第二章 悪魔が来たりて


1


出港時の澄み切った空が一転、日本へ入港する頃には曇天となっていた。

ここ、日本唯一の玄関口サカイミナトの空は、いつもこんな感じだそうな。

ちなみに、サカイミナトは堺港とは書かない。

アーデルヴァイトの日本人は日本語を話さないが、つまりは漢字も存在しないのだ。

日本に着いて一番大きな違和感、それが街中に全く漢字が見当たらない事。

名前は日本っぽいし、刀や甲冑がそうだったように、物の形は日本っぽくて、建物なんかも日本風だ。

しかし、そこにいるのはコスプレしたラティーノたちで、飛び交う言葉は人間語。

なまじっか日本っぽい所為で、妙な気分で落ち着かない(^^;

あぁ、それから、似ているのは現代日本では無く、多分江戸時代の日本だな。

政情は安定していて、戦国や幕末と言った雰囲気では無い。

これは食事も、期待出来そうに無いな。

おっさんとは言え、令和に生きていた現代っ子の俺は、古風なお食事を嗜んでいた風流な出でも無いので、江戸の頃の食事なんて出されても嬉しく無いからな。

もし喰えるものなら喰いたいのは現代日本の日本食な訳で、恋しいのはラーメンやハンバーガー、カレーなど……。

まぁ、アーデルヴァイト自体がファンタジー世界なんだから、無理な話だ(^^;


と言う事で、辿り着いた日本はアーデルヴァイトの普通の国に過ぎないので、取り敢えず旅籠を確保した後、冒険者ギルドと忍者ギルド(笑)に顔を出す事にした。

まず冒険者ギルドで登録を済ませ、依頼掲示板を確認する。

依頼人などの名前を除けば、他の国と何も変わらない。

取り敢えず、日本人と色々話してみたいと思い、警護の依頼を請けてみる事にした。

タガミ商店の1人息子、キチノスケ・タガミの警護、報酬は1日当たり金貨1枚、期間は無制限……。

「なぁ親父、この警護依頼なんだけどな。期間無制限って書いてあるが、用心棒とは違うのか?」

冒険者ギルドはカンギ帝国からの出向と言う形を取っているそうで、この受付の親父もギルドマスターも日本人では無い。

ちなみに、侍ギルド、忍者ギルドは日本のギルドで、この2つで充分と考えられていたから、昔は冒険者ギルドが無かったそうだ。

魔導は妖しげな術として権力者が嫌う為、魔導士ギルドは存在しない……が、そんな妖しげな術を使わない手も無いので、権力者がお抱えとして魔導士を雇用するのが日本流。

平安の頃の、陰陽寮みたいなもんだな。

「おう、あんたもそれに目を付けたか。期間だけじゃ無ぇ、人数も無制限だ。だから、仕事にあぶれた浪人たちが、こぞって話に飛び付いてやがる。どうやら、相当危ない奴に狙われているみたいだぞ、その御曹司。」

「何か知っているのか?」と、銀貨10枚ほどをカウンターへ置く。

大判小判なんかじゃ無く、日本でも貨幣は同じだ(^^;

「あんたは地元の人間じゃ無いから、ちゃんと流儀を弁えているんだな。浪人たちは、喰い詰めているから情報料なんて払いやしねぇ。……毎日深夜そいつはやって来て、護衛に雇われた連中を鏖にするんだ。その首を御曹司の寝床に並べて、御曹司には手を出さねぇ。恨み辛みを晴らす為に、御曹司を追い込むのが目的なんだろう。もう1週間ほど、そんな事が続いてる。」

「誰に、何で、なんて事は、判らないんだろうな。」

「あぁ、よっぽど後ろ暗い事でもあるんだろうさ。ただ守れ、それだけ。解決の為に詳細を話す、なんて雰囲気じゃ無ぇよ。……あんた、ギルドの人間が言う事じゃ無ぇが、こいつは止めておいた方が利口だぜ。喰い詰め浪人がいくら死のうがむしろ世の為ってもんだが、まともな冒険者がするような仕事じゃ無ぇよ、こいつぁ。」

確かに、こんな仕事じゃ警護対象と世間話でもして、日本の事を色々聞こうと言う趣旨からは外れるな。

だが。

「面白そうだ、取り敢えず請けさせて貰おう。見ての通り、俺は盗賊系冒険者だ。忍者ギルドの方にも顔を出して、何か裏の情報でも無いか調べてみるさ。最悪、犯人が手に負えないほどヤバい奴だったら、俺はさっさと逃げるよ。」

親父は不満げな顔をした後、俺をしげしげと眺めて納得顔に変わる。

「どこの出身かは知らねぇが、なるほど、Lv40の勇者か。そこいらの喰い詰め浪人とは物が違うな。あんたなら犯人を返り討ちに出来そうだし、最悪逃げるってのも簡単そうだ。タガミの旦那は運が良い。こんな上玉、ここ日本支部じゃ初めてだ。ようこそ、クリムゾン。良かったら、しばらく日本で活躍してくれよ。結構、日本固有の高Lvモンスターが、住民を悩ませているからな。」

そう言って親父は2人分の酒を出し、杯を交わす。

そう、俺のLvは40まで上がっていた。

いや、正確には、40でほぼ止まってしまった。

実はこの世界には、Lv50の壁がある。

Lv50に達すると、次のレベルアップに必要な経験値が、Lv1~Lv50まで上げるのに掛かった経験値の倍以上も必要になる。

しかも、獲得経験値にもマイナス補正が掛かる。

ひとつレベルを上げるにも、かなりの時間が必要になる訳だ。

事実上、100年しか生きられない人間族の限界は、Lv50と言えるだろう。

古代竜など伝説級の存在だけが至る領域、それがLv50オーバー。

では何故、Lv50で停滞し始めるのか。

それは、そこがアーデルヴァイトの存在の限界だからと言われている。

ほぼ、Lv50に到達した時点で、その存在が達する事が出来る限界点を迎えるのだ。

逆説的に言えば、Lv50で限界を迎えるように成長を遂げる訳だ。

だから、Lv50以降レベルアップしても、ほとんど能力値は上がらない。

多少の上昇は見込めるもののLv50の存在にとっては微々たるもので、一応万能スキルポイントの獲得が恩恵と言える。

しかし、Lv50ともなれば、ほぼスキル獲得に制限が無い為、Lv50の時点で獲得したいスキルは大概獲得可能だろう。

Lv50を超える存在にとって、スキルツリーに登録されているスキルは、そのほとんどがもう大したスキルでは無くなって行く。

そこで重要なのが、世界にバレていない各々が開発、発見した、スキル登録していない秘匿能力。

威力こそ大した事無いが、俺の焔紫みたいな固有能力を、どれだけ研鑽し得るか。

Lv50オーバーにとって、それが決定的な強さの差異となって行く。

所詮レベルなど目安、と言うのはそう言う事だ。

しかし、本来Lv50が壁のはずなのに、何故俺はLv40で停滞してしまったのか。

それは、俺の強さの質の問題だと思う。

シロも言っていたが、アストラル体として過ごしたり魔法をマニュアルで極めたり、俺は歪な成長の仕方をして来た。

多分、肉体的な成長を追い越して、アストラル体だけ先に強くなっていたのではないだろうか。

実際、Lv30台に入ってからの能力値の伸びは尋常では無かった。

遅れた分を取り戻すような、勇者の成長率を逸脱した上昇っぷり。

その急激な成長が、Lv50では無くLv40で限界点に達してしまった、と言う事だと思うのだ。

あくまで、Lv50の壁は一般的な概念であって、多分個体差はあるはずだ。

俺の場合、その誤差が大きかっただけ、だと思う。

まぁ、これはこれで利用価値がある。

鑑定した相手が、まだLv50の壁まで到達していない、と勘違いしてくれるからな。

強者が俺に対して、油断してくれるかも知れない。

まぁ、人間族としてはLv40でも伝説的な英雄並みではあるのだが、クラスが勇者でLv40となれば、まだまだ不完全だと誤認してくれる。

この受付の親父のように。

「無事に生き残れたら、他の仕事も考えてみるよ。それじゃあ、また来る。」

そうして俺は冒険者ギルドを辞し、忍者ギルドへと向かった。


2


盗賊ギルドと違って、忍者屋敷のような佇まいの忍者ギルドは、酒場を兼業していないギルド業務専門の形態だった。

受付嬢がくノ一スタイルなので、そう言うイメクラにしか見えないが(^Д^;

「あ~……、俺はオルヴァ盗賊ギルドのメンバーだが、日本は初めてだから忍者?登録をしておこうと思ってね。それから、一応依頼のチェックと、情報を買いたいんだが。」

にこやかに答える受け付けくノ一。

「はい、それでしたら、ギルドカードをご呈示下さい。こちらで登録は済ませちゃいますね。その後、奥へお進み頂きます。」

う~む、益々風俗店みたいだ(^^;

取り敢えず、登録が済む間に呑む場所も無いから、俺は空間感知で忍者屋敷の全容を確認して暇潰しをする。

なるほど、ほとんどの部屋に隠し扉があって、裏の動線が繋がっている。

天井にも各階に屋根裏が設けられ、そこから階下を監視出来るようになっている。

今、受付の上から覗いているのは、来訪者を監視する役目の忍者なんだろう。

かなりの数の忍者が確認出来るから、ここは彼らの住まいも兼ねているのかも知れない。

確かにこれは、盗賊ギルドとは全くの別物だな。

「お待たせ致しました。これでノワール様も忍者です。どうぞよろしくお願いします。それでは、左手にお進み下さい。そちらで、依頼をご確認頂けます。」

中は古風な日本家屋風で、一応畳もあるようだ。

しかし、入り口で靴を脱ぐ習慣は無いようで、土間を移動して各部屋に上がる時に靴を脱ぐ格好……何か、チェーン店の居酒屋みたいだ(^^;

建物は三階建てで、二階以上は彼らの住居なのだろう。

ギルド関連の部屋は、全て一階にあった。

まず俺は、忍者ギルドにもさっきと同じ依頼があるかを確認する。

しかし、同じ依頼は出ていないようだ。

では、似たような依頼はどうだろう。

ふむ、これも無し。

タガミの旦那は、忍者には助けを求めていないのかな?

そこで今度は、情報売買担当の忍者に、話を聞いてみる。

「ここの相場は知らないからな。取り敢えず金貨1枚、それでいくつか答えて貰えるかな?」

そう言って、金貨を2枚ほど手渡す。

1枚は情報料、1枚は袖の下。

一瞬固まるも、上手く1枚に見えるように受け取って、その忍者は頷く。

「うむ、何なりと答えよう。一体、何が聞きたいのかな?」

「本当は、日本について色々聞こうと思っていたんだが、ちょっと面白い話があったんでね。タガミ商店の御曹司の話、と言えば判るかい?」

再び固まった担当忍者は、顔を近付けて「もう少し色を付けてくれれば、私の推理も兼ねて詳しくお話しするが……、如何?」と吹っ掛けて来る。

うん、良いね。こう言うところは、他の国の盗賊と何も変わらない。

つまりは、御しやすいと言う事だ。

俺は彼の手を握り、その中で金貨を追加で5枚握らせた。

金貨1枚10万円、これで彼には60万円。

正直、袖の下としては多過ぎるくらいだ。

俺の懐具合からすれば安いものだが、たかが情報の売り買いだけで手にするような金額では無い。

敢えて多過ぎるくらい掴ませる。

すると、相手は少し警戒し、つまらない事は言わなくなる。

こちらに危険な空気を感じるからだ。

にこやかに微笑むだけでも、向こうが勝手に色々想像するようになる。

「……確かに、タガミの旦那のところも、相当ヤバい状態みたいだし、良い加減解決出来るものなら解決して欲しいと思っていたからな……、包み隠さずお話しよう。あそこの御曹司は、かなり性格に問題があってな。取り巻きたちと一緒になって、色々悪さをして来たんだ。」

「恨まれる覚えは、いくらでもあるって訳だ。」

「あぁ、だが、今回ほどの恨みとなれば、あれしか無いと思う。と言うのもだ、その一件に関わった他の連中も、皆おかしな死に方をしていてな。」

「他の連中?」

「御曹司の取り巻き連中さ。御曹司と違って護衛なんて雇えないごろつきだ。皆1日に1人ずつ、苦悶の表情で悶死しているのが発見された。その一件の現場近くでな。」

「その一件とは?」

「……もし無関係ならほじくり返すのは忍びないんだが……、とあるご息女が乱暴されてな。その所為で、輿入れも流れた。不憫な事だ。」

「……そうか。だが、多分そっちが本命だな。」

「え!?どう言う意味だ?」

「喰い詰め浪人ってのは、元はそれなりの侍だった奴らだろ。そんな奴らが、毎晩鏖にされるってのは尋常じゃ無い。例えば、そのご息女の親御さんが刺客を雇った、なんて話なら、こんな事件に発展せず暗殺して終わりさ。わざわざこの1週間、護衛の浪人たちの首を全て撥ね、御曹司の周りに並べるなんて手口……一体、何の仕業だと思う?」

ごくり、と唾を飲み込む忍者。

「おいおいおい、もしかして……悪魔、か?」

「全く、喰い詰め浪人ってのは、生活苦の余り想像力も無くしちまうのかね。ちょっと考えれば判る事だろう。ま、馬鹿が毎日殺されてくれたお陰で、今日まで事件が終わらずに済んでいたんだろうけどな。」

「しかしそうなると、レッサーデーモン程度が出来る事じゃ無いだろう。どうやってそんな高位悪魔を使役しているんだ。」

「……はぁ、本当に、悪魔だけは冗談じゃ済まねぇんだけどな。悪いが、そのご息女の身元、教えて貰うぞ。そっちを調べなきゃ話にならん。」

「……、……、……、仕方無い。あんたの話は筋が通っている。言われてみれば、確かに悪魔の所業。これは看過出来んな。ここいら一帯を治めるトウキ家の家老、マツダイラ家の分家筋タツマ家のご息女だ。名はシヅ。今は屋敷に引き籠っていると言う話だ。」

「良し、屋敷の場所を教えてくれ。大丈夫、俺も忍者になった事だし、こっそり忍び込むだけさ。可能な限り、事を荒立てないようにするよ。」


3


タツマ家の屋敷は、時代劇で見るような立派なお屋敷で、母屋や離れ、土蔵などがあり、かなりの広さを誇っていた。

門は閉ざされひっそりしており、人の出入りが絶えている。

空間感知に引っ掛かったのは、たったの3人……俺の予想が正しければ、他の人間、使用人たちはすでにこの世の人では無いだろう。

ふぅ、この事件は、死者が多過ぎる。

戦争でも無いのに、悪魔が絡むとこれか。

まず、母屋の2人の様子を確認する。

パーフェクトステルスだからわざわざ身を隠す必要は無いのだが、雰囲気を出す為屋根裏を進む(^^;

上から覗くと、そこには痩せ細った男女。

着ているものから、この屋敷の主とその妻、と見て取れる。

布団の上に横たえられていて、眠っている、と言うより、意識を失っているようだ。

……俺は、ただの良家の息女に悪魔招喚など出来無い、そう考えて、父親辺りが首謀者と踏んでいたのだが、どうやら違ったようだ。

となると……。

次に、もう1人がいる土蔵へと赴く。

中に入るまでも無く、漏れ出る瘴気が悪魔の存在を示している。

二階部分の窓から侵入し、階下を確認する。

そこには大きな魔方陣が展開してあり、中央に1人の娘が倒れている。

まだ息はあるが、意識は失っている。

その手元に、1冊の書物。

悪魔の姿は無い。

娘の影に潜んでいるようだ。

話は聞けなかったが、状況は何と無く理解出来たな。

後は、直接話を聞ける相手が出て来るまで、待つ事としよう。


サカイミナト周辺では、常に厚い雲が天を覆い、滅多に星など見えない。

近くに棲むドラゴンの所為だと言われているが、俺の見立てでは精霊力の乱れの所為だから、ドラゴンは関係無いような気がする。

そんな空模様だから、夕刻からすでに暗い街で、方々に魔法の街灯の灯が揺れているのが見える。

本職の魔導士こそ国お抱えとなっているが、街灯に灯を灯す程度の魔法ならば、市井の中にも使える者くらいいる。

この辺は実にファンタジ-世界らしく、時代劇の風景とは違っている。

そんな薄闇の中、母屋の屋根の上でボ~と待っていると、夜半になってようやく待ち人が現れた。

土蔵から黒い肌の全裸の女性が出て来て、猛禽類のような翼を背中に生やし、ふわり空へと舞い上がる。

俺はステルスを解除して、その女、その悪魔に声を掛ける。

「よう、遅かったな。今日も浪人どもの首を撥ねに行くんだろう?その前に、俺と少し話をしないか。」

中空でパッとこちらを振り返り、驚きの表情を見せる悪魔。

その姿は、黒い肌で均整の取れた体型を露わにした、全裸の女。

その髪は月明りも無いこんな夜では輝きこそしないが、綺麗な金色の長髪だ。

耳は尖っており、体の所々に硬質化した突起状の組織が模様のように並んでいて、黒い肌にも刺青のような、紋様のような模様が刻まれている。

「貴様、一体何処から現れた?!」

「ずっとここで待っていたんだよ、お前をな。まぁ、こっちで少し話そうじゃないか。聞きたい事があるんだ。」

悪魔は素直にこちらへとやって来て、屋根の上に降り立つ。

そして、背中の翼を消して、俺をその赤い眼差しで射貫く。

一瞬焦るが、どうやら魔眼や邪眼の類(石化や即死など、様々な魔法的効果をもたらす眼力)では無く、俺の事を鑑定したようだ。

「どう言う事だ。鑑定を欺くスキルなど、聞いた事も無いぞ。」

「……何の事だ?」

「貴様のLvが40だと!?そんなはずがあるまい。その気配、まるで……、いや、そもそも貴様、本当に人間なのか?お前のデータは全てが疑わしい。」

鑑定スキルも万能では無い。

鑑定を阻害するスキルは存在するので、それを身に付けていれば鑑定する側とされる側のせめぎ合いで、鑑定に失敗する事はある。

しかし、既知のスキルの中に、鑑定結果を改竄するスキルなど存在しない。

未知の能力の中には、そんなものもあるのかも知れないが。

「俺は鑑定を阻害する気も無ぇし、鑑定結果の改竄なんて出来無いだろ。俺は正真正銘、ただの人間でLv40。所詮レベルなんて目安、そうだろ。」

まだ納得はしておらず、悪魔は警戒しながら話を続ける。

「本当に、ここにいたのか?転移で現れたのだろう?」

「ふぅ、疑り深い悪魔だな。それじゃあ、もう一度ステルス発動してやるよ。」

そう言って、俺はステルスで姿を消す。

驚愕の表情を浮かべる悪魔。

「馬鹿な?!本当にまだ、そこにいるのか!?」

「ただのステルスだ。」と気配を消したままでひと言発した後、ステルスを解除する。

「私がその気配に一切気付かないだと……、あり得ん。少なくとも、ただの人間に出来る芸当ではあり得ない。」

「まぁ、ただの人間、と言うのは訂正しても良いけどな。俺はオルヴァの元勇者、異世界から来た人間だ。少しは他の人間と違う。」

「オルヴァ、確か異世界から勇者を招喚する狂信者どもか。それだけで納得出来るものでは無いが、それが大きな不確定要素なのは確かか……。」

「……お前、もしかして名前があるんじゃないか?良かったら名乗ってくれ。おい悪魔、と呼ばれるより、お前もその方が良いだろう。俺の名は……ノワールだ。」

一瞬、今自分がクリムゾンなんだかノワールなんだか判らなくなった(^^;

「……何故、私に名前があると?ただ招喚されたけの悪魔なら、普通レッサーデーモンかグレーターデーモンだと思うだろう。」

「姿を見れば一目瞭然だろ。レッサーやグレーターは、一番定着しやすい姿を象るから、レッサーはレッサー、グレーターはグレーターで、決まった姿になる無個性な奴らだ。アークデーモンやデーモンロードはごてごて飾り立てたがるから、お前のその無駄を削ぎ落した美しい姿とは掛け離れている。だから、名のある悪魔だろうと思ったんだが……、それともお前は、ただのデーモンロードなのか?」

ただの、とは言ったが、デーモンロードだって洒落にならない相手だ。

下等な悪魔の支配者であるアークデーモン、デーモンロードは、レッサーのみならずグレーターすら招喚して使役出来る。

たった1体のデーモンロードの所為で、国が滅んでもおかしく無いのだ。

まぁ、アスタレイたちが見逃さないから、そのまま野放しにはならないだろうけど。

「……ただのデーモンロードと思われるのは癪だな。良いだろう。私の名はアギラだ。」

自分で推理しておいて何だが、本当にネームド悪魔だったとは、これはとんでもない奴が相手だな。

「しかし貴様……、ノワールだったな。ノワールは随分と悪魔に詳しいのだな。お前の方こそ、名のあるデビルサマナー(悪魔招喚士)なのか?」

「いいや。確かに暗黒魔法を極める過程で、悪魔招喚にも悪魔にもそこそこ詳しくなったけどな。思い知ったのは、お前たちの悪辣さだよ。だから俺は、ある時を境に悪魔の招喚は封印した。知悉しているが故に、招喚はしない。」

「ふん、賢明なのだな。ならば判るだろう。いや、判るが故に、私を攻撃しなかった訳か。」

ネームドはより油断ならない相手だが、それは聡明だからこそ。

下手な約束は交わせないが、理解が早くて助かる。

「そこで交渉と行こう。悪魔との約束なんて本当は御免だが……、その材料はさっき見付けたしな。俺の望みは、知的好奇心を満たす事だ。」

怪訝な顔をするアギラ。

「知的好奇心?シヅを助けるとか、依頼を果たす為あの馬鹿息子を助ける、では無いのか。」

「その辺は、話を聞いてからだ。一方聞いて沙汰するな。一方的な情報を鵜呑みにして判断を下すなんて、思考放棄でしか無いからな。まずは真実が知りたい。どうするかはその後の話だが、心情的にはシヅを助けたいとは思う。サブクエスト「キチノスケ・タガミの警護」は失敗って事になるけどな。今更、経験値も惜しくは無ぇし。」

「ふむ、真実か。その気持ちは判るよ。私たちは、魔界で退屈しているからな。一番の暇潰しが、人間たちを観察する事だ。長命種たちと違って、人間族は見ていて面白い。欲深で、間抜けで、か弱くて、それでいて他人を思いやったり、自己犠牲を示したり、時にお前のような変わり種も生まれて来る。実に面白い種族が、この世の支配者となったものだ。」

なるほど。

だからこそ、悪魔は人間心理に詳しくて、簡単に人間を騙せるのだな。

人間は、良い玩具な訳だ。

「ま、そう言う訳だから、どうするかの判断をする為に、まずは知っている事を教えてくれ。それを踏まえて、アギラと交渉したい。」

アギラの美しい顔が、妖しい笑みを浮かべる。

「良いだろう。サービスだ、真実の対価は求めん。語って聞かせるだけでも面白い話だ。何より、お前を気に入ったよ、ノワール。人間の癖に、人間の生き死にに頓着しないのが良い。お前の判断、お前の交渉、それも楽しみだな。」


4


俺が屋根の上で腰を下ろすと、それに倣うようにアギラも腰を下ろした。

「事の起こりは3週間ほど前。シヅの輿入れ先はトウキ家中老オガサワラ家、相手はそこの三男坊で、タツマ家は家老マツダイラ家に繋がるとは言え分家筋。家格で言えばオガサワラ家の方が上だから、タツマ家にとってもこれは良い縁談だった。」

……随分詳しいな、アギラ(^^;

これだけ高位の悪魔がおいそれと招喚に応じるとは思えないから、日頃から日本を観察していて、招喚が発動した時自ら飛び込んで行ったのかもな。

「この日シヅは、本家に輿入れの報告をしに出掛け、予定が遅れて帰りが遅くなった。それでも、数人の供回りと腕の立つ護衛もいた為、誰もシヅが襲われるなどとは考えていなかった。実際、あの馬鹿以外なら、決して襲う事など無かっただろう。だがあの日、あの馬鹿たちは酔っていた。そして、取り巻きの中に1人の素浪人がいた。東北地方の大名ショウナイ家の元剣術指南役だったウマノスケ・シンドウ。剣術指南役を奪った相手を闇討ちし、その家族まで鏖にして出奔した狂犬だ。」

一番怖い人間は、強い奴じゃ無い。

たがの外れた狂人だ。

「シヅ一行が絡まれたまでは良かったが、その後が問題だった。護衛が腰の物を抜いた事で、ウマノスケの狂気に火が点いた。護衛も供回りも、斬ったのはウマノスケ。何とか、1人だけ逃げ延びたが、他は皆殺された。そこに、シヅ1人が取り残される。酔いに任せて、男たちが襲い掛かるのは当然と言えるな。欲望に突き動かされる馬鹿には、相手がどこの誰かなど考える知能も無い。逃げ延びた1人の報告を受け、現場に駆け付けたタツマ家の者たちは、供回りたちの死体を見付け、慌ててシヅの捜索をしたが、少し離れた藪の中にその姿を発見するまで、数時間を要した。一方で、乱暴した後少し酔いが醒めた取り巻きの1人が、シヅの持ち物からタツマ家の息女であると気付く。こちらはこちらで大慌てだ。相手は分家筋とは言え家老の一族。普通ならば、ただでは済まないからな。」

普通ならば、か。

「タガミ商店はトウキ家を支える裏の金庫番で、タガミはトウキ家のお歴々に金を配った。蔵をひとつ空にするほどの大金をな。まいないを受け取った上、タガミ商店無しではお家も立ち行かないとなれば、どちらが泣きを見る事になるかは火を見るよりも明らかだろう。タツマ家の訴えは無視され、輿入れの話も白紙撤回。さすがにあの馬鹿は謹慎させられたが、表向きにはお咎め無しだ。」

「清々しいまでに、糞揃いだな。」

「実に人間らしい、と私は思うよ。一度は自ら喉を突こうとしたシヅを思い止まらせ、土蔵に隔離してせめて生きていて欲しいと願う父オキヅグと母タヅもまた、人間のもうひとつの側面を良く表している。人間の欲望も愛も、どちらも私たち悪魔には甘美な感情だ。」

「土蔵に、か。そこで運命がもう一度狂う訳だ。」

「察しが良いな。その通り。オキツグでは無く、先代ナオミチの趣味でな。たまたまその土蔵には、暗黒魔法についての文献が数多く収蔵されていた。その先代ナオミチは、中途半端な知識で悪魔招喚を成功させてしまった為に、命を落としている。もちろん、周りの人間は悪魔の仕業だとは気付かなかった。ただの変死として片付けられている。そしてナオミチは、成功したその悪魔招喚について詳細な記述まで遺していたのさ。でなければ、シヅに悪魔を喚び出す事など出来無かっただろう。」

「とことん、ついてないな。」

「ついていたのさ。本当だったらレッサーデーモンを喚び出すのが精一杯の魔法陣で、私を喚び出せたんだからな。」

「良く言う。アギラ、お前機会を窺っていただろ。招喚が成功したんじゃ無い。招喚を成功させたんだ、お前が。しかも、本来足りない要素を埋める為に、余計な生贄まで必要になった。この家の使用人、誰ひとりいないってのは不自然極まる。お前が無理矢理……、いや、それはおかしいか。」

ご満悦な顔のアギラ。

「良く気付いた、ノワール。やはり、お前は面白い。そう、招喚自体は魔法陣で成立している。いや、私が成立させた。だが、私がアーデルヴァイトに居続ける為には生贄が不可欠だ。そう、生贄だ。捧げる人間が必要だ。何故今も尚、オキヅグとタヅが生きているのか。最後まで、2人の事は捧げられなかったからだ。私は使用人たちの命で、今日まで復讐を手伝ってやっていた訳だ。」

「シヅに捧げさせたのか。人を呪わば穴ふたつ、とは良く言ったもんだ。俺が今日来なければ、シヅは最後の決断を迫られていた訳だな。」

「私は、約束は守っているからな。ウマノスケはそこそこ強かったぞ。仮にレッサーやグレーターしか招喚出来ていなければ、ウマノスケに返り討ちに遭い、呪詛返しでシヅは死んでいただろう。」

「へ~、そいつは凄ぇ……って、何言ってやがる。仮に1日に1人ずつでも、こんなに時間は掛からねぇだろう。お前、あの馬鹿の護衛どもの魂目当てに、馬鹿を追い込むと言う大義名分ぶら下げて、今日まで引き伸ばして来たんだろう。いやまぁ、実に悪魔らしいとは思うがな。」

「本当にお前は面白いねぇ。悪魔の事を、良く理解している。本当は、もう1日引き延ばし、シヅの最後の選択も愉しみたかったんだが……、さすがに、そうは行かないようだ。」

おっと、俺は少し、感情的な気配を発していたようだ。

「……すまんな。やっぱり俺も、人間なんだよな。別に、アギラを責めるつもりは無ぇし、今更やり合うつもり無ぇ。だが、見過ごす事も出来無いな。決めたよ。やはり俺は、シヅを助けよう。」

「……それも人間らしくて、私は好きだ。それで、これからどうする。」

俺は改めて、アギラの方に向き直る。

「もうひとつ確認しておく。シヅの願いは復讐。乱暴を働いた馬鹿とその取り巻きを殺す事。合っているか?」

「その通り。シヅは、そこまで複雑な事は考えていない。殺し方は、私の自由にさせて貰った。」

「使用人たちの命は、あくまでお前がアーデルヴァイトに留まる為の生贄。そうだな。」

「あぁ、間違い無い。実際、生贄無しではアーデルヴァイトにしがみ付けないからな。」

「招喚自体の対価は……。」


アギラとの交渉が終わると、俺はその場に留まりアギラが飛び去るのを見送った。

その後、タツマ家の3人の容態を確認。

食事を摂らないでいる事から、栄養失調になっているものと推測されるが、ヒールで何とかなるもので無し。

一応、アストラル体治療の応用で、アストラル体が衰弱しないように手は打つ。

それから、調理場などを物色し、粥を作って過ごす。

小一時間ほどで、アギラは帰って来た。

「終わったぞ。名残惜しいが、もう還らねばな。」

「ちょっと待ってくれ。俺は姿を晒す気は無いから、この粥を3人の枕元まで運びたい。折角だ、一緒に付いて来い。」

そう言って、俺は3人分の粥を盆に載せ、母屋へと向かう。

「お前がオキツグたちに、説明してやらんのか。」

「そこまでしてやる義理は無い。……それに、知らぬ事とは言え、俺は勝手に魂を捧げるんだ。合わせる顔も無いだろ。」

「……お前は普通の人間じゃ無いのに、非道く人間的でもあるな。本当に面白い。」

「うるせぇ。……何だったら、お前からシヅに、事の顛末だけでも伝えて行くか?」

「うん?……そうだな。約束はちゃんと果たしたと伝えておく方が、悪魔としては正しいかも知れん。良し、還る前にシヅと話をしよう。」


父母の隣の布団の上で、目を覚ますシヅ。

アストラル体の処置をする際、こちらに移しておいた。

ちなみに、シヅが悪魔招喚に成功してしまった書物は、アギラの了解を得た上で焼いた。

あんな物騒なもん、下手にこの世に遺しておかない方が良い。

シヅの目の前には、佇むアギラが1人。

「……また……、失敗、ですか?」

静かに首を振るアギラ。

「いいえ、シヅ。先程、最後の1人、キチノスケ・タガミは死にました。残念です。少し追い込み過ぎたようで、私が近寄ったら自分で首を裂きました。もう1日生きていてくれたら、シヅ、貴女はどうしたのでしょうね。」

一筋涙を流した後、横にいる両親を見やるシヅ。

「……ここ、土蔵じゃ無いわ……。あ、お粥……、まさか貴女が用意したの?悪魔さん。」

「アギラ。最初にそう名乗ったでしょ。そう、私が用意してあげた。だって、もう約束は果たしちゃったから、これでお別れ。折角生き残ったんだし、復讐も終わり。これから先は、ちゃんと生きなさい。」

「お粥……私の分もあるわ……何故……?」

アギラは少し困った顔をしてみせる。

「ごめんなさい。私の都合で、対価は別のものを貰う事にした。大丈夫。お粥は3人分あるでしょ。オキツグやタヅの魂を貰う訳じゃ無いから。他にもっと良いものを見付けただけ。」

「そう……、ありがとう、アギラ……さん。でも、私……。」

「生きなさい。私、魔界に還ってからも、貴女を見ている事にした。魔界は娯楽が無くて退屈だから、貴女のこれからの人生を、眺めさせて貰う。生きて、私を愉しませて。悪魔の力で復讐をして、多くの人間の命を奪った女が、その後どんな人生を歩むのか。生きて私に見せて。そう、それが対価。どう?死ぬより辛いでしょ。私は、貴女の魂を頂くよりも、その方が長く愉しめるって気付いたの。」

シヅは目を閉じ、そして久しぶりの微笑みを浮かべた。

「……優しい悪魔……なのね。」

「……いいえ、そっちの方がずっと辛い。私は優しくなんか無い。」

と言いながら、優しく微笑むアギラ。

「愛着は湧いたけど。でも、私たち悪魔から見れば、貴女たち人間なんてちっぽけな存在。愛玩動物を愛でるようなものに過ぎない。悪魔に心なんか許しちゃ駄目。もう悪魔を喚ぶような人生送らないで。」

目を開け、アギラを見詰めるシヅ。

「はい、アギラさん。……色々、ありがとう。さようなら……。」

アギラは一度背後を、見えてはいないが俺を振り返り、そして畳の上に現れた魔法陣を通って、魔界へと還って行った。

悪魔は嘘吐きだ。

約束は絶対に破らないが、人は騙す。

アギラの対価は、もちろんシヅのこれからの人生なんかじゃ無い。

悪魔の呪いは、末代まで祟ると聞く。

それは、血縁者であれば、契約者と同等に扱うと言う意味ではないだろうか。

だから、対価であるシヅの魂を、その血縁者の魂と替えて貰った。

俺には、アストラル体が視える。

だから気が付いたのだ。

シヅに宿っていた新しい命に。

そして、その命は今、アギラと共に消えた。

こうして、俺の日本での最初の仕事「キチノスケ・タガミの警護」は失敗に終わったのである。


ちなみに、この後タツマ家は取り潰され、オキツグ、タヅ、シヅの3人は日本から姿を消した。

10年ほど後、ふと立ち寄ったカンギ帝国辺境の農村で、俺はシヅに似た母親を見た。

小さな娘を背負いながら畑仕事に精を出し、優しそうな旦那と笑い合っていた。

もしそれが、本当にシヅなのだとして、アギラは向こうで愉しめたのだろうか。

悪魔の力で復讐を果たし、多くの命と、知らぬ事とは言え顔も知らぬ我が子の魂を犠牲にした女が、幸せになる物語を観て。

まぁ、どうでも良い、下らない話である。


つづく

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る