第四巻「天国と地獄」

第一章 船出


1


北の大地にもようやく春が訪れ、残雪の間から芽吹く草花がちらほら見て取れる。

久しぶりに訪れるジェレヴァンナの森は、暖かな陽気で眠りから目覚めたようだ。

結界を通り抜ける間にも、冬眠から覚めた動物たちの出迎えが垣間見えた。

迷いの森は、長老として里で皆と一緒に暮らし始めたハイエルフの名を取って、ジェレヴァンナの森と呼ばれるようになった。

もちろん、人間たちは知らない話だが。

あれから、およそ8年。

その間、色々と変わった事は多い。


結界を抜け、里へ足を踏み入れた途端、一斉に集まって来る子供たち。

この光景もそうだ。

意識が変わったエルフたちには、以前より多くの子供が産まれるようになっていた。

まぁ、意識だけで無く、食事の改善も大きかったが(^^;

かなり健康的になり、森エルフほどでは無いが、もう華奢とは言えない体型になりつつある。

1000年を生きる高位種族だけに、繁殖力の低下は問題となっていて、俺が訪れたあの頃、里に子供はいなかった。

それが今や、10人を超える子供エルフが、俺の帰還を喜んで迎えているのだ。

ま、俺が里にいた頃、こいつらはまだ赤子だったから、俺の事なんて覚えていないはずだけどな。

そして、そのエルフの子供に混じって、魔族の子供たち……いや、お前ら(--;

「確かに、その容姿を上手く利用しろとは言ったが、俺にまで子供の振りする事ぁ無ぇだろ。」

そう、魔族の子供など、ここにはいない。

あくまで、子供のような見た目の魔族たちだ。

魔族の子供は、一割がエリートとして、残り九割はレッサーとして産まれて来る。

その為、出産は必ず魔界で行う。

産まれた子供がエリートであれば、種族総出で大切に育成する。

レッサーであれば、隣近所が助け合って何とか育てる。

1歳を迎えずに死んでしまう子供も多いから。

だから、魔界の外に魔族の子供が出る事は無い。

「いや~、別にそう言うつもりじゃ無いんですけどね。こいつらの面倒を見ていたらクリムゾン様の姿が見えたもんで、一緒にくっ付いて来ただけですよ。」

こいつら魔族も、意識改革、食事改善の効果か、少しずつ健康になって行った。

中には、先天的に抱えていたハンデが改善する者もいて、その噂を聞き付けて里の魔族人口は増えていた。

その最たる者が、ジェレヴァンナの森駐留部隊隊長ディンギアだ。

彼は齢300を超える森での年長者だが、その外見は小学校4~5年生に見えた。

だが、俺の接近を感じ取り、子供たちの後ろから姿を現した今の姿は、中学生くらいには見える。

少し、体が成長を始めたのだ。

「お帰りなさい。本体でのご帰還は、随分久しぶりですね。」

「ようやく、北方諸国にも春が来たからな。俺は寒いの苦手なんだ。そろそろジェレヴァンナの様子を見ておきたくて、立ち寄らせて貰ったよ。」


「それは良い心掛けですね。だけど、心配して貰わなくても、ほれこの通り、私は元気ですよ。」

上空から声がして、1人の女性エルフが俺の前に降り立つ。

面差しがオフィーリアに良く似たこの女性エルフこそ、今のジェレヴァンナである。

元々、ハイエルフのジェレヴァンナは無性であり、彼でも彼女でもあった。

新しい体を用意する際、オフィーリアの祝福で見た美しい精霊の姿に感銘を受けたジェレヴァンナの要望で、オフィーリアに似せて体を新調したのだ。

「お久しぶりです、ジェレヴァンナ。ここにいると言う事は、今は休憩中ですか?」

「はい。教え子たちが優秀で、今は彼らだけで結界を維持しています。今回は、6時間ほど任せる実践訓練ですね。その間は、私の自由時間ですよ。」

「確か、育成中なのは10人でしたっけ。」

「はい。将来的には、森の東西、中央と、3人で維持出来るようにしたいですね。そうすれば、交代制に出来て負担も減るし、後進の指導にも余裕が出来るでしょう。……私の寿命は、もうそれほど永く無いようですから。」

しんみり話しているが……、うん、まぁ、間違ってはいないし。

「……それでも、まだ2000~3000年は問題無いんだから、充分でしょうよ。」

「ほっほ、冗談ですよ、冗談。でも、もう1万年生きる事は出来ませんから、ちゃんと継承して行かないとね。」

ハイエルフとして玄室の中に留まり続ければ、精霊界との繋がりが深い為大きな影響は受けないで済む。

しかし、一切飲食もしない生活で、肉体の方だけ限界を迎えてしまったのが8年前。

新しい体を得て、エルフたちと一緒に暮らし始めた事で、ジェレヴァンナも緩やかにハイエルフからエルフへと、言ってみれば退化しているのだ。

1000年か2000年も経つ頃には、もうジェレヴァンナ1人で結界を維持する事も出来無くなるだろう。

先を見越せば、エルフたちに将来を託す準備は不可欠なのだ。

「さて、それでは場所を移しましょう。貴方の体のメンテナンスと、アストラル体の健康診断をします。それじゃあ、ディンギア。俺は研究室にいるから、何かあったらそっちに来てくれ。」

ディンギアへ挨拶をして、俺とジェレヴァンナは連れ立って、研究エリアへと歩き出す。

「判りました。あぁ、もし用事が済んでも、そのまま消えたりしないで下さいよ。久しぶりの帰還なんですから、皆貴方に会いたがるはずです。」

俺は片手を上げて「善処する。」と素っ気無く答えた。


2


ジェレヴァンナの籠っていた社とは違う方向だが、やはり森の奥の一画を、俺しか入れないように調整して貰い、研究施設をこしらえた。

そこでジェレヴァンナの新しい体の作成実験を行い、そのまま魔導研究所として色々な研究も進めた。

コマンダーたちも移住させたので、カタコンベもある。

ある程度形になったところで、主要人物が結界を自由に出入り出来るようにして貰った。

今は、コマンダーたちとジェレヴァンナ、スニーティフ、ディンギアも自由に出入り出来る。

結界を通り抜け研究所が見えて来ると、6つの人影が出迎えてくれた。

「お帰りなさいませ、マスター。準備は整っております。」

代表して、クライドが挨拶して来る。

「またお前たちはここに籠っているのか。里に出ても大丈夫だと言ってあるだろ。」

「大丈夫ですよ、マスター。ちゃんと夜の見回りは欠かしません。単に、寝床の近くの方が落ち着くんですよ。」

そう答えたボニーとクライドは、ほぼ生前の姿で肌の色が少し悪いくらいだから、人間とそう変わらない見た目だ。

スカーフでも撒いて首の傷さえ隠せば、誰もゾンビだとは思わないだろう。

他の奴らは、俺がコマンダー用に改造したから少し人間離れしているが、もう里の皆は慣れているので、自由に歩き回っても構わない事になっている。

それでも、彼らなりの配慮からか、あんまり里へは出て行かない。

このゾンビども、生前よりも真っ当な人間になったもんだ(^^;

他の4人は、テムジン、ミシェル、サンダース、テルミット。

唯一、ボワーノだけが人間に戻った。

だが全員、俺から離れようとはしない。

支配も解いてあるので、その気になれば勝手に森を出て行ける。

もう正確にはマスターでは無いし、彼らを殺してゾンビにした仇と言っても過言では無いのにな。

「ボワーノ、良く隠れられるようになったじゃないか。俺でも、お前がどこにいるか、探ろうと意識するまで気付かなかったぞ。」

俺は、研究所の屋根の上へと声を掛ける。

すると、ステルスを解除したボワーノが姿を現す。

「やっぱり、マスターにゃ敵わねぇな。」

そう言って、屋根から飛び降りて来る。

残念ながら、短距離空間転移までは真似出来無かった。

魔法を覚えるのは、本当に大変なのだ。

「結界が完璧だから、何もありゃしませんがね。ちゃんと、森の見回りも欠かしてませんぜ。」

他の4人は、人間よりもゾンビの方が性に合っていると、転生を願わなかった。

ボニーとクライドは、今が一番幸せだから何も言わない。

ボワーノだけは、昔みたいな盗賊働きをするには、強化されたコマンダーの体は不向きだからと、普通の人間に戻る事を願った。

しかし、実はボワーノは、人間では無い。

この世界には、蘇生魔法は存在しない。

生命は死ぬ時、そのまま魂が成仏してアストラル界へ旅立つか、ゴーストとしてこの世に留まる事となる。

この時、ゴーストには死と言う属性が付いてしまうのだ。

そのゴーストを体に押し込めても、人間には戻れない。

結果、今のボワーノは、言ってみればダークヒューマン(闇人間)なのである。

魔族の中には、神と悪魔の戦争中に悪魔側に付いたエルフである、ダークエルフと言う種族が存在する。

彼らは、あくまで悪魔側に付いた事で属性が闇の者となっただけのエルフだが、長い時間の流れの中で、闇属性に相応しい容姿、黒い肌と強靭な肉体へと変貌している。

森エルフと違って魔力は弱体化しておらず、魔族の一員でもあるので能力だけならエルフを凌駕する。

その代わり、魔族としての呪いも受けている訳だが。

ダークヒューマンも、単に属性が闇なだけの人間だ。

まだ日が浅いので、容姿にも変化は無い。

まぁ、現存するのはボワーノのみなので、勝手にそう呼んでいるだけだが(^^;

結局、普通の人間に戻してやれなかったので、この実験は失敗だったと言える。

その事を伝えても、俺の実験体として貢献出来て良かったと、ボワーノは文句のひとつも言わなかった。

生き返りを望んだのも、俺が魔導実験に熱心に取り組んでいる事を知っているから、実験の為に自ら名乗り出たのかも知れない。

強大な力を見せ付けたからこそだが、よくも自分を殺した男にここまで忠誠心を抱けるものだと、他人事のように思う(-ω-)

俺の見立てでは、この死と言う属性、多分一度死んだ魂ですよ、と言う目印なのだ。

別にゴーストは、死に纏わる魔法やスキルを使って来る訳では無いしな。

だから多分、ダークヒューマンは二度目の死で確実に死ぬ。

そう考えて、とある山中で見付けた善意の協力者(盗賊)で、人体実験をしてみた(^^;

まず、他の非協力者は普通に殺す。

すると、彼らのアストラル体は死と言う属性を得て、ゴーストとなる事を確認。

その後、浄化して成仏させた。

次に、協力者2人のアストラル体を引っこ抜き、体を入れ替えて押し込める。

その状態で殺すと、出て来たアストラル体には死と言う属性が付かない。

あくまでも、借り物の物質体が壊れただけと言う扱いのようだ。

壊れた物質体をヒールで治した後、今度は本人の体と魂が一致した状態で殺す。

すると、2人のアストラル体は死と言う属性を得たゴーストとなり、再度物質体を治してアストラル体を戻すと、ダークヒューマンとなった。

ダークヒューマンの状態で体から引き抜いたアストラル体は、その時点で霧消した。

ダークヒューマンの状態で殺した場合も、アストラル体は霧消した。

これにより、俺の仮説は証明された。

ダークヒューマンでの死は、確実な死となる。


もうひとつ、わざわざ最初に2人を入れ替えて殺した事にも意味がある。

借り物の体ならば死と言う属性が付かない、それは、俺がこの体で死んでも死と言う属性が付かないと言う事の証明だ。

本当の俺の体は、日本で火葬されてしまった体であって、この勇者ボディでは無いのだ。

勇者招喚の儀式と言う特殊な状況でアストラル体と魂を引っこ抜かれ、無理矢理他人の体に押し込められた存在、それがオルヴァの勇者。

もちろん、長い時間を掛けて段々物質体とアストラル体が馴染んで行けば、いつしか勇者ボディが自分の体になって行くはずだ。

あれからおよそ10年、多分クリスティーナとライアンはすでに勇者ボディが自分の体になっている事だろう。

だが、俺は違う。

早い段階でネクロマンシーに手を出し、幽体離脱を実験過程で何度か行った。

その後、インキュバスの一件でアストラル体が外に出る事を意識してから、俺はアストラル体で行動する訓練を始め、寝る時はアストラル体を体から出して寝ているほどだ。

完全に、勇者ボディは他人の体のままなのだ。

この状態で俺が殺されても、俺には死の属性が付かない。

俺が予備の物質体に宿っても、ダークヒューマンにはならない。

俺の死は、確実な死とはならない……。


「折角だ、ジェレヴァンナのメンテナンスと健康診断が終わったら、お前らも診てやる。大人しく待っていろよ。」

「あぁ、またマスターに体の隅から隅まで弄くり回して貰えるのね、考えただけでぞくぞくしちゃう。」

「私もだよ、ボニー。折角だ、マスターに首を接合して頂こう。」

そう言って、止める間も無く互いの首を撥ね合うボニーとクライド。

……まぁ、もうお約束だ(^ω^;

「本当、お前ら、飽きないな。斬り口が見事だから、接合も簡単だけどな。ちゃんと、失くさないように首を抱えておけよ。」

「は~い。」と転がる先から返事が聞こえる。

めがね、めがね、と言った具合に、首を追い掛けるボニーとクライドの体たち。

周りの奴らは反応もしない。

もう何度見たか判らない光景だからな。


ジェレヴァンナには一応、オフィーリアの祝福を掛けてある。

アストラル体が新しい体にすんなり入るとは限らないし、入ってもすぐズレて飛び出してしまう事もある。

ゴーストが適当な体に飛び込んでも、自然発生的にダークヒューマンとして蘇生する事は無い。

他のアストラル体が入ったままなら憑依となるし、空っぽの物質体に入っても適合するとは限らないからだ。

先に言った通り、ゴーストには死と言う属性が付いているので、生き返りに対する妨害でもあるのだろう。

俺の場合、オフィーリアの祝福で無理矢理体に縛り付ける事が可能だからこそ、簡単にアストラル体を入れられるのだ。

ジェレヴァンナの場合はアストラル体を抜き出して移植する形なので、死と言う属性は付いていない。

新しく用意した体も、元の体を利用して創った言わばクローンなので、本人の体と言って過言では無い。

だから、多分必要は無いのだが、一応用心の為にオフィーリアの祝福で魂が出てしまわないようにした。

あれから5年以上が経過した今、俺の見立てではすっかりアストラル体は新しい体に馴染んでいるようだ。

クローンボディの健康状態も申し分無い。

「良し、何も問題は無いようだ。一応、オフィーリアの祝福はこのままにしておくが、多分自然に効果が消えても、アストラル体が拒絶反応を示す事は無いだろう。もうこの体は、完全にジェレヴァンナの体になっている。最悪、俺がこのまま死んで診てやる奴がいなくなっても、お前は後2000~3000年安泰だな。」

「……其方は、そう言う冗談を良く言いますよね。ふむ、こんな研究をしているのも、やはり死を恐れての事ですか。」

……他人との交流こそ無かった訳だが、何だかんだで1万歳を超える人生の大先輩だ。

ちょっとした事からでも、俺の内面を見抜いて来る。

「まぁ、ね。俺が元いた世界では、人間は確実に100年程度で死ぬんだ。この世界に来て真っ先に、もしかしたら不老不死になれるかも知れない、そう考えた。俺はね、ジェレヴァンナ。死ぬ事ももちろん恐ろしいけど、今こんな事を考えている自分自身、自我を喪失すると言う事が本当に恐ろしくて仕方が無いんだよ。」

「自我の喪失?」

「あぁ。こちらの世界では、魂があってアストラル体で守られていて、死んでも自我を残しながらアストラル界へ旅立つ事が死なのかも知れない。でも、俺のいた世界では、魂の存在だって不確かだし、死んだらどうなるかなんて死者にしか判らない。死んだら無になるのが科学的解釈としては一番可能性が高いけれど、では無とは何だ?眠ったり意識を失っている間が無と同じだと考える人もいるが、それは後で意識を取り戻してから、さっきは無だったと認識しているに過ぎない。それを認識する自我自体が喪われる本当の無。俺はその無が一切理解出来無くて、だからこそ途轍も無く恐ろしい。」

「……。」

「だから、最悪死んでも、自我だけは維持出来るような方法を確立したかった。それによって、人間の限界である100年を越えて、生き続ける事が出来るだろう。……まぁ、こんな研究を続けて来たからこそ、今なら少し想像出来る事もある。ジェレヴァンナ、1万年を生きた貴方なら、自我の死に対してそこまで恐怖は感じないだろう?」

「……ふむ、そうだね。何故だと思う?」

「言い方が合っているかどうかは自信が無いけど、人生経験、かな?永い時間を生きると言う事は、それだけ多くの経験を積んで行くと言う事だ。俺も生前、あぁ、勇者にされるんで殺される前な、人間が歳を取るのは、死ぬ覚悟をする為の猶予なんだと思っていた。老いて段々出来無い事が多くなり、歩く事も、食べる事も、寝る事も、生活のあらゆる事が若い頃より困難になって行く。そうして、ひとつずつ色々な事を諦めて行き、最期に命を諦められるようになれば、恐ろしい死も何とか受け入れられるようになるんだろう、って。じゃあ、その死までの長さが、人間のように100年なんて短い時間では無く、もっと長い時間を掛けて訪れるとしたら、どうなんだろう。1万年を生きた心は、どう死と向かい合うんだろう。少なくとも、まだ100年も生きていない俺よりは、冷静に受け止められるようになっているんじゃないだろうか。生きた時間の長さと、その時間の中で何を成したか。それが心も強くするんじゃないだろうか。」

「……正解、と言う事にしておくよ。私もね、言葉にするのは難しいからね。大きく外しているとも思わないしね。でも、それは実際にその時間を生きてみないと実感出来無い事だから、理屈にしても仕方が無いんだろうね。」

「俺もそう思う。何より、同じ1万年を生きた者であっても、ジェレヴァンナと同じように考えるとは限らないからな。千年の孤独だけは、体験してみなくちゃ判らない。」

「千年の孤独?」

「あぁ、俺たち人間は100年しか生きられないからな。永く生きて親しい者たちを先に亡くして行くだろう長命者の孤独を、そう表現するんだ。1000年ってのは、人間にとってはとても永い時間って意味さ。」

「なるほど。反対に、私たちには100年を一所懸命に生きる人間たちの気持ちが、良く判らない事もあるからね。違う時間を生きると言うのは、色々難しいものだね。」


3


ジェレヴァンナの診察の後は、コマンダーたちだ。

診察とは言うが、俺に医学の知識は無い。

アーデルヴァイトでは、魔法で傷も病も治療してしまう為、医学が発展していない。

辺境においては、簡単に魔法医に掛かれない事もある為、医学が全く存在しない訳でも無いのだが、解体新書レベルの書物すら見付からなかった。

だから、魔法などのように、こちらに来てから勉強して身に付ける事も出来ず、現代日本人の一般教養程度の事しか知らない。

だが、無償で献体を提供してくれた協力者(盗賊)たちをたくさん解剖して来た為、自己流の解剖学と呼べる代物なら身に付いた(^^;

元々、血が怖いなんて事も無く、ドキュメンタリーで手術シーンを見たり、スプラッター映画を観たり、死んだ子猫の死体や猫たちが獲って来る獲物の死骸などは見慣れていたので、死体の解剖にはすぐ慣れた。

不老不死の為には必要不可欠な勉強だとも思っていたから、必要に迫られていたしな。

今では、ボニーとクライドの首を綺麗に縫合してやったり、ゾンビどものアストラル体を一時的に抜いた後、腑分けして内臓の状態を検分したり、抜いたアストラル体の状態確認をして元に戻し、ゾンビの鮮度を保ってやる事は出来る訳だ。

ちなみに、ゾンビは負の生命体だから、先のダークヒューマンとは根本的に違う。

死体とか骨とかゴーレムにだったら、アンデッドとして宿る事は簡単なのだ。

ゾンビたちは既に死体だから、下手に内臓を傷付けてしまっても問題無いし、物質体の修復はヒールで可能だから、この作業はそんなに難しく無い。

それでも、生きている人間の治療は遠慮しておく。

あくまで俺の専門はネクロマンシーとアルケミー(錬金術)であって、魔法医でも本物の医者でも無いのだ。

だからボワーノの場合は、通り一遍の健康診断のみ。

すでに生きているのだし、死と言う属性が付いたアストラル体を抜き出す訳は行かない。

今のところは、本当に普通の人間なので、何も出来無いと言うのが正しい。

鑑定は相変わらずLv1のままなので、ボニーを看護婦代わりに傍へ置き、代わりに鑑定して貰うくらいだ。

ゾンビにナース服、これもオタク的には定番シチュエーションだしな(^Д^;


ひと通り、マッドサイエンティストな作業を終えると、里の一画にある共同墓地へと赴く。

そこに、ミラも眠っていた。

馬の寿命は20~30年と言う話だが、ミラはオルヴァを出る時、適当に引き出して貰ってそのまま乗り続けて来た。

その時点で何歳だったのか、正確には判らない。

結局、オルヴァを出てから2年弱、この里に至るまで共に旅をして、里に腰を落ち着けてからはあんまり乗らなくなっていた。

2年ほどこの里でゆっくり暮らす内、それまでの使役の疲れが出たのだろう。

走れなくなってすぐ、寿命を迎えた。

最期の夜はヒールを掛けて痛みや苦しみを和らげながら、一緒に過ごした。

ミラを無理矢理延命する事も可能だったが、それは止めておいた。

本人の意思確認も出来無いし、老衰であれば魂も弱っていて、仮に新しい体にアストラル体を移植して、オフィーリアの祝福で封じ込めたとしても、早晩魂の方が消えて無くなってしまうだけ。

ならば、安らかに眠って貰う方が、ミラにとって良いと思えたのだ。

まぁ、少し形は違えど、今でもミラと共に野山を駆ける事は出来るしな。

俺は無神論者の無信仰ではあるが、お墓の都合で家は真言宗の檀家だった事から、習慣としてつい墓の前で手を合わせ、お祈りはしてしまうな。

そこにミラはいません、眠ってなんかいませんのに(笑)


ミラの墓参が終わった後は、ディンギアに引き止められていたので、里の皆が用意してくれた宴席に参加する事にした。

集会所前広場に設えられた宴席のテーブルには、猪、狼、熊の肉料理も並んでいる。

あの後、森での狩猟も一部解禁された。

狩猟が禁止されていた事で、猪、狼、熊などが増えていて、時にエルフたちにも被害が出ていたのだ。

こちらから手を出さずとも、獣からは手を出して来る。

気性の荒い猪や、肉食の狼、熊などは、森に棲む他の動物やエルフ、魔族にとっても脅威であり、それらの獣をある程度狩って数を調整する事は、森全体にとって決して無益な殺生では無いのだ。

もちろん、数を減らし過ぎてはいけないので、子供や子育て時期の母親などは狩りの対象にしない。

あくまでも、森の生態系にエルフと言う新しい頂点が君臨するだけの話だ。

肉料理が並ぶだけで無く、野菜を使った料理もただの生野菜やサラダでは無く、ちゃんと味付けにこだわり、煮る焼く蒸すと言った調理が施されている。

乳製品も採り入れられ、エルフ考案のスイーツも作られるようになった。

素晴らしい。

食こそ、生きる事そのものだ。

「それでは、長老ジェレヴァンナ、そしてジェレヴァンナの森の恩人であるクリムゾン殿の帰還を祝い、大いに食べ、大いに飲み、大いに語らい、楽しんでくれ。ジェレヴァンナとクリムゾン殿に、乾杯!」

「乾杯!」とスニーティフの音頭に一同唱和して、宴は始まった。

多くの者が俺に群がろうとするので、短距離空間転移を使って色々な場所に移動をして躱す(^^;

正直、俺は宴が好きでは無い。

静かに壁の花にしてくれればまだしも、こっちの世界では俺は肴にされる事が多い。

酒を交えて少人数で語り合うくらいなら嫌いじゃ無いが、宴の主役にされるのは御免だ。

だから、普段は参加しない。

こっそり忍び込んだりはするけど(^^;

「っと、ようやく捕まえましたよ、クリムゾン様。珍しく参加してくれたのは良いけど、結局逃げ回るんですね、貴方は。」

そう言って、ディンギアが俺の腕を取る。

「黙って消えるなと言われたからな。俺は、騒がしいのは好きじゃ無い。知っているだろ。」

「えぇ、知っていますとも。だから釘を刺しておいたんですが……それでも宴に顔を出してくれるとは思いませんでした。何かあるんですか?」

この男も、ジェレヴァンナほどでは無いが俺よりずっと年上だからな。

色々な事に目端が利く。

「特にどうと言う事は無いが、一応研究には一段落付いたからな。ジェレヴァンナやコマンダーたちも、わざわざ診てやらなくてももう大丈夫だと思う。もう立ち寄らない、と言う事は無いが、ここから出掛けてここへ帰って来る必要は無くなったと思ってな。」

「……その体で帰って来るのも久しぶりじゃないですか。そう言う事とは違うんですか?」

「ま、意識の問題さ。準備も終わったから世界中どこへでも簡単に顔は出せるが、本体はあくまで本体。オルヴァを出た時と同じ根無し草に戻る時が来ただけだ。」

「……貴方は勇者では無いけれど、魔族でもエルフでも無い。誰かに与するつもりは無い、と言う事ですね。」

「お前たちは友達だよ。だから、困っていたら全力で助けてやるさ。でも、魔族の一員として人間族と戦争する気も無い。なら、普段からお前らと一緒にいるのは不自然だろ。俺は俺で自由にやる。また道が交わる時は、仲良くしてくれ。そんな感じかな。」

手にした杯を呷るディンギア。

「どうしても、貴方に頼りたくなっちゃいますからね。でも確かに、だからと言って貴方に人間と戦ってくれと言うのはお門違いですね。」

「ふん、何故あんな人間どもの味方をするのか、私には理解出来無いがね。」

話に割って入って来るスニーティフ。

「別に、人間の味方って訳でも無いぜ。だが、俺が人間なのは事実だ。人間の知り合いだっている。例えば、他の2人のオルヴァの勇者と戦うなんて、俺は絶対嫌だからな。……多分俺、負けちゃうし。」

ブフォッ、と吹き出すディンギアとスニーティフ。

「ほ、本当ですか、クリムゾン様!?そんなに勇者って強いのですか?」

「あぁ、少なくとも、俺が彼らと一緒にいた頃は、確実に彼らの方が強かった。今なら死なずに済むかも知れないが、勝てるとは思えないな。あっちは本物の勇者だ。この8年で、どこまで強くなったか想像も付かん。」

「そ、そうか。お前だけで無く、その者たちも研鑽は積んでいる訳だからな。どちらかと言えば研究畑のお前より、一線級の勇者として活躍していたならば、相当強くなっていてもおかしく無い訳だ。」

「そうさ、8年ってのは、意外と長い時間だぜ。あのスニーティフが、今は猪鍋を喰ってる。」

ジト目でこちらを見やりながら、手に持った椀をすするスニーティフ。

「ふん、そうだな。800年も生きて来たのに、たった8年でお前にここまで感化されてしまった。こんなに美味いものを何百年も仲間たちから取り上げていたとは、痛恨事だよ。」

800年も生きて来たのに、素直に間違いを認められるなんて、素晴らしいと思うけどな。

ただ永く生きただけでは無い、尊敬すべき男だ。

「それで、この里を出て、どこへ行くのだ。何か当てはあるのか?」

「ん?あぁ、そうだな。俺は世界中を回って来たが、実はまだ行っていない国がある。」

「ほう、それは初耳だな。お前は世界を踏破したものとばかり思っていたが。あぁ、そうか、神の国か?」

「ん?まぁ、アーデルヴァイト・エルムスにも行った事は無いが、それを言ったら魔界にも行った事は無いぞ。あくまでも、人間族の国の話さ。」

「では、それはどこの国ですか?差し支え無ければお聞かせ下さい。」

ディンギアは興味津々に、スニーティフは興味無さげに、俺の答えを待っている。

「その国の名は日本。東方の島国、日本だ。」


4


この世界には、日本がある。

もちろん、地球の日本とは別物だ。

東方諸国の東の海に浮かぶ、アーデルヴァイト唯一の島国である。

アーデルヴァイトの海にはモンスターが出没する為、遠くまで船出するのは難しい。

東の海を真っ直ぐ進むと、ループして西側に辿り着くのか、アーデルヴァイトとは別の大陸に辿り着くのか、未だに確かめた者はいない。

考えても見てくれ。

俺が以前戦ったランドクラーケン。

あんなのと海上で鉢合わせでもしてみろ。

どんなに強い戦士だって、海の上ではお手上げだ。

弓矢だって魔法だって、海中に潜られては効果が薄い。

そして、あの巨体に襲われたら、唯一の足場である船が持たない。

外海まで出ようとした船の九割は沈められ、無事外海へ出られた船は一隻も戻って来ない。

そんな海だから、陸地から見える範囲に人が住む島くらいはあるが、国と呼べる規模の島は日本しか無いのだ。

もちろん、日本へ渡る時だって、モンスターは出る。

しかし、長年の経験から、比較的弱いモンスターしか出ない航路を開拓したのだ。

だから、日本へ渡る手段はただひとつ。

いやまぁ、空を飛べれば話は別だが、以前話したようにアーデルヴァイトのフライは使い物にならないからな。

いくつか方法は考え付くが、素直に船に乗るのが一番なのだ。

その船が出るのが、ここディーファーの港街である。

俺はあの後、すぐにジェレヴァンナの森を発ち、まずは東方諸国最東部に位置するカンギ帝国の首都セイラクへ。

若干、名前に中華っぽさを感じはするが、至って普通のアーデルヴァイトの国である。

セイラクは、カンギ帝国の中心にあって交通の便が良い為、ここに拠点を作った。

そこで、セイラクを経由してディーファーの港街へ。

ディーファー自体は、そこまで大きな港街では無い。

海洋貿易が行えない環境である為、あくまで漁業と日本への航路のみで成り立っているからだ。


ちなみに、日本、日本と言っているが、アーデルヴァイトの日本は多分なんちゃって日本である(-ω-)

日本と言う漢字は俺がそう意識しているだけの話で、現地人はニホンと呼ぶ。

漢字では無いから、ニッポンと呼ぶ者はいない。

文献でその存在を知っていたが、実態の片鱗は目にした事がある。

とある街で見掛けた戦士が、日本出身の侍だったのだ。

あぁ、こちらも、現地人にとってはサムライな。

日本自体、他国と比べればそう大きく無い国だし、わざわざ島を出て来る人間も少ないので、日本人は珍しい。

わざわざ戦士を侍と呼称する習慣も、珍しがられている。

そう、クラス侍は、内容的にクラス戦士と一緒だ。

日本では、盗賊を忍者(ニンジャ)と呼ぶ習慣もある。

だが、それだけだ。

クラスとしての違いなど無い。

その侍が身に付けていた甲冑も、甲冑デザインのプレートメイルに過ぎなかった。

所持していた刀も、片刃の多少反ったバスタードソード(両手剣)に過ぎない。

脇差も、ただのショートソードだ。

何より、その侍は名前こそカンベエと日本っぽかったものの、見た目はラテン系アメリカ人と言ったところだ。

アーデルヴァイトでの人種とは、人間族、エルフ族、魔族、神族と言った具合に分かれている為、人間族は基本的に欧米系の白人種に見える。

アスタレイから聞いた話を踏まえると、人間族を創った神は神族同様自らの姿に似せたのだろう。

多くの点で人間族は劣るものの、姿は神に近い、と聖オルヴァドル教でも教えている。

1万年の時を経て、海に近い場所で過ごして来た人間族たちが、少し日に焼けた褐色の肌、太陽に負けない暗色の髪色に変化して行き、ラティーノのような見た目になっているだけであり、人種としてはあくまでも人間族なのである。

もちろん、日本語も話さない。

どこからどう見ても、日本贔屓の外人さんが観光で甲冑着せて貰ったようにしか見えない(^Д^;

だから俺は、日本とは言え不安しか抱かなかった。

下手に期待して訪日してしまうと、がっかり感が半端無いだろう。

そこで、敢えて無視して最後に残しておいた。

もう、ひと通りアーデルヴァイト中の国々を見て回ったから、今更なんちゃって日本に遭遇しても、膝から崩れる事はあるまい(^^;

野望も一応の形を見て心に余裕も生まれたし、大らかな気分で訪日する事にしたのだった。


日本への航路は、3日の航程だ。

真っ直ぐ進めればもっと早く着くが、モンスターを避けるコースを辿ると、一度南下してから東へ向かい、日本を通り過ぎた後北上、その後西へ転進する。

そこから外れてしまうと、シーサーペント(海竜、亜竜種)やクラーケン、ギガノドン(巨大鮫)、ヴェリキスクス(巨大鰐)と言った、大型海洋モンスターの餌食となってしまう。

……空からの脅威の話は聞かないから、やはり空を飛んで行ければ簡単なんだよな。

ちゃんと準備をすれば、フライとは違う方法で空くらい飛べるのだが、俺的にはそこまで必要を感じなかった為、今まで空を飛ぼうとしていなかった。

実際、日本に拠点を作ってしまえば、俺はアストラル体で日本へ渡れる訳だし、ただ空の敵と戦うだけなら、空間固定で上空に足場を作るだけでも何とかなる。

さすがに、いつ天候が悪くなるか判らない海上に空間固定だけで飛んで行くのは御免なので、今は船旅が最善と判断した。

……生前、乗り物酔いが激しかった俺が一番酔ったのが船、と言う不安はあったのだが……強い三半規管よ、ありがとう。

結局、俺は船で酔わずに酒で酔えた。

乗り物に乗りながら美酒を楽しめる日が来るなんて、あぁ、何て素敵な異世界転生♪

……この時の俺は、日本であんな目に遭うとは露ほども思わず、そんな風に浮かれていたのだった……。


つづく

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