第三章 彼女の世界
1
どこへ、何の為に向かっているのか、相変わらず忙しそうに行き交うNPCの群れに紛れ、私とヤクシはすぐ傍の階段を二階へと上がった。
そこはホームになっており、どうやら山手線……のようね。まぁ、あり得ない山手線だけど。
これから私たちは、私の世界を出て行く訳だけど、どこへ向かえば良いのか。
一番の目的はライアンなんだけど、当然現在地は判らない。
では、どこへ向かえば、ライアンを見付けられるのか。
ライアンと同じ目的地を目指す。それが、一番確率が高いんじゃないかしら。
もちろん、ライアンの目的地はヨモツヒラサカ。きっとライアンは、自分の世界を出てヨモツヒラサカを目指してるはず。
だけど、ヨモツヒラサカはどこにあるの?つまり、真なる魔界はどっち?
真なる魔界の住人たちは、悪魔。一応、ここは私が作り出したとは言え日本。日本で悪魔と言えば、何になるかしら。
そもそも、悪魔と言うのは神の敵。一神教ならそうなる訳だけど、八百万の神々が住まう日本では、神の敵はまた違う神なのよ。
日本には悪魔なんていないけど、敢えて日本の悪魔は何かと考えてみれば、それは鬼とか狐狸妖怪の類い。
そう考えれば、目指すべき先は東北、遠野よね。
日本で神と言えば、島根県は出雲。妖怪と言えば、岩手県は遠野。
良し、取り敢えず、東北を目指しましょう。
……なんて考えていたので、今目の前の車両の行き先表示は遠野方面。
山手線に遠野駅なんてもちろん無いし、そもそも内回り外回りどっちよ(^^;
確かに見た目は、懐かしい緑のラインの山手線そのものだけど、ここはあくまで私の世界。
この遠野方面行きの電車に乗れば、少なくとも私の世界からは出て行けるでしょう。
そう思いながら車両へ乗り込むも、気付けばヤクシがいない。
上半身だけ車両の外へ出して確認してみると、電車を繁々と見詰めながら、戸惑ってた。
「どうしたの?乗らないの?」
「い、いえ、その……これは何ですか?乗るって、勝手に乗って平気なんですか?」
そうか。電車も見た事無いし、当然乗り方も知らない。
馬車なら御者がいるから、勝手に乗り込んだりしないわよね。
「これはね、電車って言うのよ。時間が来たら勝手に走り出すから、乗って待ってれば良いの。」
「電車……え?勝手に走るんですか?」
「そうよ。馬が牽かなくても走るのよ。外の車もそうだったでしょ。」
「そ、そうでした。でも、どうやって……。」
「そんな事は良いから、早く乗りなさい。乗り遅れたら、私とはぐれるわよ。」
「あっ、それは困ります。ごめんなさい。すぐ乗ります。」
急いで駆け込もうとして、厚底ブーツで足がもつれる。
私はヤクシの手を取り、ホームとの隙間に気を付けて、乗車させてあげた。
その瞬間、それを待っていたかのように、発車を知らせる懐かしいメロディが流れ始めた。
「何です?この音……。」
「発車します、って合図よ。」
……さすがに昔過ぎて、渋谷駅の発車音なんてはっきり覚えてないけど、何だか懐かしいわね……曲名知らないけど。
私自身の記憶でははっきりしなくても、脳内には記録されてるんでしょうね。
それを引き出してるから、私が覚えていない曲がこうして再現されて、懐かしいとは思える。不思議なものね。
懐かしいメロディが2回流れると、「ドアが閉まります。ご注意下さい。」とアナウンスが……何番線、とは言わなかったわね。
やっぱり、外回りでも内回りでも無いのね。
そして、プシー、とドアが閉まる。
「さぁ、ヤクシ。動き出すから、座りましょ。その厚底じゃ危ないでしょ。」
ヤクシの手を取り、手近な座席に腰掛ける。
すると、低いモーター音を響かせながら、電車がゆっくり動き出す。
「わっ、本当に動きました。……随分長い乗り物なのに、どうやって動いてるんだろう。」
私たちは、ホームへ上がってすぐ車両に乗り込んだけど、進行方向的に一番後ろの車両だったみたい。
前を見れば、何両も車両が連なってて、確かにアーデルヴァイトには、こんなに連結して長くなってる乗り物なんて無いわね。
しかも鉄で出来てて、車両を牽くはずの輓馬もいない、不思議な乗り物。
ガタン、ゴトンと少しずつ音と振動が増して行き、電車は速度を上げて行く。
これでようやく、私は私の世界から抜け出して、愛しい人を捜しに行けるのね。
ガタンゴトン、ガタンゴトン。電車はその速度を上げて行く。
車窓を流れる景色も、その速度を上げて行く。
今はまだ、コピペしたような都会の景色が流れて行くだけ。
ヤクシはそれを、窓側を向いて座席に正座するような、子供がするような格好で、物珍し気に眺めてる。
「ねぇ、ヤクシ。ひとつ聞いて良い?」
「えぇ、良いですよ。何でも聞いて下さい。」
外の景色から目を離さずに、私の言葉に素直に応えるヤクシ。
「……随分、歩きにくそうだったわよね。何で、その格好なの?」
「……はい、あの……。」
すると、ヤクシは外を眺めるのを止め、座席にちゃんと座り直してから言葉を続ける。
「……私の姿は目立つので、あの子たちから隠れようと、すぐ近くにいたこの子に隠れました。」
「まぁ、そうなんでしょうけど、何でその子を選んだの?」
「いえ、その……、あの子たちに見付かりそうになって、思わず……。」
「そう。別に、ガングロギャルが気に入ったからじゃ無いのね。」
「ガン……グロ?この子って、変な名前なんですね。」
……ま、良いけど。
「でもさ、厚底ブーツは歩きにくそうじゃない。NPCは他にもいるんだし、入り直したらどう?ほら、この電車の中にも、もう少し動きやすそうな格好したNPC、たくさんいるんだし。」
「エヌピーシー、って何です?」
あぁ、そうか。NPCって、私が勝手にそう呼んでるだけだった(^^;
「魂の入っていない、周りの子たちの事よ。別に、ガングロギャルじゃ無くちゃいけない理由が無いんなら、OLだって普通の女子高生だって。」
「はい……あのぅ……。」
「なぁに?」
「……どうやったら、この子から出られるんでしょう。」
……え~と、あぁ、そうか。
ビジランテたちは、死者に隠れて監視する為に、普段からNPCに入り込んだりする訳よね。
出入りに慣れているのか、西王母システムから教わってるのか、そう言うスキルでも持ってるのか、自由に出入りが出来る。
だけどヤクシは、どう考えてもビジランテとは違う存在よね。
彼女の場合、普段NPCに入ったりする事は無いんでしょう。
思わず入り込んだは良いものの、どうやって出たら良いのか判らない、と。
「……まぁ、どうしても歩きにくかったら、靴だけでも履き替えましょうか。」
「え?……お願いします。」
そうヤクシが言うので、私は同じ車両にいた女子高生にお願いして、厚底ブーツとローファーを交換して貰った。
私の世界だけに、交渉と言うほどの事も無く、すんなり応じてくれたわ。
「わぁ、ありがとう御座います。これなら、歩きやすいですね。」と、無邪気に喜ぶヤクシ。
ふふ、良いのよ。これは、ちょっとした意地悪だから。
ヤクシ本人には、NPCから出る方法が良く判らないでしょうけど、私は物質体からアストラル体を抜き出す要領で、簡単にヤクシを抜き出す事も出来る。
さっき497番を、学生さんから抜き出したようにね。
だけど、正体を隠したままの可愛らしいガングロヤクシには、しばらくそのままの姿でいて貰いましょう。
正体を明かす気になったら、その時抜いてあげれば良いでしょ。
と言う事で、私はしばらく、おかしなガングロギャルと旅する事にした。
2
ガタンゴトン、ガタンゴトンと、相変わらず規則正しい振動がもう何十分と続いてる。
本物の山手線なら、数分で隣の駅に着くでしょうけど、この電車は延々走り続けてる。
「あ、ほら、見て下さい。田んぼが綺麗ですよ。」
言われて車窓の外を眺めると、水面に空が映り込み、夏の日の水田が美しく輝いてる……うん、どこよ、ここ(^^;
この山手線は、いつの間にか東京を出て行き、随分緑の多い田舎のような風景の中を走ってた。
ふと気付くと、内装が妙に古めかしい物に変わってて、電光掲示板が無い木造車両になってる。
前方に十両近く連結されてた車両も数を減らし、もう先頭車両と私たちの車両のニ両編成。
田舎と言うだけで無く、時代まで遡っちゃってるわね。
そのままさらに電車は走り続け、すっかり陽が暮れて辺りが暗くなると、外の雰囲気も変わった。
車窓からは、賽の河原にあるような石積みがいくつも確認出来るようになり、その周囲には髑髏が転がってる。
鬼太郎の、幽霊列車にでも乗ってるような気分ね。
この車両に乗り合わせた他の乗客たちは、いつの間にか一見サラリーマン風のNPCに変わってる。
私の記憶の中にある、最終電車には疲れ果てたサラリーマンたちが乗ってる、と言うイメージが再現されたかのよう。
……そろそろ、私の世界の端、なのかも知れない。
とは言え、このまま列車に乗り続けるだけで、真なる魔界に着けるなら苦労は無い。
程無く私の世界からは抜け出るとして、そこはまだ真なる魔界では無いはずよ。
とにかく、まずは列車が着いた先を確認してみない事には、その先どうすれば良いのか判らない。
……なんて事を私が考えたからか、列車は徐々に減速して行き、ついに駅へと停車した。
「……何か、寂しいところに着いちゃいましたね。」
「そうね。さ、取り敢えず降りましょ。この列車は、私が私の世界を抜け出す為の列車。もう乗ってても意味無いでしょ。」
そうして降り立ったホームは、人っ子ひとりいない寂れた無人駅で、周囲は山に囲まれてた。
雰囲気はまるで、都市伝説のきさらぎ駅ね……なんて思ったから、微かに読み取れるほど薄くなった看板の駅名は、きさらぎ。
このきさらぎ駅は、まだ私の世界の中みたい。ここに留まってても仕方が無い。
「さぁ、それじゃあ先に進みましょう。行くわよ、ヤクシ。」
「あ、はい、ルージュさん。行きましょう。」
私たちふたりは、きさらぎ駅の無人改札を通り抜け、道なりに歩き出した。
私は日本の植生や植物の種類に詳しく無かったし、アーデルヴァイトの植生は地球と大差無いと思ってたから、きさらぎ駅周辺の植物たちと、次第に姿を変えた今の山道の植物たちにも、大して違いは感じられない。
だけど、どうやら確実に、私の世界からは抜け出たみたい。
表現の仕方は難しいけど、もう私の世界では無いと言う感覚がある。
きさらぎ駅周辺から、その周囲に見えた山へ近付いただけのように見えて、その実違う世界へ入り込んだのだと思う。
たまさか、私が思い描いたきさらぎ駅周辺と良く似た環境の世界だったのか、この世界に合わせてきさらぎ駅が形作られたのか、ただ森の中の道を山へ歩いて来ただけのようでいて、ここはすでに誰かの世界。
それなら、この世界を形作ってる魂が、どこかにいるはず。
そう思って、アストラル感知を展開してみると……あら、意外と早く見付かったわね。
あぁ、ライアンじゃ無いわよ。もうひとりの捜し人。
でも、この世界の主では無いみたい。
この世界の主はもっと近くにいて、こっちはこっちでとても身近で懐かしい存在……ある意味、一度も会った事が無い特別な存在。
それ以外にも数人魂の気配がするんだけど、これはビジランテ、では無いわね。
そして、電車で実際どれほど離れたのか判らないけど、きさらぎ駅周辺にいた時はまだ、私の世界の中心、渋谷方面に展開中のビジランテたちの気配が感じられた。
それが今や、完全に感知出来無い。
これは多分、死者の魂が作り出すそれぞれの世界は、個々が独立した別世界として、隔絶されてるんだと思う。まるで、亜空間みたいに。
……そうなると、彼女の気配を感じるのは何故?
まだ距離にするとかなり遠いから、もしかするとこの世界にいるのでは無く、こことは別世界である彼女の世界にいるのかも知れないけど、であれば、隔絶してるから感知出来無いはず。
彼女以外にも気配は感じられるから、ひとりの世界に何人かの死者たちが入り込んでるのかしら。
あぁ、そう言えば、私もこうして彼の世界に入ってるか。
「……ねぇ、ヤクシ。ここってもう、私の世界では無くて、他の魂の世界よね。」
「えぇ、そうです。貴女の世界は抜けましたね。凄いですね。そう言う事も判るんですね。」
「まぁ、ね。その上で、判らない事もあるの。この世界には、複数の魂を感じるわ。貴女も感知能力あるんでしょ。」
「はい……そうですね。どうやら、この世界の死者だけじゃ無くて、何人かいるようですね。」
「それでいて、さっきまで感じられたビジランテたちの気配はもう感じられない。これって、それぞれの世界同士は隔絶してて、感知も届かないって事で良いの?」
するとヤクシは足を止めて、少し考え込んでから説明を始めた。
「え~と、元々、アストラル界はただエネルギーが漂うだけの世界で、そのエネルギーを使って創造神が形を与えたのが死者の国です。……ルージュさん、この手の話も判りますよね?」
「えぇ、大丈夫。続けて。」
私も足を止めて、ヤクシの話に耳を傾ける。
「転生の門へ魂が殺到するのを防ぐ為に、魂たちが安定して過ごせる仕組みとして、心象風景から留まりたい世界を形作るシステムを導入しました。その参考にしたのが、創造神の創世です。ですから、厳密に言うと、死者たちの世界は完全に独立した別世界で、三界の壁が無い状態みたいなものですね。」
やっぱり、私の世界と彼の世界は、完全な別世界として隔絶されてるのね。
「あの子たちの気配が感じられないのは、その為です。この世界には、今のところあの子たちはいないみたいですね。」
「えぇ、そうね。でも、この世界を作り出してる魂とは違う魂たちがいるでしょ。死者たちが自分の世界に留まるなら、他の世界に何人も死者がいるのはおかしくない?」
「あぁ、そこも気になったんですね。貴女と同じように、自分の世界を抜け出す死者もいますけど、そんな死者たちは他の魂の世界では無く死者の国の方へ迷い出ます。普通は、魂の世界に他の死者が何人もいる事は無いです。」
死者の国の方……。それはそうか。死者が作り出した世界は、あくまで簡易牢獄みたいなもの。それ自体が、死者の国と言う訳では無いのよね。
「ただ、死者たちには所縁と言うものがあるでしょう?血縁や恋慕、執着、恨み、様々な繋がりが現世から続いていて、作り出した世界同士が似通ったり、縁が深い事で世界同士に接点が生まれたりして、複数の死者の想いが混じり合った、より大きな魂の世界を形成する事があるんです。かなり長い時間を掛けて、近くに生まれた世界同士が少しずつ混ざるので、ルージュさんの世界は完全にルージュさんだけの世界でしたけど、この世界は複数の魂たちの世界になってるようです。」
「なるほど、良く判ったわ。ありがとう、ヤクシ。」
「い、いえ……お役に立てたなら、幸いです……。」と、少し伏し目がちになるヤクシ。
私は結局、正体もだけど、目的も聞かなかったわ。だから彼女は、後ろめたさを感じてるのかもね。
それはともかく、つまりこの世界は、彼の世界でもあるけど、遠い場所では彼女の世界と繋がってるし、似た境遇の他の死者の想念も混じってるかも知れない訳ね。
気配が感知出来た以上、彼女の世界はここと隔絶していない。そう言う事だもんね。
優先順序で行けば彼女が先なんだけど、私は手近な場所にいる、彼に先に逢いに行く事にする。
顔を合わせるのは初めてだけど、折角だもの、一度逢っておきたい。
そう思い、まずは彼の許へと、再び歩き出した。
3
この世界の主である彼に近付いて行くと、山道の先に開けた場所があって、広場のようになってた。
周囲の木々は切り株となってて、切り出した木で色々な物が作られてる。
丸太小屋は彼の住まいだとして、切り出した丸太が何本も林立してたり、人の形をした的を括り付けた物が何体も並んでたり、何度も打たれ表面がささくれ立った丸太が突き立ってたり。
これはそう、修行場ね。バランスを鍛えたり、投擲や射撃を鍛錬したり、木剣を数限り無く打ち込んだり。
魂の世界は時間経過も物質界とは違うから、きさらぎ駅周辺からここまでずっと夜のまま。
私は夜目も利くから、問題無く周囲の状況も判る。
ローファーに履き替えたヤクシも歩きにくそうにしてないから、彼女も闇が苦にならないようね。
今明かりは、闇夜を照らす月と、小屋から漏れる明かりだけ。
彼は今、小屋の中にいて、まだ起きてるみたい。
私たちは小屋に近付いて、そっとドアをノックしようとした。
「どうぞ。開いてますから。」
私たちの気配を察した彼が、中から声を掛けて来た。
私はヤクシと見交わすと、頷いてドアを開けた。
小屋の中はそこまで広く無く、ドアを開けてすぐ彼はいた。
部屋の明かりは、何本かの燭台の灯りと、左手側にある暖炉の灯り。
入ってすぐ丸太テーブルがあって、その右手側にひとりの大柄な男性が椅子に腰掛けてた。
「……おや、これは珍しい。会った事の無いお客人だ。」
すると彼は、椅子から立ち上がって、こちらに軽く会釈した。
「これは失礼致しました。仲間の誰かが訪ねて来たのかと思い、席も立たずに申し訳ありませんでした。」
私は、小屋の中へと一歩踏み込んで、「良いのよ。こちらこそ、夜分遅くに不躾だったわね。」
「ご、ごめんなさい。お休みのところ、申し訳ありません。」と、ヤクシも後を追って小屋の中へと入り、ドアを閉めた。
私と彼は、数歩の距離で対峙する形となったけど、彼は私の姿を見詰めて呆けている。
「あ、あれ?ルージュさんに、見惚れてます?」と、ヤクシが余計なひと言を口にするけど、「違うわよ。」と、私が否定する。
「初めて逢うけど、初めてな気がしない。そうよね。」
彼は、はっと我に返り、「え、えぇ……初対面……ですよね。ですが、そのぅ……。」
「詳しく話してあげるわ。宜しければ、席をご用意下さる?」
「こ、これは失礼致しました。すぐお席を用意させて頂きます。」
そう言って、彼は慌てて準備に取り掛かった。
いつも仲間がやって来てテーブルを囲むのか、部屋の隅に椅子が数脚重ねてあって、彼はそこから私とヤクシの分の椅子を用意してくれた。
彼は先程座っていた場所から部屋の奥へ移動し、私がその左手側、ヤクシは私の隣の席に着く。
ホスト、主人は暖炉を背にして座る、と言う形もあるけど、ここまで狭い場合暖炉が近過ぎて座っていられない(^^;
だからこの場合、出入り口から一番遠い場所にホストが座り、客人がふたりだから横の席へと座らせる。
堅っ苦しい作法は嫌いだったけど、それぞれの地方ごとに微妙に違うそれを、数千年も生きていれば覚えてしまう。
この形は、神聖オルヴァドル教国流の作法に則ってる。
彼は、香茶も用意してくれた。
「改めまして、ようこそいらっしゃいました。歓迎致します。さ、どうぞお召し上がり下さい。」
カップの横には小さなお皿も添えられてて、ビスケットのような茶菓子が乗ってる。
私はカップを口へ運び、香りを楽しんだ後ひと口啜った。
上品な香りと微かな甘み、とは言え、決して上等な品じゃ無い。
ビスケットの方も、一般市民が口にするような市井品。
少なくとも、ここは彼にとっての地獄には見えないけど、住処や食事は質素な物で、本当にこれが繰り返し味わう幸福な人生なのかと疑ってしまう。
……でも、彼にとっては、こう言う静かな暮らしが、充分幸せなのでしょうね。
きっと、生前の自分の仕事に、満足してるのね……。
「あの……ルージュさん?」と、ヤクシが呆としてた私に声を掛けた。
「あぁ、ごめんなさい。私たまに、物思いに耽る事があるの。ありがとう。美味しいわ。」
「……いえ、良いのです。口に合いませんよね。ですが、私にはこれで充分なのです。」
「……まぁ、オルヴァの食事は美味しくなかったしね。でも、これはこれで懐かしいわよ。」
「はは、そうですね。質素倹約が尊ばれる国でしたから。」
「そうね。……本当はもっと、贅沢に暮らしてくれてた方が、こっちの罪悪感が薄れたんだけど。」
「罪悪感……ですか?」と、怪訝な顔をする彼。
「……改めまして、私は冒険者のルージュ。こちらは連れのヤクシ。私はね……元勇者なの。」
「元……勇者!?」少し、表情が曇る彼。
「神聖歴10700年に招喚された、三番目の勇者。」
がたっ、と思わず席を立つ彼。
「し、しかし、貴女は……。」
「ごめんなさい。私、一度殺されちゃってね。その時、体を乗り換えたの。あぁ、ちゃんと貴方の体は、今でも遺伝子の船として大切に保管してあるわよ。」
「……殺された?乗り換えた?イデンシノフネ?すみません、貴女が何を言っているのか、良く……。」
「まぁ、細かい事は判らなくて良いの。ただ、私は貴方の体を使って招喚された、元勇者よ。」
そう。彼の姿は、勇者イタミ・ヒデオに良く似てる。
もちろん、私が入った時点で少し私に寄ったし、さらに鍛えてマッチョになる前だから、彼はあくまで細マッチョなんだけど、面差しが良く似てるの。
そして、今の私の姿は、勇者ボディの性別を女性にした状態。
彼から見れば、いるかどうかは知らないけど、年齢的に妹のような親近感を覚えたんじゃないかしら。
私には、見た目だけで無く気配からも、私たちが良く似た雰囲気なのだと感じられる。
彼は何と無く、私は確信的に、ふたりの間に何某かの絆がある。そう直感した。
彼は静かに椅子に座り直し、「えぇ、その通りなんでしょう。何と無く判ります。貴女からは……変な話ですが、私を感じます。」
「それで、貴方のお名前は何て言うの?自己紹介、お願い出来るかしら。」
「!……これは、失礼致しました。私はNo.7です。よろしくお願致します。」
「ナンバーセヴン……それがお名前なんですか?珍しいお名前ですね。」と、ヤクシが素直に疑問を口にする。
「いえ、そう呼ばれていたと言うだけで、実を言えば、本当の名前はありません。そう言う仕来りですから。」
私は以前、10800年の儀式に合わせて、勇者招喚に関して詳しく調べた。
その時、確かに記録上はナンバー表記だったんだけど、まさか名前すら与えられていなかったなんて……。
「No.7。それは、素体として認められた11人の7番目と言う事よね。候補者は100人いるんだし、それ以前は何て呼ばれてたの?その……親御さんとか。」
「……罪悪感、と仰いましたね。私共に、同情なさっておいでなのですね。No.7の前はNo.58でした。親とは、会った記憶がありません。」
「そう……。」
素体は100人の子供を選別して育て始め、無事自動翻訳スキルのみを習得した状態でクラス勇者へと転職出来た者だけが、素体として認められる。
子供の選別方法や、育成前の扱いまで調べなかったけど、どうやら生まれてすぐ親元からは引き離されてしまうのね。
……候補のまま終わった子供たちは、その後再教育を施されて軍に編入されるから、むしろ体を失わずに人生を全う出来ると言える。
あぁ、そもそも過酷な試練だから、途中で脱落、落命する子は除いて、ね。
最後まで残り、それでも素体になれなかった子たちにすれば、期待に応えられなかった無力感を抱えて生きる事になる訳だから、それも幸せな人生とは言えないのかも知れないけど。
そして、見事素体となった者たちは、勇者たちの為に体を捧げる事になる。
この時、使われなかった素体たちは、クラス勇者のエリートには違い無いので、教国の特別聖騎士として改めて教育を施され、教皇直属の親衛隊に配属される。
この子たちは、期待に応えた上で九死に一生を得る訳ね。
私たち10700年の時、素体として認められたのは11人。
1回目の招喚は儀式として成功したけど、地球からやって来るはずの勇者がやって来ず失敗。多分、世界を渡る事に失敗したのね。
一度儀式に参加した素体は使い回せない事になってるから、この子は命拾いした訳ね。
2回目の招喚は無事成功し、勇者クリスティーナが誕生。3回目が、勇者ライアン。
その後、4回目は儀式失敗により素体は存命。5回目の招喚は成功するも、勇者候補の異世界人が逃亡を企て、その捕縛時に死亡。
6回目の招喚も成功したけど、勇者候補は訓練中の事故により負傷。心に傷を負った事で失格となり、軟禁の上精神的療養を続けるも、数年後に衰弱して死亡。
それでも、すぐ処分されずに治療を受けられたのは、ライアンのお陰。
私が消えた後、ライアンが教国に留まった理由のひとつ。
7回目の招喚で、待望の三番目の勇者イタミ・ヒデオが誕生するも、見事試練を乗り越え勇者と認められた日に、出奔して姿を消す(^^;
三番目の勇者イタミ・ヒデオは、本人の意向によりひっそりと旅立った。教国の公式見解ではそうなってる。
結果、これで3人の勇者が揃った事で、8~11人目は素体として儀式に使われる事は無かった。
彼は、この時のNo.7と言う訳ね。
ちなみに、10800年の時は、記憶操作で勇者に祭り上げてしまったから、9人の素体に対して最初の3人が勇者となった事で、6人は聖騎士として生涯を送った。
勇者に祭り上げたひとりは二代目勇者クリスとして活躍し、残りふたりは主神オルヴァドルに仕え、望んだ人生では無かったかも知れないけど、誰ひとり廃棄処分とはならなかった。
少しはマシだった、と思うけど、馬鹿馬鹿しい儀式に振り回されたんだから、充分犠牲者と言えるわよね。
10900年以降は細かく確認してないけど、招喚そのものが失敗する以上、廃棄は無いはずね。
多分、体裁を繕う為、3人は勇者扱いとして旅立たせたんだと思う。
素体たちは皆クラス勇者なんだから、そのまま旅立っても充分活躍出来るはずだから。
その後もたまに、オルヴァの勇者と言う言葉は耳にしたけど、あれから数千年。今でも魔王はディートハルトのまま。そう、魔王を倒した勇者はいない。
それは、オルヴァの勇者に限った話じゃ無いけど。
もしかしたら、単にクラス勇者となれたアーデルヴァイトの人間よりも、異世界人が取り憑いた勇者の方が、やっぱり強かったのかな。
私たち3人は壁を越えたのに、二代目クリスを始め、他の勇者たちは壁を越えられなかった。
勇者招喚の儀式が正しかったなんて思わないけど、利には適ってたのかもね。
たった100年も生きられない人間族が、壁を超えるほどの強さを得る為には、異世界から勇者を招喚するくらいの特異点が必要だった……。
「セヴン、貴方はそのぅ……私に体を奪われて、それで本当に良かったの?」
詮無い事。私だって好き好んで彼の体を奪った訳じゃ無いし、彼はそれを承知で勇者の素体となる為に試練を乗り越えたんだもの。
それでも、私の素体となった、彼の気持ちが気になってしまって……。
「……勇者様は、お優しいのですね。……しかし、ひとつ思い違いをしております。私は勇者様に……貴女に後を託し、ご活躍される事を願って、生きて参りました。その願いが叶ったのです。しかも、どうやら貴女は、ただの勇者様では無く、特別ご活躍されたのでしょう。先程のお話の内容は良く判りませんでしたが、殺されたにもかかわらず死なずにおられたようで、何か途轍も無い人生をお歩きになって、今ここに召された事と存じます。私にとって、それはとても誇らしい。貴女で良かった。心から、そう思います。」
……彼の気配には、少しも淀みが無い。本気で、使命を全うした喜びと充実感に満ちてる。
でもそれは……いいえ、止しましょう。
人には、それぞれの人生がある。その中で、何を目的とするのかも人それぞれ。
それが、無理矢理刷り込まれた価値観であろうとも、彼に勇者招喚の儀式についてつまびらかにすべきでは無いわ。
どんな時でも、どんな相手にも、真実が必ずしも救いになるとは限らない。
秘密を墓まで持って行く方が、幸せな事もある……ここはお墓のさらに先だけども(^^;
4
「それでセヴン、貴方は今、ここでどう過ごしてるの?こう言っては何だけど、かなり質素な暮らしぶりよね。」
私は気を取り直して、話題を変えた。
彼が死後、ここで幸せに過ごしているなら、それが何よりだもの。
「えぇ、私共は厳しい修行の日々でしたから、このような暮らしぶりでも快適なくらいなんですよ。……親の事は知りませんが、私共の家庭は貧しい事が多いようですし、勇者候補に選別されるだけで、かなり生活が楽になると聞きます。きっと貧しいであろう我が家の事を思うと、あまり贅沢な暮らしは気も咎めます。」
子供の選別方法は調べなかったけど、我が子を差し出す事を考えれば、やはり貧しい家庭が多くなる訳ね……うん?
「え~と、貴方は勇者招喚の儀式について、色々知ってるの?」
「え?……あ、いえ、儀式の際、説明された事以外は、ほとんど知りません。実は、ここへたまに立ち寄るビジランテさんから聞いたんですが、この世界は私の心が作り出したものだとか。何だかんだ言って、勇者様にお体を使って頂けるよう、その資格を得る為に一所懸命修行に励んでいた頃が、私にとって一番幸せな時間だったようで。習慣でもありますし、今も毎日修行に精を出しております。」
……人生最大の目的の為に頑張ってるんだから、確かに楽しかったのかも。
私だって、地球限定だからだけど、渋谷が再現されたもんね。
「私共勇者候補として育った者は、皆思うところが似通っているようでして。いつの間にか、周囲に同じ境遇の者共が集まっていました。それぞれの世界が、ほとんど同じ形をしております。候補者の修行地は、伝統的に同じ場所だったようなので。私共の世界は今、ひとつの山の中にいくつもの修行場が点在する形をしております。たまに訪ね合って互いを労う事があり、その時に色々と話しました。中には、家族の事を覚えている者もおり、私共は貧しい家庭から選ばれるのだと、そのような話も聞きました。」
なるほど、それでさっきの話に繋がる訳ね。
それに、ここへ来る時ヤクシに聞いた、似通った世界同士が混じり合う、と言う話とも符合する。
この世界は、勇者候補として選別された子供たちの魂が、寄り集まって出来たコミュニティーなのね。
「あれ?でも待って。そうなると、ひとりだけ毛色が違って来るわよね。まぁ、私同様、関係者ではあるけど。」
「?……何の話ですか?」
「あ、いえね。この世界がセヴンひとりの世界じゃ無いから、他にもたくさんの魂がいる事は判ったんだけど、少し離れた場所にひとり、貴方たちとは違う人がいるでしょ。」
「あぁ、なるほど。彼女の事ですね。凄いですね、ルージュ様。他の者や、彼女の事まで判るんですか。」
「まぁ、ね。気配を感知するのは得意なの。でも、彼女と言う事は、貴方たちは交流があるのね。」
「はい。彼女は私たちを気遣って、たまに美味しい手料理を振舞ってくれるんです。……そうですか。お知り合いなのですね。」
「……と言う事は、セヴンは彼女の正体までは知らないのね。」
「……はい。多分、そうでは無いかと思っていましたが、彼女は何もお話し下さらないので。」
「どう言う事?……あぁ、もしかして。」
「はい。彼女の家は山の麓にあるのですが、その周辺はこことはあまりにも違う景色で……。」
「え、どう言う事です?」と、ヤクシ。
「私の世界同様、地球なのよ。彼女の世界。だから、多分彼女は異世界人だろう、と思ってたんでしょ。」
「あ、そう言う事か。」
「儀式の前に、異世界から勇者様を招喚する事などは説明を受けましたから、勇者様は異世界の方だと承知しています。そして、私もそれなりに修行を積んだ身。この世界でも、鍛錬を続けています。ですから、彼女が並みの存在では無いとも感じました。異質な世界の風景と特別な力。きっと、彼女は勇者様だったのでは、と。」
とは言え、彼女は何故、この世界に留まってるのかしら。
……それほど幸せな生活だった、と言う事かな。
とても、彼女を責める気にはならないわ。
「それじゃあ、私たちはこの後、彼女を訪ねてみるわ。……死者に対してこんな事言うのも変な話だけど、元気でね。お茶とお菓子、とても懐かしい気持ちになれたわ。ありがとう。」
私が席を立つと、彼も見送りの為席を立ち、ワンテンポ遅れてヤクシも席を立った。
「大したお持て成しも出来ず、申し訳ありませんでした。こちらこそ、ありがとう御座いました。お逢い出来て、光栄に存じます。お気を付けて。」
私から手を差し出し、彼がその手を取る。
彼の振る舞いは終始、立派な紳士のそれだった。
いつかその時が来たら体を明け渡す事になるのに、彼は礼儀作法などもしっかり身に付けてたのね。
……きっと、私なんかより、ずっと立派な勇者様になっただろうに。
そのすぐ後、私たちは彼の小屋を後にした。
まだ夜が明け切らない時間帯だけど、彼は外まで見送りに出て来て、私たちが見えなくなるまで手を振って送ってくれた。
薄闇の中、私はヤクシとふたりで山道を下って行く。
「……ねぇ、ヤクシ。彼、その振る舞いも立派だったし、普段から己を律して生活してるみたいで、とても良い子だったわね。」
「そうですね。常にルージュさんに敬意を払って接していましたし、あんなに立派な若者、
私は、歩きながら言葉を続ける。
「あんな素晴らしい魂、何故数千年も転生せずに、ここに留まってるのかしら。」
「……え!?」
「エヌマラグナの定める、転生に相応しい資質が何なのか知らないけど、ビジランテに逆らう事も無く、何千年もここで修行を続ける魂は、転生に相応しく無い訳?」
「……それは、その……。」
「セヴンは素晴らしい人生を送り、ここでも素晴らしい態度で生活してる。あんな子こそ、再び物質界に転生した折には、素晴らしい存在になり得ると、私には思えるんだけどなぁ。」
「……、……、……。」
声を無くし、足を止めてしまうヤクシ。
その正体には薄々勘付いてるから、少し意地悪な発言だったかも知れないわね。
でもね、ヤクシ。私は本気でそう思うのよ。
もし転生するのに資格や適性なんてものがあるなら、彼のような魂こそ相応しいでしょ、ってね。
少し距離を置いたまま、ふたりは山道を下って行った。
麓まで物理的に距離が離れてる訳じゃ無いけど、感覚的に数時間は歩き、その間に陽が昇った。
そして見えて来たのは、林立するビル群では無く、昭和とまでは言わないまでも、少し古めの、日本で良く見られる二階建ての家々。
それが所狭しと立ち並んでおり、なるほど、彼女が旦那様と暮らしてたのは、こんな東京の下町だったのね。
母方の実家が墨田区にあったので、私も下町には馴染みがある。
お隣との距離が近過ぎる建物、とても車で入り込みたくないような狭い道、それでいて少し大きな道へ出れば、大都会東京らしく交通量は多い。
そんな下町にあっては、結構大きなお家ね。建て売りの良くある家屋では無く、小ぢんまりとはしてるけどちゃんとした日本家屋で、狭いながらも庭だってある。
少なくとも、私よりもお金持ちだったみたい(^^;
そんな彼女は今、門を出て自宅と周りの家の門前を、箒で掃除してるところ。
こんな下町では彼女は目立つから、ご近所付き合いにも気を付けてたんだろうなぁ。
「お久しぶり。朝から精が出るわね。」
私は、こちらに背を向けて鼻歌を口ずさみながら掃除に夢中になってた、彼女に声を掛けた。
その私の声にぴくりと肩を震わせ、恐る恐る振り返る彼女。
「こんな朝早く悪いんだけど、逢いに来ちゃった。良かったら、噂の旦那様を紹介してよ。」
「……嘘……そんな……でも……。」
「何よ、もう私の顔、忘れちゃったの?それとも、ここの生活が幸せ過ぎて、すっかり全部忘れちゃった?」
「ル!……ルージュちゃん!」
箒を放り出して、私に飛び付く彼女。
私たちは、こうして約束通り再会を果たした。
私と彼女、クリスティーナのふたりは。
5
私は、クリスティーナの体をぎゅっ、と抱き締め、彼女もしっかり抱き返して来て、しばらくそのまま抱き合い続けた。
以前とは違い、今のクリスティーナの体は柔らかい。
程良く引き締まってはいるけど、やっぱり男の体と女の体は違う。
そう。今のクリスティーナの体は、女性のそれだった。
セヴンがクリスティーナを彼女と呼んだのも、何も内面を尊重しての事では無く、単に見た目が女性だったからなのね。
ちなみに、私だって逢うまで、クリスティーナが女性体になってるなんて思わなかったわよ。
でも、気配が完全にクリスティーナなんだから、疑いようは無いの。
「……体は男でも、心は女。それを貫き通した結果が、今のその姿なのね。」
がばっ、と私の体を引き離すと「そ~なのよぉ。見て。私、女になっちゃった。」と、笑顔のままくるっとひと回りするクリスティーナ。
「あぁ、でも、これが私の本当の姿じゃ無いのよ。あくまでも、勇者の体が女性化した姿みたい。ルージュちゃんの男性体と女性体みたいに、元の私の体に良く似てるの。あぁ、この場合、勇者だった頃の私の体って意味だけど、何だかややこしいわね。」と言って笑うクリスティーナ。
「えぇ、ちゃんと面影あるわ。だから、吃驚はしたけど、すぐに判ったわ。でも、地球にいた頃の姿には戻らないものなのね。どうやら、アストラル体だけで無く、魂も新しい体に馴染むのね。」
「……まぁ、少し残念ではあるけど、地球にいた頃の私はもっとぽっちゃりさんだったから、こっちの方が嬉しくもあったり。」と、少し微妙な表情ではにかむクリスティーナ。
……何より、ただの地球人に戻ってしまっては、過酷な死者の国は歩けない。
もし、クリスティーナがここに残りたいと言うならそれでも良いけど、私と一緒にライアンを捜す約束よ。
それに、貴女を待ってる大事な人だって……。
「そんなところでどうしたんだい?お客様なら、是非上がって貰いなさい。」
私たちが立ち話をしていると、門を潜ってひとりの男性が現れた。
まだ40~50代に見えるけど、とても落ち着いた雰囲気の日本人。
「あ、あら、ごめんなさい、あなた。古い友人が訪ねていらしたの。そうね、是非上がって貰いましょう。」
どうやら、この男性がクリスティーナの愛しの旦那様ね。
決してイケメンとは言わないけど、体中から優しさが満ち溢れてるような、そんな柔和な感じの人。
「あ、そちらのお連れ様も、どうぞ上がって行って下さい。すぐにお茶、お出ししますから。」
そう言って、そそくさと家の中に入ってしまうクリスティーナ。
「どうぞ、お入り下さい。」
そう言って、私たちを中へと促すクリスティーナの旦那様。
「はい、失礼させて頂きます。」
それに素直に従い、私はその“NPC”の後に付いて行った。
ヤクシがローファーのまま上がろうとするお約束を経て、私たちが通されたのは、客間じゃ無くて居間だった。
下町の住居としては広いけど、郊外の邸宅と比べたらかなり手狭。
そこまで部屋数も多くないし、部屋もそこまで広くない。
居間は畳敷きで、足の短い座敷テーブルと人数分の座布団。
この雰囲気、懐かしいわね。古き良き昭和の頃を思い起こさせる。
テーブルの中央にはせんべいが入った入れ物が置いてあって、人数分のお茶も並んでる。
クリスティーナの家の方が広いけど、母方の実家に遊びに行った時の事を思い出すわ。
ただ……そこここにちょっとしたフィギュアが飾ってあったり、アニメのポスターがちらりと見えたり、TV台の周りに何かのDVDパッケージが並んでいる辺り、オタクなクリスティーナのお家って感じがする(^^;
多分、ここから見えないところは、もっとディープなんでしょうね。
「さ、どうぞ。お座りになって。」
上座に旦那様が座っており、クリスティーナはその脇に控える感じ。
金髪碧眼のクリスティーナが、割烹着を着てお盆を手にした姿は、不似合いだけど微笑ましい。
やっぱり、外人さんが日本の文化に馴染もうとしてる、と言う光景は、日本人としてつい嬉しくなってしまう。
ここは日本では無いし、もう数千年こちらで過ごしたアーデルヴァイト人のはずなのに、日本人的なメンタルは抜けないものね。
私は旦那様の対面に座り、その際座布団をひとつ、自分の斜め後ろに移動させる。
クリスティーナが脇に控えてるなら、こちらもヤクシは後ろに控える方が格好が付く。
「あ、あの、ルージュさん。」
「ん?どうしたの?」
「え~と、これ、どう座れば良いんでしょう。」
あ、そうか。アーデルヴァイトでは、椅子に腰掛けるのが一般的よね。
場所によっては、地面や床に直接座る文化はあるけど、座布団に座るのはこちらで見掛けた事……あぁ、一応、ニホン帝国があった。とは言え、やっぱり一般的では無いわね。
「見てて。……こう座れば良いわ。正座って言うんだけどね。これなら、そのスカートでも大丈夫でしょ。」
そう。ただ座るだけならどう座ろうと構わないんだけど、ヤクシは今、ガングロニミニスカギャルだからね(^^;
胡坐を搔いて座る訳にも行かないでしょ。
「それにしても、本当に久しぶりね。元気にしてた?今、どんな風に過ごしてるの?」
座り直した後、クリスティーナの目を見詰めて、そう切り出した。
「え……えぇ、本当に久しぶり。ルージュちゃんも、変わらず元気そうね。」
少し、クリスティーナの瞳が揺れてる。
……ふぅ、気持ちは理解出来るから、そこまで後ろめたく思わないで良いんだけど。
私はわざと、視線を外してTVの傍のDVDに目を向けた。
その私の視線を追ったクリスティーナは、「あっ?!ち、違うわよ。そう言う事じゃ無いわよ。」と、慌てて言い訳する。
「良いのよ、クリスティーナ。気持ちは判るわ。この世界って、記憶以上に鮮明に、自分のイメージを再現してくれるでしょ。記憶の上では曖昧なはずの名作、傑作たちが、完全な形で再生される。オタクとしては、堪らないわよね。それに、アニメや映画だけじゃ無い。クリスティーナの家だもの。きっと、小説や漫画やゲームだって……ゲームは無理か。とにかく、たくさんあるんでしょう?面白いものは、何度観ても、何度読んでも面白い。ただでさえ、溜め込んだお宝たちは、残りの人生全ての時間を注いでも消化し切れないくらいたくさんあるのに、今や人生何回分も注ぎ込んで、徹夜も苦にならずにエンドレスで楽しめる。しかも、愛しい旦那様と一緒に。これは究極のオタクホイホイだわ。」
そう一気に捲し立てると、クリスティーナはあわあわしてる。
ちなみに、ゲームは自分が遊んだ部分だけしか再現出来無い訳だから、一度も選んだ事の無い選択肢を選んでも、その先は不明だもんね。
私なんか、何度遊んでもビアンカ選んじゃうから、フローラ選んだ時点でバグるわ(^^;
「ち、違うの。確かに、ルージュちゃんと盛り上がっちゃったから、フォーチュン・クエスト全巻読み返したり、夫が好きだったからボトムズシリーズ2周目に突入して、キリコが異能生存体である歴戦の勇士から急に新兵に逆戻りしたり、いつもビアンカしか選べないけど、折角だから意を決してフローラ選んだらフリーズしちゃったりしたけど……。でもでも、ちゃんと夜には寝て……そのぅ、ほら、やっぱり夫と再会したんだから、ね。判るでしょ。それにそれに、周囲のパトロールもして
うふふ、すっかり可愛らしくなっちゃって。と言うか、やっぱり趣味合うわね(^∀^;
それに、あのゴツい姿よりも、こっちの方が本当のクリスティーナって感じがする。
「判ってるわよ。冗談よ、冗談。……でもね、気持ちが判る、と言うのは本当よ。もし私が逆の立場なら、悪いけどクリスティーナを捜しに行かず、ライアンと延々いちゃいちゃしてたと思うわ。」
「ルージュちゃん……ごめんなさい……。でもね、ちょっと違うの。うん、違うのよ。」
「……クリスティーナ?」
「さっき言ったでしょ。本当の私は、もっとぽっちゃりだった、って。もちろん、女心としてぽっちゃりって言ってるの。ほんとはもっと太ってたし、美人でも無かった。それでも、夫は私を可愛い、愛してる、って言ってくれるんだけどね。……この夫も、私を可愛い、愛してる、って言ってくれる。」
すると、そのNPCはクリスティーナの方に向き直り。
「人前では恥ずかしいけど、君が可愛いのは本当の事じゃないか。そんな君を愛してる、ってまぁ、日本人だから少し恥ずかしいけど、本当にそう思うんだから仕方無いだろう。」
「ふふ、ありがとう。……本当に、あの人が言いそうな事言うんだもん。頭では判ってても、ずるいわよね、これ。」
……判っていても、切り捨てられない。
幸福な世界、なんて思ってたけど、それが幻だと気付きながら振り切れないなら、幸福な世界すらも地獄なのかも知れない。
「クリスティーナ……。」
「あぁ、違うのよ。それは良いの。私は、そんなに弱くないわよ。……それよりも、よ。今の私の姿を見て。長身ですらっとしてて、鍛えられて程良く締まりながら、出るとこは出てグラマラス。自分で言うのも何だけど、ここが本当の東京だったら、誰もが振り返る超絶美女よ。日本人は、外国人に弱いしね。」
これだけスタイル良くて、光を照り返す美しく長い金髪に、吸い込まれそうなほど透き通った青い瞳。
アーデルヴァイトでも超絶美女なところ、日本だったらいきなり隣にハリウッドの超有名女優が現れるようなものだもんね。
畏れ多くて声なんて掛けられず、思わず振り返るどころか、二度見三度見するんじゃないかしら(^^;
「そんな、本当の私とは掛け離れた絶世美女を、夫は可愛い、愛してる、って言うの。……こんなに残酷な事って、無いと思わない?」
……複雑な女心ね。こう言うところは、元男の私にはピンと来ないけど、言わんとするところは判る。
「だからね、いつでも振り払えるだけの、覚悟は出来てるつもり。……そう言えばルージュちゃん、何でこんなところにいるの?まだ、10年くらいしか過ぎてないはずだけど……もしかして我慢出来ずに、ライアンちゃん捜しに来ちゃった?」
そっか。覚悟はともかく、クリスティーナは自分の世界に囚われたままだったんだもんね。
「確かに、逢いたくて堪らない……でも、ヨーコさんが一緒にいてくれたから、孤独にならずに数千年生きて来られた。ほんと、感謝してる。」
「……ルージュちゃん……今……。」
「物質界では、もう数千年経ってるわ。ちゃんと、裏アーデルヴァイトのマナ濃度、正常値に戻ったわよ。もう物質界は大丈夫。それを見届けたからこそ、私は今、ここにいるの。」
クリスティーナは言葉も無い。
「私を死者の国へ案内してくれたのも、ヨーコさんよ。彼女、無事精霊に進化したわよ。元々最強の花の妖精女王だったし、私と何千年も旅したからだと思うんだけど、精霊に進化した時点でかなり格が高かったみたい。精霊女王に認められて、世界で唯一の花の精霊になったわ。」
「……そ、そうなんだ。ヨーコさん……懐かしいわね。でも……ごめんっ、ルージュちゃん!まさか、まさかそんなに時間経ってたなんて……。」
「良いのよ、気持ちは判るって言ったでしょ。この世界は、優しい嘘で溢れてる。それこそ、残酷なくらいに。」
「ルージュちゃん……。でも、本当にそれだけじゃ無いのよ。私がこの世界を振り切れなかった理由は。」
その言葉とほぼ同時に、私とクリスティーナ、そしてヤクシは、この世界への侵入者の気配を察知した。この気配は……。
「この気配、あの子たちですね。まさか、私を追って……。」
「ヤクシちゃん、だっけ?何か訳ありみたいだけど、違うのよ。あれは、もうひとつの私の言い訳よ。」
6
その気配を察したクリスティーナは、静かに立ち上がる。
「あなた、私、お客様をそこまでお送りして来るわ。後、お願いしますね。」
「ん?もうお帰りかい?それは残念だね。判った。片付けは任せて、行っておいで。」
「はい……、行って来ます。」
決意の籠った挨拶をして、部屋を出ようとするクリスティーナの後を追い、私とヤクシも……。
「あ、あのっ!ルージュさん!」
「ん?どうしたの、ヤクシ。」
「こ、ここ、これって……、何かの拷問でしょうか!?」
涙目で、そう訴えるヤクシ。……あぁ、足が痺れたのね(^^;
初めての正座じゃ、仕方無いわね。
「ふふ、もう、そんな訳無いでしょ。足が痺れてるだけよ。」
私は、ヤクシの足に継続ヒールを掛けると、背後から脇に腕を差し込み、そっと立たせてやる。
ヒールの効果でじきに足の痺れは収まり、改めて私とヤクシはクリスティーナの後を追った。
クリスティーナは門の外にいて「こっちよ、急ぎましょう。」と、私たちの合流を待って走り出す。
さすがに割烹着は脱いだから、今の彼女は着古したシャツとスカートと言うどこにでもいる主婦の格好……なんだけど、長身グラマラスな西洋人的風貌なので、これはこれでスタイリッシュに見えもする。
細い路地を何度か折れると、少しだけ広い道へ出て、そこはどうやら商店街のアーケードのようだった。
そこには、買い物を楽しむNPCでは無く、この場に不似合いな珍客たちがいた。
ビジランテ、ではあるんだけど、かなり珍妙な格好をしてる。
極彩色に彩られた甲冑と、それを飾り立てる無意味な飾り。
手にしてるのも例の錫杖では無く、無駄にごてごてとした装飾を凝らした段平の類い。
魂たちを抑え付けるだけなら必要の無い、殺傷力の高い武器。
その姿は、まるで傾奇者。あぁ、傾奇者って言うのは歌舞伎役者の事じゃ無くて、戦国時代なんかにいた珍妙な格好や行動を好む人の事で、私世代には花の慶次で馴染みがあるの。
その花の慶次に出て来る、ただ暴れ回り筋を通さぬ、雑魚傾奇者みたいな感じ(^^;
もっと言えば、成人式で暴れ回る目立ちたがりの一部の若者?
無駄に粗野な振舞いで周りのNPCたちを威嚇しながら、肩で風切って歩いて来る。
その先頭にいる、まるでリーゼントのような兜を被った
ひとりひとり違う色した視魂鏡を掛けており、それは不良たちが掛けるサングラスみたいで、こいつらには良く似合ってる(-ω-)
「ふぅ、本当に懲りないわね、あんたたち。何度やっても無駄よ。また、痛い目見るだけよ。」
「五月蠅ぇ、クソアマ!やられたままじゃ、俺様たちの沽券に関わんだよ!ビジランテ様をなめた死者がどうなるか、思い知らさなきゃならねぇんだ!おぅ、お前ぇら、やっちまうぞ!」と言って、先陣を切って駆けて来るリーゼント。
部下にやらせず自分で先陣を切るなんて、と一瞬思ったけど、そう言えばビジランテには本来上下が無いのよね。
こいつらには、誰がリーダーとか番長とか、そう言う序列が無いだけかも。
「ルージュちゃん、良く見ててね。」
そう言ってクリスティーナが小走りに駆け出し、7人ほどの傾奇者の集団に突っ込んで行く。
傾奇者たちは、思い思いに段平を振り回し、まるで連携は取れていない。
その中を、ひらりひらりと軽快なステップを踏んで擦り抜けると、傾奇者たちは体勢を崩して何人かが転倒する。
お世辞にも大した腕では無いけど、注目すべきはクリスティーナの方。
アニメばっかり観て、旦那様といちゃいちゃばっかりして、まるで戦えなくなってる、なんて事は無く、その軽快な動きは生前を彷彿とさせる。
Lv.50の壁のその先で、さらなる力を身に付ける為に、スキルに頼らぬ地力を高め続けて来たから、物質体とアストラル体を失った現状においても、その体術に衰えなし。
……でも、その気配が今現在、壁の向こうまで達しているかと言えば……。
傾奇者たちを抜いたクリスティーナは、その場でくるっと一回転、身を翻す。
すると、まるで魔法少女が変身するように、その姿が戦闘仕様へと変化した。
見た目には、物理防御力など皆無に思えるような、紅のビニキアーマー。超絶美女のしなやかな肢体が、眩しく光を照り返す。
その手には、背丈ほどもあろうかと言うグレートソード。
この世界はクリスティーナの世界だから、理の一部を書き換える事くらい可能な訳ね。
「さぁ、今日もたっぷり、月に代わってお仕置きよ!」
倒れる事も無く、すぐさまクリスティーナに追い縋ってたリーゼントが「相変わらず、意味の判らねぇ事言いやがって。やってみやがれ!今日こそ吠え面掻かせてやる!」と、再び躍り掛かる(^^;
リーゼントが袈裟に斬り下ろす段平を、その大剣で受け止めたと見えた次の刹那、その勢いを殺さず後ろへ流し、がら空きの胴を薙ぐ。
そのままリーゼントの横を擦り抜けて、後ろからクリスティーナの様子を窺ってた別のビジランテを斬り伏せ、続け様に3人目、4人目、5、6、7と、刃を受ける事すら許さぬ華麗な剣捌きで、あっさり撃破。
呼吸ひとつ乱れていない。
私たちの前まで戻って来たクリスティーナは「……ルージュちゃん、見てた?どうしたもんかしら、これ。」と、困り顔。
「え?見事なお手並みで、あの子たちあっさりやられちゃいましたけど……。」
ふむ。どうやらヤクシは、あくまで気配を感じられるだけみたい。
その対象の状態までは、把握出来無いのね。
「ヤクシ、すぐに判るわよ。ほら、良く見て。」
私が目顔で促した先で、胴にひと太刀浴びたリーゼントが、ぷるぷるしながらも立ち上がるところだった。
「あ、起きた。……え、でも、確かに剣で斬られていましたよね。」
そう。クリスティーナは確実に、ビジランテたちが絶命してもおかしく無いような一撃を加えた。
でも、実際には、ダメージこそ負ったものの、立ち上がって来るし、まだまだ戦えそう。
「今まで何度も、私は彼らをこうして打ちのめして来た。彼らの動きじゃ私を捉える事は出来無いし、何度戦っても私が絶対勝つ。でも、決して止めは刺せない。別に、手加減してる訳じゃ無いわ。決定的に足りないのよ、私の攻撃力。」
「はっはぁ、その通り!確かに全く歯が立たねぇが、この程度、何度だって立ち上がってやるぜ!そしていつかお前が疲れ切ったら、俺様たちの勝ちだ!」
リーゼントは立ち上がり、何とも情けない宣言をする(^^;
ちなみに、彼らは私の世界にいた497番たちと比べて、少しだけ強い。
こんな傾いた格好をしてるからか、何度もクリスティーナの扱きを受けたからか、497番たちがLv.12~15相当だったのに対し、彼らはLv.20程度。
それでも、私やクリスティーナの敵じゃ無いけど。
「まぁ、ダメージは入るから、その内立てなくなるんだけどね。何週間かすると復活して、また喧嘩を売って来るのよ。この子たち、元々山の上の子たちを虐めてたから懲らしめたんだけど、そうしたら私を目の敵にするようになって。この子たちを放置して余所へ行ったら、きっとまたあの子たちが虐められちゃう。きっちり倒せないから、ここから離れるのが難しくて。」
「なるほど。それがもうひとつの理由、と言う訳ね。」
「……あのぅ、立てなくなった時に、止めを刺すとかは……。」と、怖々ヤクシが尋ねる。
「う~ん、気は乗らないけど、試した事はあるわ。でもね、魂って思ったほど無防備じゃ無くて、どうしても今の私の力じゃ、止めを刺し切れないのよ。」
「そ、そうなんですね。」と、ほっとした表情を浮かべるヤクシ。
考えてみれば、私はダークヒューマンとかマナの枯渇で、魂が霧消したり消滅する事も当たり前だと思って来たけど、魂とは原初の世界から存在する生命そのもの。
創造神の理で一定の法則を得ただけで、本来消し去る事なんて出来無いほど、強固な存在のはずなのよね。
輪廻の輪によって、永遠不滅の魂。それに止めを刺すなんて、並大抵の力で成せる業じゃ無いのかも。
「体が生前と違うから、力の入れ具合が何か違うみたい。闘気も上手く乗らないし。」
「闘気は、体の中を巡る、魔力とは別の生命エネルギーだからね。本来、物質体を持つ生物にしか扱えない。それを、魂だけで再現するには、感覚的なものだから時間が掛かるんでしょう。何しろ、クリスティーナは本物の勇者様。人々を守る聖なる盾。攻めるより守る方が、性格的には向いてそうだし。」
剣と盾を用いる聖騎士のライアンと違い、クリスティーナはグレートソードを振るって相手を薙ぎ倒して行く戦闘スタイルだから攻撃的に思えるけど、その心根はとても優しく、ライアン以上に聖なる騎士のような乙女。
生命の本質たる魂から、他者を殺める力は生成しにくいような気がする。
私はまだ死んだ事無いから、本当のところは良く判らないけどね。
「だけど、解決方法ならあるわよ。貴女に足りない物、私が用意してあげるわ。」
ビアンカフローラの件でも判るように、この世界では自分が知悉していない物は完全な形で再現されない。
そして、私たちは戦士よ。どんなに強くなったって、自分でお手入れくらい出来るようになったって、自分で銘刀を打てる訳じゃ無い。つまり……。
そこで私は、クリスティーナに得物を用意する事にした。
目の前に右腕を突き出し、と同時に、その右手を亜空間へ突っ込む。
「ちょっ!?……大丈夫なの?」「ル、ルージュさん、手!手が?!」
驚くクリスティーナとヤクシ。
亜空間も隔絶された世界だから、ふたりからは右手の気配ごと消えてるように感じられるのね。
「大丈夫よ。これは、私が創り出した亜空間への入り口に、手を突っ込んだだけだから。ま、仮に右手くらい吹き飛んでも、簡単に再生出来るけど。」
昔と違って、神の身である今の私には、四肢の欠損程度は怪我にも入らない。
私の四肢を欠損させられる者など、もう真なる魔界にいる同格以上の悪魔くらいなものだし。
……、……、……良し、見付けた。
私は私の拠点……上手く行ってれば、マーマドールの拠点、に保管してある、
私自身が亜空間を通って物質界へ、となると、さすがにもう少し力の解放と手間暇掛かりそうだけど、亜空間を経由した物質招喚くらいなら大丈夫そうね。
私は
ずるりずるり、と何も無い空間から引き摺り出された
剣に関心の無い者が見ても、思わず惹き込まれそうになるほど見事な意匠と、目が離せなくなるような不思議な力を漂わせてる。
「そ、それって……。」と、クリスティーナが声を絞り出す。
「……やっぱり、本物は違うのよ。これは、私の得物同様、私が最高の鍛冶師と見込んだエッデルコが遺したグレートソードよ。私はショートソードとダガー、ライアンはロングソードを使うから、誰にも使われず拠点で大切に保管してあった物よ。」
私はそれを、鞘に両手を添える形で、クリスティーナに対して捧げ持つ。
「再会を祝して、これを貴女にプレゼント。」
少し戸惑いながらも、ゆっくり手を伸ばすクリスティーナ。
「……こんな特別な物、本当に良いの?」
「えぇ。ただ仕舞い込まれてるより、剣もエッデルコも喜ぶわ。要らなければ片付けるけど……。」
「い、要る!要るわよ。」と、慌てて私から引っ手繰るクリスティーナ。
エッデルコのグレートソードを手にし、静かに鞘から引き抜いて行く。
「……本物は違う……イメージなんか及ばない。剣に力が流れ込んで行くのに、むしろ力が湧き上がって来るみたい。」
相応の使い手が手にすれば、きっと神すら傷付けられる逸品。これできっと、あの傾奇者たちに止めも刺せるはず。
すると、「あ、あの……、その剣……あの子たちも殺せますよね?」
「……そうね。クリスティーナが振るえば、多分彼らの魂さえ破壊出来る。」
「あ、あのっ……出来れば、魂を消滅させるような事は……。」と、奥歯に物が挟まったような物言いをするヤクシ。
「……そうね、ちゃんと加減してみる。たとえ相手が誰だって、殺してしまうのは本意じゃ無いから。」
そう言って、すでに立ち上がってたビジランテたちに向き直るクリスティーナ。
「……ふんっ、そんなはったりで、びびる俺様じゃ無ぇぜ。行くぞ、お前ぇら!思い知らせてやる!」
懲りずに再び躍り掛かる、根性だけはあるビジランテたち。
しかし、今のクリスティーナは、もうさっきまでのクリスティーナでは無いの。
目にも留まらぬ早業で、ビジランテたちの段平を躱し様、次々斬って捨てて行くクリスティーナ。
その一撃は加減されたものだけど、斬られたビジランテはその形を喪い、魂本来の形となって、何処かへと飛び去った。
ビジランテとしては死に、しかし魂が滅する事は無く……。
「多分、西王母システムへと戻って行ったんだと思います。再度転生するには、それなりに時間が掛かります。西王母の中で転生し直せば、今までの記憶を失いますから、もうあの子たちがここへ戻って来る事は無いでしょう。」
安堵したように、そう解説するヤクシ。……ヤクシが言うのだから、そうなんでしょうね。
「そう……良し、これで後顧の憂い無し。さ、行きましょ、ルージュちゃん。」
剣を鞘へ納め、革ベルトを再現して剣を背中に背負ったクリスティーナが、元気にそう宣言する。
「……本当に良いの?もちろん、付いて来てくれるのは嬉しいけど、言ったでしょ、気持ちは判る、って。残ったって良いのよ。」
私は、敢えて応えの判り切った質問をした。
「良いのよ。約束、守れなかったけど、だから今度は、一緒にライアンちゃんを捜すわ。本当にもう、未練も無いしね。」
「本当に?……観てる途中のアニメ、もう観られなくなっちゃうわよ。」
「ちょっとぉ~、そっちぃ~?もう、止めてよ、ルージュちゃん。それに、観られなくなっても、全部鮮明に思い出せるわよ、私。」
「ふふ、冗談よ。……それに、貴女を本当に待ってる人もいる事だし、ね。」
「え?」
「こっちへ来る前に、クロが見送りに来てくれたわ。あの子、今じゃすっかり大人になって、奥さんも子供もいる、立派な古代竜の長よ。でも、私の事を母親みたいなものだって言って、オルヴァドルと一緒にヨモツヒラサカで待ってるって。……もちろん、シロにも声を掛ける、そう言ってたわ。」
「……シロちゃん……そう、そうね。そうだった!私、まだ私を待っててくれる人、いたんだ。」
そう言って、泣きながら笑うクリスティーナは、とても素敵に見えた。
もうここに、彼女を縛り付ける地獄は無い。
さぁ、一緒に旅立ちましょう。
つづく
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