第五章 Candy girl


1


初夏の陽射しは温かく、しかし海上まで出ると海風を冷たく感じる。

空を飛ぶと言っても、飛行機とは違って外気を遮る物が無い。

加えて、所詮土塊から生まれたアンデッド、その肌も冷たい。

俺はアンデッドグリフォンに跨り空を行くが、もう少し厚着をして来るべきだったと後悔しているところだ(^^;

今のところ海は穏やかで、寒風吹きすさぶと言う様相では無いものの、風を切って進むグリフォンの速度はかなり速く、その分体感温度も下がる。

嵐に巻き込まれてはそれどころでは無いので、晴天に恵まれた事を喜ぶべきだが。

日本までは、仮に船で直進出来れば1日の距離を、ぐるり迂回する3日ほどの航路だった。

アンデッドホースに生命力を吸われ過ぎた同じ轍を踏まぬ為、グリフォンの速度は生命力を吸われない程度に抑えているが、それでも半日くらいで日本へ到達出来るだろう。

そのまま丸1日飛び続ければ、多分エドミヤコまで行けるはずだ。

目印となる物が無い為多少不安だが、方向は合っているはずだし、遠くに人の気配は捉えている。

こんな海の上に大勢の人間が存在する場所は、アーデルヴァイトでは日本しか無い。

この気配を目指して飛んで行けば、大きく逸れる事は無いだろう。


半日ほど飛んで、そろそろ日本近海に入る頃、空が曇り始めて来た。

そう言えば、サカイミナト周辺では常に曇っていると言う話だった。

これは天気の急変では無く、日本に近付いた証拠なのだろう。

……どうする、雲の上に出るべきか。

実は、空を飛ばない理由はもうひとつあった。

海を真っ直ぐ進むと果てはどうなっているのか、興味はあれど確かめる術は無い。

では、アーデルヴァイトの空を昇って行った場合、その先は果たして宇宙なのだろうか。

異世界ものは数あれど、宇宙へ飛び出す展開を俺は知らない。

異世界の上空はどうなっているのか。

俺が知っているのは、そこに神の国がある、と言う定番くらいだ。

しかし、アーデルヴァイトに神は残っておらず、少なくとも神の国が空の上にあるなんて話は聞いた事が無い。

気にはなるし想像も付かないので、俺は一度確かめてみようとした。

空間固定と短距離空間転移さえあれば、空は飛べずとも昇っては行けるからな。

空間感知の直径はおよそ10km、自分を起点に下方へ展開しても、高度1万mを越えたらもう観測出来無くなる。

確か、高度1万mを越えた辺りで成層圏へと至るはずだが、大体その辺り、空間感知で高度を測れなくなった頃、それは訪れた。

物凄く重いプレッシャーだ。

アストラル体が、魂が警告する。

これ以上先へ進んではいけない、と。

それはただの警告では無い。

圧倒的な恐怖を伴うものだった。

今にして思えば、これは神が敷いていたセーフティラインなのかも知れない。

このプレッシャーが無ければ、不用意に飛び込む存在があるやも知れない。

空を飛ぶ生き物が、アーデルヴァイトにもいるのだから。

だが、知的探求に危険は付きもの。

はい、そうですかと簡単に割り切れるものじゃ無い。

そこで俺は取り敢えず、ファイアーボールをさらに上空へ向けて撃ってみた。

すると、ファイアーボールは徐々に萎んで行き、ある程度進んだところで消滅した。

自然に消えたのでは無く、まだ確かな形を維持している時点で、ふっと消えた。

多分、そこが限界点なのだろう。

これも死と一緒で、実際のところは自分で試してみないと実証不可能なのだが、仮にそこまで行けても、ファイアーボール同様に消滅するだけ。

その消滅と言う事象が、一体どんなものなのかが正確には判らない。

物質体が分解消滅するのか、アストラル体や魂すらも分解消滅するのか、その限界点の先がこちら側から見えないだけで、向こう側へ行ったファイアーボールが結果的に消えて見えただけか、その場合その先には何があるのか……。

この時には、判断材料が少な過ぎて、結論など出せなかった。

この世の理をほんの少し紐解いた今は、こう考えている。

これ以上高い場所には、マナが存在しないのではないか、と。

アーデルヴァイトの物質は、いやアストラル体や魂さえも、全てマナの影響を受けている。

マナだけで形作られている訳では無いが、マナが無ければ存在出来無い。

アーデルヴァイトのあらゆる存在は、MPが一時的に枯渇しても、周囲のマナを自然に吸収し、再びマナで満ちようとする性質を持っている。

地球人類にとっての空気と同じように、無くてはならないものがマナだ。

まぁ、現実世界のダークマター同様、詳しい事が判らない謎物質ではあるが(^^;

そして、マナが希薄であったり濃かったりと、濃淡の違いはあれど世界中にマナは溢れている。

本当の意味で、マナが消失する事態に遭遇する事は無い。

では、完全にマナが断たれたらどうなるのか。

多分、消えてしまうのだろう、あの限界点を超えたファイアーボールのように……。

ただ、この仮説が正しいという確信は無い。

マナが存在しない限界点の向こうを仮にアーデルヴァイトの成層圏と呼称するが、では成層圏の向こうはどうなっているのだろう。

アーデルヴァイトにも空がある。

太陽が昇り日が沈み、夜になれば月も出て星が瞬く。

もし成層圏の先にマナが存在しない空間が続くのであれば、星々すら存在不可能なはずだ。

では、この夜空は、太陽は何なのか。

マナ枯渇が確定的事実とすれば推論も立てられるが、前提であるマナ枯渇すら実証出来無いのだ。

これはもう、俺のただの妄想に過ぎない。

残る現実は、限界点の先へは危険過ぎて進めない、と言う事実だけ。

間違っても、成層圏に突っ込む訳には行かないのだ。


話が逸れたが、雲の上に出るかどうか、そこで問題が生じる。

良くフィクションで、飛行機が荒天を避ける為雲の上に出るのを見るが、あれは高度何mなのか。

イメージとしては、成層圏まで雲が続くとは思えないのだが、微かな記憶では高い雲は高度1万mを超えていた気もする。

こう言う時、ググれない異世界は不便だが、おっさんが若い頃もネットなど無かったからな。

百科事典でも開けば答えが見付かったものだが、アーデルヴァイトに存在しない知識では調べようも無い。

だから、確かな事は言えないけど、もしこの雲が高度1万mまで続いていた場合、成層圏まで突っ込んでしまう危険がある。

神のセーフティラインは雲の中でも感じられるだろうが、そうなると雲を抜けられずに彷徨う事になりかねない。

あくまでも、雲の中に突入するのは、雲の上に出る事前提の話だ。

まぁ、サカイミナト周辺は常に曇っているだけで、むしろ嵐にならないと考えれば安定した天候と言えるし、原因は精霊力の乱れのはずだから急変する事もあるまい。

ここはこのまま進んで、一気にエドミヤコを目指すとしよう。


2


重く暗い雲が頭を押さえて来るのも、サカイミナト周辺だけの話。

少し先へ進んだところで、空は蒼穹へと姿を変えた。

こうなると、空飛ぶ魔獣は目立ちかねないので、ルートを山岳沿いへと変更。

多少遠回りになるも、俺が死んでから5日でエドミヤコまで戻る事が出来た。

入国禁止と聞いた時はどうなるものかと思ったが、結果的にグルドと出逢った事で予定より早く着いた事になる。

やはり、人間万事塞翁が馬である。


暗い内に着いたので、エドミヤコ近くまでグリフォンで翔び、そこから馬に乗り換えてミヤコ入り。

人影の無い路地で塵へと還し、その足で忍者ギルドへ。

エドミヤコにも冒険者ギルドの出張所はあるのだが、どうもまだ日本に馴染み切れていないように思えたので、情報を求めるなら忍者ギルドの方が正解だろう。

一応、上手い口実も思い付いたし。

「あら、お嬢ちゃん。こんなに朝早く、忍者ギルドに何かご用?」

この姿は、受付のくノ一にも受けが良いようだ。

「あ、あの……、人を探しているの。私のお師匠様が帰って来ないの。少し前に、ここに来たと思うの。」

「お師匠様?それはどんな人?お名前は?」

「……ノワールって言うの。」

目の前の受付くノ一の表情に変化は無いが、周囲の空気が変わるのを感じた。

ギルド入り口の見張り番は、先の一件を知っているようだな。

「お師匠様は、ここで情報を仕入れてからヒトツバシ様のお屋敷に向かうって言った切り、帰って来ないの。ねぇ、何か知りませんか?」

バンッ、と天井板が回り、忍者が1人降りて来る。

「どっ、どうしたんですか、いきなり!?」と慌てるくノ一。

「この娘を奥に通してやれ。忍び頭がお会いになる。」

「え、あ、はい。あ、じゃあ、お嬢ちゃん、そこの扉から入って良いわよ。」

「案内は私がしよう。」

そう言って、その忍者が先導を始める。

「お姉ちゃん、ありがとう。」

俺は愛想を振り撒いてから、その後を付いて行く。

歩きながら、忍者が問い掛ける。

「お主、何者なのだ?その姿は変装か何かかね?」

見張り番なら、当然鑑定くらい持っているか。

「……さっき聞いていたでしょ。私はお師匠様の弟子なの。結構強いでしょ……っと!」

いきなり忍者が足を止めたので、思わず背中に突っ込んでしまった。

「馬鹿な事を……とは言え、鑑定出来無いのでは無く、鑑定結果がおかしい、などと言う事もあり得ぬ話。」

くるりと向き直り、こちらを覗き込む。

「本当に、お主は一体……。」

「……信じるかどうかは貴方次第だけど、私はお師匠様の弟子よ。少なくともお師匠様の関係者だとは思うから、わざわざ会ってくれるんでしょ、その忍び頭さん。」

そのまま捨て置けないと思わせる為に、わざとノワールとヒトツバシの名前を出したのだ。

「その通りだ。……このまま帰す訳には行かない、と言う事だが、まるで動じないな。」

「その必要無いでしょ。こんな見た目でも、その気になれば逃げ出す事なんて簡単よ。」

「……逃げ出すどころか、か。確かに、私はおろか、忍び頭でも敵わないだろうな。いや、失礼した、ええと……。」

「シンク。私の名前はシンクよ。宜しくね、忍者のおじちゃん。」

一歩後退る忍者。

歴戦の強者であろう忍者ですら、思わず頬を赤らめているところが、少女体の凄いところであった(^^;


忍び頭の居室は二階にあり、俺はしばし入り口前で待たされる。

先程の忍者が、先に忍び頭に話をしているところだ。

どうやら、入り口での判断は見張り番の裁量であって、まだ忍び頭には伝わっていなかったようだ。

程無く中へ通され、俺は忍び頭と対面する。

部屋の中は、如何にも忍者屋敷と言った風情で、そこにいるのが全員外人顔だから余計にコスプレ感が増す(^^;

「……お前がノワールの弟子……なのか?」

「シンクよ。それで……まずはそちらの要望を聞くわ。こちらの要件はその後で。」

目を細める忍び頭。

「ほう、随分察しが良いな。確かに、ただの少女では無い、か。」

「ギブアンドテイクよ。情報の大切さは私も良く知ってる。知りたい事には答える、だから、私の知りたい事にも答えて貰う。」

「……良いだろう。お前は確かにノワールに関係する者だろうし、そうで無くとも凄腕の忍者……いや、盗賊か。わざわざ敵対する愚を犯す事も無い。」

俺は勧められた座布団に、ちょこんと女の子座りをする。

さすがに、この格好で胡坐をかくのは不似合いに過ぎるからな(^^;

「……お前は本当に、ノワールの弟子なのか?それにしては、能力が似過ぎてやしないか。」

ノワールを鑑定した時に、魔法系スキルはライトのみ、ほんの少し戦士系スキルがあって、ほぼ全ての盗賊系スキルを身に付けている、Lv40のクラス勇者、と言う情報を得ていただろう。

そして、今の俺を鑑定すれば、戦士系スキルに気スキルが加わった程度で、Lvは40だしクラスは勇者だし……正直、こんな人間が2人いるなんて普通は信じられまい(^ω^;

「あ~……、私はノワールの弟子、それでも駄目なら娘、って事にしておいて。自分でも無理があるとは思うけど、そこは内緒よ。」

「……ノワール本人……、それも信じ難い。弟子?娘?なのに師や父ともう同じ強さなのか?どれも納得は行かぬ。と言って……。」

「何をどう言ってもおかしな話でしょ。もう、そう言うもんと割り切ってよ。そこ、大事なところじゃ無いから。」

納得行かない顔ながら、渋々頷くしか無い忍び頭。

「で、では、我らギルドにとって重要な話だ。ノワールは何の目的で、ヒトツバシの屋敷に忍び込んだのだ。」

「もちろん、腕試し……と言うのは建前よ。ね、こんな事を知ってるだけでも、ちゃんと事情に通じてる証にはなるでしょ。」

「……聞いていた話とは符合する。続けてくれ。」

「誠意の証として正直に話すけど、他言は無用よ。漏らしても、何の得にもならない話だし。まだエドミヤコには届いていない話だと思うけど、サカイミナトの冒険者ギルドに、大陸から渡って来たクリムゾンって冒険者が登録したわ。後で確認してみて。クリムゾンは、訪日早々失敗をやらかしてね。罰として、ひとつの密命を与えられたの。大陸のお偉いさんの馬鹿な命令で、ニホン帝国の情報を何かしら手土産に持参しろってね。」

「カンギの意向か。確かに、漏らしても面倒なだけの話だな。」

「でしょ。で、冒険者ギルドとの関係を疑われない為に、サカイミナトから離れたエドミヤコのお偉いさんの家に忍び込め、って。そこで選ばれたのがヒトツバシ家だっただけで、それ以上の意味は無いわ。」

「ちょっと待て、それはそのクリムゾンとやらが受けた密命だろ。ノワールとはどう関わって来るんだ。」

「そのクリムゾンとノワールは仲間みたいなものでね。今回、実際に行動したのはノワールだった訳。あ……、実は私は、そのクリムゾンの変装、ってどうかな?」

「どうかなって、聞いちゃってる時点で駄目だろう。」

「あは、冗談よ。」

お、さすが忍び頭。

飛び切りの笑顔で誤魔化そうとしてみたが、表情を一切崩さなかったな。

胸に手を当てて、必死に悶えるのを堪えていなければ完璧だったんだが(^^;

「ま、冗談はともかく、だから特にヒトツバシ様をどうこうとか、継嗣問題に関わってるとか、そう言う事は無いの。もし万が一、忍者ギルドとノワールの関係を勘繰られても、そもそもの目的がクリムゾンが所属する冒険者ギルドの意向なんだから、それ以上何も出る事は無い。あ、ギルドカードは処分した?証拠さえ隠滅しちゃえば、忍者ギルドに迷惑は掛からないはずよ。」

「証拠は残さん。すでに処分させて貰ったが……、それで良かったのか?」

「えぇ、死者には必要の無い物よ。」

「!……、そこまで知っているのか。」

「えぇ、もうノワールは死んだわ。それはこちらでも確認したの?」

「うむ、ヒトツバシ家に侵入した忍者が1人斬られ、その問い合わせが忍者ギルドにも来たのでな。しかし、首実験に向かった部下が確認した死体は、ノワールでは無かった。だが、状況からノワールだと判断した。顔は別人だったそうだが、ギルドに立ち寄った時に変装でもしていたのだろう。もちろん、知らぬ存ぜぬと白も切っておいた。」

あぁ、死んだ事で、別人の仮面の効力が失われたんだな。

それでいて、ちゃんとノワールだと判断出来るのも、ご同業だからこそ、かな。

「さすがにプロね。それで、私の言う事を信じてくれるなら、聞きたい事はもう充分かな?」

腕を組み、しばし悩む忍び頭。

「……クリムゾンの事は後で調べさせよう。だが、嘘は言っていない、と判断して良いだろう。仮に嘘でも、最悪冒険者ギルドに全て引っ被って貰うシナリオに使える訳だしな。」

「本当、さすがプロね。それじゃあ、次は私が知りたい事、聞いて良い?」

「あぁ、構わない。そう言う約束だ。」

「私がわざわざここへ来たのは、ノワールの遺体のその後が知りたいからよ。」

怪訝な顔をする忍び頭。

「遺体のその後?変な言い回しだな。遺体に何かあるのか?」

「回収したいの。あぁ、アイテムとか金目の物なんかは別に要らない。遺体が必要なの。」

別人の仮面だけは少し惜しいが、思えばこれで勇者イタミ・ヒデオは死んだのだ。

死んで仮面の効力が切れた遺体は、紛う方無き勇者イタミ・ヒデオ。

ま、イタミ・ヒデオを知る人間など、この国にはいないけどな。

そもそも追手も付いていなかったから、身元を偽る必要すら無かったかも知れん。

クリムゾンは良いとこ無しだったし、もう冒険者と盗賊を使い分ける必要も無いだろう。

最悪、青い仮面だけはどこかの拠点に残っているしな。

それに、金目の物は捌けば数千万円相当だが、俺の総資産からすればはした金だ。

危険を冒してまで回収する価値は無い。

その価値があるのは、遺体のみだ。

「なぁ、まだ何か隠しているのか?」

「う~ん……、これは信じてくれなくても良いけど、私、専業盗賊じゃ無いのよ。こう見えて、魔導士なの。」

そう言って、俺はひとつの魔法を行使する。

「豊穣の精霊、この地に雨をもたらせ、切実なる思い、聞き届け賜え。」

敢えて口に出した魔法語の詠唱が終わると、部屋の中に“あめ”が降り始める。

甘くて美味しい、色取り取りの“飴”である。

「お、おい!これは一体どうなってるんだ!」

「悪戯好きな神様ってのもいたそうだけど、精霊は皆悪戯好き。だからね、その昔、日照りに困った村人を救おうと間違って精霊に祈りを捧げた魔導士がいて、雨じゃ無くて飴が降ったらしいわ。それが今の呪文。祈るなら、せめて神様に祈るべきね。」

実は、アーデルヴァイトの魔法には、こうした一見何の役にも立たないジョークみたいな魔法も数多く存在する。

役にも立たないと思われているから、スキルツリーには含まれていない。

しかし、魔導とは人間にとっては学問故に、数多の失敗の歴史が積み重なっている。

こう言う失敗から生まれた魔法は、魔導書によって後世まで残る事があり、魔導書など必要としない魔法に近しい種族は知らない魔法だったりする。

これもある意味、人間族の独自性。

「こんなもん、魔法じゃ無くて手品じゃ無ぇか。」

「失礼ね。タネなんか無いわよ。これはこれで結構凄いんだから。何も無いところから飴ちゃん生み出すんだもん。これで、どんな場所にいたって、おやつには困らないわ。」

実際、凄い事なのだ。

理屈としては、マナを飴に変換する魔法だからな。

上手く手を加えられれば、この世から食糧危機など無くせる大魔法ともなり得る。

……ま、精霊の気紛れの賜物だけに、思い通りの改変など出来無いんだけどな(^^;

「とにかく。遺体は魔法に必要なの。魔法については詳しく講義してもしょうが無いでしょ。そう言うもんだと割り切って。」

「判った、判った。だからこの飴を止めてくれ!」

すまんな、忍び頭。

いつ止むかも、精霊次第だw


3


雑務をこなすくノ一たちが飴ちゃんを片付けている隣で、忍び頭との話は続く。

「情報を提供するとは言ったが、その前にもうひとつ、頼みを聞いて貰えるか。」

「ん~、今回はこちらが迷惑を掛けたんだから別に構わないけど、冒険者ギルドでも同じパターンで今回の一件を請けているから、縁起悪いわね。で、その頼みって?」

「いや、遺体の回収が済んでからで良い。直接、忍者マスターからお話がある。これは、ノワール云々とは別件で、とにかく凄腕の忍者に声を掛けている話だ。一段落したら、キョウミヤコのギルド本部へ顔を出してくれ。紹介状はすぐ用意する。」

忍者マスターってのが、日本の忍者ギルドのギルドマスターに当たる。

あくまで、エドミヤコは武家の首都であって、本当の首都はキョウミヤコだから、本部もそっちにある訳だな。

「判った。立つ鳥跡を濁さず、ノワールのけじめとして引き受けるわ。」

「何だ?もう日本を離れるのか。」

「もちろん、すぐって訳には行かないけどね。全部片付いたらちょっと忙しくなりそうだし、少なくとも、クリムゾン、ノワール、そして私シンクは、日本から消えるわ。消えるの意味は色々だけどね。」

と、悪戯っぽく笑っておく。

「……その笑顔に騙されそうになるが、知らぬ方が身の為、だな。良し、それでは今度はこちらが知っている事を話す番だな。知りたいのは遺体のその後だったな。」

「えぇ、お願い。」

「あの日ヒトツバシ家を訪れたのは、名門ウエスギ家のカネスエ一行だ。例の継嗣問題でウエスギ家はキシュウトクガワ家の陣営なのだが、カネスエは次男坊で当主ミツカネに反抗的だ。どうやら裏で、ヒトツバシ家と繋がりがあるようだな。ノワールを斬った侍は、カネスエの護衛役の中では一番下っ端となるムネシゲ・ヤナギタだ。」

「ムネシゲ・ヤナギタ……。あれほどの腕なのに、一番下っ端なんだ。」

「武家社会は、家柄が物を言うからな。ヤナギタ家は下級の武家に過ぎず、ムネシゲは剣の腕一本で取り立てられた一族の出世頭だ。それでも、家格が低いからどんなに強くても下っ端扱い。実力主義の忍者とはまるで違う世界だ。」

サカイミナトでは食い詰め浪人が何人もアギラの犠牲となっていたが、一度出世レースから脱落した侍は、そう簡単に巻き返しなど不可能なのだろう。

その点、実力さえあれば食いっぱぐれずに済む分、忍者の方が気楽な商売だな。

「点数稼ぎと考えたんだろうが、カネスエが死体の処分を申し出た。その時は、背後関係を洗う必要があるとヒトツバシ家の方で引き取ったが、ウチではしらばっくれたし、身元を確認する持ち物も無い。そこで、結局死体は処分される事となったが、最初の申し出があったから、その役目はカネスエに与えられた。だが、死体は処分されなかった。」

「それはラッキー……だけど、どうして処分されなかったの?」

「ムネシゲの申し入れだ。きっと関係者が死体を取り戻しに来るはずだから、しばらく死体は安置して見張らせて欲しい、とな。……正直、何故そんな事を言い出したのか、家中の者だけで無く私も理解出来無かったが……、結果的にはその通りになった訳だ。」

「ふ~ん、あいつ、何か感じるものでもあったのかな?」

例えば、斬ったは良いが、その直後消え去ったアストラル体に不自然さを感じた、とか?

闘気だけの化け物と言う異常な存在が、このまま終わるとは思えなかった、とか?

「でも、良く下っ端の言う事なんか聞いてくれたわね。」

「あぁ、それは、ムネシゲの功績って事もあるが、ムネシゲはカネスエのお気に入りだからな。周りはそれも気に入らない、って訳だ。」

まぁ、明らかに一番強いんだから、自分の身の安全の為にも、目を掛ける方が自然だな。

「だから、ノワールの遺体は今、ウエスギ家の下屋敷にある。」

「下屋敷?」

「あぁ。武家屋敷は、エドミヤコ城に近い方から上屋敷、中屋敷、下屋敷とあって、ウエスギ家も名門だから立派な上屋敷を持っているんだが、カネスエは裏でこそこそやっている訳だからそこは使えない。だから、目立たぬように下屋敷の方に運び込んだんだ。」

「そう、そこに私のい……お師匠様の遺体があるのね。」

「……だが、わざわざムネシゲが申し出て待ち構えているんだ。そこから遺体なんて目立つ物を持ち出そうなんて……、そんな事出来るのか?それに、危険だぞ。」

「そうね。でも、多分大丈夫。同じ轍は二度踏まないわ。それに、ムネシゲにはちゃんとお礼をしないとね。」


その後、俺は忍び頭から紹介状を受け取り、ギルドを後にした。

目的のウエスギ家下屋敷は郊外にあるが、屋根の上を真っ直ぐ進めばすぐの距離だ。

空間感知を使うと、しっかりムネシゲの位置も把握出来た。

そのすぐ近くに、俺の遺体がある訳だ。

屋根の上を直進し、程無くして視界にウエスギ家下屋敷を捉えたところで、いつものように空間固定と短距離空間転移で上空へ。

敷地は一辺が70~80mほど、土塀の内側には母屋ひとつと土蔵ひとつがあるだけで、先日のヒトツバシ家上屋敷と比べればかなり小さな屋敷である。

当然、ムネシゲの姿は、その土蔵近くにあった。

つまりは、その土蔵が目的地と言う事だ。

取り敢えず、俺はパーフェクトステルス状態で、土蔵の屋根の上へと転移する。

見下ろすムネシゲに変化は無い。

一応、他の侍の姿も土蔵の周りには見えるのだが、ムネシゲと比べたらあんまりにもお話にならない連中だ。

こいつらはいないものと考えて問題無いが、ムネシゲだけには細心の注意を払う必要がある。

だが、この時点で反応が無いとなれば、パーフェクトステルスには気付いていないと判断して良いだろう。

その上で、念には念を。

そこで俺は、土蔵を結界で封印した。

これで、仮に結界を破られたとしても、破られた事で侵入に気付ける。

さて、これでワンクッション挟んだ事だし、まずは遺体の確認だ。

俺は明り取りの隙間から転移で土蔵へ入り、中を物色する。

二階に棺箱が置かれていて、その中に遺体を発見した。

安置する為に、座棺では無く寝棺を使ったみたいだな。

傷口はそのままで腸も零れているが、簡単な防腐処置として、低温化の魔法は掛けられている。

死後、遺体に低温化の魔法を掛けるのは、アーデルヴァイトでの一般的な処置だ。

装備は外され丸裸で、周囲にも装備類や持ち物は見当たらない。

回収出来無くても良いとは言ったが、もし近くにあれば、仮面もダガーも宝石類も、出来れば回収したかったな。

しかし……、予想通りだが、さすがにもう勇者ボディは生き返らないな。

死者蘇生はそもそも無理だが、物質体のみなら不可能じゃ無い。

組織が新鮮な内なら腕もヒールでくっ付くように、自然治癒力が喪われる前なら、物質体自体は生き返る。

仮に死んでも、物質体そのものはヒールで修復は可能なので、新鮮なら心臓マッサージでもして無理矢理生き返らせる事も不可能じゃ無い。

だが、さすがに時間が経ち過ぎた。

勇者ボディの傷は治せるが、もう決して息は吹き返さないだろう。

俺が勇者ボディに入っても、もうゾンビにしかなれない。

元通りの人間には戻れない。

……ま、それはそれ。

俺は死んで改めて気付かされたが、そもそも勇者ボディは哀れな犠牲者くんの体であって、俺の体じゃ無いんだ。

今までは、つい勇者ボディを本体と思い込んでいたが、俺には本体なんて最初から無かった訳だ。

なら、もう勇者ボディにこだわる必要なんて無い。

勇者ボディは強くて役に立つから、予定通り遺伝子保管庫として遺しておくが、どの体が本体かなんて考えるのを止めよう。

気付いたんだが、勇者ボディにこだわらなければ、色々出来る事も増えるのだ。

良し、それじゃあ勇者ボディの修復に移ろう。

まずは、零れた腸を詰め直して、傷口を綺麗に縫い合わせなくちゃな。


コマンダーたちのメンテナンスで慣れたもんで、死体の縫合は簡単に終わる。

それからヒールで元通りに治し、低温化の魔法は解除する。

防腐処置は、別途魔法術式を組み込み済み。

これで、綺麗な勇者の死体標本の完成だ(^^;

作業を終えると棺箱に入れ直し、蓋は締めずに結界を張る。

そして、結界内の時間を凍結する。

この状態が、拠点に用意した予備の物質体の保管方法でもある。

時間凍結とは言っても、完全に時間を停止させる訳では無い。

時間停止なんて行為、あんまりにも大それた行い故、そのままでは成立しない。

俺は、結界内と言う限定空間だけ、対象が一切抵抗しない、あくまでも時間経過を極限まで遅延させるだけ、と言う制約の下、時間凍結を施す事に成功している。

この棺箱や拠点の保護器内に限り、中身が空な物質体や遺体だから一切抵抗せず、時間は停止こそしないものの1年に1秒程度しか進まない、と言う環境を作り出しているのだ。

だから、予備の物質体は歳を取らずに若いまま、勇者の遺体は防腐処置した上で時間経過もしないので腐らない、と言う事になる。

取り出すのも簡単で、結界は俺には無効だし、俺が侵入する事で抵抗が生まれ、時間停止が一時的に解除される。

だから、必要な時に遺体を取り出す事が出来て、予備の物質体にアストラル体で飛び込めば起き上がる事が出来る。

それで、殺された時少女体ですぐ動けた訳だ。

良し、これで遺体の回収は完了だ。

え?持ち出さないのかって?

その必要が無いのだ。

俺の結界は、ジェレヴァンナの手解きを受け、さらにグレードアップしている。

棺箱に1枚、この後土蔵の出入り口にも1枚、そして先に掛けた土蔵を囲む結界が1枚、さらに念入りに、後で球状の結界で地下まで覆う結界を張る予定だ。

これで、しばらくウエスギ家の者は、誰も土蔵に入れなくなる(^^;

後は、日本拠点を用意してから、棺箱ごと拠点に転移させれば良い。

生命体の転移は事故を忌避して開発していないが、ゾンビ招喚など物を転移させる事は普通に出来るからな。

ちゃんと座標指定さえ出来れば、遺体の転移など簡単だ。

転移先を確保するまで、折角だからウエスギ家に預かっていて貰う訳だ。

と言う事で、残るはムネシゲへのお礼だけ。

さて、気を抜かずに行きますか。


4


少し太陽が高くなり、初夏の陽射しが陽気を運んで来る。

優しい風が髪を揺らし、金色の波が光を跳ね返す。

そんな神々しさを感じさせる少女の姿も、周りの厳つい男たちの目には映らない。

俺のステルスは完璧だ。

気付かぬ男の中には、俺を斬ったムネシゲも含まれた。

土蔵の外へ出て、まずは扉に結界を施す。

次いで、4層目となる球状結界を張り、作業は終了。

そのまま、辺りを警戒し続ける真面目な侍の背後へ回る。

その距離、10m。

まだ、背中が遠い。

思い切って5m……彼は気付かない。

一歩一歩ゆっくりと、決して目を離さず、決して気を抜かず、小さな歩幅で近付いて行く。

ついには、この手が届く距離まで辿り着き、しかし彼は気付かない。

サイレントキルを発動しますか?[Yes|No]


今度はムネシゲの正面、およそ7mの距離へ回る。

俺を斬った時の抜刀術の間合いには入りたく無いから、これくらい離れていれば、いきなり斬られる事は無いはずだ。

ここで、俺は闘気隠蔽だけ解除した。

今なら俺にも感じられる、いきなり漏れ出る圧倒的な気の奔流。

「!出たぞ、あいつの仲間だ!」

すかさず身構えるムネシゲと、俺の気では無くその声に反応して集まって来る侍たち。

「何だ、ムネシゲ!?何もおらぬぞ、どこだ。」

ギャラリーが集まったのを見計らい、俺はステルスを解除する。

突如現れる金髪碧眼の美少女に、周りの侍が驚きの声を上げ、ムネシゲも我が目を疑っている。

そこに、鈴を転がすような声が鳴る。

「ありがとう。」

そして、ステルスを発動し、上空へ退避。

侍たちには、突然現れた少女が、また突然消えたと映っただろう。

そう、俺はムネシゲに、お礼をしたのだ。

確かにムネシゲに殺された訳だが、それによってステルスの欠点が改善出来たし、勇者ボディへのこだわりが無くなった事で多くの収穫もあった。

喪ったものより、得たものの方が大きい。

だから、ありがとう。

そうだ、もうひとつ演出を加えよう。

俺は風の精霊を招喚し、侍たちの周りを飛び回って貰う。

その動きを目で追っているのもムネシゲだけだが、侍には精霊が見えないのか?

それとも、ウエスギ家、いやカネスエ配下は人材不足、と言う事だろうか。

飛び回りながら、風の精霊が俺の声を代わりに喋る。

「それから、しばらく土蔵には入れなくしておいたわ。目的の物は返して貰ったわよ。それじゃあね、間抜けなお侍さんたち。あはははははは。」

風の精霊が飛び回る事で、自分たちの周囲から声が聞こえた侍たちは、慌てふためき恐怖を抱き、勝手に混乱し始める。

「ど、どうなっておるのだ!壁だ、壁がある。見えない壁があって、土蔵に近付けぬぞ!」

誰かが土蔵へ確認へ走り、結界に阻まれたようだ。

「何と面妖な。さては先程の少女、あれは物の怪の類か!?」

「えぇい、ムネシゲ。あの妖怪はどこへ行ったのだ。お前なら判るであろう。」

問われたムネシゲも、すでに俺の存在を見失っている。

闘気すら隠蔽した俺のパーフェクトステルスを見破る事は、もうムネシゲには不可能だ。

こうなれば潜伏力と感知能力のせめぎ合いで、俺に勝てる奴などそうそうおるまい……ま、アヴァドラスをも欺けるとは思わないがな。


こうして俺は目的を遂げ、ムネシゲにもお礼を言って、ここエドミヤコでの用事を済ませたのであった。

この後、ウエスギ家下屋敷には少女の幽霊が出る、開かずの土蔵ならぬ入れずの土蔵がある、と噂になり、呪われた屋敷としてエドミヤコを一時賑わせた。

ウエスギ家お抱えの魔導士では土蔵の結界も解けず、下屋敷としての用を成せなくなった為、ウエスギ家は屋敷を引き払い、廃墟となってしまう。

そのまま、噂に尾ひれが付きまくって、長らく幽霊屋敷として誰も手を出せなくなったとか。

まぁ、どうでも良い、下らない話である。


つづく

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る