。

──そして、十歳になった彼女をチームは口説き落としました。実験の始まりです。

 ──こうして、三度目の実験を終えた彼女は、疲労困憊でした。精神的にも、肉体的にも参っていた。正真正銘の綱渡り、それを三回。堪えて当然です。そんな彼女の様子を見たチームは、次の実験でデータの収集を打ち切ることにしました。

 ──四度目を終えた彼女は、大粒の涙を零したそうです。生き延びた喜びで! チームはカタリーナに言いました。君の勇気は尊敬に値すると。この実験データを解析し、必ず未来のハチドリ病患者のために役立てると。

 そして、チームはカタリーナにある提案をしました。

「もしも、今後も止まり続けることを選択するのなら、足を切断して義足に変えてみてはどうだろうか。もし、その気があるのなら、こちらも優秀な医者と、義足を提供しよう」

 ──八歳から止まったままだったカタリーナの時間を動かすために、チームは動きました。義足は足を切断後、その切断面に沿ってソケットを作るため、製作にしばらく時間がかかります。それでも、金に糸目をつけずに技術者を探した結果、切断から僅か三週間ほどで出来上がる目算となりました。




「そして、彼女は切断から四日後に亡くなってしまいました」金城の言葉に、重みが増す。「タイミングとしては術後の回復が進み、義肢装具士との義足に関わるカウンセリングを受けている最中でした。カタリーナが自分のイメージを、両手いっぱいに使って盛大に表し、手をだらりと下した直後です」


 要は息を呑んで、続く言葉を待った。


「……後の診断結果としては、やはり、ハチドリ病でした。これの意味するところはなにか。即ち、ハチドリ病は転移する。足がなければ腕へ。腕がなければ腰へ。といったふうに。ハチドリ病は死ぬまで付きまとうのです。私はね、こう思ったんですよ。これは、もう一つの寿命なんじゃないかって。いや、この言い方は語弊がありますね。カタリーナは足を切らなければ、もっと長く生きることもできたでしょう。

 ただ、どうでしょう。老衰とは、寿命とは、何でしょう。天命とは、本当に染色体の末端領域にのみ依存した概念なのでしょうか。私の持つ死亡可能性約〇・一パーセント。これを三十年か、四十年後、ベッドの上の些細な動きで引き当てた時、私は恐らく満足している。単純に、長く生きたというだけで。

 なぜ病気による死を厭い、老衰による死は仕方ないとするのでしょう。回避不可能だから、ではない。老衰は、それ以外のあらゆる死亡手段をもって回避可能です」


 そして、金城は声に力を込めた。大地が震えるほどの、万力を。


「答えは時間です。ありきたりな結論ですが、やはり、大切なことは日常の中にある。いつ死ぬか分からないこの時代。時間を大切に。そして、長さに勝る密度を手に入れて下さい。それが唯一、ハチドリに啄まれてなお残る、人間の遺志なのです!」


×


 講義室を出た要は、傾いた太陽に向かって背伸びをした。

 微かなオレンジが空をまたぎ、秋めいた涼やかな風に髪がそよぐ。

 金城の講演会を、室長が勧めた理由が分かった。確かに、これは研究分野と合致している。しかし、それはあくまで考察段階で活きる、というだけの話。『ハチドリを手なずけた少女』は、参考文献としての価値があるかもしれないが、金城の講演そのものについては、個人的な満足に留まるだろう。

 まさに松かさより年かさだ。まさか思わぬ再会も叶うことになるとは。


「……もうそろそろかな」


 要はそう言って、自分の独り言にハッとした。大学生になってからというもの、独り言が増えている。ホームシック、なのかもしれない。兄が亡くなった反動からか、両親からの愛は、いっそう要に降り注がれた。当時はそれに自身の喪失感も重なって、ありありと受容していたので、いざ独り暮らしが始まると、ホームシックもさもありなんといったところ。

 そうして、講義室の入り口辺りで待っていると、中から大人びた女性が出てきた。目を伏せながら、ぎこちなく歩いている様子は、親ガモとはぐれた小ガモを思わせた。


「弓木さん」


 要は迷わず声をかける。榛野は驚いた様子を見せながら、「……要、ちゃん」と言ってその場に止まろうとしたので、慌てて彼女の手を引いた。


「ここで止まったら、損ですよ。……少し歩きませんか?」


 榛野はもはや流れに身を任せているようで、力無く肯いた。


「……何年ぶりだろうね」

「もう五年になりますね」

「そう、ね」


 手を繋いで坂道を下る。離すタイミングを見失ったのだ。

 いいや、と要は自身の思いつきを否定する。これは、ただ嬉しかっただけだ。久しぶりに会えたことが。生きていると知れたことが。


「医学部生、だったんですか?」

「え、あぁ、五年経っても大学生だから?」

「はい」

「いやいや。そんなに頭よくないのよ、私は。ただの二留一休よ」

「……すみません」

「謝らないでよ。こっちが空しくなるじゃない」


 風が吹いた。どういうわけか、外側よりも、二人の内側を通った風の方が寒々としているように感じた。


「……どうして、告別式に来なかったんですか?」


 榛野は表情を崩さない。ただ道の先を、その穏やかな垂れ目で見据え、「どうして、だろうね」

 そして、無言が十メートルほど続き、榛野が再び口を開いた。酷く震えた声だった。


「怖かったの」

「何がですか」

「死ぬことが」


 シンプルな答えだった。シンプルが故に、泥のように纏わりついて払い難い。死への恐怖という、あまりにも生物として正しい理由が、要には愛おしく感じた。


「遺伝子検査を受けたの。仁くんがハチドリ病で亡くなったんだってわかった時に。その結果が、約三・二パーセント」


 金城もそうであったように、親しい者をハチドリ病で亡くしてから検査をし、自身の死亡確率を知ることは珍しくない。そこで、死神が耳をそばだてていることに初めて気がつくのだ。


「昔さ、仁くんがスマホゲームやってて、そのガチャで一番良いやつが出る確率が四パーセントだったの。デートの時にスマホ触ってるから、それなに、って聞いたらさ。これ押してみてって言ってきて。ガチャを無料で回せるチケットみたいなやつ。そしたら、その一番いいやつ当たって、仁くん、すっごく喜んでた」


 要は榛野から目を逸らした。人の泣き顔を見るのは、兄の葬式以来苦手になっていた。


「いつでも死ぬんだよ、私は。そう気づいたら、なんか玄関から動けなくなっちゃって。だから、ごめんなさい。私が、私の意志が、弱くって」


 震える榛野の背をさすることは出来なかった。動かすべき右手は、彼女の左手に固く掴まれている。まるで、一度迷子になった子供に対して、二度と離すもんかと、決意を改めた親のように。

 そうだ、二度と手を離してはならない。一度離れて消えた榛野は、五年経って再び要の前に現れた。これが奇跡であるのならば、二度と離してはならない。

 それは予感だった。死を厭う生物の本能が、死を避ける彼女に死を予感させた。老衰がそれ以外のあらゆる死亡手段でもって回避できるように、ハチドリ病もまたあらゆる死亡手段で持って回避できるのだ。


「分かりました」


 要は空気を振るわせる。一歩間違えれば割れてしまいそうな、乾き切った脆い空気だった。


「ごめんなさい、本当に……ごめんなさい」

「謝らないでください。私は……ずっと心配だったんです。あなたが後追いしてしまったのではないかと。でも、それは違った。だから、もういいんです。ただ──」


 これは真実、要の気持ちだ。けれど、音信不通の死んだ兄の恋人に対しての思いとしては、それは妥当に過ぎる。言い換えるならば、思考の第一段階でしかない。人は誰しもその奥に、秘めたる本心がある。


「兄の優しさに惚れたというのなら、最期まで兄の優しさにつけ込むべきです。きっと許してくれるだろう、と。葬式に来なくても、新しく恋人を作っても、自分だけ生きていても、きっと、兄は許してくれる」


 これもまた本心ではない。


 榛野は何も言わなかった。死人に口なし。本当に死んだのは兄か、それとも榛野か。死が近づいたこの世界で、生と死の違いはそこまで大事なものなのだろうか。


「……弓木さん」

「なに?」


 それは毒にも薬にもならない思いつきだ。この行動で、ハチドリ病は前にも後ろにも進まない。


「ハチドリを見に行きませんか? ハチドリはワシントン条約で保護されていて、もう日本に輸入できませんけど、最後の一羽が、長崎に」


 そして、そのハチドリは間も無く寿命を迎えるらしい。


「どうですか?」


 榛野は困惑気味に、えっと、と声を漏らす。けれど要と目を合わせると、そこから何かを感じ取り、小さく、うん、と頷いた。


×


『ハチドリ病の根源的な原因は足ではない』

 

 長崎空港へと向かう飛行機の中、寝息を立てる榛野の隣で、要は自身の書いている卒業論文を見直す。


『筋肉の収縮によって発生する電気信号が、心臓を止めうるとしたら、その仕組みは二つに絞られる。ひとつは、デンキウナギのエレクトロサイクスのように、筋肉が細かな電気細胞が束になったものに変異し、心臓に直接電撃を喰らわしている、というもの。

 もう一つは、足を止めたことで発生した電気信号を、脳みそが心臓を止めたことで発生したものと誤認し、そのフィードバックによって本当に心臓が止まる、というものだ』


 前者と仮定するならば、それは死後、元の人間らしい肉体に戻る、という不可解な解釈がオマケで付いてくる。となると、やはり有りうるのは後者か。


 ハチドリ病は脳の疾患である。


 もし、そうであるのならば。

 要は榛野の足を見た。より正確には、彼女の足に巻かれている、微かな振動を繰り返す黒のベルトを。

 所謂いわゆる、EMS。筋肉に対して電気刺激を与える装置だ。


『EMSを常に使用し続けることで、足からの電気信号を恒常的に生み出せる。人間は人間らしさを取り戻すことができる』


 しかし、全ての筋電に誤認の可能性があるのなら。例えば、歩く、という行為が単純に連動する筋肉量が多かった、というだけの話なら。

 足を失った少女のことを思い出す。


『死に抗う、という不可能を可能にする。まるで青い薔薇のように』


 EMSを増やせばいい、と書いて、消す。それは寿命に抗うターミナルケアに他ならない。

 しかし、天命の素晴らしさを説くには、要はあまりにも命を無為にし過ぎている。人生なんて、所詮はデッドリーゲームだと、あの日からそう思っているのだから。


 要は足を振り上げた。──パーセントを引く。


 同時刻、世界中で五人ほどがこの世を去った。そのうち、ハチドリ病による死者は、たった一人だけだった。

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花を手折るハチドリ 広瀬 広美 @IGan-13141

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