夜に逢う

しののめ

夜逢

 ぼくは毎晩その信号機を見に来る。

 それは毎晩ある時間に、まるで一日を終えて眠りにつくかのように、青色の光を灯すのをやめる。すべての信号が赤く灯り、そして一瞬の沈黙ののちに、赤と黄の光のみを交互にてらしはじめる。ぼくはその瞬間を本を片手に、じっと待っている。いつも通り、夜が始まるのを。ぼくはあえてそれの正確な時間を知ろうとしない。というより、知るすべがなかった。時間のわかる物は持ち歩かないことが、ぼくの、特に夜における信条なのだ。とはいえ、この瞬間を見逃したことはこれまで一度もなかった。ぼくには、信号がこの瞬間を見せたがっているかのように思えてならなかった。ぼくはしばらくその点滅をぼーっと眺めてからそっと歩きだした。

 横断歩道を注意深く渡り、寝静まりかえった住宅街を通り抜ける。ときおり、防犯用のライトが急に僕を照らす以外は、比較的静かな通り慣れた道だった。しかし、道の横に並ぶ家々のその静かな視線は、まるで誰かが木の陰からそっとこちらを窺う深い森を歩いている、そんな錯覚をぼくに覚えさせた。ぼくはその森をひとり、本を片手に彷徨っている。左手の本の感触を確かめながら、等間隔に並ぶ常夜灯の光を頼りに、ぼくは足早に住宅街を抜けていった。

 しばらく進んでいると、眼の前が急に開け、川の音が聞こえ始めた。住宅街の終わりはすぐそこだった。小さな川に掛かる橋、そしてその先、深林奥深くの洞窟のように暗く虚ろな口をあけた商店街、それがこの森の小径の終着点だ。その暗い口から目をそらすように橋の欄干から、横を流れる川を覗き込むと、白いビニール袋がふわふわ流れてきた。思ったよりも流れが早いらしく、白い袋は浮き沈みを繰り返してあっという間に流れていった。その流れの先に、ぼくは底に浮かぶ月をみつけ、その大きさに驚き空を見上げる。曖昧な輪郭の月の光が、どんよりとした雲のスクリーンに大きく映し出されていた。月は、自らの光によって作られた、その像によっていつもの数倍に誇張されていた。朧月、その曖昧な輪郭に見惚れながら歩みを進めていると、気付けば商店街に入り込んでいた。昼間に少しばかり、小雨が降ったらしい。空気もどこか湿っているようだった。

 暗い商店街に人影は見当たらなかった。この時間、めったにひとととすれ違うことはない。たとえすれ違ったとしても、お互いになにか重大な秘密を隠し持っているかのように、足早に歩き去っていく。そんな例にもれず、ぼくも足を早める。両隣の締まりきったシャッターは次々と視界の端を流れていった。ぼくは、月があるであろう位置をも上げながら、足を進める。こんな夜には、月だけが頼りなのだ。途中、おもちゃ屋とクリーニング屋の隙間で曲がり、裏路地を抜け、そこからさらに狭い小道に入っていく。そんな猫しか知らないような道を抜けた先に、ぼくの目的地はあった。

 商店街の裏の裏、住宅街の密集した真ん中に、その公園はオアシスのように月に照らされぽつんと存在していた。公園と言っても、ベンチが数か所とブランコ、すべり台しかないごく小さな空き地のような場所だ。信号機を見届け、小道を抜け、この公園唯一の外灯の下のベンチで本を読む、それがぼくの毎夜の生活だった。ぼくはいつものベンチに座って、空を見上げる。月は外灯に負けじとその存在を主張していて、空気も相変わらず湿っていた。ぼくはそんな明かりたちに感謝しつつ、本の世界へと入り込んでいった。雨がふらなければよいのだが。


 突然、外灯のひかりが弱々しく点滅しはじめ、そして公園はふっと夜の闇に包まれた。突然の暗闇に戸惑いながら、目を慣らすためにぼくは軽く目を閉じた。静かな夜だった。その闇と閑けさがぼくの肌を溶かし、深い夜の底へ誘っているようだった。完全に夜に溶けきった頃、湿った風が頬を撫で、公園の隅にあるブランコを揺らす。きぃっという音が公園にこだまし、ぼくは、月に照らされた公園へ目を上げる。と、その時、向かいのベンチに座る人影に気付いた。影もこちらを見上げ、その顔が月夜に浮かび上がる。

 そこには彼女が座っていた。

 こうしてぼくは、夜に逢った。 

 

 

 

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夜に逢う しののめ @shinonome0224

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