第六章 神々の黄昏


1


常に温暖で、豊富に作物が実り、山脈が天然の要害として自然の驚異からさえも守られる、地上の楽園アーデルヴァイト・エルムス。

そのアーデルヴァイト・エルムスと唯一国境を接する神聖オルヴァドル教国であるが、気候は大分違うと言える。

本当の意味で、南方に位置する肥沃な大地と呼べるのは神の国のみであり、オルヴァは常夏では無く厳しい冬も来る。

果たして、この天嶮を越えた先に、そんな楽園などあるのだろうか。

そんな気持ちにさせる冷たい岩肌が、俺の目の前に立ち塞がっている。

怖くなってライアンから逃げ出して来たが、さて、どうやって神の国に入ろうか。

見たところ、山脈全体が結界で通れなくなっている、なんて事は無い。

その気になれば、グリフォンで飛んで行けそうだが。

神族が暮らす楽園だから、危険な魔獣が巣食っているとも思えない。

いや、番犬代わりの魔獣ならいるかも知れないな。

危険を冒す意味も無いのだから、やはり巫女が神の国へ入るルートを使うのが無難か。

仕方無い、久しぶりに、オルヴァ王宮へ行ってみよう。


……良し、大丈夫、今日ライアンは王宮に出仕していない。

あんな別れ方しておいて、その日の内にまた顔を合わせるなんて恥ずかし過ぎるからな(^^;

どうやらライアンは今、部下たちと一緒に市中の見回りに出掛けているようだ。

ライアンは人気者だから、街へ出れば市民たちが中々放してくれないだろう。

ライアンの方は大丈夫。

俺の目的地は反対側、王宮の奥だ。

そこに、建前上教皇すら立ち入れない巫女用の区画がある。

その区画の一番奥に、神の国への入り口に繋がる門があるのだ。

一応、俺は出奔前、その門の手前までは行った事がある。

隠密スキルの実践訓練として、夜中に王宮中を歩き回ったからな。

だが、その時は門の中までは入っていない。

門扉は少し開いているので入ろうと思えば入れるのだが、少し奥に魔法的な力場を感じたからだ。

その当時はまだ魔法も勉強中だったから実態は判らなかったが、結界の類なのだと思う。

多分、今ならどうにか出来るのではないだろうか。

間違っても、壊す訳には行かないけどな。

結界ならば、別の方法がある。

とにかく、実際に確認してみよう。


その表面には、翼の生えた神々しい神の姿が彫り込まれており、多分主神オルヴァドルを象ったものだろう。

もしかすると、オルヴァドル以前の主神かも知れない。

アスタレイから聞いた話では、最初に神を僭称した当時の主神は、それはもう神々しい姿をしていたらしいからな。

確か、現在のオルヴァドルは3代目の主神で、最初がヴェールスムマイル、次がゴルベリウスだったか。

教国、及び主神教は、主神の名を冠する決まりなので、当初は神聖ヴェールスムマイル教国、及び聖ヴェールスムマイル教だった訳だ。

まぁ、オルヴァドルが主神になったのは1000年以上前の話だから、今の人間族には関係無いな。

ちなみに、軍神ダヴァリエは世襲制らしいから、今が何代目かは知らないがずっとダヴァリエだ。

話が逸れたが、その主神が彫られた門扉はかなり大きく重い為、普段から少し開いている。

そうで無いと巫女が通れないし、結界があるから扉が開いていても巫女以外は通れないから問題無い。

俺は当時潜らなかった門扉を潜り、件の結界前までやって来た。

やはり鑑定はLv1のままなので、鑑定スキルで調べる事は出来無いが、物が物だけに多分鑑定Lv10であっても結界の詳細は判るまい。

俺は、魔力やアストラルサイドから感じる気配などで、その結界を読み解いて行く。

あぁ、読み解くと言っても、内容まで事細かく調べるなんて無理だ。

あくまで、構造的に巡っている魔力の流れを掴み、どうすれば同期出来るか探るのだ。

そう、結界は壊すだけで無く、無効化出来る。

正反対の性質を加えてやれば、中和し結界を解除する事も可能だし、今回は結界自体は残したまま、同期して素通りしてしまおうと言う事だ。

結界を消したら騒ぎになる。

内容が判らないから、同じ物を張る事も出来無い。

だから通り抜けて、結界はそのまま残す。

一応、神聖オルヴァドル教国に敵対するつもりは無いと言った手前、教国に不利益をもたらすような事は慎まないとな。

いや、この結界は、神族にとっても人間族を通さない大切な結界かも知れない。

これから会おうとする神族に、会う前から喧嘩を売るのも間違っているもんな。

まぁ、こんな真似は、ジェレヴァンナの手解きを受けた俺だから可能であり、しかもそんな俺にとっても難しい作業だ。

言うほど、結界って奴は脆くは無いものだ。

それに、この結界がもし維持結界で、術者に結界解除を試みている事がバレた場合、リアルタイムに波長を変換されてとても対処出来無くなる。

だから、ジェレヴァンナの森の結界は、今の俺にも破れない。

幸い、この結界は放置型で、多分1万年前に神族が張ったものだ。

時間さえ掛ければ……ん?お客さんか。

「……おかしいわね。誰もいない……。」

門から中を覗いているのは、見覚えの無い女性だ。

そう言えば、巫女もこの10年で代替わりしていたはずだな。

その装束からしても、この女性が当代の巫女なのだろう。

確か、そう頻繁に神の国へなんか入らないから、普段巫女は祈りを捧げるなどの宗教儀式を繰り返しているだけだ。

まぁ、俺は巫女自体初めて見るし、その儀式とやらも話に聞いた事があるだけ。

正直、オルヴァの巫女など眼中に無かった。

しかし、どうやら俺が結界に触れた事で、何某かの異常に気付いたようだ。

ただのお飾りと言う訳では無いんだな。

……お、そうこうしている間に、解析完了だ。

俺は、そのままするりと結界を通り抜ける。

「嘘っ?!今何か通った!」

おぉう、そんな事まで判るのか。

巫女は結界に駆け寄って、手をかざして目を瞑る。

「……、……、……大丈夫、何とも無い。……どう言う事?」

うん、10年前、不用意に結界に触れなくて良かった(^^;

さて、俺はただここを通りたいだけだから、巫女さんに迷惑を掛けるつもりは無い。

さっさと先を急ごう。

俺が会いたいのは、神に仕える巫女では無く、神を騙る詐欺師たちの方なのだから。


2


苔むした石壁が続く結界の先は、灯りも無い闇の道が延々と続いている。

普段、巫女しか通らないので管理する者も無く、魔法的処置が施されているのだろうが、1万年も経てば経年劣化くらいする。

暗視で見通せる俺の目には、あちこちにひび割れが見て取れて、少し不安になる光景だ。

ただ、一定の距離を置いていくつも結界が張られており、その結界の方は最初の結界同様劣化も見られず強固なままなので、この結界が通路の補強の役割も果たしていそうだ。

実際に崩れる事は無いだろう。

通路自体は結構広く、馬車くらいなら通れるだろうか。

しかし、かなりの距離を歩いて来たので、多分地下を通ってこのまま山を越える事になりそうだ。

こんな暗くて長い道を、使命とは言えひとりで歩いて行かねばならぬとは、巫女ってのは大変な役目なんだな。

もう形骸化した役目なのに。


何時間か歩いた頃、少し広い場所に出た。

そこには机と椅子が置いてあり、ちょっとした休憩スペースになっているようだ。

つまり、まだまだ先は長い、と言う事だな。

思えば、神族が人間族の侵入を拒む天然の城塞でもあるのだから、簡単に超えられても困る。

これは相当、オルヴァと神の国との距離は離れているのかも知れない。

だからこそ、気候すら違っているのかも知れないな。

だとすれば、これ数時間で抜けられる様な通路では無くて、数日は歩かされる事になるのかも……。

そんな悪い予感ほど良く当たる。

結局俺は、1週間歩き続けたorz

途中にある結界を全て、最初と同じように同期して通り抜けるから余計に時間は掛かったのだが、さすがに想定外だ。

これなら、多少危険を冒しても、空を飛んで行った方が良かったかも知れない。

水だけなら精霊魔法で何とかなるが、1週間何も喰えないのはきつい。

そこで、どうせ誰も来ないと考え、途中の休憩ポイントに体を放り出し、一度アストラル体だけで拠点へ戻って糧食を確保した。

まぁ、最初から1週間掛かると判っていれば、冒険へ出掛ける時のように携帯食料を用意すれば済む話だが、まさかこんなに長く掛かるとは思ってもみなかった。

結界に阻まれないとは言え、巫女さんの足でも1週間は掛かる訳だから、益々大変な役目だと思う。

ん?……もし巫女さえ一緒にいれば結界を素通り出来るのだとしたら、本当に馬車にでも乗って行くのかな?

そう思って良く見てみれば、通路の床には無数の轍……。

何だよ、巫女さんはゆったり馬車の旅かよ、ずりぃ(^^;


1週間が過ぎた頃、通路の中も暖かくなって来た。

このような地下道では通年で気温がそんなに変わらないと聞くが、その気温に変化を感じるって事は出口が近いのだろう。

そう、ようやくこの闇の道も、終わりを迎えようとしていた。

はぁ、結界さえ無ければアンデッドホースで駆け抜ける事も出来たのに、本当、もう二度とこの道は通りたく無いな。

うん、遠くの方に明かりも見えて来た。

さっさと抜けちまおう。

そうして1週間ぶりに出た外の景色は、正に楽園パラダイスだった。

快適な気温と湿度の温暖な気候で、抜けるような青空から気持ちの良い陽光が降り注ぎ、色取り取りの植物が生い茂っていて、そこにはいくつも果実が実っている。

動物たちの姿も多く、鳥たちも美しい声でさえずり、何とも心地良い雰囲気だ。

すぐ近くにあった水場も澄み切っていて、そこに棲む魚たちはまるで宙を泳いでいるかのようだ。

背後を振り返れば確かに天嶮が覆い被さって来るようだが、正面に目を向ければ遮る物も無い広い空と大地が広がっている。

晴れた夏の日の北海道、と言った感じかな。

ここにバイクでもあれば、ツーリングにでも出掛けたい気分だ。

丁度、馬車道が丘を越えて続いていそうだしな。

良し、まずはこの道を辿って、神族が暮らす街、かな?

そう言う場所まで行ってみよう。

一体彼らは、どんな暮らしをしているのだろう。


薫風吹き渡る小高い丘を越え、その先を見通せば遥かに続く草原に、ぽつぽつと数件の家並みが確認出来た。

近付いて判ったが、見知った家屋とかなり違いがある。

ひとつには、建築様式の古さだ。

生前のイメージで言うところの、大理石で作られた古代の建築物のように見えるが、魔法の補強で数千年そのままだと考えれば、当然なのかも知れない。

しかし、時代に合わせて、新しく建て直そうとは思わないのかな?

そして一番大きな違い、それは大きさだ。

人間族の暮らす家屋を、倍ほど大きくしたような建物である。

俺が逢った魔族、アスタレイやゴンドスたちは背丈で言えば人間族とそう変わらなかったが、神族はサイズ的に大きそうだな。

神々や真なる古代竜、原初の精霊なんかは巨人だったそうだし、魔族のような呪いも受けず種族として繁栄を続けて来たなら、神族は始祖たちのような巨人族なのかも知れない。

まぁ、巨人とは言えこのサイズ感なら、人間族の1.5~2倍くらい。

トロールよりも小さいので、巨人族と呼ぶのは大袈裟かもな。

そんな家屋が数件軒を連ねているのだが、当の神族の姿は見当たらない。

今は昼下がり、畑仕事なんかをする人影が幾人か見えても不思議は無いと思うのだが、皆して遅めの昼食でも摂っているのだろうか。

気になったので、俺は適当な家に入ってみる。

すると、果たしてそこに神族はいた。

その神族は、テーブルセットの椅子に腰掛けている。

やはり背丈が人間族の倍ほどあり、座った状態でも俺より背が高い。

神族も人間族も神を模して創られたと言われるだけあって、見た目だけなら人間族とほとんど変わらない。

だが、違和感がある。

もちろん、体が倍ほども大きいのもそうだが、その神族の服装だ。

古代ギリシャや古代ローマのような、一枚布を体に巻き付けるタイプの服装で、明らかにアーデルヴァイトの他種族と傾向が違う。

アーデルヴァイトの服装は、異世界らしく中世ヨーロッパのような趣で統一されていて、動きやすさを意識して露出が多かったアスタレイを除けば、他の魔族たちも同様だった。

改めて良く見れば、室内の家具や調度品にも古めかしさを感じ、古代ローマを舞台にした映画のセットに迷い込んだような錯覚を覚える。

……建物だけなら、魔法的処置により古代からの建物をそのまま利用して来ただけとも思えたが、服装や調度品までとなると、文明自体が停滞しているとしか思えない。

肥沃な楽園を手にしたからこそ、利便性を求めて文明を進歩させる必要も無かった、と言う事だろうか。


さらに、この神族はぼ~としているだけで、特に何もしていない。

俺に気付かないのは、俺がステルスを発動しているからなので問題無いが、昼日中仕事もせず、家の中でただぼ~と過ごしている。

たまたま休日だったり、この神族の体調が悪いだけ、と言う可能性もあるが、俺の目には単に無気力なだけに見える。

ここで、改めて周囲を感知してみると、軒を連ねる他の家々にも神族の気配がある。

一軒一軒確認してみると、やはり他の神族たちも同様にただぼ~としている。

中には、昼間から酒を呷っている者もいたが、ギルドの酒場で見る愛しい馬鹿どものように、何が楽しいのか笑いながら騒ぎながら喧嘩しながら酒と雰囲気を楽しむ感じでは無く、ただただ酒をしんみり呷るのみである。

仕事はおろか、遊びに興じている者もいない。

生きているが死んでいる、敢えてそう表現したい。

ここにいる神族たちは、皆心が死んでいる。

まるで覇気を感じない。

これが、こんなものが、熾烈な生存競争を勝ち抜き、1万年の平穏を手に入れた勝利者の姿なのだろうか。

魔族の実態を知ってしまった俺は、神族のこんな姿に我知らず苛立ちを覚えていた。


3


俺はひとまずその村落は後にして、馬車道を先へ進む事にした。

低い可能性だが、あくまで郊外に住む神族があんな感じなだけで、都にでも行けば様相が変わるかも知れないからな。

実際、巫女が訪問するのは、もっと先のはずだ。

主神に会うのかどうかは知らないが、対人間族の窓口になっている奴くらいいるだろう。

神族全員が、あんな感じな訳は無い。

だが、観光気分はもう終わりだ。

俺はグリフォンの背に跨り、一気に都へと飛ぶ事にした。


建物のサイズが倍ほどあるので、神族の都は荘厳な城塞のように見えた。

通りを歩くと、小人になって巨人の世界に迷い込んでしまったようで、怖さすら感じる。

相も変わらず古風な街並みだが、少しは外出している神族を見掛けるようになった。

一応、神族の中にも働いている者はいて、先程の村落と比べるなら活気があると言えるだろう。

まぁ、支配下にある人間族すら遠ざけてこんな場所に閉じ籠っているのだから、当然支配種族の労働力を使役出来無い訳だ。

となれば、服を作るにも食事を作るにも、神族自らが当たらなければならない。

神族の労働階級もいる訳だ。

……が、あくまで、先程の村落と比べれば活気がある、に過ぎない。

やはり、全般覇気が感じられず、仕事も仕方無しに行っているだけなので、随分能率は悪そうだ。

そして、多少労働に勤しむ者たちがいる一方、街の中央広場では多くの神族がただぼ~と日光浴をして過ごしている。

彼らは、何事に対しても無頓着だ。

心に動きが見られない。

何しろ、俺はグリフォンで飛来した時も、今も、ステルスを発動していない。

神族しかいないここアーデルヴァイト・エルムスに、人間族がひとり迷い込んでいても関心を示さない者がほとんどで、一部の者が俺に目を止めるも、一瞥しただけで声を掛けても来ない。

まぁ、また聖オルヴァドル教の巫女がやって来たのか、くらいに思ったのかも知れないが、あんまりにもだらけ切っている。

……神の国までやって来て、神族を襲う敵などいないか……。

敵も無く、楽園から出ず、多くの者は働きもせずに豊かに暮らせる……、そりゃ、文明も停滞するってもんだな。

神族には、俺のような死への恐怖すらあるまい。

多分、この国に神族として生まれ付いたなら、俺もこんな風になるんだろうな。

……本当に、神族なんかに生まれなくて良かったよ。

理屈としては、これは正に勝者の特権だと思えるけどな。感情的には苛ついて仕方無い。

俺の鑑定はお値段据え置きのLv1のままだからレベルは判らないが、神族の強さはその気配から相当のものだと判る。

だらけ切った戦士でも無い一般市民たちが、少なくとも魔族のレッサーたちよりも強い気配を持っている。

アスタレイが言っていた通り、一部のエリートたちは同格の神族にも勝るだろうが、種としては圧倒的に、この無気力な神族たちの方が強いのだ。

そりゃ、危機感なんかある訳ぁ無い。

そんな現実が、非常に腹立たしい。

……少し、身の危機くらい感じて貰うか。

俺はオンミョウカシラのキヌメに指摘されて以来、普段は魔力を抑えている。

同様に、気の存在に気付いてからは、闘気も抑えている。

それを少し解放してやる。

ただし、誤差はあったが俺もすでにLv50オーバーの規格外のひとり。

あんまりにも強く解放し過ぎると、周りへの影響が大き過ぎる。

アスタレイも、解放する鬼気はコントロールしていた。

同じように、俺もちゃんと加減はする。

全開にも全力にもせず、大体50%くらいか。

それでも、大地や大気が少し震えた。

そこに、少しだけ殺気を含ませる。

この広場にいる神族たちを、鏖にするような気持ちを乗せて。

すると、半分くらいは俺の気に当てられ気を失い、残りの者の多くは、何とその場で覚悟を決め、俺に命を委ねてしまった。

馬鹿な!命すら簡単に手放すのかっ!

もう、そんなモノは生き物とは言えない。

死にたく無いと、最期まで足掻くのが命の自然な姿であろう。

貴様らは、そんな本能まで忘れてしまったのか。

気を失ったのは50名弱、命を諦めた者が40名ほど……他に、何も出来ずに震えている者1名、何とか逃げ出した者3名、身構えた者4名。

これが、今の神族の姿なのか……。


さすがにやり過ぎた、とは思ったので、再び力を抑えてステルスを発動し、俺はその場を後にしようとした。

その時、遠くの方から地響きが近付いて来るのに気付いた。

それは明らかに何者かの接近を示していて、この無気力極まる集団の中にあって、ここまで力強く覇気を纏って近付いて来る存在となれば、非常に興味をそそられる。

俺はその場に留まる事にした。

やがて広場に現れたのは、猛々しい風貌をしたひとりの神族。

その気迫が気流でも生み出すのか、蓬髪が逆立ってなびいている。

髪の色と同じ赤い瞳は、大きく見開かれた目の中で爛々と輝き、辺りをぎょろぎょろと睨め回す。

固く結ばれた唇はへの字に曲がり、眉間に寄った皺と合わせて、険しい表情を作り出していた。

服の上から革鎧を纏っており、その手には槍も握られている。

腰には剣も帯びていて、古めかしいが戦士の出で立ちだ。

鎧の下の肉体は筋骨隆々で、見た目からして強そうだ。

もちろん、その気配も見合った強さを示し、Lv50の壁は間違い無く越えているだろう。

もうひとつ目立った特徴がある。

それは、左肩にひとりの子供を乗せている事だ。

子供と言っても、巨人のような神族だけに、身長は俺よりも高いだろう。

見た目は、この戦士のような神族をそのまま小さくして、大人しくした感じだ。

面差しは似ている。

子供にしては冷めた表情をしているので、受ける印象は真逆だが。

そして、上手く隠しているつもりだろうが、俺には戦士の方と同じくらい強い気配が感じられる。

小竜の時のシロ同様の窮屈さも。

多分、正体は……。

「おいっ、何があった!言え!」

その戦士は、手近な神族を捕まえて問い詰める。

捕まった神族は命を諦めた神族で、その戦士にも抵抗をしない。

ただ無気力に、されるがままである。

そんな神族を放り出すと「くそっ!忌々しい奴らめ!これほどの事態に遭っても、何も変わりゃしねぇ。」と唾を吐く。

「おいっ!誰か!何か言え!こんなに仲間が殺されたんだぞっ!」

と周りに喚き散らす。

いや、待て。俺はひとりも殺してねぇ(^Д^;

「慌てるな弟よ。誰も死んでいない。気を失っているだけだ。」

「む?そうなのか?……あぁ、確かに、皆息してやがる。」

死んでた方が良かったのか?(^^;

「……あの強烈な殺気を感じて、すぐにここへ向かったんだ。まだ近くにいるか、何か痕跡くらいあるだろう。良く探せ。」

「おぅ、判った。」

そう言って、ふたりは目を瞑り、集中し始める。

しばし……。

「……何も感じないぜ、兄貴。どうなってんだ?」

「……おかしい。俺たちふたりが一切の痕跡も発見出来ぬなど、あり得ないはずだ。……いや、生まれてより数千年、実戦など経験していないんだ。自分で思うほど、俺たちは強く無いのかもな。」

「そ、そんな事無ぇ、そんな事無ぇよ、兄貴。俺はともかく、兄貴は強ぇよ、絶対。兄貴は俺より頭良いから、考え過ぎなんだよ。」

「ふむ……、それじぁあ、これは誰かの仕業なんかじゃ無く、自然現象なのか?しかし、あの時感じた殺気の説明が付かん。」

「おいっ!手前ぇら!何か見てねぇのか?兄貴が困ってるだろ。何か言え!」

……どうやら俺のステルスは、Lv50オーバーの神族相手にも有効のようだな。

それが確認出来て良かった。

後は……。

「もちろん、自然現象なんかじゃ無いわよ。私がやりました。ごめんなさいね。」

そう言って、ステルスを解除する。

瞬間、振り返るふたり。

兄の方は驚愕し、弟の方は槍を振るう。

俺は、軽くバックステップでそれを躱し「ちょっと、いきなり攻撃しないでよ。」と抗議の声を上げる。

そんな俺の声を無視して、その戦士は次撃を打ち込もうと構える。

仕方無い、取り敢えず対処出来無いほどの打ち込みでも無いし、ここは少し相手をしてやるか。

そう思ってショートソードを抜くも、次撃が繰り出される事は無かった。

その穂先に、兄の方が飛び乗っていたからだ。

「少し冷静になれ。勝手に戦いを始めるな。」

「な、何でだ、兄貴。こいつ、自分がやったって言ったじゃねぇか。」

「とにかく、勝手に戦うな。判ったか、ダヴァリエ。」

穂先の上で振り返り、兄は弟を見やる。

ダヴァリエか、なるほど、こいつがね。

兄に窘められ、素直に槍を引くダヴァリエ。

そして、穂先から降り、こちらを振り返る兄。

「弟が失礼したな、人間。色々聞きたい事がある。もちろん、答えてくれるのだろうな。」

その物言いには少し思うところもあるが、そのつもりが無ければ声など掛けん。

「構わないわよ。こっちも聞きたい事あるし。」

「良し。では場所を移そう。その方がお前も良いだろう?」

「……任せるわ。」


4


俺たちは、街の外れにある彼らの詰め所へと移動した。

一応、軍属の者が平時より集い、訓練や警邏、何か訴えがあればそれに応じる為の軍事施設と言う話だが、数人がたむろしているだけで、訓練に精を出す者はいない。

ここで意気盛んなのは、このふたりだけのようだ。

そんな詰所の中にある、彼らの執務室へと案内される。

ひとりは軍神ダヴァリエその人だろうから、当然この施設の長であろう。

彼らの執務室は、つまりは軍事を司る将軍の執務室と言う訳だ。

「そこにある椅子を使え。それならサイズも合うだろう。」

兄の方は子供サイズだから、兄用の家具類は他より小さめなのだろう。

俺は、勧められた椅子を移動させて、ふたりの前に座る。

「どうする。何か飲むか?」と、兄が飲み物を勧めて来る。

敵地で敵の施しを受けるか、と言う意味にも取れるが、俺は別に彼らに捕まったつもりは無いので、客人として振舞うのが相応しかろう。

「えぇ、頂くわ。神の国のお茶なんて、興味あるし。」

「判った。少し待て。」と、一度部屋を辞する兄。

残されたダヴァリエは、ばつが悪そうにしている。

「……貴方軍神ダヴァリエなんでしょ。北方諸国では人気者よ。主神であるオルヴァドルよりも貴方の事を信奉している人たちもいたわ。」

「何?本当か?俺がオルヴァドルの野郎より人気があるのか?そんな事あり得るのか?」

お、喰い付いて来たな。

「えぇ、本当よ。北方諸国は魔族と戦争状態でしょ。だから、軍神のご加護を皆欲しがるの。貴方に祈って、今でも魔族と戦い続けているのよ、人間たちは。」

「……今でも魔族と……人間たちが……。何だよ、それ。俺たちよりも、よっぽど人間の方が偉いじゃねぇか。」

「確かにな。今の神族なんかより、人間族の方が立派かも知れんな。」

戻って来た兄が、そう答える。

そして、ぶっきらぼうにカップを手渡して来る。

持って来たのは俺の分だけだ。

俺はそれを両手で包み込むようにして受け取り、中の液体の香りを嗅ぐ。

その香りはとてもかぐわしく、何かのハーブを使ったお茶のようだ。

俺は躊躇する事無く、それをひと口啜る。

「うん、美味しい。アーデルヴァイト全土を回ったけど、こんなハーブティーは初めてよ。やっぱり、神の国は豊かな土地なのね。」

「……そうか、口に合って良かったよ。」

「お前……、肝が据わってるな。」と、ダヴァリエが感心したように呟く。

「そうね。貴方たちのような正々堂々とした神族が、毒なんか盛るとは思わないから。……多分、毒も効かないし。」

「……この国独自の毒があるかも知れんぞ。」

「あら、怖い。」と言って、敢えて一気に飲み干す。

「ご馳走様。さ、何から話しましょうか。」


俺の対面に椅子を移動して、兄が座る。

「まずは自己紹介と行こう。弟の事はもう知っているんだな。」

「えぇ、軍神ダヴァリエと言えば、有名な神様だから。もちろん、人間族は本物の神様だと信じてる訳だけど。」

「人間族は、か。お前も人間族に見えるが、お前は他の人間族とは違い、色々知っていると言う事だな。」

「魔族の知り合いから神話を聞いたわ。当時の主神が神を僭称し、主神教が神族全てを神と偽って教えを広め、今の世界になった。だから、貴方たちが神に創られし種族のひとつであり、神そのものでは無いって事は知ってる。」

「魔族の知り合いだと?おい、本当にお前は人間なのか?」

ダヴァリエは、頭が悪いと言う訳じゃ無くて、単に直感的にものを考える性質なのかも知れないな。

思った事を、すぐ口にする。

「それじゃあ、先に私の自己紹介。元オルヴァの三番目の勇者で、今は冒険者のルージュよ。よろしく。」

「オルヴァの勇者だぁ?ふむ、そうか。それなら、普通の人間じゃ無くてもおかしく無いか。」

「それこそ、貴方たちはオルヴァの勇者の事は知ってるの?」

「お?そうだな……。確か、100年に一度3人招喚して、魔王を倒させるんだよな。それからあれだ。人間族ってのは、皆弱い癖して急に滅茶苦茶強い奴が現れる、ってあれ。お前が勇者なら、人間にゃ思えないほど強い事もあり得るんだろ。」

まぁ、詳しく説明する必要も無いから、そのくらい知っていれば問題無いか。

「それで、次はお兄さんね。そうだ。もし苦しかったら、元の姿に戻っても良いわよ。」

「!……何の話だ?」と、とぼける兄。

「私、古代竜の知り合いもいるんだけど、その子も小さな体に窮屈そうにアストラル体を仕舞い込んでいたのよ。今の貴方みたいに、ね。」

「古代竜だと?お前、一体何者なんだ。いや、勇者だって聞いたけど、兄貴の秘密にまで気付くなんて……。」

「ダヴァリエッ!」

「ん、どうした、兄貴……、あ、す、すまねぇ、兄貴……。」

「……ふぅ、仕方無い。別にこの姿が苦しい訳じゃ無いが、良いだろう。本当の姿を晒すとしよう。」

そう言うなり、兄は衣服を脱ぎ、その後徐々に体が大きくなって行く。

見る間にダヴァリエと同じ背丈となり、衣服は腰に巻き付ける。

その表情と体付きに違いはあるが、ほぼふたりは同じ姿をしている。

多分、ただの兄弟では無く、双子なのだろう。

「俺はダヴァリエの兄、軍神アルスクリスだ。」

「え?貴方も軍神なの?」

「あぁ、そうだ。俺たちは、ふたりとも軍神だ。」

「俺が将軍、兄貴が軍師。共に軍事のトップって訳さ。俺が力で兄貴が知恵だ。」

なるほど。軍事力ってのは、個人の強さだけの問題では無いからな。

「少し違う。その言い方だと、弟より俺の方が頭が良いように聞こえるが、弟の賢さは俺とは質が違うだけだ。言うなれば、肉弾戦担当が弟で、俺は魔法戦担当だ。」

これもなるほど。戦い方は様々で、それぞれ得意とするジャンルは違うものだ。

「でも、人間界では軍神と言えばダヴァリエ。アルスクリスなんて初耳ね。」

「何だと!兄貴を愚弄するか!」

「落ち着け、ダヴァリエ。ルージュがそう言っている訳じゃ無い。それに、俺の名が広まっていないのは当然だ。」

「何故?」「何でだ?」と、俺とダヴァリエの声が被る。

「……元々、軍神はダヴァリエだ。だが、俺たちは双子だったから、一緒に軍神を引き継いだ。ダヴァリエの名は弟が受け継ぎ、俺の名は本来の名前だ。人間族が知るはずが無い。」

なるほどなるほど。元々の軍神ダヴァリエはひと柱の神だったけど、当代の軍神は双子神って事だな。

「それで、ルージュ。この国へ来た目的は何だ?お前はこの国の民に手を出したが、誰ひとり殺していない。お前の強さなら、あの広場にいた同胞を鏖にするなど簡単だろう。俺には、お前がこの国に攻めて来たとは思えない。だが、あれは間違い無く神族への攻撃に違いない。説明して貰おうか。」

ですよねぇ~(^^;

「ごめんなさい、あれはやり過ぎたわ。……私は神族に会いに来たの。魔族の知り合いがいるって言ったでしょ。魔族にはちゃんと逢ってどんな人たちか知ったのに、思えば神族には会った事が無いって気付いたから。」

「それじゃあ、俺たちの事を知る為に、俺たちに会いに来たって事か?」

「そうよ。他意は無かったの。でもね、……人間族を使って魔族を北の僻地へ追いやり、事実上この世界を支配したはずの神族があの有り様。ちょっと、イラッとしちゃって。」

「……。」「……。」押し黙るふたり。

「神の国に人間族が入り込んでるのを見ても無反応。そんな危機感の無さに、せめて命の危険でも感じさせてやれば、少しは反応するかと思って殺気を込めた。あんな事になるとは思って無かったけど、一番の想定外は半分くらいの神族が、私の殺気を感じて死を覚悟しちゃった事よ。いくら何でも諦めるの早過ぎでしょ。身を守ろうと身構えたの、たった4人よ。悪いけど、今の神族は生きたまま死んでるわ。でも、ごめんなさい。やり過ぎたわ。」

見交わし合う、ダヴァリエとアルスクリス。

「俺はお前を罰する立場にあるが、正直そんな気にならねぇ。お前の言い分尤もだ。俺もあいつらには反吐が出る。」

「俺も同意する。生きたまま死んでいる。ルージュは的確にものを言うな。その通りだと思う。多くの神族が、あんな調子だよ。」

「……貴方たちは、生気に溢れてるもんね。きっと、貴方たちこそ、本当の神族なのね。」

「お前……、良い事言うな。」

「ルージュ、お前のやった事は問題だが、証拠は無い。殺気なんてものであんな事が出来るなんて、普通の奴には理解出来無い所業だからな。」

「どう言う事?」

「俺はルージュの行為を不問とし、ルージュを客人として迎えようと思う。どう思う、軍神ダヴァリエ。」

「おう、もちろん構わねぇ。軍神アルスクリス。」

「と言う事だ。今からルージュは俺たちの客人だ。俺たちの事を知りたいんだったな。神族について、きっちり話してやろう。」

気持ちの良い漢たちだ。

さすが軍神、素直に話して良かったな。


5


アルスクリスは小さな体へと戻り、改めてお茶を用意してくれた。

今度は3人分だ。

「俺がこの姿なのは、相手の油断を誘う為だ。軍神ダヴァリエとして正面に立つ弟は、相手を威圧する為にもあの姿は必要だが、俺は魔法戦担当だから小さな体でも問題無いし、俺から気を逸らしてくれれば不意を突けるしな。」

「ふ~ん、……でも真面目ね。ここで暮らしていれば、その相手ってのがいない訳でしょ。」

「あぁ、その通り。俺たちは生まれてから一度も実戦を経験していない。こんな事無駄なんじゃないかと思う時もある。そんな時は、あいつらも役に立つ。あぁはなりたく無いと言う、反面教師としてな。」

こんな境遇で己を律し続けるには、相当の精神力や覚悟がいる事だろう。

本当にこのふたりは、立派な神族だな。

「神族ってのは、つまり見たまんま無気力な種族だ。ルージュが知る通り、歴史の上では勝者だが、種族としては時代に取り残された過去の遺物。その原因は、神族は神そのものと言う嘘にある。」

「そうなのか?」と、ダヴァリエ。

「お前も知っているだろう。結界だよ。あの結界は、外からの侵入を防ぐだけじゃ無い。神族が外に出て、本当は神では無いとバレては困るから、この国は楽園であると同時に神族を閉じ込める牢でもある。」

「そ、そうか。それで俺たちは外に出られないんだったな。」

「あぁ、あの結界を通れるのは、主神と主神の許しを得た者だけだ。……まぁ、ルージュのような例外もいる訳だが。」

「おう、そうか。お前、良く入って来れたな。」

「まぁね。アルスは気付いてると思うけど、私、魔導士なのよ。結界については、ハイエルフの知り合いに手解き受けたから、ちょっとしたものよ。」

「ハイエルフの知り合い~?敢えてもう一度言うぞ。お前は一体何者なんだ。」

はは、俺もそう思う(^^

魔族に古代竜にハイエルフ、そして今神族ともお知り合いだ。

我ながら、人間族の常識を逸脱しまくっているな。

「でも、少し納得行ったわ。それこそ、貴方たちが望んでも、魔族と戦う為にこの国を出て行く事は許されないんだもんね。折角の力も使い道が無い。他の神族たちも、やり甲斐無いわよね。」

「あぁ、その通りだ。そして、俺たちは魔法に近しい種族であり、楽園の恩恵か始祖たちの影響も色濃く残っている。だから、食事も必要最低限で済むし、滅多に病気にも罹らないし、優に5000年は生きる。建物も調度品も魔法のお陰で永持ちするから、一度作ればそのままだ。仕事など大して存在せず、子供も数千年に一度作れば問題無く子孫を残せるから、子作りにも励まない。子育ての機会も少ない。生活のあらゆる部分でいくらでも自堕落に暮らせる。」

勝手に失望して非道い事しちまったけど、考えてみれば神族たちも可哀想な奴らなんだな。

「それでも、肩書を持つ者は比較的意気軒高だ。始祖たちの身分を引き継ぐからには、それなりに責任の重さを感じる。軍神の名を汚さぬよう、俺たちはふたりで模擬戦を続けて来た。」

「おう、俺たちは強い。軍神だからな。」

「折角だ。ルージュ、オルヴァドルに会って行くか?主神である以上、神族を代表する者だ。ある意味、神族の象徴だからな。」

「俺は嫌いだけどな。」と、思った事をすぐ口にするダヴァリエ(^^;

「そうね。主神様にも会っておきたいわね。」

「それじゃあ……。」と、腰を浮かすアルスを「ちょっと待って。」と、制止する。

「どうした?まだ何かあるのか?」

「えぇ、ここへ来た目的は神族に会って神族を知る事だけど、実はもうひとつ目的があるの。」

「うむ、聞こう。」

「多分何十年か前だと思うけど、オルヴァの巫女や私以外に、人間族の魔導士がここへ来なかった?男性の老魔導士だと思うんだけど。」

「おう、来たぞ。あの酔狂な人間族だな。名前は何て言ったっけ、兄貴。」

「デイトリアム・トゥモローズシーカーだ。」

ビンゴ!

「良かった、見付けた。ね、それで、彼はまだここにいるの?」

「ふむ、デイトリアムと言う名の人間はもういない。」

「え?兄貴、奴ならいつもの高台にいるんじゃ???」

不思議がるダヴァリエに、したり顔のアルス。

あ~、そう言う事かな~。

噂話も聞かないし、連絡も寄こさない。

もう死んでしまったか、あるいは……、と言う想像はいくつかしていたが、俺の研究が研究だけにユニークな想像をしてしまう。

でも、アルスの思わせぶりな態度からすると、当たらずとも遠からず。

「オーケー。直接会ってのお楽しみね。それじゃあ、案内お願い出来るかしら。」

「あぁ、判った。デイトリアムの後、オルヴァドルの。」

「ちょっと待ったぁ!」と、今度はダヴァリエが制止を掛ける。

「どうした、まだ何かあるのか?」

立ち上がり、腕を組み、満面の笑みを浮かべるダヴァリエ。

「このまま帰すなんて勿体無ぇ。おい、お前。俺と勝負しろ。お前みたいな強い奴と戦えると思うと、俺は心が躍ってしょうがねぇんだ!」

「……まぁ、その気持ちは解る。どうかな、ルージュ。弟の願い、聞き届けて貰えるか?」

……こちらだけ色々して貰うのも悪いからな、とは思うが、出来れば戦いたくは無い。

でも、こんなに瞳を輝かせている男の子から、玩具を取り上げるなんて忍びない(-ω-)

俺も中身は男の子。

その気持ちは、嫌と言うほど解るのであった。


俺たちは訓練場に移動し、模擬戦用の木剣を構えて対峙する。

「お前は、兄貴みたいに大きくなれないのか?」

「無茶言わないでよ。私は人間族なのよ。簡単に大きくなったり小さくなったり出来無いわよ。」

……そう言う魔法、あったかな?

「だけど、それじゃあお前が不利じゃねぇか?負けた時に言い訳されたくねぇんだけど。」

うん、ダヴァリエの方は武人らしく、己の力に自信を持っている訳だが、時にそれは過信となる。

相手の力量を冷静に見極める。

俺に近いのはアルスの方だな。

「そう言う事は、私に勝ってから言って頂戴。」

満面の笑みを浮かべるダヴァリエ。

実に楽しそうで何より。

「良く言った。手加減は無しだぞ。」

弟の気勢に合わせるように「始め。」とアルスが声を掛けた。

間髪を容れずに飛び出すダヴァリエ。

大上段から気持ちの良い剣撃を振り下ろして来る。

さすがにこれは受けられないので、左へと大きく躱す。

ダヴァリエは剣の軌道を変えて、そのまま横薙ぎへと変化させる。

それは俺の狙い通りで、ここで敢えてそれを受けてやる。

だが、想像以上の膂力で押し込まれ、その場で受け切る事は出来無かった。

瞬時に体を浮かし、そのまま飛ばされる。

しかしふたりの距離は開かず、もうダヴァリエは次の攻撃に移っている。

サイズの違いから、振り下ろす縦の斬撃では躱されると踏んで、今度は端から横薙いで来る。

俺はまたも受けてみるが、やはりあんまりにも強い力に、その場に立ち続ける事は叶わない。

そうして数合、横薙ぎを受け飛ばされて、またも横薙ぎを受け飛ばされて、ダヴァリエに力の強さを見せ付けられる。

「どうした!もしかして剣は苦手か?」

横薙ぎを放ちながら、余裕を見せるダヴァリエ。

……もう良いだろう。

こう言う手合いは、真正面からのド突き合いを望みがち。

それに少しは付き合わないと、後で五月蠅いからな。

力では確かに敵わない、と見せておいて、そこから戦いってのは力だけでは無い事を見せてやる。

次の一撃を、俺はその場で動かず受け切ってみせる。

力に力で対抗するのでは無く、力の方向を変えて流してやるのだ。

さらに、力を流された方はバランスも崩す。

俺は左から来る剣撃を、木剣で受けて少し逸らしてから体勢を低くしてそのまま右方へ流し、バランスを崩したダヴァリエの向こう脛を思いっ切り叩いてやる。

「っっっぐぁっつぅ……。」と、たたらを踏んで少し後退るダヴァリエ。

「あら頑丈。やっぱり、男の子は強いわね。」

「こ、この野郎~!」と、突っ込んで来るダヴァリエ。

私は女だけどね、と突っ込みたいところだが、油断出来る相手では無いからな。

先の通り、力だけならとても敵わない。

頭に血が上ったのか、またしても大上段から剣撃を繰り出すダヴァリエ。

矢継ぎ早に繰り出される攻撃を、俺はひらりひらりと全て躱して行く。

確かに当たればただでは済まないだろうが、当たらなければどうと言う事は無い。

すると、ダヴァリエの顔から表情が消える。

「しっ!」と、繰り出された剣撃は、先程までと違って隙の無い素早い攻撃だった。

俺は躱し切れず、木剣で受け流す。

ふむ、ようやく本気になったかな。

あんな力任せで隙だらけの攻撃は、格下相手に余裕ぶって繰り出す舐めた攻撃だ。

やっぱり、小さな俺を見くびっていたようだ。

今は、ちゃんと敵と認め、しっかり剣を当てに来ている。

その上で、俺は躱したり流したり、一撃も喰らわない。

だが、ダヴァリエの表情は変わらない。

……何か狙ってるな。

そう言う時は、わざと隙を見せてやるに限る。

俺は受け切れなかったように見せ掛けて、少し体勢を崩してみせた。

ダヴァリエの気勢が上がる。

すかさず大上段に振り上げた木剣を両手で構え、一気に振り下ろす。

しかし、その斬撃はひと筋だけでは無く、何条もの軌跡を描いて降り注ぐ。

何かのスキルか!

少しズルいが、俺は思考加速を発動。

……、……、……あれだ。

あの斬撃が本体で、後は付随して発生した闘気の刃、だと思う。

少し喰らうが仕方無い。

俺は、体内で練った気を、体の中心からつま先へ、そして木剣まで、一気に爆発させるようにして、斬撃本体を斬り上げる。

ガギィ……ン………と、およそ木が立てるとは思えぬ音を発して、ダヴァリエの木剣が宙を舞う。

俺の方は、闘気の斬撃を何条か喰らい膝を突く。

ふぅ、斬撃本体は殺したから、大した威力じゃ無い。

ま、そんな闘気の刃でも、普通のオーガやトロールなら即死レベルだけどな(^^;

ダヴァリエの方はと見やると、目を剥いて俺を見下ろしていた。

あぁ、咄嗟の事とは言え、力で押し返しちまったな。

俺は、戦いは力だけじゃ無い、そんな戦いにしようと思っていたのに、ダヴァリエの得意分野で上を行っちまった。

……自信を失わなければ良いけど。

自分で言うのも何だが、俺は特別だ。

お前は十二分に強いぞ、ダヴァリエ。

「そこまで。」と、アルスが制止の声を上げる。

「大丈夫か?」と、俺の手を取り起こしてくれる。

「えぇ、少し喰らっちゃったけど、何とか大丈夫よ。」

「あ、兄貴……、俺……。」

「どうした、ダヴァリエ?」

そうアルスが声を掛けると、ダヴァリエは顔いっぱいに笑う。

「負けた、負けた。こいつ凄ぇぞ、兄貴。この俺様を力でねじ伏せやがった。」

やっぱり、気持ちの良い漢だな。

自分の負けを素直に認められる奴は、さらに強くなれるってもんだ。

何千年も生きている人生の先輩にこんな事言うのも何だが、将来有望な奴だ(^^;

「良かった、元気そうね。」

「ん?あぁ、俺が落ち込むんじゃないかって心配してたのか?益々凄い奴だな、お前……うん、ルージュだったな。その様子だと、まだ全然本気じゃ無いんだろ。」

「え……、そんな事は……、無いと言うか何と言うか……。」

「気にするな。俺だって馬鹿じゃ無い。刃を交えた相手の力なら判るつもりだ。ルージュは兄貴と同じで、本当は魔法が得意なんじゃねぇか?なのに、俺とは魔法無しで戦ってたろ。最後の八斬海嘯やぎりかいしょう、躱そうと思えば躱せるんだろ。」

「……まぁ、ね。」

「ルージュはあの時、お前の攻撃を誘う為に、わざと隙を見せたからな。むしろ、これが実戦だったら、躱されるどころかやられていてもおかしく無い。」

「そうなのか!ちくしょう。完敗じゃねぇか。」

アルスは、良く見ているな。

「でもね、ダヴァリエは肉弾戦担当、って言ってたでしょ。だから魔法は使わなかったのよ。これはあくまで模擬戦だし、力比べみたいなものでしょ。倒せば良いって話じゃ無いもの。」

「……そうだな。だが、良い勉強になった。やはり、実戦経験の差は大きいな。」

「あぁ、こんな経験は初めてだ。凄ぇ楽しかった。感謝するぞ、ルージュ。」

「どういたしまして。それで、アルスはどうするの?」

「おいおい、よしてくれ。俺は今の戦いを見られただけで満足だ。俺は魔法戦担当だぞ。ルージュが魔法を解禁したら、どんな目に遭わされる事か。」

「何よ、まるで人を化け物みたいに。……まぁ、広場であんな事しちゃったし、説得力無いか。」てへぺろ。

「何言ってやがる。軍師ダヴァリエを負かす人間、それだけで充分化け物だろ。」

「それもそっか。」

ガハハとうふふしか聞こえないけど、アルスも楽しそうに笑っていた。


6


俺はその後、ふたりにデイトリアムの下へと案内される。

そこは、丁度都が一望出来る高台になっていて、都に背を向ける形で岩に座ったひとりの神族がいた。

「よう、アルドローデス。元気か?」と、ダヴァリエが声を掛ける。

すると、アルドローデスと呼ばれたその神族は、ゆっくり目を開き、ゆっくりこちらを向き、ゆっくり笑顔を作り、ゆっくり目を閉じる。

「元気だとよ。」と、ダヴァリエ。

まぁ、この国には掃いて捨てるほどいる、普通の無気力な神族だ。

「……どう言う事?」

「背中側へ回ってみろ。そうすれば判る。」と、アルスが促す。

はぁ、結局、そう言う事なのかな。

俺は、ある程度距離を取って、大きく回り込むようにアルドローデスの背後へと回って行く。

次第に背中が見えて来て。果たして、そこにはひとりの老魔導士……だったモノがいた。

アルドローデスの衣服は背中側が大きくはだけており、剥き出しになった背中に人間族の老人が裸で張り付いているのだ。

張り付くと言っても、半ば同化している。

しかし、まだ自由に動くらしい両手の指がせわしなく動き、その口は何事かをぶつぶつ呟いている。

そう、こんな状態でも生きているのだ。

神族の背中に張り付いた人間族の老人、それこそ俺が探し求めたデイトリアム・トゥモローズシーカーその人であった。


「もし、お訪ねします。こちらに、デイトリアムと言う大賢者はおられませんか?」

そう声を掛けると、背中の顔がこちらを見やり、柔和な笑みを作る。

「大賢者?儂が?お前さん、冗談が上手いのぅ。ここにデイトリアムはおるが、大賢者はおらん。儂はただの老いぼれじゃ。」

どうやら……、意識の方は問題無いようだ。

120歳のキャシーの師匠だし、こんな有り様だから、場合によってはまともに話も通じないかも知れないと思ったが、それは杞憂に終わった。

「逢えて光栄ですわ。私は冒険者のルージュ。貴方を探していたんですよ。」

「儂をか?何故に?」

「貴方のお弟子さん、キャスリーン・ポーラスターに逢いました。彼女から貴方の話を聞いたんです。彼女は今も元気ですよ。」

「ポーラスター?!あやつめ、まだ生きておったか。それは素晴らしい。あやつもあやつなりに成果を出しおったか。」

「キャシーに聞いたら、もしかしたら記憶再生を創ったのは貴方かも知れない、って言っていたから、探していたんです。」

「お~、お~、お~、お~、お主、あれを覚えたのか。どうじゃ、面白かろ。」

「面白いも何も、凄過ぎて困りものですよ。多重詠唱の概念を教えてくれたのはありがたいけど、四重詠唱なんて不可能だわ。何かコツでも教えて貰えれば、って思っていたんだけど……、私、この魔法創ったのってエティンなんじゃないかしら、なんて冗談言ってたんだけど、それ、ほぼ正解なんじゃない?」

目を剥きながら、満面の笑みを浮かべるデイトリアム。

「お主、この姿を見ただけでそこまで解ったのか!凄い。凄いのぅ。お~、お~、ほぼ正解じゃ。儂にも四重詠唱なんて無理じゃ。」

そう言って笑うデイトリアムだが、こっちはがっくりだぜ。

まぁ、参考までに、答え合わせはしておこうか。

「……私は今も、常時ヒールの発動待機状態で過ごしているわ。その状態で他の魔法は今まで通り使えているから、多分二重詠唱はもう普通に使えそうよ。でも、3つ目を唱えようとしたら失敗する。キャパオーバーよ。さすがにこれ以上は無理だと思う。」

「うむ、うむ、儂もじゃ。だから諦めた。」

「……でも、スキルツリーには四重詠唱の記憶再生がある。貴方は何らかの方法で四重詠唱を可能にした。その答えが、ふたつの頭脳、って事よね。」

「そうじゃ、そうじゃ。しかしな、あくまでも儂が勝手にアルドローデスくんの思考領域を借りてるだけでな。発動待機状態の魔法をアルドローデスくんに一時的に預けておいて、儂が二重詠唱し終えたところで一気に発動する。普段、アルドローデスくんがぼ~としてくれておるお陰じゃな。」

そう、エティンとは違うが、ふたり分だから可能だった訳だ。

こんなもん、俺には応用出来ん。

「はぁ。これじゃあ、記憶再生のマニュアル発動なんて、夢のまた夢ね。……とは言え。」

「ん?がっかりさせて済まなんだが、何か他にもあるようじゃな。」

「えぇ。私は今、キャシーとも共同研究をしていてね。そっちも一応専門なの。キャシーは今、10代に若返ったわ。それは私の研究成果。」

再び目を剥き、大いに笑うデイトリアム。

「ほ~ほっほぃ、凄い、凄いのぅ、お主。100歳も若返らせるなど、どうやったんじゃ。」

「それは後で説明するけど、今は貴方の話が聞きたいわ。その姿、それが貴方の成果なんでしょ。」

そう、何の理由も無く、神族の背中で平面蛙ならぬ平面人間なんてしている訳が無い(^^;

これこそが、デイトリアムが至った長命化の答えのはずだ。

「ふむ……、良し、良いじゃろう。その代わり、ちゃんと後でお主の話も聞かせておくれな。」

「もちろんよ。で、それって寄生?それとも共生?」

「おいおい、人を虫みたいに言わんでくれ。ちゃんと、アルドローデスくん合意の下じゃ。儂の体はもう限界じゃった。アルドローデスくんに助けて貰ったようなものじゃな。」

キャシーの研究はデイトリアムの研究と基本的には同一だと思うので、それを踏まえればデイトリアムのアストラル体は元気でも体の方が老いて限界を迎えても仕方が無いからな。

神族と同化する事によって、今のデイトリアムの体は神族扱いなんだろう。

「貴方の体は神族として長命化した。残念だけど、やはり人間族のまま長命化する事は出来無かった訳ね。」

「うむ、確かにそうなるな。これでは、他の人間に応用も出来んしのぅ。しかしじゃ、ひとつ嬉しい誤算がある。」

「誤算?」

「体が神族扱いになっただけでは無いようじゃ。アストラル体が融合しないようにぎりぎりのところで分離しておるが、同一個体にふたつのアストラル体が入っているんじゃ。かなりの影響を受けておる。同化してから儂の魔力は倍以上も増大した。これは、普通では考えられん事じゃ。」

……、……、……、アストラル体の影響か……。

「私の研究は、貴方たちとは反対で物質体の方なの。異世界の概念だから詳細は省くけど、私はホムンクルスを使って物質体を複製出来る。そうして本人の複製を作ったり、ちょっと弄って見た目を変えたり性別を変えたり年齢を変えたりした複製にする事も可能よ。それで、キャシーは若い複製に入り直して若返ったの。」

デイトリアムの目が輝く。

「凄い、凄い、凄いのぅ。何じゃ、お主こそ大賢者ではないか。」

「話はここからよ。貴方たちの研究ならアストラル体が強くなるから、体を新調すればそのまま長生き出来るはず。でも、ハイエルフの体を新調した結果彼女の寿命が1万年から数千年に短くなった事を踏まえると、寿命は物質体に左右されてもそれだけでは決まらない事になる。物質体依存なら、ハイエルフの複製は1万年生きないとおかしいからね。原因は、精霊界に近しい場所から出て、彼女の子孫たちと一緒に森で暮らし始めた事だと思う。彼女も、物質界に縛られて、徐々にハイエルフからエルフへと退化して行くから。これは、種としてハイエルフからエルフへ転じたと言えるわ。ハイエルフの体でも、エルフになってしまったら1万年は生きられない。貴方なら、この意味判るでしょ。」

「種族を決定付けるのは、物質体とアストラル体、さらには魂も関係すると言う事かの。おうおう、なるほど。それで儂の今の状態じゃな。」

「えぇ、アストラル体が影響を受けて神族に近い今、貴方はその状態なら5000年生きられるかも知れない、って事ね。まぁ、アルドローデスさんの年齢次第だけど。」

この仮説が正しければ、俺流不老不死で物質体の方は問題無くても、いつかアストラル体、そして魂が先に寿命を迎える心配を克服出来る可能性が生まれる。

ただ、長命種のアストラル体を自分のアストラル体と融合しないように気を付けて同居させる、ってのは、かなり難しい条件だ。

デイトリアムみたいに、自由に動けなくなるのは御免だし。

となると、相手の了解を得るのは難しいから、無理矢理長命種のアストラル体をまるでアイテム扱いして装備するようなものだ。

都合良く、意識の無い長命種のアストラル体と魂なんて、その辺に落ちてたりしないからな(^^;

俺の命の為に他人の命を利用する。

そう言う事になってしまう。

理屈として有用な情報だが、今すぐどうこう出来る訳では無いな。

俺にはまだ、倫理観って奴を捨て去るなんて無理だ。

「と言う事で、貴方はとても貴重な生きた試料ね。貴方が望むなら、新しい体を用意しても良いし、そのまま実証し続けてくれても良いけど、どうお考えかしら。」

「ん?儂か?儂はこのままで良いぞ。こう言っては何じゃが、儂はアルドローデスくんから離れてしまっては、ここまで高い魔力を維持出来んじゃろ。そうなると、他の研究に影響が出るでな。ここで日がな一日景色を眺めながら、あれこれ考えて過ごすのも楽しいんじゃ。アルドローデスくんとの生活も気に入っておる。儂は、このままが良いの。」

「そう……、貴方がそれで良いなら、私も構わないわ。ま、取り敢えず、キャシーに貴方は元気だと伝えておくわ。また遊びにも来るわね。」

「おうおう、そうしておくれ。儂は、いつでもここにおるでな。」

かなり風変りな魔導士デイトリアム・トゥモローズシーカー。

彼との出逢いで、俺はいくつかの収穫を得た。

やはり、一気に状況が変わる訳では無いが、この先の研究には大いに影響を与えてくれるだろう。

俺流不老不死とは違う、さらなるその先へ行く為に……。


7


デイトリアムとの邂逅の後、アルスたちの案内で主神に会いに行く。

主神のいる宮殿はデイトリアムがいた高台の反対側で、向かう内に陽が傾いて来た。

人間の習慣で言うなら、遅い時間帯に会うとなれば晩餐を共にしたりもするが、普段食事の必要性が低い神族の場合どうなんだろう。

神族は、睡眠だって必要最低限だろう。

生活サイクルが良く判らない。

「ねぇ、もう大分陽が傾いて来たけど、こんな時間から会いに行って失礼にならないかしら。」

「どう言う事だ?」と、ダヴァリエ。

「そうだな。人間族は、食事や睡眠の問題で時間を気にするものだ。エルメイア、あぁ、オルヴァの今の巫女だ、そのエルメイアを迎える時は、晩餐会を催すな。参加する神族の数は少ないが。」

あぁ、あの時の巫女さんか。

やはり、巫女は主神には会っているのか。

「あぁ、そうか。俺はいつも欠席だからな。人間族の事は良く判らん。」

「ルージュにも晩餐を用意するよう手配しようか?」

「あ、いえ、別に構わないわ。夜に訪ねるのって、人間族の貴族相手じゃ失礼になるから気になっただけ。まぁ、確かに、さっき運動したからお腹空いたけどね。」

「ん?……やべぇよ、兄貴。今気付いたけど、俺も腹減ってるぞ。凄ぇな。たった一戦交えただけなのに。」

「ほう、そいつは……。神族も、人間族と交わってさえいたら、こんなに衰退しなかったのかもな。」

「どうしたのよ、急に。」

「いや何、俺たちにとっても食事は楽しみのひとつだ。しかし、腹が減らないからその楽しみを全身で楽しもうなんて奴は少ない。喜びが少なけりゃこうもなる。そう思ったまでだ。」

「あぁ、兄貴。今の俺は、凄ぇ飯が喰いたいぜ。こう言う気持ちは気分が良いよな。」

人間だけじゃ無く、神族にだって生の喜びは色々あるはずだ。

それを感じにくくなるってのは、やはり悲劇だな。

「それじゃあ、私との出逢いを祝して、って口実で、晩餐用意してよ。私とダヴァリエと主神様と、そしてアルスの4人で食事を、それとお酒を楽しみましょ。」

「オルヴァドルもか?まぁ、別に良いけどよ。」

「そうだな。今日は特別だ。そうしようか。」

と言う事で、俺は神との晩餐に招かれたのであった。


アルスの手配で、程無く晩餐の支度は整った。

ぼ~としてはいても、いつでも動けるように宮殿付きの侍女たちは待機しているようだ。

大テーブルに主神が主として座り、その脇に軍神ふたりが座る形で、その対面に人間族用に底上げされた席が用意された。

多分、巫女を招く時にいつもそうしているのだろう。

今席には、軍神ふたりと俺だけが着いており、後から主神が登場する手筈なっている。

テーブルの上には、所狭しと豪勢な料理が並んでおり、今にもダヴァリエが手を出してしまいそうだ。

こんなにも空腹感を味わったのは、初めてなのかも知れないな。

まぁ、俺も腹が減っているし、見た事も無いご馳走を目の前に、少しテンションが上がっている。

正直、今は主神に会う事よりご馳走の方が魅力的に思える(^^;

「遅ぇじゃねぇか!客が待ち切れねぇから、早く来いって言って来い。」と、俺を出しにしてダヴァリエが催促する。

いやまぁ、確かに、俺も待ち切れないが。

「あ……、来たようです~。もう少しお待ち下さ~い。」

おっとりとした返事を返す侍女。

だが、一応主神の御出座しのようだ。

と言う事で、3人とも席を立ち主神の登場を待つが、さらにしばし待たされた後、出入り口に掛かった薄絹のベールの向こうから、足音も無く不意にひとりの神族が現れた。

身長は軍神たちよりも少し高いが、体型は細身で力強さを感じさせない。

無造作に顔に掛かった金色の髪は美しいが、手入れをしていないようでだらしなさを感じさせる。

着こなしもだらしなく、ここに住んでいるからだろうが、履き物も履いておらず裸足である。

とても客人を持て成す格好には見えないが、俺はそれよりも、全体の雰囲気から子供っぽさを感じた。

大人のだらしなさと言うよりも、無邪気で何も気にしていないだらしなさと言うか……。

いや、アストラル体から感じる無邪気さが、そう思わせるだけかも知れない。

ぺたぺたと無造作に歩いて、自分の席の横まで来ると、不意に俺に目を留める。

その瞳が輝いて行くのが判った。

「ママ!僕に逢いに来てくれたの?ずっと待ってたんだよ、ママ。」

そう言ったかと思うと、そのままこちらまで駆けて来て、俺の前に膝を突く。

「ママ!逢いたかったよ、ママ!」

俺の前でにこにこしている大きな子供。

うん、俺に子供はいねぇ(^^;

困ってふたりを見やるも、ふたりも事態が呑み込めていないようだ。

「お、お前ぇ、ルージュ。オルヴァドルの母ちゃんだったのか。」

「ダヴァリエ、さすがにそれはどうかと思うぞ。」

ありがとう、アルス。代わりに突っ込んでくれて(^Д^;

「え、えっと……、とにかく、折角のご馳走が冷めちゃうから、席に着いて。ね。」

「うん、わかった。ママが言うならそうする。一緒にごはん食べようね。」

そう言って、こちらから目を離さず自分の席まで歩いて行って、ちょこんと座ってナプキンを侍女に掛けて貰う。

「いただきます。」と、そのまま食事を始めるオルヴァドル。

俺たち3人は顔を見合わせた後、仕方無く席に着き、食事を始めた。

……折角のご馳走だったが、俺は良く味が判らなかった……。


オルヴァドルの言動はまるで子供のようだったが、食事の様子は違っていた。

きちんとマナーに則っていて、子供のようにテーブルの上を汚す事も無い。

黙って食事を摂っている姿は、線の細い美形イケメン青年であって、間違ってもママ、ママと甘えるような子供には見えない。

「……私は育ちが良く無いから、宮廷作法なんて知らないの。だから失礼があるかも知れないけど許してね。庶民は食事中に同席者と会話をするのが普通なの。私も、お話して良いかしら。」

一度ナプキンで口元を拭ってから、オルヴァドルが答える。

「うん、いいよ。僕もかたくるしいのは嫌いなんだ。えぇと、そう、無礼講ってやつだね、ママ。みんなでお話しながら食べよう。」

「ありがとう……御座います、って言った方が良いのかしら。貴方、主神様だもんね。」

「ちがう、ちがう。ママはママなんだから、かしこまらないで。」

「そう?ありがとう。それでね、失礼ついでに聞いちゃうけど、オルヴァドルっていつもこんな調子なの?おふたりさん。」

「んぐぅ?!」と、口に詰め込んんだ料理を喉に詰まらせそうになるダヴァリエ。

「……オルヴァドル。説明して構わないな。」と、こちらアルスは冷静に、オルヴァドルへと問い掛ける。

「うん、もちろん。ママには隠し事なんてしないよ。」

「……オルヴァドルは、まぁ今日は少し違うが、いつもこんな調子だ。ルージュも感じているだろうが、オルヴァドルの強さは神族にあって桁違い。軍神である俺たちふたり掛かりでも、多分勝てないほどだ。」

……そう、確かに、アストラル体から感じる力強さは、ふたりの比では無い。

それほどに強大でありながら無邪気、と言うのが、むしろ恐ろしいくらいだ。

「悔しいが、兄貴の言う通り。こいつは、主神たるに相応しい力を持ってやがる。だがな。」

「……僕は、その力の代償なのか、心の成長がとまっちゃったんだ。ちゃんと理屈はわかるんだ。でも、だめなんだよ。全然集中がつづかないし、楽しい事があるとはしゃいじゃう。頭ではずっと子供のままなんて変だと思うのに、心がついて来ないんだよ、ママ。」

俺にも理屈は解らない。

だが、例えば呪いにより魔族のエリートたちが力を増したように、何か制約を掛けられた事でひとつに力が集約し、より強力になると言う事はあり得る話だ。

主神たるに相応しい力の代償で心の成長が止まったのか、心の成長が止まったから力が増大したのか、彼の場合はどちらなのだろう。

「こいつ自身の所為じゃ無ぇって事は判ってる。でもな、俺は認めねぇ。いつか俺は、こいつよりも強くなって見せるぜ。」

「……ま、問題はあるが、相応の力を示しているからな。オルヴァドルに文句のある神族はいない。だから、オルヴァドルがもう人間族に干渉しないと決めたから、こちらから教国に行く神族はいなくなったし、エルメイアにも特に何も指示しないで帰す。俺はその理由にも納得は行っているしな。」

「その理由を聞いても?」

「うん、いいよ、ママ。簡単だよ。ママも見て来たよね、僕たちの事。もう僕たちは、このままゆっくり滅んで行くしかないんだよ。だけど、僕はみんなを守らなくちゃいけない。だから、一番こわい人間たちとあんまり会わないようにしたんだ。絶対、僕たちがにせものだと思われちゃだめだから。」

喋り方や振る舞いは確かに子供だが、主神としてちゃんと考えて行動している。

オルヴァドルは、充分立派な神族の長だな。

「オルヴァドルは、立派な主神様なのね。」

「う、うん。ありがとう、ママ。」

「で、よ。」と、少し語気を強める。

「う、うん。何?ママ。」と、少し怖気るオルヴァドル。

「それよ、それ。貴方が言動は子供でもちゃんとした大人だと思うから聞くけど、何がどうして私が貴方のママなのよ。説明して貰える?」

「え、ええと……、ママ、少しこわい……。」

「そもそも、オルヴァドルの親って今どうしてるの?アルス。」

「お、俺か?仕方無い。オルヴァドルは俺たちより年上だから、俺たちもオルヴァドルの親の事を直接は知らない。だが、母親はオルヴァドルが小さい頃に亡くなったと聞いている。それはお前も知っているだろう。何故、ルージュをマ……、母親だなんて言うんだ?」

俺たち3人の視線が、オルヴァドルに集まる。

「え……、だって、ママはママだから……。」

「それじゃあ、判らないでしょ。何でも良いから、貴方なりに説明してみて。」

「う~、だって、ママからママと同じ感じがするから。だから、帰って来てくれたんでしょ、ママ。」

同じ感じ、か……。アストラル体の雰囲気が、俺はオルヴァドルの母親に似ているって事かな?

「そうは言うけどな。」と、俺は上半身だけアストラル体を外へ出す。

「良く見ろ、俺は男だ。ママって事は無いだろ、ママって事は。」

ブフォッ、と口に含んだワインを盛大に吹き出すダヴァリエ。

「お、お前……、男だったのか。」

「何だ、お前も気付いていなかったのか。まぁ、アストラル体の気配だけで、他種族の性別までは判らないか。……まさかアルスも、何て事は……。」

「……今お前も言っただろ。アストラル体の気配だけで、他種族の性別など判らん。」

……(^^;

ま、そうだよな。いくら魔法に精通していても、それだけで全てが判るようになる訳じゃ無い。

物質界の住人は、何だかんだ言って物質体に縛られる。

物質体が女なら、中身も女と考えるのが普通だ。

俺やクリスティーナがレアケースなんだ。

俺はアストラル体を戻しながら「だから、せめてパパにしろ、パパに。……って、そうじゃ無ぇ。俺は、私は、悪いけど子供を産んだ事無いから貴方のママじゃ無いわ。」

「……ママはパパなの?一緒に帰って来たの?」と、これはどう言う意味で理解出来ていないのか。

オルヴァドルは精神的には子供でも、ちゃんと物事は理解している。

俺の事をママだなんて思うのは、少しおかしい気がするな。

「……帰って来る、って言ったわね。何か、そう思う根拠でもあったの?」

「え?!……それは、その……。」

「ちゃんと答えて。ママ怒るわよ。」

ママじゃ無いと言いながらママを騙る。

こう言うところは、大人のズルさだよな(^^;

「だって、だって……。」

うん?オルヴァドルの奴、軍神ふたりを気にしているな。

「……何か、人には知られたく無い事でもあるの?」

目を潤ませながら、こちらにすがり付くような瞳を向けるオルヴァドル。

どうやらこれは、俺ひとりでもっと詳しい話を聞いた方が良さそうだな。

俺は、アルスに目配せする。

そこはさすがにアルス、すぐに理解してくれたようだ。

「それじゃあ、オルヴァドル。俺たちは先に失礼するよ。ルージュの事は頼んだぞ。」

そう言ってアルスが席を立つと、ダヴァリエは急いで料理を口に詰め込んでから後に続く。

ダヴァリエも頭が悪い訳では無い、か。

「それじゃあな、ルージュ。帰る前に、挨拶にでも寄ってくれ。」

「えぇ、判ったわ。帰りに寄らせて貰うわ。」

そうして、ふたりの軍神は帰って行った。

さて、これでオルヴァドルは、ちゃんと話してくれるだろうか。


8


「こっち、こっちだよ、ママ。」

俺は今、オルヴァドルに連れられて、彼の、主神の私室へと案内されている。

どうやら、主神だけの秘密があるようで、「他の人には内緒だよ。」と言う事だ。

俺だって本当の母親では無い訳だが、随分と懐かれたものである。

私室とは言ったが、そこは神族の長主神が暮らす部屋である。

部屋数だって多いし、それぞれの部屋も広い。

ちょっとしたダンジョンだな。

その奥まった場所の棚の陰、そこに隠し扉があった。

ご丁寧に、主神しか開けられない封印が施されてもいるので、仮に隠し扉が見付かっても誰も入れない。

その先は下に空間が広がっており、飛び降りて進むようだ。

俺は、オルヴァドルの肩に乗せて貰い、一緒に先へと進む。

「ここはね、最初の主神さまがお作りになった秘密基地なんだ。だから秘密なの。」

主神にだけ代々受け継がれる秘密の場所か。

……そんな事、俺にバラして良いのか?オルヴァドル(^^;

空間はそこまで広く無く、しばらく通路が続いただけで行き止まった。

「ここだよ。」

……あぁ、判ってる。

この空気感には覚えがある。

神族の暮らす神の国。

そんな場所にあってはならないもの、魔界。

今俺の眼前には、魔界の景色が広がっていた。


俺は今でも覚えている。

顔だけだったあのアヴァドラスから漏れ出る瘴気の濃さを。

あれと同質の瘴気が、ここからは漏れ出ている。

魔界は魔界でも、真なる魔界。

ここに広がるのは、アストラル界にあると伝う、本物の魔界であった。

ごくり、と自然に唾を呑み込み「どう言う事……?」と、声を絞り出すのがやっとだった。

「すごいね、ママ。僕は最初にここへ連れられて来た時、あんまりにもこわくてひと言もしゃべれなかった。ふるえて立っていられなかった。でも、ママはへいきだ。」

平気な訳が無い。

ただ、すでに既知のものだけに、耐えられているだけだ。

「……直接……繋がっている訳じゃ無いようね。」

「すごいや、ひと目でそこまでわかるの?うん、これは魔法のかがみ。こっちから魔界が見えるんだって。」

「……何でこんなものがここにあるのよ……。」

「僕だけじゃないんだ。死んだ人にあいたいのは。最初の主神さまも、亡くなったママやパパにあいたかった。だから、本当は死者の国につなごうとしたんだって。でも、そのとなりみたいな魔界につながっちゃった。だからって、こんな危ないもの、下手にいじれないでしょ。だから、そのまんまになってる。」

その通りだ。

偶然でも何でも、一度繋がったものを安全に遮断出来るとは限らない。

繋がったのも、そもそも偶然では無いのかも知れないし……。

「……まさか、ここからママに逢えた、なんて事無いわよね。」

「うん……、いつも見にくるけど、ママにはあえなかった。だけど、いつもママにあいたい、ママにあいたいってお願いしていたら、ママが、ううん、ごめん。ママに良く似たママが訪ねて来てくれたから、僕はてっきり……。」

ここはあくまで魔界であって死者の国では無いけれど、逢いたい気持ちがそう願わずにはいられなかったんだな。

主神としてここを管理する責任もあるし、毎日のように様子を見に来れば、そんな期待もしてしまうか。

「……ママには逢えなかったとして、じゃあ、誰かに遭えたの?」

瞬間、少し瘴気が濃くなった気がした。

「今日は面白い事になっているな。覚えているぞ、人間。久しぶりじゃないか。」

鏡を向こうから覗くように、遭いたくも無い最悪の顔が現れた。

この瘴気、忘れたくても忘れられない。

魔界の7大悪魔のひと柱であり、奈落の巨人と呼ばれる大悪魔、アヴァドラスの顔がそこにはあった。


ごくり、と唾を呑み込んだのは、俺では無くオルヴァドルだった。

「マ、ママ、なにこいつ……、こわい、こわいよ、ママ……。」

軍神ふたりを以てしても敵わないと言わしめた、最強の神族であるオルヴァドルが震えている。

神族は神では無い。

だが、今目の前にいるのは同格の魔族では無く、上位種たる本物の神だったモノ、悪魔だ。

しかも、アーデルヴァイトで受肉した仮初めの体を持つ悪魔では無い。

鏡越しではあっても、本来の悪魔と対峙しているのだ。

魂から畏怖して当然だ。

「……その様子だと、いつもはこれほどの大物、姿を現す事は無い訳ね。」

「……う、うん、ママ。僕、僕初めてだよ、こんなにこわいの……。」

すると、少し鏡から遠ざかり、アヴァドラスの姿がアップから引きになる。

あぁ、確かに顔だけじゃ無いな。

ちゃんと体もある(^^;

「私は毎日見ていたぞ、地上の主神よ。お前が母を求めて泣きべそを掻いているのをな。先代たちより強い癖に、心根の弱い奴だな。お前は見ていてもつまらない。だが、魔界は退屈でな。他に楽しみも無い。しかし、毎日お前を観察していて良かったよ。今日は面白い訪問者がいるじゃないか。」

そう言って、顔いっぱいに笑う巨人。

気付いている。今の俺の姿はあの時と全く違うのに、アヴァドラスは俺があの時の招喚者だと気付いている。

俺の事を、本質的に見抜いている証拠だ。

俺の事を、物質体では無く、アストラル体、もしくは魂ごと視ているのだ。

「面白い、って言うのは誉め言葉だと思うけど、こっちは出来れば二度と遭いたく無かったわよ、アヴァドラス。」

こんな鏡越しでも伝わる圧倒的な存在感。

アストラル体が弱い者は、きっと見ただけで発狂するだろう。

古代竜に魔族、ハイエルフに神族と、超越者たちとたくさん知り合って来たけど、そんな地上最強の者たちが霞むほどの強大さ。

当然今の俺も、アヴァドラスから見れば“面白い”だけの小虫に過ぎない。

駄目だ。やはり悪魔だけは駄目、絶対。

「さて、こうして折角再会出来たのだ……。」

「帰るわよ、オルヴァドル。」

「え?!」「え?」と、アヴァドラスとオルヴァドルの声が重なる。

「こんな場所に長くいちゃ駄目。瘴気の影響を受けかねないわ。さっさと帰るわよ。」

「ちょっと待て、ちょっと待て。」と、慌てるアヴァドラス。

「まだ再会したばかりじゃないか。せめて、もう少し話して行け。」

「話す事なんか無いわよ。どんなに偉大でも貴方は悪魔よ、悪魔。会話の中で下手に約束でもしたら大変だわ。悪魔の怖さは身に沁みてる。さ、行くわよ。」

「待て、待て、待て。本当に賢しい人間だな。やはり、異世界から来た者は違うと言う事か。」

ちっ、アヴァドラスの奴、どこまで俺の事を見透かしてやがるんだ。

「まぁ、良い。確かにそれが賢明だ。とにかく、また逢いに来い。こちらは本当に退屈なのだ。毎日とは言わん。何年後でも、何十年後でも構わん。逢えるだけでも愉快な思いが出来る。」

「……ひとつ聞いて良い?……いいえ、止めておくわ。」

「何だ、気になるではないか。何でも聞いてくれ。約束さえしなければ良いのだ。お前ならば平気だろう?」

こう言うところも嫌らしい。

悪魔との会話など、さっさと切り上げるに限るのだが……。

「どうせ、本当の事を答えるとは限らないんだし、無駄だと判ってはいるんだけどね。ちょっと気になったのよ。この鏡は死者の国に繋げたかった。実際どうなの?そこって、死者の国に近いのかしら?まぁ、死者の国ってのがあればの話だけどね。神話でアストラル界は死後魂が召される場所とされているだけで、死んだらどうなるのかなんて判らないもの。」

目を細めるアヴァドラス。

「やはり面白いよ、人間。お前は色々な事を知っているんだな。そうだな……、少なくとも、魔界の中枢、真なる魔王の御座に近い場所に繋がっていたら、こんな鏡を放置はしなかったろう。ここは魔界の僻地だ。ここに鏡がある事を知っている悪魔も少ない。簡単に死者の国へ行ける訳では無いが、距離にするならすぐ近くと言えるだろうな。」

「そう……、千三つ屋の言う事だから話半分以下で聞いておくけど、ありがと。何と無く、雰囲気は伝わったわ。」

「どういたしまして。では、また逢いに来ると約束してくれるな……、と続けるのが普通だが、お前は約束してくれないからな。勝手に待たせて貰うぞ。」

「オーケー、約束はしないけど、また来るわ。ここを、オルヴァドルひとりに押し付けるのも可哀想だし。」

「ママ……。」と、俺の背後に回って、隠れるようにしながらアヴァドラスを見詰めるオルヴァドル。

「地上の主神よ。お前もその人間を見習って強くなれ。人間よ、お前は私たちの正体も知っていよう。」

「……まぁ、貴方は堕天した身だけど、悪魔の前身はあくまで神。闇の神々。」

「そう、私たちの信条は、試練によって遂げる成長を促す事にある。いや、あった。もう、多くの悪魔はその頃の面影など無いからな。だが、私は違うぞ。アーデルヴァイトの大地ほど愛していないが、お前たちも私たちの同胞が産み出した子供たちだ。成長を見るのは慶びである。地上の主神よ、励むが良い。そうすれば、お前を眺めるのもまた楽しかろう。」

「ママ、ママもう行こう。僕もう……。」

「えぇ、そうしましょ。悪いわね、アヴァドラス。ウチの子、もう限界みたい。こっそり見るのは良いけど、あんまりその大きな顔を出さないで頂戴。私だって、貴方の瘴気はキツいわ。」

満面の笑みを浮かべるアヴァドラス。

「愉快だ、愉快だぞ、人間。判った、出来るだけ、こっそり覗く事にしよう。お前が再び訪れるのを、楽しみにしているぞ。」

そうして、アヴァドラスは鏡の前から去って行った。

はぁ、何てとんでもないモノと再会してしまった事だろう。

これはさすがに、想定外過ぎるだろ。


その後、俺たちはオルヴァドルの部屋まで戻り、緊張の糸が切れたオルヴァドルは泣き出してしまう。

天下の主神様が恐怖で泣き出すなど、尋常の沙汰では無い。

そんなオルヴァドルを見て、俺は自分が思うよりも遥かに強くなっていたんだと実感するとともに、上には上がいるのだと思い知らされるのだった。

俺の手を離さず、泣き疲れて眠りに就いたオルヴァドルの寝顔を見ながら、俺は今日と言う長い1日を振り返る。

今の神族の姿を知り、気持ちの良い神族もいるのだと知り、探し求めた賢者とも逢い、大きな子供が出来て(苦笑)、真なる魔王直属の配下と再会する。

我ながら、大変な1日だったと思う。

だが、目的は果たしたのだし、明日にはここを発つ事になるだろう。

オルヴァドルが駄々をこねるかも知れないが、何とか言い含めないとな。

俺の居場所はここじゃ無い。

帰りたい場所、ホーリーランドはあの人のいる場所なんだから。


第六巻につづく


あとがき


何とか書き上げました。

当初は、記憶再生、クリスティーナとの再会、エーデルハイトのその後とマックスとカーソンとの再会、ライアンとの再会はその時点でのキャラ次第、最後に神の国へ、それだけしか決めていませんでした。

書きながら膨らんで、ガリギルヴァドルやキャシー、デイトリアムなどが増えて行き、軍神ダヴァリエも双子になり、アヴァドラスまで再登場。

作者の手を離れて勝手に物語が転がるのは、嬉しいけれど大変です(^^;


ちなみにアヴァドラスと言う名前は、アバドン+アトラスです。

アバドンは真・女神転生のアバドンのイメージなので、最初は顔しか登場しませんでした。

世界を支える巨人としてのアトラスのイメージを足したので、奈落の巨人となりました。

アスタレイは、アシュタロスがモデルです。

私は、これと言ったキャラの名前を考えた時、一応ググッて他の作品でも使われているか確認するのですが、ググッてからアストレイに似ていると気付きました。

だから、アストレイは無関係。

似過ぎているからアシュタレイにしようかとも思ったのですが、そうするとアシュタロスに寄り過ぎるので止めました。

結果的には、アスタレイにしておいて良かったと思っています。


今巻では、俺とライアンの関係がどう受け止められるか不安でしたが、伏線通りふたりを結び付ける事が出来て、その後のビジョンが明確になりました。

俺に掛け替えの無い存在が出来た事で、一気にエピローグまで発想が降りて来ました。

多分、ボリューム的に7巻だけに収まり切らないと思うので、全8巻。

メインストーリィを進める前に少しやりたい事もあるので、それを挟めれば全9巻になりそうです。

まだまだ先は長いですが、ビジョンが明確になったので、何とか形にしたいと思います。

これからも、読んでくれる方に楽しんで貰えるよう、頑張りたいと思います。

よろしくお願いします。

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