第五章 神々の慟哭
1
朝晩の冷え込みも和らぎ、梅や桜、のような木々が芽吹いては散って行く。
生前から、暑さ寒さで言えば寒さの方が耐え兼ねていたので、これから冬に向かう秋よりも、こうして段々と寒さを感じなくなって行く春の方が、一年で一番快適に過ごせる。
特に、大陸最南端、エルムスを除けばだが、の神聖オルヴァドル教国は、この時季とても過ごしやすい。
朝も早くから起き出せるようになる。
「ん……。」昨日よりも少し早く目覚めると、ベッドの脇でライアンが室内着に着替えているところだった。
正装となると使用人に手伝って貰って着替えるが、夫婦の寝室まで入り込まないようにお願いしたから、朝起きた時は自分で着替える。
いや、現代に生きた地球人としてはそれで当たり前なのだが、今やライアンはこの国の第三位の権力者のひとりである。
他の大司教辺りは、寝衣から室内着に着替える時も、使用人に任せているかも知れない。
それは別に異常な事では無く、貴族としては当たり前の事。
ニホンの皇女殿下スズカは、最初に逢った時ひとりで着替えられずにいたものな。
「……おや、今日は早いんだね。それとも、起こしちゃったかい?」
俺は、ベッドの上でごろごろと、ライアンの隣まで転がって行く。
「ん~ん。あったかくなって来たから、目が覚めた。今日はもう起きるわ。」
「そう。……それじゃあ、僕は先に行ってるね。」
軽く左右のほっぺにチークキスを交わした後、ライアンはいつも通り最高の笑顔を見せた。
「あ……。」つい名残惜しくて両手をライアンに伸ばしたが、ライアンはその手をするりと躱し「遅れると、キンバリーさんに怒られる。」と部屋を出て行った。
う~……。まぁ、朝からおっ始めちまう訳にも行かないし、仕方無いけど……。
世界中を飛び回っていても、こうして毎日ライアンと過ごせているのは幸いだ。
あれから、10年ほど経っただろうか。
もうあらかた世界樹の位置は把握し終わったから、今現在移動はアストラル転移で済んでいる。
そのお陰で毎日きちんと帰宅出来るようになったが、龍脈を辿り枯れた世界樹たちの現状確認をする間は、帰って来られない日もあった。
今は、穢れを受けた世界樹や、世界樹が枯れてしまった土壌の改善などを行っており、予想通り浄化作業は困難を極める。
こうして早起きをし、早い時間から動き出せた方が良い。
俺はふらふらベッドを抜け出して、行方不明になった下着を探した。
聞いた時は吃驚したが、本当はライアンも朝が苦手で、司教と言う立場に恥じぬようにと、頑張って早起きを続けていたそうだ。
今ではすっかり習慣になって、ベッドで愛を確かめ合った後眠りに就くのだから、俺と眠りに就く時間は一緒のはずなのに、毎朝ちゃんと起きている。
あくまで内縁の妻、あくまで冒険者と、責任から目を逸らし惰眠を貪る俺は、朝に家族と顔を合わせるのは稀だ。
だからこうして、朝食の席に家族が揃うのは、かなり久しぶりとなる。
「あ、お婆様。」「え、あ、本当だ。」「おはよぉ~、ばぁば。」
エルダの横に並んだ孫たちが、俺を見て声を上げた。
上から、今年10歳になる長女のエメラルダ、今年7歳の長男ベルノートス、まだ3歳の次女プリムローズ。
「おはよう、皆。相変わらず早いわね。」
「おはよう、
「判ってるわよ。ベルディ、今日もエルダが優しく無ぁ~い。」
「おはよう御座います、
「御馳走様。これなら、まだ孫の数が増えそうね。」
「養母さん!ほら、珍しく早起きしたんだから、さっさと席に着いて。朝食が始められないでしょ。」
照れてはいるが、もう顔を赤らめたりはしない。
エルダは、すっかり良いお母さんなのだ。
もう、可愛いだけの少女では無い。
しかし、傍から見れば不思議な家族に見えるだろう。
子供たちが祖母と呼ぶ俺が、大人の中では一番若く見えるのだから。
10年経って、エルダとベルディはもうじき30歳を迎えようとしている。
ライアンはその強靭なアストラル体の影響で老化も緩やかになっているが、成長途上の10年くらいは普通に歳を取ったから、今は30代半ばと言ったところか。
そして、アストラル生命体として強くなり、途中でクローンの体に乗り換えて、果ては闇の神の欠片の影響まで受けた俺は、今もほぼ二十歳のまんま。
完全に、物質体の老化は止まったようだ。
周りには、耳は丸いけど実はエルフの血が半分混じってる、と言ってある。
俺が特別なのは皆知ってるから、本当かどうかはさておき、そう言う事なのかと適当に受け入れてくれたようだ。
「それじゃあ、私の後に続いて。神様にお祈りを捧げよう。」
「は~い。」と元気良く子供たちが答え、朝食前のお祈りが始まる。
俺は振りだけだ。
一応、知り合いに神様はいる訳だが、信仰心に目覚めた訳じゃ無い。
ライアンは職務上、必要な事だから祈りの言葉も覚えたし、皆を先導して祈りも捧げる。
決して本心からの信仰では無いが、子供たちの情操教育には良いだろう。
俺も、いただきます、は心の中で唱える。
これは信仰とは別物で、これから食べる食事に対して、頂きます、と言う感謝の気持ちだからな。
この10年、俺は世界樹の面倒を見る事に明け暮れて、大して変化の無い生活を送っている。
変わった事と言えば、こうして家族が増えた事くらいで、それ以外は相変わらずだ。
それでも、俺の周りには変化も訪れた。
まず、オルヴァ盗賊ギルドのギルドマスター、カーソンの引退だ。
俺が救出した当時、かなり若く見えたがそこはグラスランダー。
すでに、20代の良い大人だった。
その10年後、マックスの後を継いでギルドマスターに収まっていたが、そこからさらに10年、カーソンももう40代だ。
グラスランダーの寿命はおよそ50年だから、そろそろ後の事を考えて早めに引退を決意したのだ。
そこで今回は、俺がオーバースーツを剥いでやった。
魔導士、アルケミストとして、色々研究して来たからな。
それに今は、万物の素となるマナのさらに素、龍脈エネルギーまで扱える。
そこで、生体反応を損なわないように特殊な形で融合しているオーバースーツを、上手く本来の体を保護しながら剥がして行き、弱っていた本体を活性化させた上で分離。
マックスの時とは違い、ほぼ後遺症無しでグラスランダーに戻してやれた。
オーバースーツを着させた術者の仕事だろうが、マックスの場合無理矢理引き剥がしたので、元の体にダメージが残った。
元々、残りの寿命は短かったのかも知れないけど、再会を果たしたすぐ後、この世を去っている。
カーソンの方は、まだ何とか数年は元気で過ごせるはずだ。
ただ、10年でマスターが代替わりを続けるのは早過ぎると、カーソンはグラスランダーの弟子は取らずに人間の弟子を育て、後継者に指名した。
まぁ、マックスも本当なら、そうしたのかも知れない。
カーソンは、特別だったからな。
そもそも、オーバースーツまで着てギルマスになったマックス自身、特別だった。
多くのギルドでは、グラスランダーはいち構成員で終わる。
見た目が可愛らしいからな(^^;
厳つくて粗野な野郎どもを、束ねるには不向きだ。
新しいギルマスとは、一応面識はある。
俺もまだ、ギルドには顔を出すからな。
しかし、盗賊仕事だけじゃ無く、冒険者としても長い事仕事をしていない。
世界樹に掛かりっ切りだからだ。
だから、これから先、盗賊ギルドや冒険者ギルドとは、縁遠くなって行くだろう。
まぁ、これからも、盗賊系冒険者のルージュと名乗り続けるけどな。
2
ふたつ目の変化、それは、メイフィリアの退位。
何年か前に還暦を迎えたはずだが、その前後に新女王へとバトンを引き継いだ。
女性に年齢を聞くのは野暮だから正確な歳は知らないが、多分還暦はあんまり関係無い。
ほら、巫女は処女しか務まらないだろ。
その引退にはいくつか理由があり、男を知ってしまった時、結婚する時、そして月の物が上がった時だ。
それぞれ自己申告ではあるが、一応そう言う決まりになっている。
これは、あくまで仕来りに過ぎない。
処女しか黄金樹の世話が出来無い訳じゃ無いし、それをオフィーリアが求めた事など無いと言う。
ただ、初代女王の時代、まだまだ迷信が当たり前に信じられていた時代には、神のような存在に仕えるべきは、穢れを知らぬ
その時の仕来りが、今も残っている訳だ。
閉経してしまえばもう女では無い、と言う古い価値観により、巫女、そして女王の資格も、月の物と共に失われるのだ。
俺も今の体は女なので、ちゃんと月の物はある。
本当だったら、男の俺には耐え難い苦痛だろうが、ここは魔法の世界アーデルヴァイト。
幸い俺は、自分で自分に魔法を掛けられるし、場合によっては物質体に手を加える事すら可能だ。
実際には、月の物が始まったら、ヒールを掛けて苦痛を和らげ、やり過ごしている。
物質体を弄って止めてしまう事も出来るが、そうすると子供が作れなくなるだろ。
妊娠が怖くて避妊してるけど、作れなくなるのはちょっと……な。
ちなみに、俺の避妊魔法は結界の応用だ。
卵管を結界で閉じてしまうので、精子と卵子が出逢えない。
もちろん、結界なので俺の“許可”があれば通り抜けられるから、俺の勇気次第……と言う状態を維持している。
今も毎日、何回も愛し合っているのだから、その気になりさえすれば……しかし、どうしても怖さを克服出来無いでいる。
話が逸れたが、女の体になってから色々調べたところ、アーデルヴァイトの人間族の女性は平均して50代後半で閉経するようだ。
だから、メイフィリアの退位も、時期的に丁度合うと言う話だ。
退位したメイフィリアは、名誉職としての大巫女となり、城に残っている。新女王の相談役だ。
多くの女王がもっと早く、……子供を授かれる間に結婚退位する事が多い為、大巫女がいる事は珍しいそうだ。
メイフィリアとヨーコさんと3人で、女子会と洒落込むのも楽しかったからな。
黄金樹を口実に、これからもまだしばらく、3人で美味しいお茶とお喋りを楽しめそうである。
もうひとつ、退位の話がある。
ニホン帝国オンミョウ機関、オンミョウカシラのキヌメである。
出逢った時点でもうお婆ちゃんだったけど、アオキガハラの世界樹の為に、無理して仕事を続けてくれていたようだ。
さすがに寄る年波に耐え兼ねて、引退を決意。
まぁ、ちゃんと次のオンミョウカシラに世界樹の浄化も引き継いでいたし、シンクの事も伝えてくれていた。
俺の頼みを、ちゃんと聞いてくれている。
一度、気配を頼りに屋敷を訪ねてみたけど、その時はまだ元気だった。
キヌメだけじゃ無く、元皇帝メイコウ、前皇帝ヨウメイの2人も存命。
もう80を超えているのに、未だ意気軒高。
メイコウにとってスズカとの暮らしが、何より幸せなのだろう。
現皇帝は、ヨウメイが親類筋から養子を取って、若い者が引き継いだようだ。
若いと言っても50代。王や皇帝のような権力者は、年寄りが多い。
それは、あっちでもこっちでも変わらないんだな。
まぁ、長命種となると話は違うのだろうが。
まだ10年だが、人間族の知り合いたちはやはり歳を取って行く。
医療の代わりに魔法が発達している世界だから、決して寿命は短く無いが、それでも100年生きられないのが人間族だ。
……俺は何度かライアンに、俺の研究について話をしている。
しつこくするのもどうかと思うが、一度はかなり詳しい説明もした。
事ある毎に、遠回しにも伝えている。
……いつか来るその時、どうか一緒に1000年の孤独を歩んで欲しい、と。
でも……、今まで一度として、ライアンからその事について話してくれた事は無い。
もちろん、今はまだ若いし、勇者として壁を越えたライアンは、他の人間族よりもきっと長生きだ。
でも、いつか必ず、その日は来る。
それだけは、それだけが、唯一生命に平等に与えられるものだから。
だけど……、キャシーはとても怖がり、トラウマまで抱えてしまった。
宗教観、倫理観に触れる、繊細な問題でもある。
だから、俺は決して、望まぬ者には与えないと誓っている。
無理矢理道連れにして良いような、軽い問題では無いのだ。
だから待っている、俺はライアンの言葉を……。
今すぐじゃ無くて良いんだ。
いつか来たるその日の前に、どうかそのひと言を言って欲しい。
死にたく無い、生きたい、新しい体を用意して欲しい、1000年の孤独を一緒に歩もう……。
どんな言葉でも良いから、ねぇ、ライアン。
俺を、安心させてくれないか。
3
今日は随分寒いわね。
まだ11月だと言うのに、雪がちらつき始めてる。
朝から曇天だったけど、今日は最低な1日になりそうだわ。
……今の私の気分にぴったりな、最低の1日に……。
この世界に招喚されてから、もう179年。庭仕事を始めてから、150年以上経つわね。
表アーデルヴァイトには、本当にたくさんの世界樹がいたわ。
アオキガハラほど非道い状態の子はいなかったから、浄化はそれほど大変じゃ無かった。
表で大変だったのは、海の底の世界樹たちね。
世界樹って、普通の樹じゃ無いから、海の中にも生えてた。
闇の神のお陰で確信的な力を得たから、結界を纏って生身のまま海に潜ったけど、それでもやっぱり、海の中って怖いわ。
暗過ぎて肉眼じゃほとんど何にも見えないし、いきなり現れる巨大生物にはいつも驚かされる。
沿岸部やニホン、古代竜の島近海だけだから良かったけど、それでも地上とは状態も違うから、海の子たちが一番手間が掛かるわ。
ちなみに、海の中もマナで満たされてるけど、海の広さに対して世界樹たちは少な過ぎる。
だから当然、地上とは違うサイクルでマナは還流されてる。
多くは、海底火山や熱水噴出孔によって直接海水に噴き出した大地の生命エネルギーが、海の中で自然にマナへと変換される事で賄われてるみたいだけど、海にはもうひとつ大切な役割りがある。
それは、大気中に過剰に供給されるマナを、吸収して調整する事。
それにより、大気中のマナは一定に保たれ、生命が生存するのに適した環境を維持出来る。
海は広いから、地上と違いマナ濃度にばらつきがあって、過剰なマナの受け皿として余裕があるのね。
さすがに、マナが存在しない海域は無いものの、濃過ぎたり薄過ぎたりする場所はあるから、ほぼ生命体が確認出来無い海域や、過剰なマナで巨大に成長し過ぎた生物が棲む海域があったりする訳ね。
アーデルヴァイトでも、意味合いは違うけど、母なる海って感じかしら。
海のマナサイクルまで壊れてたら、いくら私が世界樹を守ってあげても、世界は滅亡しちゃうでしょうね。
裏アーデルヴァイトの方は、取り敢えず現存する世界樹たちの保護から始めて、今はまだ新しい苗木を植える為の候補地整備まで。
将来的には、いくつかある他の大国にも話を付けて世界樹を植えるつもりだけど、出来れば戦乱の直中は避けたいわ。
そこで、今整備中なのは、極寒の極北。
元々、黄金樹が健在で世界中に正しく龍脈が巡っていた頃は、北の果てにも世界樹たちは生きてた。
黄金樹が失われた事で、南の果ての世界神樹の影響が充分届かず、北の大地の世界樹たちは、その厳しい寒さに耐えられず枯死してしまったようね。
その痕跡は見付けたわ。
地下の深いところにはまだ、太い龍脈も残ってた。
だから、まずはそこにドーム状の結界を張り、雪や寒さから土地を守れるようにした。
その上で、現在浄化を進めているわ。
結界の所為で雪だけで無く生き物も入れないけど、虫とか微生物なら地下から入って来られるように、結界は地表だけに張っておいた。
浄化が進み、極寒の豪雪の中、そこだけ雑草だらけの草原が広がる。
そんな状態になったら、世界樹を植えても上手く根付くんじゃないかと期待してる。
ここ何十年かは、裏アーデルヴァイトの北の果てでそんな事ばかりして来たわ。
龍脈が深く潜っちゃってて、深い積雪の中から探り当てるのが大変なのよね。
何とか5本くらい、北にも植えられると良いんだけど。
北と南、大陸を挟むようにマナの還流が生まれれば、改善も進むと思うのよね。
世界を救う、そんな大それた行いにとっては、まだたった150年余り。
未だ世界は、全然変わっていない。
でも、私の周りは変わったわ。
人間族にとって、150年はとても長い時間だから。
残念だけど、とても悲しい事だけど、多くの親しい人たちを見送った。
トラップも、メイフィリアも、キヌメも、ベテルムザクト司教も、ガーランドも……、エルダとベルディだって、エメ、ベルノ、プリム、その後に生まれた三女のピクシィも、その子供たち、曾孫たちだってもう生きていない。
一番長生きだった人間族は、オーガンね。つい、20年ほど前まで生きてたわ。
彼は彼なりの研究を続けて、生涯人間族のままの長命化にこだわり続けた。
200年には届かなかったけど、完全な人間族のままで生きた最高齢じゃないかしら。
当時からの知り合いで今も生きてる人間族は、キャシーとデイトリアムの師弟、そしてクリスティーナだけ。
キャシーは自らのアルケミーで体を乗り換えているし、デイトリアムはもう人間族とは言えない状態。
クリスティーナは今はもう引退して、モーサントに構えた邸宅で、人間に変化するようになったシロと一緒に過ごしてる。
Lv.50の壁を超えるほど強いアストラル体があれば、人間族でも寿命は延びるから。
それから、ボワーノ。人間に戻ろうとしなかったボニーとクライド、テムジン、ミシェル、サンダース、テルミットはまだ生きてる……と言うのも変ね。ゾンビなんだもの(^^;
ボワーノ唯ひとりが先に逝ってしまったけど、あの子は特別だった。
最期にはね、ちゃんと死ねたのよ、あの子。
そう、ダークヒューマンだったのに、ちゃんと成仏出来たの。
私はほら、純度の高い生命エネルギーとも言える、大地の生命エネルギーを扱えるようになったでしょ。
だから、実験の一環として、あの子のアストラル体を大地の生命エネルギーで活性化してみた。
でも、属性は闇のままだったから、この実験は失敗だと思ったわ。
だけど、ボワーノには色々実験に付き合って貰って感謝もしてたし、最期の時には立ち会ったの。
そうしたらあの子、魂ごと霧消しないで、ちゃんとアストラル体が物質体から抜け出した。
吃驚してアストラル体の隅々まで調べちゃったら、死と言う属性が消えてた。
物質体には闇と言う属性が残ってたけど、大地の生命エネルギーのお陰でアストラル体は死と言う属性を克服してたみたい。
前例はあったわ。最古の古代竜であるドルドガヴォイドには、死と言う属性が付かなかった。
強いアストラル体には、死と言う属性が付かない可能性は示唆されてた。
大地の生命エネルギーで活性化したボワーノのアストラル体は、同じように死と言う属性が付かないほど強くなったんだと思う。
これはつまり、アーデルヴァイトにおいて不可能とされて来た、蘇生が可能になったと言う事。
あの子は最期に、途轍も無い実証データを遺してくれた。
「最期の最後までお役に立てて光栄です、マイマスター。それでは、お先に失礼させて頂きます。」
そう言って、最後まで私に恨み言ひとつ言わず、成仏して行ったわ。
何度も言うけど、私は貴方を殺した仇なのよ。
本当、おかしな子ね……本当に、ありがとう。
もちろん、グラスランダーや人間族では無い長命種たちは、まだ生きてる。
ゲイムスヴァーグは、知り合った当時すでにベテランだったから、引退してウォルバス王国に隠居した後もう亡くなってるけど、エッデルコとファイファイチュチュは、最期は故郷で迎えたいと、今は古代竜の島で隠棲してる。
エッデルコの最高傑作であるライアンの装備一式は、今も色褪せず輝きを保っているし、チュチュ謹製の最強ファッションたちも、ほつれる事さえ無くいつまでも新品のよう。
もちろん、魔法による保護の効果もあっての事だけど、ふたりの技術力あればこそ。
本物って、その人よりも永く生き続けたりするのね。
ドワーフで200~300年の寿命だけど、エルフは1000年を生きるし、魔族、神族は数千年を生きるわ。
だから、他の皆は、今でも変わらず元気。
そう、ディートハルト、魔王様もご存命。
神聖暦10700年組の私たちは、誰も魔王討伐なんてしなかった。
そして、神聖暦10800年の勇者招喚の儀式。私が儀式に仕掛けた細工は、記憶操作よ。
いきなり全てを変える事は難しいわ。
だから、勇者の素体教育は行われた。
その素体たちの記憶を操作して、自分は異世界から来た人間だと言う偽りの記憶を植え付けたの。
残念ながら、その子は自分の人生を歩めない。
でも、命までは失わないで済むわ。
そして、招喚そのものは成功しないように詠唱内容を改竄した。
だから、神聖暦10900年以降の儀式は失敗する。
その失敗の原因を探り、儀式を再び成立させる事が出来る魔導士など、この国にはいない。
そもそも、先人たちが幾度もの失敗の果てに、奇跡的に成功させた特別な儀式だったんだもの。
研究者としては後ろ髪を引かれたけど、思い切って資料を廃棄した今、私ですらもう直せないわ。
これで二度と、地球から無理矢理攫われて来る被害者は出ない。
儀式が成立しなくなれば、勇者の素体を用意する事も無くなるでしょう。
ちなみに、10800年組の3人の記憶は、3人が旅立った後元に戻したわ。
そして、私の正体と経験を話し、勇者招喚の儀式の実態を説明し、そのまま違う人生を歩むようにと説得した。
まぁ、皆進んで勇者の素体として身を捧げたくらい信仰心が強かったから、中々納得してくれなかったけどね。
だから、全員一度エルムスへ連れて行き、オルヴァドルと面会させた。
悔しいけど、私の言葉より主神様の言葉の方が説得力あるのよね。
結局、ひとりはクリスティーナに弟子入りして、あくまでオルヴァの勇者として魔族と戦う道を選び、ふたりはエルムスに残って神族……神に仕える道を選んだ。
どちらにせよ、彼らも魔王討伐は選択しなかった。
ついに魔王が倒される事は無く、しかし今でも人間族と魔族の戦争は続いてる。
魔王が倒されようが倒されまいが、何も変わらぬ100年。
多分それは、この先何年経っても変わらない。
それくらい、今この世界は、ある意味安定してるのよね。
4
「奥様……、宜しいでしょうか。」
キンバリーさん、では無い、今の女中頭であるヘンリエッタが、遠慮がちに声を掛けて来る。
「……えぇ、構わないわ。……何?」
「その……、見慣れぬお客様が、旦那様のお見舞いをしたいと訪ねていらっしゃっています。如何致しましょう。」
見慣れぬ客?キン……ヘンリエッタが言葉を濁すなんて、余程おかしな客なのかしら?
……この気配は魔族ね。覚えは無いけど……。
「ルージュ、俺が見て来ようか?」
私を心配してずっと傍に付いてくれてるクロが、そう優しく語り掛ける。
いつも通り全身黒の出で立ちが、今日は違う意味に思えて来る。
「……いいえ、私が行くわ。クロは私の代わりにここにいて。」
私はクロに後を託し、何日かぶりに部屋を出た。
そして、多くの親類縁者を掻き分けて、屋敷の玄関へと赴く。
そこには、ひとりの魔族が立っていた。
まだ外套は羽織ったままで、とても高貴そうな仕立ての良い黒のスーツに身を包み、左手には、歩行補助の為では無く身なりの一部として、金をあしらった豪奢な杖を突いている。
右手で黒いハットを胸前に抱き、少し伏し目がちで静かに佇んでる。
パッと見、とても上品そうな壮年紳士に見えるけど、ヘンリエッタにはどこか妖しく感じられたのね。
それもそのはず、視認して判ったけど、この男は貴族だわ。
あ、いえ、そっちの意味じゃ無くて、吸血鬼、って意味よ。
しかも、私の鑑定スキルは闇の神の欠片を以てしてもLv.1のままだから、正確なLv.は判らないんだけど、このヴァンパイアは多分Lv.30台。
その魔力を抑えるほどの強者では無く、むしろ魔力を誇示するタイプ。
普通の人間は、異様さを感じるんでしょうね。
そして、相手がヴァンパイアとなれば、私にはひとり心当たりがある。
「お待たせ致しました。私が当家の奥向きを預かる、ルージュと申します。失礼ですが、もしかしてヴェルスターチ様ではありませんか?」
その男は、深く一礼した後、私の瞳を見詰めて挨拶を返して来る。
「お初にお目に掛ります、奥様。左様、私はヴェルスターチと申す者。もしや、ライアン様からお聞き及びで御座いましたか。」
「えぇ、詳しいお話を聞いております。……それに、私も貴方と多少の縁が御座います。」
「それは……、失礼。私には覚えが御座いませぬが、宜しければご説明願えますかな。」
「ふふ、それはそうですわ。言ってみれば、私の方が一方的にお慕いしていたようなもの。」
吸血鬼と言っても、内面は普通の魔族だものね。
戸惑う吸血鬼ってのも、可愛らしいわね。
「貴方が手を差し伸べられたエーデルハイト伯爵、覚えておいででしょうか。」
「!……それはもう。長い我が生において、ライアン様同様決して忘れ得ぬ出来事なれば。」
「それは良かった。伯爵も、貴方には深く感謝なさっておいででしたわ。私は、伯爵の覚悟も、貴方の覚悟も、とても勇気のある素晴らしい行いだと感心致しました。是非一度、お逢いしたいと思いましたもの。」
「……貴女は一体……。」
「もう一度自己紹介を。勇者ライアンの妻であり、元オルヴァの三番目の勇者イタミ・ヒデオ。今はルージュと申します。私が、エーデルハイト伯爵をお止めしました。」
驚愕し、思わず杖を取り落としてしまう吸血鬼。
「あ……、これは失礼。」慌てて杖を拾い、もう一度顔を合わせる。
そこで私は、深くヴェルスターチの瞳を見詰めた。
から~ん、と音を立て、再び倒れる豪奢な黄金杖。
今度は脂汗を流しながら、身動きひとつ取れないでいるヴェルスターチは、すぐに杖を拾えない。
「ふふ、ごめんなさいね。解って貰う為に、少し意地悪をしました。大丈夫ですか、ヴェルスターチ様?」
私は、吸血鬼相手に邪眼を掛けるように、その視線に力の一端を注ぎ込んだ。
力を解放して実力を示すのと、似たような行為よ。
「もう少し面白い自己紹介を加えるなら、貴方の魔王様、ディートハルトとも顔見知りよ。真祖の貴方なら、面識くらいはあるのでしょ。」
「……魔界まで乗り込んだ勇者がいた事は……話には聞いておりました……が……まさか、ここまで……。」
「ふふ、本当にごめんなさい。ここのところ塞ぎ込んでいたから、悪戯がちょっと楽しくて。さ、どうぞこちらへ。主人も、貴方に逢ったらとても喜ぶと思いますわ。」
そうして私は、ヴェルスターチを案内して先を歩く。
愛する夫、ライアンが死の床に就いている寝室へ……。
屋敷の周りには、教会関係者や信者たちも多く集まっているが、屋敷の中には関係者だけしか入れていない。
関係者とは言っても、曾孫の子供、その子供、またその子供……と連なると、もう他人と変わらない。
それでも、勇者ライアンの子孫として、彼らは夫を慕い、今も心から心配して集まってくれている。
代々、長子家族とは一緒に住んで来たから、現ライアン付き聖堂騎士団団長を務めるベルトーゼ、その妻カトリーヌ、その子エドワルトとメリーアンとは仲良くしてる。
まぁ、世界樹の為に世界中駆け回ってるから、毎日のように出掛けちゃうんだけどね。
今寝室には、そんな近しい家族とクロがいて、もう少し遠い親戚たちは寝室の外で息を殺してる。
そんな中に、私はヴェルスターチを伴って戻って来た。
「ルージュ……、そっちのは?」
「良いのよ、クロ。大丈夫。古い知り合いなの。わざわざライアンに逢いに来てくれたのよ。」
「そう……か。それは失礼した。すまないな、お客人。」
「……い、いえ……、さすが勇者ライアン。お身内までとんでもありませんな。」
クロもちゃんと力は抑えてるけど、判る人には判るわよね。
竜の気って、少し特別みたいだし。
「どうぞ、こちらに。主人とお話になって下さい。」
と、ベッドの傍に置いた椅子を勧める。
「……ライアン様は、今、お眠りになっているようですが。」
私は、静かに首を振る。
「いいえ、ここしばらくこんな調子で、寝ている訳では無いのです。意識はありますから、お話は出来ますわ。」
ベッドには、年老いたライアンが横になっている。
招喚されてから、おおよそ180年。素体が二十歳くらいだったから、肉体年齢は200歳くらい。
でも、今のライアンは、80歳くらいに見える。実年齢を思えば、充分若いわね。
私の方は二十歳のまんま。私は少しも変わっていないわ。
「しかし、このような状態では……。」戸惑うヴェルスターチ。
「ようこそ、ヴェルスターチ卿。お久しぶりです。」
「!……ライアン、様?」
「妻が念話を介して、話せるようにしてくれるのです。ルージュ、また世話を掛けるね。」
私は首を振り、その場を静かに離れる。
ふたりだけで話せるように、念話の相手をライアンとヴェルスターチに限定した。
私が混ざったら、男同士の話を邪魔しちゃう。
だから、二人きりにさせてあげるの。
だって私は、男心の解る女だもの(笑)
ライアンが倒れたのは、2週間ほど前。
ひと月前までは、回数は減ったけど毎日1回は欠かさず愛し合うほど元気だったわ。
大分体は細くなり、エッデルコの装備一式が合わなくなってたけどね。
それでも、エッデルコが残して行った軽装備の中から適当な物を見繕い、勇者として出陣する事もあったわ。
あの後、次代の教皇にとの声は高かったけど、勇者である以上国に仕える身、として、それだけは固辞し続けた。
そして、勇者として率先して陣頭に立つ事で、いつしか勇者ライアンは教国の守護神として、その地位を確立した。
でも、ひと月前に少し調子を崩し、それでも元気になったからと2週間前、久しぶりに騎士団と一緒に見回りに出て、そこで倒れた。
1週間ほど床に伏し、1週間前、目を覚まさなくなった。
念話で呼び掛けたら答えたので、意思の疎通に問題は無かった。
この時ばかりは、はっきりと聞いたわ。
もう、その物質体は限界なのよ。新しい体を用意しましょうか、と。
しかし、……答えは返って来なかった。
私が世界樹の面倒を見る事になったあの頃から……、あの頃から何度も、私はライアンにそれと無く、延命について、体の新調について話し掛け続けたわ。
でもライアンは、いつも応えてくれなかった。
まだ若いから気にしていないのかも知れない、何か考えがあるのかも知れない、そう思ってここまでずるずる来てしまったけど、……最悪、今からでも、いいえ、今の私なら死んだ後蘇生させる事だって……。
でも、これだけは、本人の意思を尊重しなければ……。
無理矢理生かしても、恨まれるだけ。それは解ってる、でも……。
ずっと、ずぅ~と、葛藤して来た。
……一度、意を決して避妊を止めた事がある。
せめて、それならばせめて、ライアンとの間に子供を……。
だけど、求める時には授からない。そんなものよね。
それに、何か月か試み続けて、結局思い知ったの。
私が欲しいのは、ライアンとの子供じゃ無い。ライアンなの。貴方じゃ無くちゃ駄目なの。
それからは、ずっと祈り続けた。今も祈り続けてる。
たったひと言。生きたい、死にたく無い、新しい体を用意して欲しい、一緒に永遠を生きよう、どんな言葉だって良い。
彼が、ライアンが私と一緒に1000年の孤独を歩んでくれる事を、祈り続けてる。
……何故ライアンが、その言葉を言ってくれないかは判らない。
でも、ライアンなりの考え方、思想があっての事だと思うわ。
そして、少なからず、パートナーであるライアンが求めない以上、他人である自分が求めて良いものでは無いと、思った人もいたかも知れない。
私に頼めば、もっと長く生きられる。
それを知ってる知人たちの誰ひとりとして、それを申し出た人はいなかった。
あの、臆病なトラップだって、最期の最後まで何も言わずに静かに息を引き取った。
皆、幸せな人生を送れたから、死が怖く無かったの?
死んでもアストラル界へ行くだけと信じられてるアーデルヴァイトだから、素直に死を受け入れられるの?
全力で死を拒否して、今でも死ぬのが怖くて、必死に生きもがいてる私が馬鹿みたい……。
でも……、私は今、死ぬのと同じくらい、生きるのが怖い。
ライアン……、私はこの先、貴方のいない世界で生きなくちゃいけないのよ。
ねぇ、助けて。助けてよ。
私を置いてかないでよ……。
……、……、……。
5
……、……、……どうやら、意識を失ってたみたいね。
目覚めたら、見知らぬ天井……なんて事は無いけど、ふたりの寝室じゃ無いわね。
ここは、ベルとカタンの寝室だわ。
……大丈夫。まだライアンは生きてる。
この1週間、飲まず喰わずで一睡もしていなかったけど、その所為じゃ無いと思う。
私の体は、もう食事や睡眠を必要としていないみたいだから。
美味しいものは美味しいし、惰眠を貪るのは気持ち良いけど、必要な訳じゃ無い。
多分、闇の神の欠片の影響で、ある程度マナだけで生きて行けるようになってるんだわ。
だから、歳も取らない。
ただ、生前から数えれば200歳を過ぎた私でも、精神性は長命種のそれじゃ無く人間のまま。
ちょっと……、疲れちゃったのかもね。
つい弱音を吐いたら、緊張の糸が切れちゃったみたい。
私がベッドから這い出すと、脇に控えていたカタンとヘンリエッタが、すぐに傍へ駆け寄って来た。
「いけません、ルージュ様。ご無理が祟ったんです。もう少しお休みになっていて下さい。」
「ありがとう、カタン。でも、大丈夫よ。体の問題じゃ無いの。夫の……ライアンの傍にいたいのよ。」
「ルージュ様……。ヘンリエッタ、手を貸して頂戴。」
そうして、カタンとヘンリエッタが、私を両側から支えるようにして立ち上がらせてくれる。
ちゃんとひとりで立てるけど、ふたりの気遣いに応えるように、体を預けて立ち上がる。
「心配掛けてごめんね。ヘンリエッタ、何かスープでも貰おうかしら。お願い出来る?」
「は、はい、奥様!すぐに、すぐにご用意致します。」
ぱぁっ、と顔を輝かせて、飛ぶように部屋を出て行くヘンリエッタ。
……駄目ね。自分の事ばかりで、周りが見えなくなっちゃって。
ライアンだけじゃ無く、皆は私も心配なのよね。
覚悟は出来てる……とは言えないけど、ずっと判ってた事だもの。
しっかりしなきゃ。
一度食堂で軽食を摂り、それからふたりの寝室へ戻った。
私が意識を失ってから、もう5時間ほど経ってたみたい。
すっかり陽も暮れて、降り積もるほどでは無いけど、まだ雪がちらついてた。
ベッドの横にはクロとヴェルスターチが付いていて、私の代わりにライアンの様子を見てくれてたみたい。
「……大丈夫か?ルージュ。……俺が付いてるから、もう少し休んでいても大丈夫だぞ。」
クロが優しい言葉を掛けてくれるけど、私は首を振ってベッド脇の椅子に座り、ライアンの手を取る。
「間に合って良かった。……もうすぐこの物質体は、限界を迎えそう。」
「え?!」と、クロたちの驚く声が重なる。
良い事なのかしら、悪い事なのかしら。そんな事まで判っちゃうのは。
もう、ライアンの元気なままのアストラル体を、この物質体は捉まえていられなくなる。
もちろん、オフィーリアの祝福で無理矢理繋ぎ止める事は出来るけど、それじゃあ祝福じゃ無くて呪いよ。
本人が望まない限りは、ね。
「……ねぇ、ライアン……。最後にもう一度だけ聞くわ。……いいえ、これは初めてかしら。」
私は念話で、ライアンに問い掛ける。
「何故……、何故私を置いて行くの?」
どうしても、感情が抑え切れなかった。
ひと筋、涙が頬を伝う。
部屋の中に動揺が走る。
今まで、気丈に振舞って来たからね。
皆の前で、初めて泣いちゃった。
「……ごめんね、ユウ。結局僕は、臆病者で弱虫のままだった。ユウが死ぬのを恐れるように、僕は生きるのが怖かった。肉体は老いるのに、心は老いず永遠に生き続けるのかと思ったら、とても怖かったんだ。」
……正直、理屈では解るのよ。
100年生きられない人間として生まれ、それでも200年以上生きて来たわ。
今なら解る。人として一所懸命に生き、そして死んで行くのが自然だって事。
皆が永遠を求めなかったのは、何もライアンに遠慮したからばかりじゃ無い。
ただ、当たり前に生き、当たり前に死んだだけ。
不思議だけど、人は100年の間に、それを当たり前の事として受け入れられるようになって行くのね。
グラスランダーなんか、人間族の半分でその境地に至る。
永遠が得られるとしても、必ずしも人はそれを求めない。
人によって、それは永劫の苦しみでしかないから。
「僕も何とか、永く生きる事を受け入れられないかと、ずっと考え続けて来た。軽はずみな事は言えないから、ユウに何も答えてあげられなかったけど、僕もユウと一緒にいたい気持ちは変わらないよ。」
「だったら!……だったら、少しだけ……後もう少しだけ生きててくれても……。」
「……そうだね。そうする事も出来るんだろうね。でも、僕はもう逝くよ。」
「ライアン!……。」
ほんの少し、ほんの少しだけ、ライアンの手が動いて、握り返して来た。
「その代わり、ひとつ約束するよ。僕には秘めた目的があるんだ。一緒にはいてあげられないけど、ユウの役に立てるかも知れない。」
「……ライアン?」
「……僕はアストラル界へ旅立った後……、魔界を目指そうと思う。」
!……人の死後、その魂が召されると伝うアストラル界。
そこは、生きとし生ける者たちにとっては、未知の世界。
そこには、悪魔たちが棲む真なる魔界がある訳だから、存在だけは証明されているに等しいわ。
そこが、現世とは決定的に違う。
「死んでみなくちゃ判らない事がある。死者の国が一体どんなところなのか。同じアストラル界にあると言っても、死者の国と魔界がどのように存在しているのか。……生きるのが無理なら、せめて、それをユウに教えてあげたい。」
「!……ライアン、貴方もしかして……。」
「ユウから聞いたヨモツヒラサカ。そこへ向かうよ。そこから、ユウに死者の国の事を、魔界の事を、アストラル界の事を、伝えてあげる。」
「……ライアン……、ライアン、私、確かに魔導士だし、知的好奇心が強いけど……、でも……でも、そんな事より、私はライアンと一緒に……。」
涙が止まらない。ライアンは、ライアンなりに色々考え、覚悟も決めていた。
もう……、もうその覚悟を、覆す事なんて出来無い。
ずっと一緒にいたもんね。解ってるよ。ライアンがどんな人か。
とても優しいのに、他人にまで優しくて、つい嫉妬しちゃうくらい優しいのに……、でも、とっても頑固なところもあるの。私、知ってる。
「約束するよ、ユウ。ヨモツヒラサカでまた逢おう。」
ふっ……と、ライアンの手から力が抜ける。
そして、私とクロと、ヴェルスターチだけが、そのまま顔を上げて行く。
あの頃と同じ、若く強靭で力に満ち溢れたライアンのアストラル体が、事切れた物質体から立ち昇った。
あぁ、こんなに力強いのに、何故この人は逝ってしまうんだろう。
ここに……、ここに貴方が愛する女がいると言うのに、何故貴方は逝ってしまうんだろう。
「……ライアン……。」
私はライアンだった物質体から手を離し、ライアンへと手を差し伸べる。
本来は触れられないけど、私たちなら触れ合える。
ライアンも手を差し伸べ返し、ふたりは最期の口付けを交わした。
「忘れないで、ユウ……約束だよ。ヨモツヒラサカで待ってて。」
言葉を遺し、ライアンのアストラル体は強烈な光を発しながら解けて行き、その光の粒子が最後に私の周りを漂って……消えた。
私の愛した勇者様は、今、私の前から永遠にいなくなってしまった……。
6
傍から見ていたら、私の行動は奇異に映ったろうか。
それとも、視えなくとも魂の存在を知るくらいには教国の人間たちは敬虔だから、そこにライアンの姿を思い描いたろうか。
瞳を閉じて、渾々と涙を流し続ける私に、誰も声を掛けられない。
不思議ね。悲しくて、涙も止まらないのに、心がおかしなくらい静か……。
もっと、嗚咽を上げたり泣き叫ぶかと思ったのに。
ただ涙を流し続け、立ち尽くしてた。
……、……、……どれくらい、そのまま時が過ぎたのだろう。
10分か、1時間か。
耐え切れなくなったのか、それは己の仕事だと言う信念からか、ヘンリエッタがライアンだった物へ歩み寄り、脈を取って瞳孔を確認し、胸の前で手を組ませ、腰の辺りで布団を整えてあげている。
そう。そうよね。
皆にとっては、それがライアンなのよね。
でも、私にとって、それはライアンじゃ無いの。
生命の本質は魂だし、ほら、私たちの体って、元々他人の体だから。
思い入れはあるし、長く留まれば一致して行くんだけど、それでも、私にはそれはライアンじゃ無いの。
でも、ありがとう、ヘンリエッタ。
本当なら、私の役目だったわね。
そこまで、頭が回らなくて。ごめんなさいね。
……あら、それはライアンじゃ無いなら、あの人はどこ?
私は、急に辺りを見回し始める。
「ど、どうしたんだ、ルージュ。何か探し物か?」
「えぇ、クロ。さっきまでここにいたのに、ライアンの姿が見えないから……。あの人、どこに行ったのかしら。」
「え?!……何言ってんだよ、ルージュ。ライアンは……。」
「ク、クロ様。駄目です。駄目です。」
「え!?……あ、あぁ、そうか。すまんな、カトリーヌさん。俺、どうも人間ってのは良く判らなくて。」
「え!?」
そう言えば、クロは良く遊びに来てくれるけど、正体は皆知らないんだっけね。
昔からの知り合いと言うだけで、歳を取らないから、私と同じようにエルフか何かだと思ってるのかしら。
「う……、うぅ……、奥様……、あの奥様が、そんな……。それほど、それほど……うぅ。」
泣き崩れるヘンリエッタ。
「だ、駄目よ、ヘンリエッタ、貴女まで……。う……駄目よ……、一番辛いのは……、うぅ……。」
カタンが、顔を押さえて咽び泣く。
後を追うように、部屋の中で啜り泣きが始まり、それは部屋の外で息を殺していた親類縁者にまで伝播して行く。
どうしたの、皆?それに、ライアンはどこ?
「ねぇ、誰か、ライアン知らない?確かさっきまで、大事な話をしてたのよ。……そう、大事な……。」
そうだ……、私はさっきまで、ライアンと何か大切な事を話してた。
ライアンは確か……、私と約束を……。
「そう……、そうだわ。思い出した。……行かなくちゃ。私、あの人に逢いに、行かなくちゃ。」
その後の事は、私には判らない。
テレポートで外に出て、そのまま南の空へ飛んだから。
皆には迷惑掛けるけど、そのライアンだった物の始末はお願いね。
一応、世間的には、あの名誉大司教であり教国の守護神たる勇者ライアンが死んだ事になるんだから、葬儀の手配とか普通の規模じゃ済まないものね。
妻である私の役目なんだけど、ごめんね。
私、ライアンと約束があるの。行かなくちゃならないのよ。
そう、ライアンが待ってる。
あの場所で……。
……、……、……どれくらい、時間が経ったのだろう。
いいえ、判ってる。嫌に頭の中は冷静だもの。
あれから1週間。私は、すぐにエルムスへと飛び、オルヴァドルを伴ってこの場所へやって来た。
ヨモツヒラサカ。
ライアンはいなかったわ。
いくらアストラル体は時間と空間を超えると言っても、まだ旅立ったばかりだもんね。
向こうを把握するにも、時間は掛かると思うの。
今いる場所を確認して、どっちを目指せば良いか探って、きっと今、ライアンはこっちに向かってる。
……そう思って1週間、私はここで身動ぎもせず待ってる。
オルヴァドルは付き添ってくれてるけど、別に大丈夫よ。
貴方たち神族も、食事や睡眠は最低限で済む訳だけど、私ももう必要無いから大丈夫。
ここでず~と待てるわ。
ず~と……。
約束……したもんね、ライアン。
今、こっちに向かってるんでしょ、ライアン。
人は死んでも、アストラル界で元気でいるんでしょ、ライアン。
私たち地球人の魂も、ちゃんとそっちに行けたのかな、ライアン。
ねぇ、ライアン。
……ねぇ、ライアン。
……どうして、ライアン……。
ねぇ、どうして、ライアン……。
私、私、何で無理矢理にでも、貴方を引き止めなかったの?
恨まれても、罵られても良い。
何で貴方を、捉まえておかなかったんだろう。
ライアン!ライアン!もう、闇の神の欠片の力を使ったって、貴方に逢えないっ!
貴方がいない!……ライアン。ライアン。
……、……、……ライアン。
「……嘘吐き……。」
「え!?どうかした、ママ?」
その時、堪えていた堤防が決壊するように、途端に感情が溢れて止まらなくなった。
大粒の涙が一気に噴き出し、私はこれまで上げた事が無いほど大きな声を上げていた。
「ライアーーーーーーン!!!」
何も考えられない感情の渦の中、普段通りに力を制御し続ける事なんて不可能だった。
私はただただ、溢れ出る感情に任せて泣き叫び続けたから、後で聞いた話だけど、大地が震え、大気が唸り、エルムスを震源とした大地震が発生。
それはアーデルヴァイト中に広がって行き、大地震と大嵐が南端のエルムスのみならず、魔界にまで届いたと言う。
大地が割れ、沿岸には津波が押し寄せ、暴風と大雨と雷が降り注ぎ、人々は世界は終わりを向かえるのかと恐れ戦いた。
後に、その天変地異はエルムスから伝播するように広がった事から、かの勇者ライアンの死には神々すらも嘆き悲しみ、その慟哭が世界に混乱をもたらしたのだと実しやかに囁かれる。
その日、勇者ライアンの死から1週間の後、それは起こった。
それは、後世の歴史でこう呼ばれる。
神々の慟哭、と……。
つづく
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