第三章 ライアン、こいつがルージュの……


1


まだ春と言えないこの時期、しかも早朝だけに肌寒い空気の中、抜けるような青空を見上げ、俺は静かにクロへと抱き付いた。

「お、おいっ!一体何の真似だ!?」

「?……何って、こうしないと一緒に飛べないでしょ。」

「そ、そう言う事か。脅かすなよ。」

脅かすも何も、俺がクロに抱き付いて、何を驚く事がある。

今は人間同士の姿でも、お前は古代竜なんだ。

間違っても、人間の女に欲情などすまい。

竜的な美人の基準からは、明らかに外れると思うし(^^;

「まだ戦闘形態にはなれないし、ゾンビは嫌なんでしょ。なら我慢して頂戴。」

「我慢も何も無い。ただ、急に抱き付いて来たから焦っただけだ。好きにやってくれ。」

「おかしな子ね。別に人間に抱き付かれても嬉しく無いでしょ。」

「誰が嬉しいなんて言った?ほら、もう、さっさとしてくれ。」

何か照れてるな。

古代竜って、人間の造形にも惹かれたりするのかな?

それとも、母親に抱かれた微かな記憶が甦る、とか?

まぁ、抱き付いて嫌がられるよりは、ずっと良い。

「それじゃあ、しっかり掴まってて。」

俺は新型フライを発動し、一気に蒼穹へと飛び上がった。

良し、思った通りだ。

フライ自体で軽くなっているのは俺だけだが、空を飛ぶ時に吹き荒れる風は暴風と呼べるほどだから、人ひとり分増えても問題無いと考えたのだ。

人間に化けたクロは、人間並みの重さになっている。

見た目は人間だが重さは古代竜、なんて状態なら、宿の床が抜けていただろう(^^;

本当、魔法って不思議。

「……こいつら、風の精霊か。なるほど、風の精霊に助けて貰って飛ぶのか。」

さすが古代竜、精霊も視えているようだ。

「人間が自分の魔力で飛ぶのは無理だけど、精霊たちの力を借りれば空も飛べるって訳。それじゃあ、風の精霊さんたち。今日もよろしくね。」

俺は南へ向かって、一気に速度を上げて行った。


俺の空間感知は10kmしか確認出来無いし、この世界に正確な測量技術など無いので、実際の世界の大きさは良く判らない。

あくまで俺個人のイメージであるが、魔界が露西亜北部、神の国が東南亜細亜で、中央諸国が蒙古モンゴルと言った感じか。

あぁ、あくまでも位置的なイメージであって、気候は全然違うけどな。

実際、アーデルヴァイトが球形なのか、象の背中の上にある平らな世界なのかも判らない(^^;

空を飛んでいる時の速度も良く判らないが、飛行機ほど速く無い気がする。

何と無く、MotoGPの車載カメラの映像を彷彿とさせるので、時速300kmくらいだろうか。

途中、南方諸国に入ってふたつ目の国オッテン王国で小1時間ほど休憩を挟み、およそ10時間を飛んでようやくオルヴァまで到着した。

全部、感覚的な胸算用に過ぎないので正確性に欠けるが、中央諸国からオルヴァまで3000kmとするなら、人間族の領域はおよそ6000kmくらいになるのかな?

ここに魔界と神の国の分が加わるから、地球の半径とそう変わらないのかも知れない。

俺は飛行中、眼下に広がる大草原や、遠い山陰を横切る鳥の群れなどを眺めながら過ごしたが、クロはすっかり寝入ってしまった。

やっぱりまだ、疲れが抜け切っていないようだ。

最初は抱き付く格好で飛んでいたが、寝てしまったので途中からおんぶする形に変えた。

Lvの壁を越えた勇者ボディだから腕力的に疲れる訳では無いが、この方が何と無く運びやすい気がする。

……子供をおんぶする機会なんて無かったし、こうしていると何だか心がほっこりするような気がした。


さすがにこのまま街へ戻る訳には行かないので、近くの雑木林の中に降り立つ。

もう夕暮れも近い。

街を案内するのは明日にするか。

「……起きて。もう街の近くに着いたわよ。」

俺は背中のクロに声を掛ける。

「……お、おう、すまん。寝ちまったのか。……ん?」

背中で、何やらきょろきょろする気配を感じる。

「どうしたの?まだ寝惚けてる?」

「わ、わぁっ!」と、慌てて俺の背中から飛び降りるクロ。

「な、何で俺、お前におんぶされてんだよっ!」

「何でって、寝ちゃったからおんぶして飛んでたのよ。その方が運びやすいから。」

「そ、そりゃ悪かったな。だが、俺はもう子供じゃ無ぇんだ。……こう言うのは、ちょっと……。」

……むしろ、子供だから恥ずかしいんだろうけどな。

「貴方は私の生徒、って言ったでしょ。別に甘えてくれて良いのよ。それは子供扱いとは違うわよ。」

「お、お前は、あ、いやルージュは確かに先生だけど、それとこれとは話が違うだろ。……まぁ、今はまだ疲れてて迷惑掛けてんだから、しょうがねぇけどよ……。」

本当に素直だな、クロは。

「判った判った。とにかく、もう着いたわよ。思ったより遅くなったから、街の案内は明日にして、今日はもう家に直行しましょう。」

そうして俺は歩き出す。

「おい、全然判って無ぇだろ。たく、少しくらい……滅茶苦茶強いからって、ちったぁ俺の言う事を聞いてくれても……。いやでも、俺の為な訳だし……。」

「何ぶつぶつ言ってんの。置いてくわよ。」

文句は言いながらも付いて来るクロ。

やっぱり、こいつ可愛いわ(^∀^)


2


神聖オルヴァドル教国首都オルヴァ。

主神教総本山だけあって、多くの人々が集まり、街は活気に溢れている。

質素倹約が尊ばれ食事が不味くとも、住民の数を遥かに上回る巡礼者たちが経済を回す。

人間族の国家で主神教に属さぬ国は皆無である為、他国と戦争になる事も無く、国土が荒らされる要因も最低限。

人間族の都市の中で、1番栄えていると言っても過言では無いだろう。

魔界から1番遠い街ではあるが、主神教総本山、つまりは人間族の本拠地とも言える街だけに、広大な街は高い城壁に囲まれ堅い防備を誇っている。

まぁ、過日のヴァンパイアの例はあるものの、首都オルヴァまで魔族が侵入した事は無く、完全に油断し切っていて、警備は緩いと言わざるを得ないが。

「こんにちわ、ジャスティン。いつもご苦労様。」

俺は、顔馴染みの衛兵に声を掛ける。

城門を通るには、一応衛兵の検閲を受ける事になっているからだ。

「おや、これはルージュ様、お出掛けでしたか。お帰りなさいませ。」

「検閲をお願い。後ろの男は私の連れなの。身元は私が保証するけど。」

ジャスティンは、ちらっとクロを一瞥したが、それだけだった。

「ルージュ様のお連れ様であれば、問題ありません。そのままお通り下さい。」

「……良いのか?」と、不思議がるクロ。

「えぇ、もちろんです。……貴方がもし問題を起こしたら、ルージュ様がお怒りになります。その意味、お連れ様ならばお判りでしょう?これほどの保証はありますまい。」

「な……、なるほど。」

「何かその言い方非道くない?まるで私が怖い女みたいじゃない。ほら、これで仕事終わりに、また皆でお酒でも飲んで。私、優しいでしょ。」

そう言って、俺は金貨を1枚握らせる。

「おぉ、いつもありがとう御座います、ルージュ様。ルージュ様は、まるで女神様のようです。」

「本当に調子良いんだから。それじゃあ、お仕事頑張ってね。何かあったら逃げるのよ。すぐに勇者ライアンと配下の聖堂騎士が駆け付けるんだから、無理しないでね。」

「判ってますよ。私は己が分を弁えてますから。」

ジャスティンに手を振り、俺は門を潜り抜ける。

クロは黙って付いて来る。

「……どうしたの、クロ?何か気になった?」

「いや……、ルージュはあんなに強いんだ。この街でも特別なんだろ。にしちゃ、たかが門番と嫌に親しげなんだな、と思っただけだ。」

「たかが門番ね。……あそこはこの街の正門。この街に出入りする者は、皆あそこを通るわ。そこに務めてる人と仲良くしておくのって、盗賊としては重要なのよ。」

「……あぁ、そうか、情報か。」

「そうよ。まぁ、私は最近盗賊仕事なんてしてないけど、何かあった時、仲良くしておけば彼は盗賊ギルドに色々教えてくれる訳。」

「そんな事まで考えてるのか。」

「別にそこまで深く考えてる訳じゃ無いわよ。私は今、この街に住んでるからね。自分の街の事を、多少なりとも把握しておいた方が安心だもの。」

「ふ~ん、そんなもんか。」

「そんなもんよ。ほら、見てみなさい。この街には人が溢れてる。この中にどんな人間が紛れてるか判らないからね。」

そう言って指し示したオルヴァの大通りは、まだ夕刻だけに人でごった返していた。

それを見たクロが、呆気に取られる。

「……馬鹿な事を聞くが、今日は何かのお祭りか?」

お上りさんのお約束だな(^^;

「……まぁ、ある意味そうかもね。世界中から、敬虔な信徒たちが主神教総本山を目指して来て、日に3回教皇猊下自らが行われる説教を聞きに来るの。アーデルヴァイトは決して平和な世界じゃ無いから、信徒たちがこうしてオルヴァまで来られるのは一生に一度の場合もある。だから、多くの信徒にとっては、この巡礼は特別なものだし、折角こんな栄えた大都市まで出て来るんだから、観光や食事だって楽しみのひとつ。まぁ、オルヴァの飯は不味いけど(^^;そんなこんなで、ここに集まってる巡礼者たちにとって、オルヴァでの日々は毎日お祭りみたいなものね。」

「……良く判らねぇが、こいつらにとっては特別なんだな。この街は。」

「そうよ。ほら、こっち。付いて来て。迷子になっちゃ駄目よ。」

「おい!わざとだろ!俺を子供扱いすんな!」

「ほら、こっちこっち。」

俺は人波を掻き分けて、大通りを進んだ。

「お、おい!ちょっと待て。俺を置いてくな。」


人波の中で数人のスリと痴漢をあしらって、気付くと人だかりの中にいた。

強烈な香辛料の匂いが鼻を突く。

ここは、屋台が立ち並ぶ一角だった。

「丁度良いわ。ここで何か食べましょ。」

人の多さに疲れ始めたクロが、俺の背中にすがり付きながら呟く。

「……もう家に帰るんだろ。帰ってから食べれば良いじゃねぇか。」

「ちゃんとした食事はそうするわよ。ただ、家の食事は私の指導もあってそこそこ美味しいの。」

「……益々、家に帰った方が良いんじゃねぇのか?」

「それじゃあ、クロにオルヴァの飯の不味さを味わって貰えないでしょ。」

「何だよ、それ。わざわざ不味い飯喰わすのかよ。」

「これも経験よ。ホント不味いんだから。笑っちゃうくらい。」

「……何だそりゃ?」

俺は、手近な屋台を覗いてみる。

この屋台では、何かの鳥の串焼きが売られていた。

値段は、1本銀貨1枚。観光客、巡礼者向けだから少しお高めだ。

「お兄さん、2本頂戴。」と、銀貨2枚を払う。

「まいど~、焼き立てをどうぞ~。」と、今焼けたばかりの串を2本渡してくれた。

「はい、食べてみて。」歩き出しながら、俺はクロに1本手渡す。

クロが微妙な顔をしながら受け取る間に、俺はひと口頬張ってみる。

旨味は少なく脂の多い鳥肉に、これでもかと何種類ものスパイスが振り掛けられ、こってりとした味わいのソースがたっぷり塗られていて、その食感と濃い味付けとスパイスまみれで、貧相な味を見事に誤魔化している。

不味いっ!しかし、これはこれで癖になる味わいで、噛むと溢れて来る肉汁のお陰で咀嚼が気持ち良く、食感と濃い味付け、スパイスによって、脳が美味いと錯覚させられる。

「くぅ~、これよこれ。これこそオルヴァの味。食材の不味さを無理矢理誤魔化したジャンクな味わいが癖になる!それでいて、脂も味もしつこい所為で、1本喰えばもうそれ以上は喰いたく無い、絶妙な不味さ。本当、料理って奥が深いわぁ。」

「……それって、褒めてんのか貶してんのか、どっちだよ。」

「良いから食べてみなさいよ。今朝もお昼も美味しい物食べたでしょ。だからこそ判る、料理と言う芸術の振り幅の広さ。それが味わえるから。」

とても嫌そうな顔をしながら、それでもその独特な匂いは食欲を誘い、意を決してひと口頬張るクロである。

ぐちゃぐちゃと脂身の多い肉を噛み締めながら、溢れ出る肉汁を飲み下すと、次第に表情が変わって来る。

そのまま咀嚼を続けて、仕舞いには目を閉じてしっかり味わい出した。

それをごくりと嚥下してから、クロがひと言「美味い!」と感嘆する。

「いや、確かに不味いんだが、これはこれで美味いじゃねぇか。ルージュの言う通り、不味さの中に美味いと錯覚させる乱暴さが沁み込んでて、だが俺はこの刺激が嫌いじゃ無ぇぜ。」

「ふふ、良かった。ね、面白いでしょ。」

「あぁ、面白れぇ。人間の食いもんは、こんなに面白れぇもんなんだな。」

気に入ってくれて良かった。

単に不味い飯を食わせたかった訳じゃ無い。

これはこれで独特の味わいがあるのだ。

古代竜であるクロは、別に栄養補給として食事をしている訳じゃ無い。

本来の体の大きさを思えば、体の維持を食事で賄おうとすればこんな量では全然足りない。

魔法生物である古代竜は、ハイエルフであるジェレヴァンナ同様、マナだけで命を永らえる事が出来る。

最低限の食事は必要だとしても、それは人間とは違って何年、何十年、何百年に一度、適当な量の食事を摂るだけで済むレベルだ。

生命体としての基本が違う。

そんなクロが食事をするのは、俺に付き合って娯楽を楽しんでいるに等しい。

食事や酒そのものを、味わう楽しみを享受しているだけだ。

であるからこそ、色んな味わいを楽しんで貰えれば、こちらとしても嬉しいのだった。


3


大通りを抜けた先は、街の住民が暮らす区画となっている。

こちらにも商店や酒場、宿があるが、観光客や巡礼者相手の商売では無い。

住民たちが行き交うばかりで、先程までと比べれば閑散としている。

さらに外縁部へと至れば比較的貧しい者たちが住む区画であり、俺たちが向かうのはもっと奥、富裕層の住まいが立ち並ぶ区画となる。

ライアンは勇者であり司教でもあるから、警備の問題もあって富裕区画に住まざるを得ない。

俺もライアンも、本当は使用人や大きな屋敷など、身の丈に合っていない居心地の悪さを感じている。

でもライアンは、それを甘んじて引き受けている。

クリスティーナとライアンは、俺が放り出した責任を、自らの意志で今も背負っているのだ。


街が喧騒から離れた事で、俺とクロも何と無く押し黙ったまま歩き続けていた。

しかしまぁ、何とも大きな街だよな。

正門から家まで、一体何分掛かる事やら。

そろそろ、魔導士たちが街灯に灯を入れようと、準備を始める時間だろう。

予定よりも、少し遅くなってしまったな。

それでも、もうすぐ懐かしきライアン邸のある区画に達する。そんな時だった。

「おや、そこにいるのは、勇者ライアンの奥方ではありませんか?」

声のした方を振り返ると、そこには昨日初めて見たばかりの、いけ好かない男が立っていた。

長身痩躯で眼付きが鋭く、知性を感じさせるが人の悪さも滲み出ている、あのベテルムザクト司教である。

今は、周りに取り巻きたちの姿は見えない。

「……えぇと……。」

俺が反応に迷っていると、「これは失礼しました。会うのは初めてでしたね。私はベテルムザクト司教と申します。以後、お見知り置きを。」と挨拶して来た。

そうか。そう言えば俺は、昨日目撃するまでベテルムザクト司教の顔さえ知らなかったんだ。

下手にこちらから挨拶しないで良かった。

「あ、あぁ、司教様でしたの。こちらこそ申し訳ありません。エーデルハイト司教の妻、ルージュと申します。何分王宮内の事には疎いもので。」

勇者ライアン、勇者ライアンと呼ぶのが些か気になっていたので、敢えてエーデルハイト司教と言ってやった(^^;

「えぇと……、今お帰りですか?」

「えぇ、ここが私の屋敷です。」と、背後の大きな屋敷を目で示す。

ライアンとは違い、他の神職たちに仕える聖堂騎士たちは、主に王宮併設の詰め所に詰めている。

邸宅のすぐ傍に詰め所を構えているライアンの方が珍しく、それは勇者として有事の際に即応出来るようにと考えての事だ。

だから、ライアン邸は王宮に近い場所にあり、ベテルムザクト司教の屋敷とは離れていたようだ。

「お連れの方も、勇者ライアンのお身内ですか?」

ベテルムザクト司教が、クロの事を訪ねて来る。

「え、いえ、彼は私の知り合いでして、今日は客人として屋敷に招いたものです。」

「そうですか……。」と、気の無い返事を返すベテルムザクト司教。

クロの事が気になっているようだが……、はて?……そう言えば、俺の事も少しは視えていたくらいだし、クロに何か感じているのか?

「……不躾な申し出ですが、宜しかったら当屋敷にお立ち寄り頂けますかな?勇者ライアンとは良くご一緒しますが、奥方の事は良く存じておりません。良い機会ですから、少しだけでもお話を。」

……確かに、これだけの身分の者がする申し出とは思えない。

仮に今、俺がライアンと一緒ならまだしも、夫人ひとり、まぁ、クロはいるが、主人を伴わない夫人を家に招き入れるなど、上流社会のお偉いさん的には破廉恥な行為とさえ言えるだろう。

そうまでして俺を招待したい、と言うより、クロだろうな。

はぁ、さっさと家に帰りたい、厄介な人間と関わりたく無い、と言う思いとは裏腹に、好奇心が頭をもたげて来る。

この男の目的は一体何なのか。

「……もう夕暮れ時ですが、夕食までは間がありますわね。少し、お茶を頂いて行っても宜しいでしょうか。」

ぱぁっと表情が明るくなるベテルムザクト司教。

おや?何か顔から険が取れたような……。

「もちろんです。アパサンから取り寄せた銘茶をお淹れしましょう。どうぞ、こちらです。」

言って、先導を始めるベテルムザクト司教。

「良いのか?」と、これはクロ。

「早く家に帰りたかったはずだろ。しかもこいつ、あからさまに怪しいじゃねぇか。」

「……だからよ。どんな目的があるのか、興味あるじゃない。」

「……本当、揉め事が好きだよな、ルージュ。」

「心外ね。それに、今回の目的は私じゃ無さそうよ。」

「どう言う事だ?」

「まぁ、良いから、付いて行きましょ。」

そうして俺たちは、ベテルムザクト司教の後に付いて行く。

俺たちの会話が終わるのを待って、ベテルムザクト司教は再び先導を始める。

「ご苦労様です。こちらは客人ですので、お通しして大丈夫ですよ。」

屋敷の正門には、2人の聖堂騎士が見張り番として立っていた。

「お帰りなさいませ、ベテルムザクト司教様。いらっしゃいませ、ルージュ様。どうぞ、お通り下さい」

どうやらこの聖堂騎士は、俺の事も知っていたようだ。

まぁ、勇者ライアンの内縁の妻として表に出て行く事は無いが、盗賊系冒険者のルージュとしては、それなりに有名人だからな。

鑑定でも名前は????だし、向こうが一方的に俺の事を知っているだけだろう。


「お帰りなさいませ、旦那様。お客様で御座いますか?」

屋敷に入ると、執事風の男と女中たち数名が、主人の帰りを出迎えた。

「うむ。少し込み入った話がある。お前たちは、今日はもう下がって良い。」

言われて顔を見合わせる使用人たちだったが、「畏まりました。」と奥へ下がって行く。

普段、こんな事はあり得ないのだろうな。

「それでは、こちらへ。」

と先導を続け、俺たちは大きな応接間へと通される。

豪奢な内装と調度品だが、意外にもその趣味は悪く無い。

神職としては華美過ぎるとも言えるが、品の良さが感じられる。

「それでは、お茶の用意をして参ります。」と、部屋を一度辞するベテルムザクト司教。

それを見送った後、俺は天井へと呼び掛ける。

「ノーマン、トリステン、マイヤー、メルダ、マチルダ、これから少し内緒話なの。小1時間ほど、どこかで時間潰して来て。」

……数秒後、屋根裏の5つの気配が消える。

「……何だ?」とクロ。

「ベテルムザクト司教の警護役を務めてる盗賊たちよ。ギルドで要人警護のクエストを斡旋してるの。皆特に親しい訳じゃ無いけど、ギルドの顔見知り。」

そう、ライアン邸とは違い、聖堂騎士の詰め所が併設されていないとは言え、警備が不充分な訳では無い。

ベテルムザクト司教の場合、直属の聖堂騎士ふたりが門番を務め、ギルドの警護役が5人屋根裏に潜んでいる訳だ。

思えば、あのエーデルハイト司教の屋敷の警備体制も、似たようなもんだったな。

政敵が刺客を送り込んで来る可能性はあるとしても、基本的には外敵がここまで入り込む事はあり得ないし、盗賊ギルドは陰に徹するとは言え国お抱え。

ギルド員が勝手に盗みに入る心配も少ないし、流れ者が仕事をするのは、こうしてギルド員が目を光らせていれば難しい。

一見警備が薄く見えて、そこまで必要も無ければ手薄な訳でも無いのだった。

「良く気付いたな。俺は気付かなかった。」

「それは今貴方が、頑張って人間の姿を保ってるからよ。ただでさえアストラル体を押し込むだけで窮屈なのに、今は頑張って力も抑えようとしてるでしょ。まだ集中が必要な段階だから、周りへの注意が少しくらい散漫になっても仕方無いわよ。一応彼らは、潜伏のプロだしね。」

「まぁ、そうかも知れねぇが、何か悔しいな。」

「参考になるか判らないけど、私が初めてシロたちに出逢った時、ステルスで潜伏してた私に気付いたのは、クリスティーナだけだったわよ。シロは気付かなかった。元々、絶対無敵な古代竜には、こそこそ逃げ隠れする者を見付け出す必要性も低いんじゃない?誰にだって、得意不得意はあるものよ。」

「……そうか。あいつでもルージュは見付けられなかったのか。」

「……戻って来たわ。」

少しして、銀色のトレイにティーセットを乗せたベテルムザクト司教が、慣れない様子で部屋へと現れた。

「申し訳ありません。いつも使用人に任せ切りだったので、用意に手間取りました。さぁ、どうぞ、こちらへ。」

俺とクロは、促されるまま席へと着く。

ベテルムザクト司教は、慣れない手付きでお茶を淹れて、それを俺たちの前へ茶菓子と共に置いて行く。

ベテルムザクト司教が自分の席に着くと、「どうぞ、お召し上がり下さい。」とお茶を勧める。

俺は躊躇せず、お茶をひと口。

「……確かに、良いお茶ですわ。ただ、私たち以外のお客様には、手ずからお淹れになるのは控えた方が宜しいですわね。」

そう言われたベテルムザクト司教は、慌てて自らもひと口啜り、カップを置いた後溜息を吐く。

「申し訳無い。これでは、折角の一級茶葉も台無しですな。」

「そうか?俺は美味いと思うぞ。この茶菓子もな。」

クロはそう言って、ぐびぐびがつがつ平らげた。

「……お、お気に召したようで、何よりです。」

「……さて。」と、俺はカップを置いて、本題に入る。

「悪いけど、私育ちが良く無いから、上品ぶるのはここまでにさせて貰うわ。使用人たちは帰ったわよ。屋根裏の警護役も人払いしておいた。ついでに、結界を張っておいたから、門番たちも今は屋敷に入って来られない。私たち以外に話を聞かれる心配は無いわよ、司教様。」

驚きの表情を浮かべるベテルムザクト司教。

彼は、俺の事をどこまで知っているのだろう。

「……さすがに、冒険者ルージュ、と言う事ですか。……失礼ですが、もしや昨日、王宮でも違う姿でお会いしましたかな。」

俺は肩をすくめてみせた。

「凄いわね。やっぱり、視えてたの?でもあれは、あの馬鹿司祭が悪いのよ。私が殴らなければ、ライアンが殴ってたわよ。」

「……そうですか。いえ、ちゃんと視えてなどいませんよ。私にはそこまでの力はありません。少しだけ、ほんの少しだけ、そんな気がしたに過ぎないのです。」

「あら。それじゃあ私、誘導尋問に引っ掛かっちゃった訳?」

「勘ですが、確信はあったんですよ。いくらお仲間とは言え、屋根裏の警護役を看破して、結界までお張りになる。勇者ライアンの奥方は特別なようですから、あんな異常事態ももしや、とね。」

「ふ~ん……、でも、それが本題じゃ無いわよね。」

「えぇ、もちろん。」

そこでベテルムザクト司教は、胸元の何かを掴む仕草をする。

首から下げている聖印では無く、服の下の何かのようだ。

「宜しければ、私の告白を……、懺悔をお聞きになって頂けますか?」

俺はカップを手に取り、残ったお茶を飲み下す。

「もちろんよ。その為に、わざわざお招きを受けたんですもの。」


4


ベテルムザクト司教は、服の下の何かを弄ぶようにして、俯き加減に話し出す。

「……もし、貴女方が知らぬお話なら申し訳ありませんが……、きっと知っておいでなのでしょう。信仰についてのお話です。我々聖オルヴァドル教は、主神オルヴァドルを始めとした神々をお祀りしております。そう、神々です。私は自身を、信仰に篤い人間だと信じて来ました。そうして信心に励み、今日の地位まで昇り詰めました。その特権として、私は真実を知る事を許されたのです。」

なるほど、そう言う事か。

まだ心に迷いがあって、随分言葉を選んで話しているが、要は知っちまったんだな。

俺があの日、禁書庫で知った事実と同じ事を。

「……神聖魔法は神の奇跡です。だからこそ、疑うなんて思いも寄らない事でした。今でもどこかで信じたいと思っているのでしょう。御使いが下向されなくなって久しい為、私はお会いした事も御座いません。」

オルヴァドルの意向で、人間族と関わるのを止めたと言う話だったからな。

もうアーデルヴァイト・エルムスの外で、神族に見える事もあるまい。

「何より、神の威光が本物で無いとしたら、今の世界は成り立ちません。人々を正しく導く役割をこそ、我々は担っておるのだと信じていたのに、その足場が崩れてしまう……。」

「……あ~、悪ぃな。俺には何を言いたいのかさっぱり判らねぇんだが……。」

「あ、す、すみません。判りづらいですよね。こんな物言いでは……。」

さすがに、クロにとっては理解の及ばぬところだ。

人間の、こう言う弱さはな。

「良いのよ、司教様。この子には判らなくて当たり前だもの。つまりね、簡単に言うと、この方は神と信じてた者たちが、実は神族と言う亜人種のひとつに過ぎなかった事実を知って、ショックを受けてるのよ。」

「……やはり、ご存知でしたか。」

「多分、貴方よりももっと詳しくね。それから、取り敢えずクロは黙って聞いてあげて。本題はまだよ。でしょ?」

「……はい。私は自身の信仰が崩れそうになりました。それでも、私には立場があります。神を神と信じている人々を導かねばなりません。魂の寄る辺が必要だったのです。」

「そこで何かを手に入れた。……今貴方が触っている物、それってもしかして、古代竜に関係する物じゃないかしら?」

「何だと!?」と、クロが驚きの声を上げ、ベテルムザクト司教は目を剥く。

「……そんな事までお判りになるのですか?」

「何と無くね。貴方が身に付けたそれから、古代竜の気配みたいなものを感じるのよ。今のクロは感じる力が弱まっているから判らなかったかも知れないけど、それくらい微かによ。私も、確信が持てない程度。」

すると、ベテルムザクト司教は服の下から、ひとつの首飾りを取り出す。

それは、白く輝く古代竜の鱗に見えた。

「これは、勇者クリスが撃退した古代竜の鱗だと言われている物です。大司祭のひとりが、私への献上品として贈ってくれました。真偽のほどは定かでは無かったのですが……。」

「手に取ってみても良いかしら?」

「えぇ、どうぞ。」と、ベテルムザクト司教は首飾りを手渡してくれた。

俺はそれを、クロと一緒に手にしてみる。

「クロ、少しだけ感覚を解放してみて。直接触れれば判るでしょ。これ、間違い無いわね。」

「……あぁ、こいつは間違い無く、ルグスヴォルテムの鱗だ。」

「ルグスヴォルテム、ですか?それは一体……。」

「後で解説してあげるわ。とにかく、これは古代竜の鱗で間違い無いわ。話を進めてくれる?」

と言いながら、俺は首飾りをベテルムザクト司教へ返却する。

「え……、えぇ、そうですね。判りました。私はこの鱗から、何か力強さのようなものを感じ、藁にもすがる思いで古代竜の事を調べました。人間族の歴史書では神族と同じく真実は判らないと考え、懇意の魔導士から竜にまつわる様々な文献、魔導書を集めて貰い、読み耽ったのです。そして知りました。力の象徴たるドラゴンは、神そのものであったと。」

まぁ、市政に出回る文献や魔導書の類では、信憑性に乏しい。

ベテルムザクト司教も、半信半疑ではあるのだろう。

実際に、アスタレイから神話を聞かせて貰った俺だから知っているが、力の象徴たる神なるドラゴンは、今は亡き真なる古代竜たちであって、今を生きるクロたち古代竜の事では無い。

「神の奇跡たる神聖魔法が存在する以上、神も存在するのかも知れません。しかし、その姿をお示しになる事はありません。しかし、神なるドラゴンの鱗がここにある。確かな力を感じる。今、私のぐらついた足場を、ドラゴンが支えています。そして……。」

そこで、クロの方を見詰めるベテルムザクト司教。

なるほど。それで俺では無く、クロに興味を抱いた訳か。

「貴方ももしや、ドラゴンにまつわる何かをお持ちではないでしょうか。私は貴方から、この鱗と同じような力強さを感じる気がするのです。」

言われて困惑し、俺を振り返るクロ。

「ルージュ……、これはどうすれば良いんだ?」

「そうね……、取り敢えず、お茶を淹れ直しましょうか。司教様、キッチンへ案内して下さる?今度は私が淹れてあげるわ。」


改めてお茶を淹れ直し、3人はテーブルに着き直す。

ひと口啜ってみると、先程とは違って上品な香りが鼻をくすぐる。

うん、上手く淹れられた。

「さて、色々考えてみたけど、司教様は良い大人なんだから、ちゃんと話してご自分で判断して貰う事にするわ。」

居住まいを正し、「お願いします。」とベテルムザクト司教。

「まず、神がどうなったのか、それは私にも判らない。神族は神々が戦争の時に自らの姿を模して創った手駒だから、その姿は神と等しく、しかし、力は遠く及ばない。それでも、今尚5000年の寿命を誇る、人間族を超える超越種のひとつよ。私は充分、信仰の対象にもなり得る存在だと思うわ。」

「そうなのですか?貴女は、何故それを?」

「え~と、司教様相手に何だけど、私、勝手にアーデルヴァイト・エルムスまで行って神族に逢って来たから。主神オルヴァドルとも仲良しなのよ。信じなくても良いけど。」

「何と……。」

これには絶句するベテルムザクト司教だが、同様にクロも驚きの表情を見せている。

「ついでに話すと、私が世界の真実について色々詳しいのは、とある魔族から神話を聞かせて貰ったからよ。その魔族たちも、悪魔が戦争の時に自分の姿を模して創った兵隊だから、姿は悪魔そのものだけど、力は遠く及ばない。そして、貴方はこれにも衝撃を受けたんでしょうけど、神を僭称した神族と聖オルヴァドル教の始祖たちが闇の者どもを邪悪と決め付けて迫害しただけだから、魔族は決して邪悪な訳じゃ無い。ま、人間族にとって、敵である事に変わりないけど。」

「……。」沈痛な面持ちのベテルムザクト司教。

「その神話に登場する神と同等の存在、悪魔、精霊、古代竜は、今の彼らとは違う存在よ。精霊界の事までは知悉していないから、原初の精霊は今も存在するのかも知れないけど、真なる古代竜はもはや存在しないわ。それは瞭然。だって、神と等しかった力の象徴たるドラゴンたちは、神そのものの姿をしてたのよ。彼らの子供たちである現在の古代竜から、今ドラゴンと言ってイメージするあの姿になったの。」

「そ、それでは……。」

「そう、古代竜も、神族や魔族、ハイエルフと言った、現存する超越種のひとつであり、神と同等の存在とは言えないの。」

「……。」押し黙るふたり。

「でもね、彼らと直接出逢って、時に戦った者として言わせて貰うわ。彼らは本当に、人間族を遥かに超える超越者たち。少なくとも、真実を知らずに生きている多くの人間族、いいえ、ドワーフやエルフ、ホビット、グラスランダーたちを含めても、畏れ敬う対象に相応しい者たちなのよ。貴方個人の信仰については何も言ってあげられないけど、多くの信徒たちを導く意味では、神族は正しく神そのものよ。そして、古代竜も正に現代の力の象徴ドラゴン。私でもとても敵わない。」

「……は?」と、ジト目で俺を見やるクロ。

いや、そこは流してくれ(^^;

「……おほん、それから、貴方の持っているその鱗は、間違い無く勇者クリスと一緒にいる古代竜の鱗よ。多分、最初にクリスと戦った時に、何枚か落ちていたのね。その一部を加工したマジックアイテムよ。」

「そうですか……、今、何と仰いました?」

「え?……あぁ、そう言う事ね。実はね、今もその古代竜は、勇者クリスと一緒にいるわよ。安心して、と言って良いのかしら。とてもじゃ無いけど、当時の勇者クリスじゃ敵わないほど強いのよ、彼は。人間族の勇者に負ける程、今の古代竜たちは弱くない。」

そこでジト目をするな、クロ(^^;

俺は特別だ。

「えぇと、じゃあ何で勇者クリスが古代竜を倒した事になってるかと言うとね、その古代竜が人間の街に脅威をもたらした事を反省して、勇者クリスとの戦いを止めたの。人間たちを守る為に必死に戦うクリスを見て感じ入り、クリスの申し出を受けて友達になった。これはクリスから直接聞いた話よ。その古代竜の事を、クリスはシロと呼んでるけれど、本当の名前はルグスヴォルテムって言うのよ。」

「……貴女は、勇者クリスとも面識がおありなのですね。」

「え?!……えぇ、ほら、私の夫が勇者だから、そのよしみで意気投合した、みたいな。」

……何か、勇者ライアンの陰に隠れるか弱い妻、と思わせるのは無理っぽいな(^Д^;

「それで、思うのよ。いくら言葉を尽くしても、貴方が私の言葉を信じてくれたとしても、百聞は一見に如かずなのよね。」

「どう言う事でしょう。」

俺は、今張ってる結界を解除し、新たに力を外に漏らさないタイプの結界に張り直す。

「クロ、貴方、ここで正体を現してあげて。“この部屋のサイズに合わせた姿”で良いから。アストラル体や力も抑えなくて良いわよ。外に漏れないようにしたからね。」

「……“この部屋のサイズに合わせた姿”ね。ルージュが何考えてるのかさっぱりだが、そうしろって言うならそうするさ。」

「一体何を……。」

「まぁ、良いから、見てて。」

この応接間はかなり広いが、屋内である事に違いない。

そもそも、今は疲労もあって戦闘形態にはなれないはずだが、本来の姿ならば充分収まるサイズだ。

成竜になり切れていない本来の姿でも、部屋のサイズに合わせたからと思えばベテルムザクト司教もがっかりすまい。

ま、クロから感じる圧倒的な力を目の当たりにすれば、見た目など些細な問題だと思うけどな。

俺たちがいるテーブルから少し下がって、応接間の中で広く開けた場所まで移動し、クロは徐々にその姿を変じて行った。

やはり窮屈だったのか、解放された歓びを表すように、「グォゥオオオゥーーー!」と雄叫びを上げる。

その雄叫びに合わせて放たれた竜の気は、俺さえ圧倒されるほどの力を伴っていた。

これこそが、古代竜本来の力、クロ本来の力。

3mほどの小さなドラゴンなのだが、そんな事は些細な問題だと感じられる、超越種としての存在感がそこにはあった。

「おぉ……、おぉ……、これが、これほどの……。」

その場で膝を突き、クロを見詰めながら胸の前で手を合わせるベテルムザクト司教。

その目からは、幾筋もの光るものが流れ落ちている。

凄いだろう?思わず畏敬の念を抱くだろう。

それが、信仰に繋がるんだと思う。

この後、彼の信仰が古代竜に向かうのか、クロに向かうのか、同等の存在である神族を認め神へと還るのか。

それは神のみぞ知る、って事は、アーデルヴァイトでは誰も知らない訳だ。


「クロ、もう戻って良いわよ。」

俺がそう声を掛けると、クロは人間の姿へと変じて行く。

アストラル体も小さく収め、竜の気も鎮まる。

「彼は古代竜のガルドヴォイド。その漆黒の美しい体から、私はクロと呼んでるけどね。」

人間に戻ったクロが、「何だよ、俺の名前、ちゃんと覚えてるじゃねぇか。」と、文句を言いながらテーブルまで戻って来る。

「え~と、彼は優しいから、クリスを守るシロみたいに、私の事も守ってくれてるの。ね。そうでしょ、クロ。」

クロは、横目で俺を見やりながら、「……ま、そう言う事にしといてやるよ。」

俺は、未だクロを拝んだままのベテルムザクト司教に向き直り。

「当然、この事は内緒よ。貴方の誠意にこちらも誠意で応えた。判ってるとは思うけどね。まぁ、言っても誰も信じないだろうけど。」

「……もちろんですとも。ありがとう御座います、ルージュ様、ガルドヴォイド様。私のような者に、そのお姿までお示し下さって。」

「貴方は今、人間と言うちっぽけな存在の価値観を壊された。この世界の本当の広さを垣間見た。その上で、それをどう捉え、この先どう生きるのか、全ては貴方次第。私たちから、何を求める事も無いわ。……いいえ、ひとつだけお願いしようかしら。」

立ち上がり、涙を拭いて、服の埃を払うようにした後、その長身の司教は恭しく礼をする。

「私に出来る事でしたら、何なりと仰って頂きたい。」

「んふ、それじゃあお願いするわ。これからも、ウチの主人と仲良くして下さいませ。同じ司教として、至らぬところがあれば助けてやって下さいね。」

と言って、俺はベテルムザクト司教の手を取った。

ベテルムザクト司教は、驚きの表情を浮かべた後、険の取れた子供のような顔で、「こちらこそ、宜しくお願いします。」と、にこやかに答えたのだった。


5


「それじゃあ、私たちは帰るわ。」

そのまま踵を返すが、ベテルムザクト司教に呼び止められる。

「そこまでお送り致しましょう。」

「それは駄目よ、司教様。」

「え?」

「貴方は聖オルヴァドル教司教の身分で、私はあくまでエーデルハイト司教の内縁の妻に過ぎない。わざわざ屋敷の主が見送りするような身分じゃ無いわ。今日の事は内緒でしょ。人の目がある場所では、ちゃんと偉そうにしてくれなくちゃ。」

「偉そうに、ですか。……私って、そう見えましたか。」

「何言ってんの。昨日のはどう見ても、ライアンに出世レースで差を付けられて、難癖付けてるようにしか見えなかったわよ。」

「こ……これはお恥ずかしい。言われてみれば、その通り。返す言葉も御座いません。」

……まぁ、事情を踏まえると見え方も変わるけどな。

「どうやら、信仰が揺らいで、そのつもりは無くとも周りに……ライアンに突っ掛かっちゃったってところか。」

「面目次第も……。」

「でも、そう言う事なら、貴方は本当はそんな人じゃ無いのかも知れないわね。真面目で真剣に信仰と向き合っているからこその迷いな訳だし。私は以前の貴方を知らないけど、司教になるくらいだから相応の人物だったのかな。」

……ま、10年前にエーデルハイト司教だった、あの豚みたいなのもいるけどな(-ω-)

「とにかく、見送りは結構よ。これから先、夫と貴方がもっと懇意になれたなら、その時には見送って貰っても不自然じゃ無くなるでしょ。」

「はい。そうなれるよう、努力致します。」

「それじゃあね、司教様。またね。」


俺たちはふたりだけで、ベテルムザクト司教邸を後にする。

「お帰りですか、ルージュ様。道中、お気を付けて。」

「ありがとう。貴方たちも、ご苦労様。」

正門を抜けて少し歩いてから、俺は軽く手を上げる。

それを確認して、5つの影が屋敷へと戻って行った。

もうすっかり日が暮れて、街頭に灯りが灯っていた。

「遅くなっちまったな。本当に良かったのか?」

「仕方無いでしょ。彼を放ってもおけなかったし。結果として、王宮内に味方をひとり作れたと思うから、ライアンの為になったはずよ。これぞ内助の功。私グッジョブ♪」

「ぐっじょ?ルージュはたまに、良く判らない事を言うな。……そのライアンってのが、ルージュの番いなのか?」

「つがっ!?そ、そうだけど、止めてよね、そう言う表現。」

クロは不思議そうな顔をしているが、そうだよな、どちらかと言えば、古代竜って獣的な発想する方が自然だよな。

すると、クロの表情が少し険しくなる。

「そいつは、ルージュの番いに相応しい人間なのか?」

これは嫉妬?対抗意識?どう言う感情なんだろう。

「……後でちゃんと紹介するわ。ここオルヴァの勇者のひとりで、しっかりLv50の壁まで到達してるから、人間族としては間違い無く最強のひとりよ。でもね、貴方は古代竜なんだから、あんまりハードル上げないでよね。シロが一緒にいるクリスティーナだって、同じく最強勇者のひとりだけど、絶対シロには敵わない。普通、人間が敵うような存在じゃ無いのよ、古代竜って。」

そこで、クロの表情が和らぐ。

「何言ってやがる。古代竜より強い人間が、目の前にいるじゃねぇか。」

「……私は特別なのよ。我ながら、おかしいとは思うけどね。」

「……おかしくは無ぇさ。強さに、種族なんて関係無ぇんだろ。突き詰めればよ。」

……そうね、と言いたいが、俺は縁あって悪魔に何度か遭遇しているからな。

越えられない壁ってのも、世の中にはある。

それは、地球であっても、ここアーデルヴァイトであってもだ。

「さ、とにかく帰りましょ。あんまり遅くなると、ライアンを心配させちゃうから。」

そうして俺たちは、ようやく家路へと着いたのである。


「お、これはお帰りなさいませ、奥方様。団長がお待ちかねですよ。」

ライアン邸の門番を務める当番の聖堂騎士が、俺の姿を捉えて声を掛けて来た。

ライアンに仕える聖堂騎士たちは、すぐ隣に詰め所があるが、屋敷の門番も務めている。

ライアンの場合、勇者であり司教でもある特殊な立場なので、他の神職と違って自分に仕える聖堂騎士団の団長も兼務している。

団員たちは、もっぱらライアンの事を団長と呼んでいる。

勇者や司教では無く団長なのが、彼らとライアンの親密さを表していた。

「ただいま、アンディ、ケスラー。今日もお勤めご苦労様。」

労いの言葉を掛けながら、俺は門を潜り抜ける。

ちなみに、一々騎士団員全員の顔と名前など覚えていられないので、Lv1とは言え鑑定が役に立っているのだった(^^;

聖堂騎士とすれ違う時、軽く会釈したクロを見て、少し人間社会に馴染んで来たように思えた。

俺がクロと一緒に色んな人と会っている事が、功を奏して来ただろうか。

俺の立ち居振る舞いから、人間としての振舞い方を覚えて欲しいとの思いから、人間の街で色々な人間とわざわざ絡んでいる訳だからな。

結局、それが寄り道となって、帰って来るのに時間を喰ってしまった。

クロの為とは言え、さすがに少し疲れたな。

「ただいま~。」と、扉を開く体も重く感じる。

わが家へ辿り着いた事で、安心して疲れが出て来てしまったようだ。

「お帰りなさいませ、ルージュ様。ライアン様が首を長くしてお待ちかねですよ。」

玄関ホールでは、キンバリーさんと女中たちが揃って出迎えてくれた。

「ごめんなさい、キンバリーさん。少し遅くなってしまったわね。」

「……またルージュ様はそうやって……。何度言ってもお判りになって下さいませんね。良いのです。使用人に謝罪など致さなくても。」

「キンバリーさんは姑みたいなものだし、皆も家族みたいなものでしょ。ライアンも私も本当の家族がいないんだから、甘えさせてよ。」

「……本当にルージュ様はいつもいつも。そう言われては、何も言えないではありませんか。」

「ふふ、いつもありがとう、キンバリーさん。それでね、こちらが私の冒険者仲間のクロよ。よろしくね。」

そう言って、俺は横へずれてクロを紹介する。

「え……あ、あぁ、冒険者の……クロだ。よろしくな。」

俺の口から出任せに、すぐ口裏を合わせるクロ。

人間らしく振舞う事に、少しずつだが慣れて来ているようだ。

……この場合、俺のノリに慣れて来ている、かな?(^^;

「これはようこそいらっしゃいました。誠心誠意お持て成しさせて頂きますので、どうぞ宜しくお願い致します。」

と、キンバリーさんの音頭で女中たち一同首を垂れる。

「え……わ、悪ぃな、よろしく頼むわ。」

さすがに戸惑うクロ。

まだ、こう言う扱いには慣れていないもんな。

「それじゃあ、こっちよ。付いて来て。」

今ライアンは食堂にいるので、真っ直ぐ食堂へ向かう。

早く逢いたいし、お腹も空いた。

お風呂に入って旅の垢を落とすのは、食事の後にしよう。


玄関ホールから真っ直ぐ進んだ先に、食堂はある。

今はその両開きの扉は開け放たれており、俺は入ってすぐライアンの許へ駆けて行き……たい衝動を抑え、クロを招き入れる(^^;

ライアンも、テーブルの奥で客人を迎え入れる為、席を立って待っていた。

「お帰り、ルージュ。……ようこそお出で下さいました。私が当家の主、エーデルハイト司教を務めるライアンと申します。」

クロに対して、丁寧な挨拶をした後、軽く会釈をするライアン。

「ただいま、ライアン。こちら、私の冒険者仲間のクロよ。」

「……クロだ。よろしく。」と、こちらは不躾な態度。

……まぁ、良い。今は言ってしまえば茶番だ。

キンバリーさんたちがいる状況では、さすがにクロの正体含め、込み入った話は出来無い。

取り敢えず挨拶を済ませ、食事を摂って、夜が深くなってから改めて本当の挨拶を交わす事になるのだ。

「さぁ、疲れたでしょう。まずは一杯。それからささやかですが御馳走を用意させたので、それを召し上がって下さい。」

俺は、クロをライアンの対面に座らせ、自身はライアンのすぐ隣に座り、それを確認してキンバリーさんたちが御馳走をテーブルに並べて行く。

ライアンの乾杯の音頭で食事が始まり、美味しいワインでほろ酔いとなり、キンバリーさんのお袋の味にほっとして、女中たちが頑張って作った新作ケーキに舌鼓。

クロはと見れば、ワインにも食事にもケーキにも満足してくれたようだが、やはり堅苦しい雰囲気は苦手そうだ。

俺は人心地付いた後、風呂に浸かってリラックスタイム。

ちなみに、屋敷の風呂、トイレは、俺が拠点同様に改装してある。

これは勇者ライアンの故郷の技術だと言う事にしてある。

市井の者にまで、オルヴァの勇者の実態は知られていないから、一応異世界云々は伏せた。

或いはキンバリーさんほどのベテラン女中なら、その辺にも明るいのかも知れないけどな。

そのキンバリーさんたちは、俺が風呂に浸かっている間に屋敷を辞している。

彼女たちは、敷地内の別邸に住んでいるので、何かあればすぐ呼び出す事も可能だ。

さて、これで屋敷内には俺とライアン、クロ、そしてエルダだけとなった。

風呂から出たら、込み入った話を始めよう。


6


俺がさっぱりして食堂へ戻ると、ふたりは離れて座ったまま静かに酒を呷っていた。

もう少し打ち解けてくれても良いと思うのだが、クロの方に警戒心があるようだ。

ライアンが少し困り顔をしている。

「何しんみり飲んでるのよ。ほら、クロ。もう少し傍に来て。」

俺はクロを促して、ライアンの傍へと移動させる。

「エルダも降りて来て。貴女にも聞いて貰いましょ。」

すると、エルダは俺の背後に降り立ち、背中に隠れる。

「……姐さんのお客様だから悪い人じゃ無いんだろうけど、ちょっとこの人怖い。」

「ふふ、そうか、怖いか。つまり、貴女も結構強くなったと言う事ね。」

「……どう言う事?姐さん。」

「改めて紹介するわ。こちら、古代竜のガルドヴォイド。美しい漆黒の体をしているから、私はクロって呼んでるの。そしてこっちが私の夫で勇者のライアンと、私たちの警護をしてる盗賊のエルダよ。」

3人とも言葉は無いが、最初に口を開いたのはエルダだった。

「……いつもの冗談、だよね?」

俺は椅子の上で体を捻って、エルダの方を見やる。

「そう思う?」

まじまじと俺の顔を見詰めるエルダ。

「……はぁ、姐さん、冗談めかして言う時ほど、本当の事だもんな。……初心だったし。」

「ちょっ、エルダ、まだ言うの、それ。」

「何の話だい?エルダ。僕にも聞かせてくれるかい。」

「実はね、ライアン様……。」

「ストップ、スト~プ、今は良いの、その話は。そんな事より、クロの事でしょ。どう?ライアン。サプライズだったでしょ。」

「サプライズも何も……、確かに、強い力を感じるね。だけど僕は、古代竜に会った事無いから。」

「……そう言えばそうか。クリスティーナは、オルヴァへは帰って来ないものね。」

「クリスティーナかい?確か、聞いた話では、クリスティーナは古代竜を倒したと言う話だったね。今は、小さな小竜を連れているとか。……なるほど、そう言う事だったんだ。」

さすがライアン、察しが良い。

情報も良く掴んでいる。

名前は忘れちゃったけど、凄腕の諜報員を雇っているんだっけ。

「え?どう言う事ですか、ライアン様。」

「良いかい、エルダ。古代竜と言うのは、人間が知る限りの最低レベルでも、Lv50を優に超える存在なんだ。僕自身と照らし合わせてみても、当時のクリスティーナが古代竜を退治したと言う話は、尾ひれが付いたただの噂話だと思っていた。とても敵わないんだよ、僕らオルヴァの勇者ではね。」

ごくり、と喉を鳴らすエルダ。

「そんな……、ライアン様でも敵わない敵なんて、この世にいるんですか……?」

「はは、ありがとう、エルダ。僕の事を高く評価してくれて。でも、僕なんかじゃ敵わない相手が、この世の中にはたくさんいるんだよ。君の姐さんだって、僕より強いよ。」

「……そう言えばそうか。」

「ちょっと、そこは否定しなさいよ、エルダ。ライアン、私はか弱い貴方の妻よ。私の方こそ、貴方には敵わないわ。」

「……僕は、君の尻に敷かれているのが心地良いんだよ。」

「そうだよ、姐さん。おふたりはとてもお似合いじゃないか。」

「もう、世間体ってものがあるのよ。勇者ライアンは妻に頭が上がらない、なんて言われちゃ困るからね。表ではしっかりしてよ、ライアン。」

「はい、畏まりました、マイ・バレンタイン。」

「もう、ライアンったら。」

エルダと3人、笑い合う。

ちなみに、アメリカのバレンタインデーは日本とは違い、男女関係無く愛する相手に日頃の感謝や愛を伝える日で、愛する人を私のバレンタイン、なんて表現するってのを、何かのTVで観た事がある。

別に今日はバレンタインデーでも無いし、こっちにそう言う慣習があるのかどうかすらも判らないが、ライアンが俺だけに伝わる言葉で愛を囁いてくれた訳だ。

冗談めかしてだけど、とても嬉しい。

俺にとっても、ライアンがマイ・バレンタインだよ(ノ∀\*)キャ

「おい、話が途中だぞ。」

そんな和気藹々な雰囲気を、クロがぶち壊す。

何やら、不機嫌だな、クロ。

「あ、あぁ、そうだったね。本来勝てないはずの古代竜を倒した事になっていて、今小竜を連れている。そして、彼が古代竜だとすれば、今彼は人間の姿に化けていると言う事だ。つまり、クリスティーナと一緒にいるのが、小竜に化けた倒したはずの古代竜自身と言う事だね。」

「えぇ、正解よ。クリスティーナと一緒にいるのが、古代竜のシロ。この子は、そのシロの知り合いなの。私は、クリスティーナとシロとの縁で、彼と出遭ったのよ。」

「その通りだ。俺はそこでルージュに出遭って非道い目に遭わされたが、その時突っ掛かって来た人間の勇者、そうか、クリスティーナだったな、そのクリスティーナはてんで弱かったぜ。ライアンと言ったか。お前も勇者なんだろ。だったらお前も、クリスティーナみたいに弱いんじゃねぇのか?」

「何よクロ。それじゃあまるで、ライアンに喧嘩売ってるみたいじゃない。古代竜なんだから、お酒なんかで酔わないわよね。」

「酔ってねぇ~よ。良いか、俺様は最強の古代竜なんだ。その俺様より強いルージュはともかく、弱い人間にへつらう謂れは無ぇんだよ。」

「……どうしたの、クロ。さっきから変よ。」

「変じゃ無ぇ。おい、ルージュ。本当にこいつがお前の番いなのか?こんな弱そうな奴で良いのか。こんな奴、今の姿の俺より弱いだろう。」

「そんな事無いわよ。今の貴方よりも、ずっとライアンの方が強い。」

「ほぅ、本当だろうな。もし本当なら、確かに人間にしちゃ充分強いって事になる。だったら、少しは認めてやっても良いぞ。」

「何よそれ、あんたさっきから変よ。本当に決まってるし、貴方に認めて貰う必要なんて無いでしょ。」

「そんな事無ぇ。ここはこいつの家なんだろ。この俺様を招くなんざ相応の人間であるべきだろうが。今はこんななりしてるが、俺様は誇りある古代竜だ。ルージュみたいに強い人間らともかく、弱い人間と連む気は無ぇよ。」

「いい加減にしてよ、クロ!どうしちゃったのよ。さっきまであんなに良い子だったのに、急に利かん坊になっちゃって。私を怒らせたいの?!」

ビクッとするクロ。

すると、俯いて小さくなってしまう。

「ご、ごめんなさい……。で、でも俺、ルージュがこんな奴と……。」

あれ?これってやっぱり嫉妬なのか?

でも、今にも泣き出しそうなこんな顔……、これってあれだろ。

子供だ。今のクロの態度って、子供なんだ。

多分これって、異性としての嫉妬じゃ無くて、父親に母親を取られそうで駄々を捏ねている子供なんだ。

はぁ、そう言えば、オルヴァドルにしろクロにしろ、親の愛情には飢えているんだもんな。

最強だけに今まで周りにいなかった、ある意味絶対的な存在であるこの俺を、母親のように慕っているって事なのか。

……とは言え、俺は男なんだからせめてお父さんと……、いや、俺はライアンの妻となってから、以前よりも女性体に引っ張られて女性的になっていたしな。

そもそも、男の中にも女らしさはあり、女の中にも男らしさはあるもんだ。

父親にも母性はある、それが人間だもんな。

デカいなりしていてもまだまだ子供。

そうと判れば、何とも可愛いもんだ。

「……ねぇ、ライアン。」

俺は、ライアンを見詰める。

ライアンも、それで何かを感じ取ってくれたようだ。

ライアンは立ち上がり、クロへ話し掛ける。

「良し、その挑戦を受けよう。君が気に入るか判らないけど、僕がどれくらい強いか、是非確かめてみてくれ。」

驚いて、顔を上げるクロ。

「え?!……いや、そんな事……、だって今のは、その……。」

「それは良い提案ね。クロ、明日ライアンと一対一の勝負よ。」

「ルージュ……、良いのか、俺がその……、お前の番いと戦っても。」

「戦うと言っても、もちろんこれも貴方の修行の一環よ、クロ。貴方は凄いわ。この短期間で、もう力の制御も大分出来るようになってるじゃない。だから、今度はその姿の状態で、上手く力を発揮する練習よ。人間状態で勇者と互角以上に渡り合う。それが出来るようになれば、正体を隠したまま強敵とも戦えるようになるわ。勇者ライアンが相手なら不足無し。でしょ。」

「任せておいてくれ。勇者の名に恥じぬよう、僕も精一杯お相手するよ。」

「ライ……アン、さん……。判った、胸をお借りします。」

うん、クロも少し落ち着いたようだな。

「話は決まりね。それじゃあ、今日はもう寝ましょ。私も疲れたし、クロもまだ疲労が完全に取れてないでしょ。ゆっくり休んで、明日はバトルよ。」

こうして、ようやく長い一日が終わろうとしていた。

……いや、この後俺は、ライアンとの夜戦が待ってるんだけども(ノ∀\*)


7


翌日、明け方からたっぷり睡眠を取り、朝食兼昼食を食べた後、俺たちは富裕区画の一角にある円形闘技場コロッセオにいた。

俺とライアンとクロの3人だけだ。

円形闘技場コロッセオは御前試合や闘技大会などが開催される時のみ使用されるので、普段は聖堂騎士が警備しているだけだ。

ライアンが勇者として使用を申請し、今日は俺たちの貸し切り状態である。

ここで今から模擬戦が行われる事は誰も知らないし、大会が無い時に人が近付く事も無いので、警備の聖堂騎士以外近くに人もいない。

まぁ、誰かが近付こうとしても、俺の結界に阻まれて入って来られないけどな。

円形の舞台を覆うように、強めの維持結界を張ってある。

念の為、ブラインド仕様だ。

ここで、どんな超常的な戦闘が行われようと、騒ぎになる事はあるまい。

「さて、それじゃあ始めましょうか。これは、あくまで模擬戦だけど、禁じ手はひとつだけ。クロ、貴方は竜に戻っちゃ駄目よ。人間形態のままなら、全力を出して構わないわ。多少の怪我なら、双方勝手に治るだけの回復力があるし、死にさえしなければ私が治してあげられる。洒落にならないと思ったら、私が割って入るわよ。どっちにも死なれちゃ困るからね。全力で戦って貰うけど、あくまで模擬戦である事は忘れないで。良いわね。」

「了解だ。」

そう答えたライアンは、金の意匠を施した純白のプレートメイルを身に付け、実戦用のロングソードを帯び、こちらも金の意匠の純白のラージシールドを構えている。

普段は司教として出仕する事が多いので、僧服に儀礼用のロングソードだけを帯びた格好をしている。

今日は、久しぶりの勇者スタイルだ。

「俺もオーケーだ。」

方やクロの姿は、いつも通り黒い革鎧を連想させるジャケットとパンツと言うスタイルだが、ひとつだけいつもと違うところがある。

それは、手にしたバスタードソードの存在だ。

漆黒の刃をした武骨な剣で、それをクロは右手に構えている。

このバスタードソードは、クロが自らの武器として具現化した物だ。

人間に化けるの同様、古代竜の鉤爪を剣と言う形に変じて、人間形態でも使えるようにしたらしい。

人間形態での戦い方を、自分なりに考えたようだな。

とは言え、中身は古代竜。一体、どんな戦いになるのか楽しみだ。

「良し、始めっ!」

俺の号令を聞くや、一気にクロが間合いを詰める。

大上段から繰り出した一撃は、そのまま敷石を割った。

ライアンは、盾で受けずにひらりと躱した後、そのままロングソードで横薙ぐ。

その一撃をクロは大きくバックステップで躱し、ライアンはそれに付いて行く。

盾を構えながら斬撃を矢継ぎ早に繰り出し、クロは青眼に構えたバスタードソードでそれを受ける。

正中線を守る事で急所をカバーし、それ以外の攻撃は打たれるに任せている。

ライアンは巧みに剣を操って、バスタードソードを避けてクロの体に斬り付けて行くが、クロの体には薄い斬り口しか付かず、その傷は瞬時に再生して消えてしまう。

ライアンの振るうロングソードには、ライアンの闘気と魔力が乗っているから充分な威力があるのだが、古代竜であるクロの体に致命傷を与えるには至らない。

いや、古代竜の体を傷付けているだけでも、本来は驚異的な攻撃力なのだ。

それを、渾身の力を籠めた一撃で成すのでは無く、矢継ぎ早に繰り出す連撃で何条も打ち込み続けるのだから、相手がクロで無ければこれだけで勝負が終わっていてもおかしく無いはずの攻撃である。

そしてクロの方は、決定的な一撃さえ喰らわなければ問題無いと踏んで、たまに隙を見て攻撃に転じるのだが、その悉くをライアンは捌き、いなし、受け、流し、自らの攻撃へと繋げて行く。

剣の攻防だけで見るならば、圧倒的にライアンが優勢である。

しかし、どんなに優勢であっても、クロに決定的なダメージは通らない。

クロは剣術で競っている訳では無いので、致命傷さえ受けなければそれで良いのだし、これはこれでライアンの攻撃を完全に封じているに等しい。

だが、クロの攻撃は完全に見切られ、こちらもライアンに対して有効な攻撃は出来ていない。

お互いが高度な攻防を繰り広げながら、お互いに打つ手が無い状態となる。

ここで、ライアンが動いた。

変わらず剣撃を繰り出しながら、魔法の詠唱に入ったのである。

そう、ライアンは司教だから、神聖魔法の使い手でもある。

「神の奇跡、輝玉となりて、敵討ちし力、七つの軌跡が敵を追いて、今ここに顕現せしむる。」

おや?これはホーリーオーブ(聖なる宝珠)の詠唱だが、改良が加えられているな。

つまり、オートマ発動じゃ無いって事だ。

剣術の方も、スキルを発動しながらも途中で軌道を変えてみたり、スキルによる挙動の一部だけ利用したりと、マニュアルとは言わないまでも上手くキャンセルして繋げたりしていた。

スキルの使い方を創意工夫したり、魔法を改良して唱えるなんて、凄いなライアン。

クリスティーナが突き当たっていた壁を、ライアンはすでに乗り越えていたんだ。

しかも、すでに詠唱は終わっているのに、発動待機状態で変わらず剣撃を繰り出し続けている。

発動のタイミングを図っているんだな。

しかも、相手は、クロは、ライアンが何か魔法を唱えた事を判っているから、そちらにも注意が向いている。

達人同士の戦いにおいて、その少しの隙が命取りになる事もある。

戦いの駆け引きは、ライアンの方が一枚上手のようだ。

ここでいきなり、ライアンがクロの足元を狙って剣を振るう。

どうやら、今まで意図的に上半身だけに攻撃を集中していたようだ。

急に上から下への攻撃に転じられ、慌てたクロは必要以上にバックステップで距離を開けた。

これを狙っていたのか。

すかさず、ライアンが「ホーリーオーブ!」と声を上げる。

ライアンの体から、八方ならぬ七方に光の玉が飛び出し、それぞれの場所からクロへと殺到して行く。

一度ライアンの体からある程度離れてからクロへと向かうので、七方に散った光玉たちは違う軌跡を描いて飛んで行く。

これではひと息に打ち払う事も出来ず、クロは飛来する光玉をひとつずつ剣で薙ぎ祓う。

残り4つとなった時、クロは大きく左へ飛んで距離を開け、今はそれぞれが近い位置にある光玉へと向かい咆哮を上げる。

「グルゥオゥォォーーー!」と上げた咆哮と共に衝撃波が巻き起こり、4つの光玉は一気に爆ぜ飛んだ。

そのクロの背後から、ひとつの塊が迫る。

オーラブレード(闘気の刃)。剣の刃の外側に、もうひとつ大きな闘気の刃を生み出す戦士系スキルで、通常そのまま斬り付けるものだが、ライアンはそれを放ったようだ。

あ、そう言えば、俺はあの時見ていなかったが、ムネシゲも離れた位置から俺の足元、天井を攻撃してたよな。

なるほど、斬撃を放つってのは、戦士系を追求する上では不可欠なのかも知れない。

例え長槍を使ったとて、近接戦闘主体ではどうしたって弓や魔法よりリーチで劣る。

離れた相手を斬れるとなれば、それだけでもう一般的な戦士の域を超える訳だ。

そうして放たれた闘気の刃は、しかしクロへの決定打とはならなかった。

完全に不意を打たれた格好であったが、本能的に背後からの攻撃に反応し、ぎりぎりのところでバスタードソードを合わせに行ったのだ。

結果、クロの肩口を大きく斬り裂くに止まり、今日1番の大ダメージとなったものの、すぐに傷口は再生を始め、直に消えた。

今の攻防は完璧にライアンのものだったし、威力も充分だったが、クロの圧倒的なフィジカルを越えて倒し切る事は叶わなかった。

やはり、ライアンの攻撃力は、クロの防御力を上回れない。

しかし、である。

HPやMPはいくらでも回復するが、それを支える体力や気力はいつか尽きる。

これが互いに体調万全であったならば、いくら勇者とは言え人間族のライアンと古代竜のクロとでは、ライアンの方が圧倒的に不利だ。

でも今なら、クロには疲労の蓄積がある。

それを知ってか知らずか、ライアンはクロの周囲を回りながら、ホーリーオーブとオーラブレードによる遠距離攻撃を継続する。

確かに決定打にはならなかったが、確実にダメージを積み重ねる事は可能だ。

今のクロにとって、このままではじり貧である。

形勢を覆す為には、攻撃に転じねばならない。

しかし、剣の攻防では手も足も出なかったクロが、今はライアンと距離が離れている。

別の方法による攻撃のチャンスなのだ。

もちろん、ライアンの誘いなのは明白。

それくらいはクロにも判る。

では逆を突いて接近戦へ?それでは、またライアンに手玉に取られて終わるだけ。

この誘い、乗るしか無いのだった。

ここでクロは避けるのを止め、オーブも斬撃も打たれるに任せた。

さすがに急所は庇っているが、それ以外への被弾は意に介さない。

そして、少しだけ体が膨張する。

何やら力を溜め込んでいるようだが、まぁこの状態なら、まだ人間形態と認められる。

じっと亀になり力を蓄えながら、それでも体は常にライアンの方を向き続け、いきなり手にしたバスタードソードを放り投げた。

すると、バスタードソードは何本にも分裂し、クロの周りでライアンへ刃を向ける形で制止する。

クロの両手は、ライアンに向け突き出されている。

そこに、一気に力が集約する。

それを察知したライアンは、その場でロングソードを打ち捨てラージシールドを身構える。

ラージシールドの中に体を隠すようにして、次々と魔法を発動して行く。

オーラシールド(闘気の盾)でもう1枚の盾をラージシールドの前に形成し、ホーリーブレス(聖なる祝福)で身体の耐性を高め、ホーリーヴェール(聖なる帳)で自身の周りにも属性耐性を持つ守護幕を張る。

ライアンはクラスとしては勇者だが、その能力的には聖騎士に相当するだけあって、特に防御力には優れている。

これは、今ライアンが出来得る、最大級の防御態勢であろう。

逃げないのか逃げられないのか、クロの一撃を受けて立つようだ。

……少し緊張する。

もし、クロの……古代竜渾身の一撃が、想像以上の威力であったなら……。

グッ、と唇を噛み締める。

でも、ここで止める訳には行かない。

これが、この勝負を決する一着となるのだから。

そして、その一撃は放たれた。

「ルゥゥゥゴゥゥォォォーーーーーーー!!!」と言うひと際大きな咆哮と共に、その炎の塊は帯となってライアンを押し包む。

ファイアーブレスだ。

クロの奴、人間形態のままファイアーブレスを吐きやがった。

なるほど。さっきのバスタードソードたちは、竜の顎門に見立てたものか。

赤熱たる竜の息吹は、ただの炎では無い。

魔法生物たる古代竜の、純然たる魔力の塊が混じり合い、この世のあらゆる物を焼き尽くす地獄の業火と化すのだ。

4か月ほど前、俺が初めてクロと遭遇した折、クロのファイアーブレスを簡単に消し去れたのは、同じ能力を持つブラックドラゴンゾンビがファイアーブレスで相殺したからだ。

仮に俺自身が相手をしたなら、あんな簡単に消し去れるような代物では無いのだ。

まぁ、あくまでこの世の炎に過ぎないから絶対に耐えられない訳では無いが、それは超越者視点での話。

古代竜のブレスは、この世における最高峰の攻撃手段である事に違いない。

ギュッ、と心臓に幻痛が走る。

大丈夫……、あのライアンだもん。さすがに、死んだりしない……はずよ……。

ファイアーブレスは、長い長い10秒ほどライアンを嘗め尽くし、その先で結界をも這い上がり、周囲を地獄絵図と化した。

俺がアーデルヴァイトで見た、1番壮絶な光景である。

これ、もしかしたら、あの時よりもいっそ強力なんじゃ。

人間形態による力の抑制を越えて、力のコントロールが可能になった事によるパワーアップが、予想を上回っているのかも知れない。

ライアン……「ライアーーーン!!!」俺は思わず叫んでいた。

すると、燻る蒸気の中に隠れて未だ姿の見えないライアンが「……だ、大丈夫……とは言えないが、い、生きてるよ……。」と返事をしてくれた。

蒸気や砂埃が晴れて行き、次第に状況がはっきりして来る。

ライアンは、片膝を突いて荒い息をしているが、何とか五体満足な状態だった。

しかし、鎧はぼろぼろで、盾は跡形も無い。

体に負った傷や火傷も、回復速度が異常に遅い状態だ。

少なくとも、もう戦うどころか、動く事もままならないだろう。

これはクロの勝利……と思ってクロの方を見やれば、こちらは四つん這いになって荒い呼吸を繰り返し、滝のように汗を流していた。

あ~……、さすがに無理し過ぎたんだな。

多分、自分でも予想以上の威力だったんだろう。

そんなもんを、人間形態と言う制限下で無理矢理発動したもんだから、予想外の反動を喰らっちまったってところか。

やれやれ、こちらももう動けまい。

ただの模擬戦だと言ったのに、やり過ぎなんだよ(-ω-)

俺は腰の得物を放り投げ、それはふたりの真ん中辺りの敷石に突き立つ。

「そこまで!」

俺は終了を宣言し、ふたつ同時にヒールの魔力回路を形成した後、ふたり同時にヒールを掛けてやる。

「勝負は引き分けよ。双方異存は無いわね。」

「……もちろん、僕に異存は無いよ。」とライアン、そのまま座り込む。

方やクロ、その場で仰向けになって右手を上げ、サムズアップで答える。

未だ呼吸が整わず、声を上げるのも辛いのだろう。

「ふぅ、ふたりとも、熱くなり過ぎよ。これだから男の人って……、お前も男だろ、って突っ込む余裕も無さそうね(^^;ちょっと待ってて。今、飲み物取って来るわ。」

俺は突き立てた得物を拾い上げると、結界を解いて控室へと向かった。


俺はゆっくりと控室へ向かい、用意してあった水筒とバスケットを手にして、ゆっくり舞台へと戻る。

すると、舞台の方から笑い合うふたりの声が聞こえて来る。

良かった。俺も一応、格闘技経験者である。

殴り合い蹴り合いした者同士、絆が深まって仲良くなった経験くらいある。

立場的に微妙だが、俺はアスタレイとはそうして絆を結べたと思っている。

死力を尽くし合ったふたりが打ち解けてくれたら、そんな風に願っていたが、上手く行ったようだな。

「良かった、すっかり仲良くなったみたいね。」

俺はふたりに、飲み物を手渡す。

ふたりして、引っ手繰るようにして一気に呷る。

「ぶはぁー、やっと生き返ったぜ。」

「……ふぅー、さすがにしんどかったな。」

「ふたりとも、頑張り過ぎよ。あれほど、これはただの模擬戦だって言ったのに。」

「はは、すまない。でも判るだろう。僕らはいくつになっても男の子だからね。」

「ふぅ、判るわよ。だから強く止める事も出来無くて……、本当に怖かったわ。」

「ごめん……、心配掛けたね。」

……今日はたくさん甘えさせて貰うからね、ライアン。

ん?クロが大人しくなったな。

「どうしたの、クロ。まだ辛いなら、もう一度ヒールでも掛けましょうか?」

「いや、要らねぇ。」

そう言って、クロは居住まいを正して、ライアンの方に向き直る。

「ライアン、あんたは強かった。確かに俺は古代竜だから、素の力なら俺の方が強いんだろうが、戦い方はまるであんたに敵わなかった。俺は未熟だ。」

それを理解し、受け入れる事が出来る。

それはとても素晴らしい事だぞ、クロ。

「あんたは、ルージュの番いに相応しい漢だ。まさか、俺がこんな風に、人間を認める日がやって来るとは思わなかったぜ。」

「ありがとう、クロ。僕の方こそ光栄だ。古代竜に認められるなんて、勇者としての自信になるよ。」

本当に良かった、ふたりが仲良くなってくれて。

「……それで、な。少し、ふたりにお願いがあるんだが……。」

「何よ、水臭い。何でも言って。私たちで力になれる事なら、何だってしてあげるわ。」

「あぁ、僕らはもう家族みたいなものじゃないか。何でも言ってくれ。」

少し戸惑った後、クロは意を決してこんな事を言ったのだ。

「俺に、俺にルージュを、しばらく貸してくれ!」

……え?今何て???


つづく

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