第三巻「神はサイコロを振らない」

第一章 奴隷の街


1


目指す北方諸国には大小様々な国があれど、代表的なのは北方三国である。

最北部西側から、聖ダヴァリエ王国、グランダガーノ帝国、トリエンティヌス王国。

これら三国に共通するのが、魔界と国境を接している点だ。

基本的には山脈によって分断されているのだが、3つだけ魔界と繋がったルートが存在する。

そのルートの出入り口周辺を魔族軍が押さえており、少しばかり人間族のテリトリー側に魔界領が存在する。

このルートが魔界の最終防衛ラインである為、魔族軍の防備も強固で、古来堅牢な砦も存在する。

三国は、それぞれの砦に対抗する砦を築き、魔族軍と相対している。

最近の戦況は、どちらかと言えば魔族軍優位であるが、どこかの砦が落ちると言うほど、決定的な攻勢は双方仕掛けられていない。

小競り合いも、帝国軍との間で散発的に起こるだけで、数年来本格的な戦闘行為は発生していないそうだ。


俺は、北西に位置する聖ダヴァリエ王国を目指し、途中の街々はスルーして来た。

メンデが中央諸国の西方に位置した為で、特に当てがあっての事では無い。

もうひとつ理由はある。

それは、西方へ向かえば、海に出るからだ。

アーデルヴァイトの地形は、南北にアーデルヴァイト・エルムス、魔界があって、その間を縦に大陸が繋がっている。

南北を隔てるような海は存在せず、結果的に東西にしか海が無い。

内陸には大河や湖はあるが、海の幸には東西どちらかへ至らなければ有り付けないのだ。

魔法による防腐処置が可能な文明なので、内陸部でも海水魚は味わえるが、獲れたて新鮮とは行かない。

折角なので、海へ出て海産物に舌鼓と考えた訳である。

ちなみに、聖ダヴァリエ王国も宗教国家だ。

ただし、信奉している神が違う。

ダヴァリエとは軍神の名であり、古来魔族と戦を続けて来た北国だからこそ、主神以上に軍神の信奉者が多いのだ。

神聖オルヴァドル教国とは違い、教皇が国王を兼務する事も無い。

と言うより、そもそもダヴァリエ教には教皇は存在しない。

あくまで主神オルヴァドルを信奉する聖オルヴァドル教のいち宗派と言う格好で、ダヴァリエ教は聖オルヴァドル教教皇の代理として、大司教が治めている。

さすがに、大陸の最南端と最北端なので、ほぼ交流など無いに等しく、あくまでも名目上の事で、ダヴァリエ教大司教が名実ともにダヴァリエ教の最高権力者である。

国の在り方としては、国王と貴族、そして神職の三勢力が、枢密院による合議を以て国を動かす。

だが、代々武を以て知られるダヴァリエ王国国王は、軍政を司る大将軍でもあり、その発言力は大きい。

王の発言が枢密院で否決される事は、ほぼ無い。

宗教国家であるが、国王と貴族の方が力の強い国である。


そんな聖ダヴァリエ王国の最西部にある、港街オーヴォワールへと辿り着く。

北海道や東北の活気ある漁港、そんな街をイメージしていたが、どちらかと言えば何時かTVで見たエスキモーの集落と言った方が近いのではないだろうか。

そう、失念していたが、ここは異世界、海にもモンスターが出るのである。

現世でも船を出すのは命懸けだが、こちらでは命を脅かす脅威の質が違う。

近海にはそこまで恐ろしいモンスターは出現しないが、沖合漁業など不可能である。

海の幸もそれなりに獲れるが、モンスター兼用の装備を常備する事から、海獣猟が最も盛んだった。

俺は、小学校の給食の中でも、油ギトギトの鯨の竜田揚げが大好物だったので、海獣料理は口に合った。

思い描いていたものとは随分違ったが、これはこれで素晴らしい美食でした。


この街には、さらに特徴的な事がある。

街中に、労働力として奴隷が存在するのだ。

しかも、その全てと言っても良いくらい、奴隷は魔族なのだ。

聖ダヴァリエ王国自体、奴隷は合法である。

その扱いも、多少乱暴に扱う主人もいるだろうが、基本的には大切な労働力としてそこまで非道い扱いは受けていないように見受けられる。

だが、ほぼ全員が魔族であり、しかもどこかしらに障害を持つ者ばかり。

目の見えぬ者、口の利けぬ者、角や翼が欠けた者、四肢の欠けた者、生来四肢の機能に問題を抱えている者。

戦争で捕虜となる時に受けた傷とは思えない障害もあり、揃いも揃って障害者と言うのは、少し異常に思えた。

いや、本来人間族より遥かに強いのが魔族だ。

人間の奴隷になる魔族とは、そう言ったハンデを負っているからこそ、捕まってしまった者たちなのだろうか。


2


取り敢えず、宿を確保した後、冒険者ギルドへ寄って、次いで盗賊ギルドへ。

ちなみに、戦士ギルドや魔導士ギルドもあります。

用が無いから、利用した事が無いだけ。

戦士ギルドはともかく、魔導士ギルドは意外と思うかも知れないが、俺は市井の魔導具屋などで必要な魔導書や素材を調達し、全部自分で研究してしまうので、魔導士ギルドの世話になろうと思った事が無いのだ。

さらに、俺の専門には暗黒魔法を含むので、あんまり他人と関わりたく無い。

だから、魔導士ギルドにも、近付かない。

結果、冒険者クリムゾンとして冒険者ギルドへ、盗賊ノワールとして盗賊ギルドへ、顔を出すのみとなる。


ここ、オーヴォワール盗賊ギルドは、少し他の地域のギルドと違っていた。

規模はそこまで小さく無いが、受付でギルドマスターが対応してくれる。

「ようこそ、オーヴォワール盗賊ギルドへ。俺は、ギルドマスターのテリーだ。先に言っておく。ここは他の街のギルドとは少し違う。盗賊系冒険者専用のギルドと言って良い。殺しだけじゃ無く、盗みもご法度だ。だから、盗品の鑑定や買取もしねぇ。そのつもりで顔を出したなら、すぐに引き返せ。」

決して大柄では無いが、体格はがっしりとした髭面の男で、左目はアイパッチで隠れている。

盗賊と言うより、海賊だな。

「それじゃあ、裏の仕事をするにはどうするんだ?」

「何だと?」

ぎろりと睨み付けて来るテリー。

「参考までに、だ。何も、これから盗みをします、殺しをします、と言っている訳じゃ無い。……ま、殺しはするかもな。暗殺じゃ無くて、敵との戦闘だったら殺しても問題無いだろ。その敵が、兵隊になるのか盗賊になるのか、魔族になるのか人間になるのか、それは別の話だけどな。」

俺はわざと、冗談めかして答える。

「魔族になるか人間になるか、だと……。ふん、そうだな。お前も見たよな、この街には魔族の奴隷が大勢いる。その商いを取り仕切っている奴隷商。そいつが裏の仕事も商っている……らしい。」

「歯切れが悪いな。ただの噂って事か?」

溜息を吐くテリー。

「いや、十中八九間違い無ぇ。が、証拠も無ぇ。表向きは、真っ当な奴隷商人様だ。だから、御領主様の後ろ盾すらある。」

確かこの街の領主は、ここいら一帯を広く領有する、なんとか言う伯爵だったな。

この街が本拠では無く、あくまであるのは別邸だったはずだが、ほぼ1年中この街に滞在していると聞いている。

……何かあるのか?

「え~と、何て言ったっけ、伯爵様は。」

「ナヴァロン伯爵だ。エンデミング・ナヴァロン伯爵。」

「どんなお人なんだい?」

「武勇に優れた偉大なお方……だったと聞いている。」

「だった?……もう歳で戦えないとか?」

「いいや、まだ60前だったはずだ。確かに昔ほどの武勇はもう誇れないだろうが、本来であれば周りの尊敬を集める立派な伯爵だったろうさ。」

「と言う事は、その行いに問題あり、か。」

「それも違う。いや、もちろん褒められた話じゃ無ぇんだが、伯爵自身の問題じゃ無ぇ。そのひとり息子が問題でな。武勇に優れた伯爵も、親としては、と言う話だ。」

なるほど、馬鹿息子に手を焼いている、と言うより、むしろその馬鹿息子を甘やかしていると言ったところか。

「ま、俺は平和主義者だから、わざわざ騒ぎを起こす気は無い。盗みがご法度なら、そのつもりで慎むよ。」

そう言って、俺はギルドカードを差し出す。

「オルヴァドル盗賊ギルドから来たノワールだ。宜しく頼む。」

ギルドカードを確認するテリー。

「ノワールか……どこかで聞いた名だな。」

こんな北の地まで、どんな噂が伝わっているのやら。

「そうかい?良くある通り名だろ?」

「いいや、ノワールなんて名前はあんまり聞かねぇ。だが、どこかで一度聞いた気がする……。」

俺はカードを取り返そうと掴むが、テリーはギュッと掴み返す。

「思い出した!中央諸国に現れた凄腕の義賊、それがノワールだ。あんたがそうなのか。」

カードを引っ張り合いながら「違うと思います。多分、人違いです。」と言ってみるが、まぁ信じないよな(--;

「なぁ、ノワール。あんたを見込んで頼みがあるんだが、聞いてみちゃくれねぇか。」


3


で、俺は今、闇夜に篝火で照らされた、奴隷商のテント前にいる訳だ(-ω-)

だから嫌なんだ、下手な名声なんて得るもんじゃ無い。

無論、そんな話無視すりゃ良い話だが、御同業の現地ギルドマスター様直々の頼み事。

円滑な人間関係構築の為には、無下に断る訳にも行かんだろう。

頼み事の内容も、そんな無茶な話じゃ無い。

いや、本来無茶な話なんだが、証拠を見付けて来てくれ、と言う俺には簡単な話である。

なら、ちゃんとこなして恩を売るに限る……んだが、嫌な予感がする。

絶対、何か余計なものまで見付かるだろう。

はぁ、あの阿呆司教の館へ侵入した日の事を思い出す。


気配を消し、臭いも、音も、存在感も、さらにはアストラル体ごと隠れた俺を、発見出来る奴はそうそういない。

今のところ、完全に看破しやがったのは、あのアヴァドラスだけだ。

こんな辺境の奴隷商の配下に、本物の悪魔並みの奴なんかいる訳が無い。

もう、ステルス系ゲームどころでは無い。

デバッグモード並みに、何の脅威も無く心行くまで探索可能だ。

まずは、テントに入ってひと通り見て回る。

鉄格子が並ぶ光景を想像していたが、それらしい物は見当たらない。

奴隷たちは、手枷足枷を嵌められて、首輪の鎖で杭に繋がれているだけだ。

テリーに聞いた話だが、奴隷には魔力封じの呪紋が刻まれており、魔族は無詠唱魔法を封じられているのだそうだ。

障害者ばかりで魔力も封じられているとなれば、魔族奴隷が脅威になったり逃げ出したりする事は無い。

だから、これほど簡単な束縛だけで、商品を展示販売しているのだろう。

……これは合法行為だから文句は言えないが、人間たちは解っていない。

より魔法に近しい種族である魔族に魔力を封印する呪紋など刻めば、その苦痛は計り知れない。

多分、常に呪紋が疼いて、苦しんでいるはずだ。


ひと通り見た限り、真っ当な商売だ。

奴隷の扱いも、その値段も、何ら問題は無い。

そう見せ掛ける為の、ショールームだ。

表の売買だけは、ここで完結する。

だが、裏の商売も、そこまで本気で隠そうとはしていない。

テントの一番奥、あからさまに怪しい一角がある。

屈強な護衛が固めた天幕の中に、何人かの客が入って行く。

地下への入り口だ。

もちろん、俺は空間感知で地下がある事は把握済み。

その入り口が、そこにあるのだ。

そして、階下の光景は、予想通りのものだった。

あの阿呆司教の同好の士たち。

その為の玩具として取引される、ある者は美しく、ある者は幼く、ある者は珍しい、そんな玩具たち。

彼らは、ショールームの奴隷たちとは違い、厳重に管理された拷問部屋に押し込められている。

すぐ階下で行われる惨い宴の狂騒が、漏れ聞こえる事は無い。

さらに下の階では、今度は俺の御同業用の実験素体たちが並ぶ。

廃品利用と言った方が正しいか。

やり過ぎてもう商品にならない者たちを、格安で実験素体として捌くのだ。

残念だが、彼らはもう救えない。

俺に高位の神聖魔法が使えれば或いは……いや、彼らは体だけじゃ無い。

アストラル体も限界だ。

俺がしてやれる事は、もうひとつしか無いだろう。

その下の階には何人かのスタッフがたむろしていて、ここで様々な手続きを処理するようだ。

手近な書類に目を通すと、奴隷や素体の売買記録だけで無く、盗品の取り扱いや暗殺依頼の類も確認出来た。

やっている事は違法行為だが、随分真面目な犯罪者どもだ。

表も裏も含めて、商売として淡々とこなしていると言う事か。

後もう一階分、下に部屋があるな。

どうやら、VIPルームのようだ……あ、やっぱり嫌な予感がする。


4


そのVIPルームには、今正に御乱行の真っ最中な豚がいた。

部屋の中には、すでに息絶えた魔族の幼子たちが転がっている。

今犯しながら首を絞めている子だけは、辛うじて生きている。

だから、取り敢えず俺は豚のケツを蹴り上げて、その行為を中断させた。

「ブヒィッ?!」と本当に豚みたいな声を上げて転がる肉塊は放っておき、傷だらけの魔族の子供にヒールを掛ける。

まだアストラル体は弱っていないから、この子だけは助かりそうだ。

「き、貴様、一体何処から入って来た。誰も通すなと言っておいたであろう。おい、誰かっ!誰かいないのかっ!」

慌てた様子で、VIPルームの外で形だけの警護をしていた連中が、5人ばかり駆け込んで来る。

「如何なされました、サミュエル様……な、お前、何時の間に?!」

……気に障る雑音だ。

一々相手するのも面倒だな。

俺は、テルミットを喚び出す。

「テルミット、その5人を喰え。」

テルミットは、人間の時からカニバリズム(人喰い)を行っていた。

嗜好からでは無く、信仰に近い。

倒した敵の体を喰う事が、一種の敬意の現れと考えていたようだ。

だから、生前の意識が残っているコマンダーの中でも、テルミットなら人間を喰う事に戸惑いは無いだろう。

ゾンビなんだ、人間を喰う方が、らしくて良いよな。

「な、な、な、何なんだ、貴様は……。」

豚が何か言っているな。

背後からは、生きながら喰われる5人の鳴き声しか聞こえない。

「わ、わ、わ、私を誰だと思っておるのだ……。」

誰だよ。

「わ、わ、私は、サミュエルであるぞ……サミュエル・ナヴァロンであるぞ……。」

サミュエル……ナヴァロン。

ナヴァロン、聞いた名だな。

「パ、パ、パ、パパ伯爵様が許しておかぬぞ、この下賤の者めが……。」

……はぁ~、やっぱりか。

やっぱり嫌な予感が当たったか。

どうしてこう、権力者って奴は……いや、ちゃんと立派な伯爵もいたよな。

メイフィリアだって、中々良い女王様みたいだったし。

……ふぅ、どうもいかん。

嫌なものを見ると、心がやさぐれちまうな。

俺は振り返り、後ろの状況を確認する。

もう食事は済んだようだ。

「おかしな事で喚び出して済まなかったな、テルミット。」

畏まっているテルミット。

「いえ、マスターのお役に立てるならば、光栄の至りで御座います。」

「もし、良い夢を見ていたなら、その邪魔をしたな。もう一度、安らかに眠るが良い。」

俺はテルミットを寝床へ還す。

「サミュエル、パパに免じて、チャンスをやろう。」

そう言って、サミュエルの前にショートソードを投げ落とす。

「勇名を馳せたナヴァロン伯爵の御子息なんだ。その剣で、俺に抵抗して見せろ。」

豚は豚みたいに太っていて、とてもまともに戦えるとは思えない。

そもそも、そんな事で助けてやる気も無い。

取り敢えず、この豚はここで遊ばせておく。

「クソ~、クソ~、何で私がこんな目に……。」

それでも何とかショートソードを手に、俺に斬り掛かって来る。

俺の幻影に。

そうしてひとりで踊らせている間に、俺は魔族の子供に声を掛ける。

「今からお前と、お前の仲間たちを解放してやる。だが、解放してやるだけだ。傷を治して飯を喰わせて呪紋も解いてやる。でも、ここは人間族の街だ。俺はお前たちを、魔族領まで送ってやれない。お前たちは、解放された後、自分たちだけで逃げるんだ。生きたければ、仲間と力を合わせて、お前たちだけで逃げるんだ。」

じっと、俺の瞳を見詰めて話を聞く少年。

「ここから出る為には力を貸してやる。だがそれだけだ。良いな。解ったか。」

力強く頷く少年。

さすがに、この状況、俺の真意、それを理解出来るだけの知性が備わっているようだな。

魔族は、本来人間族よりも遥かに優れている。

それに、彼は少年に見えるだけで、俺より長く生きているのかも知れないしな。

「良し。それじゃあまず、お前の呪紋を解く。その後俺は、奴隷商たちを鏖にして来る。助けるのは安全になってからだ。」

呪紋の解除は簡単だ。

ディスペル(解呪)で良い。

さぁ、次は掃除だ。


5


ひとつ上の階に、奴隷商一味の多くが集まっている。

ごろつきのような格好の奴ばかりだが、中には普通の身なりの者もいる。

裏の帳簿係と言ったところか、専門がそっちの方なんだろう。

ここが本拠と言うか、事務所だな。

取り敢えず、階上へと上がる階段を結界で封じ、ステルスのままひとりひとり殺して行く。

今手元にある得物は薄刃のダガーなので、鎧を着ている者は首を掻き、そうで無い者は心臓をひと突き。

急に周りの人間が死んで行く事態に恐慌を来たすも、階上へは逃れられない。

……こんな商売をしている癖に、覚悟のある奴はひとりもいないんだな。

淡々と30人ばかし殺した後、次の階へ上がる。

ここには哀れな実験素体ばかりだが、少数管理の者と客がいた。

やはり階段を封じた後、そいつらも殺す。

そして、実験素体たちには、痛みを和らげるためにヒールを掛けつつ、苦しまぬよう解放してやる。

次の階は数が多い。

ひとまず、テントまで上がる。

見て回ると、さすがにもう夜半とあって、一般客はいないようだ。

入り口を封鎖してから、外の見張りを始末する。

テントの周囲には簡易な柵が設けられていて、道からは10mほど離れているから、死体を隠す必要も無いだろう。

空間感知した限り、今は近辺に人影も確認出来無いしな

その後、テント内の敵も殺すが、奥の天幕にいた護衛数人だけだ。

このショールームの奴隷はまともな扱いを受けているだけあって、すぐに治療が必要な者はいない。

取り敢えず、階下を優先する。

ひとつひとつ拷問部屋を覗いて行き、いれば奴隷商の一味と裏の客を始末、いなければ奴隷の傷を治療してから次の部屋へ。

この階には拷問部屋が20ほどあった。

少し、時間が掛かってしまったな。

だが、これで何とか安全は確保出来ただろう。

一度、最初の少年の元へ戻る。


豚はまだひとりで踊っている。

息は荒いが、思ったより頑張っているな。

少年は、亡くなった仲間たちを横にしてやり、簡素な弔いを済ませていた。

「安全は確保した。上の階が事務所になっているから、これから他の者を助けた後そこへ集める。お前は、奴らの躯などから装備を集めたり、有りっ丈の食糧を掻き集めて来い。ちゃんとお前も喰えよ。逃げ切るには、体力が必要だからな。」

頷く少年。

俺は少年がVIPルームを出たところで、VIPルームの扉を封印する。

あの豚には役割を考えてあるから、万一にも逃げられない用心だ。

ま、あの豚が俺の幻影を破れるとも思えないが。

その後、俺は拷問部屋の魔族たちの呪紋を消し、歩ける者には階下へ向かうよう指示し、歩けぬ者は送り届ける。

ショールームの魔族たちも、同様に呪紋を消した後、階下へ向かわせた。

総勢50名弱か。

これが健康な魔族なら、人間族の一個中隊すら超え得る戦力となるが、彼らのような障害を抱えた魔族の力は、果たしてどれほどのものなのだろう。

まぁ、この街を出る為の助力は最大限してやるが、その先は彼らの運次第だ。

そして、運は自分の力で引き寄せるもの。

後の事は、彼ら自身に任せる他無い。

「喰ったか?装備と食糧は持ったか?これから逃げ出すに当たり、最低限の助力はする。だが、俺は見ての通り人間だ。お前たちにとって安全な魔族領まで送る訳には行かん。無責任だと思うかも知れんが、俺はここから逃がしてやるだけだ。だから、お前たち皆が協力して、逃げ延びろ。」

ショールームにいた連中は、非協力的になるかと思っていた。

普通に売られるならば、そこまで惨い仕打ちは受けないからな。

だが、全員の眼が真摯に俺を捉えている。

全ての瞳に、強い覚悟が窺える。

俺がまだ知らない何かが、魔族の結束を生み出している、そんな感じがする。

まだ、俺の常識で魔族は測れないな。

「良し、歩行が不自由な者にはフライ(飛行)を掛けてやる。そうして自重を軽くして、比較的健康な奴が背負ってやれ。」

空飛ぶ魔法は存在する。

俺も使える。

だが、使わない。

それは、かなり効率の悪い魔法だからだ。

空を飛ぶ際の姿勢や速度など、全てを自分で制御しなければならない難しさに加え、高度や速度を上げると加速度的に消費MPが跳ね上がるのだ。

人が走る程度の速度で屋根より高い高度を飛ぶのさえ、人間族の伝説に残るくらいの大賢者が出来るかどうか。

結果的に、飛ぶと言うより浮かぶのが精一杯の魔法なのだ。

実は、オルヴァの宝物庫から持ち出したマジックアイテムの中には、空飛ぶマントなんて物もあった。

名前からして便利そうだが、実態は今話した通りのフライを、魔法を使えない者でも使える、と言う代物。

MPを使わない戦士系の者が、普通のマントのように装着しておき、いざと言う時高い所に飛び乗る、飛び降りる、屋根から屋根へ飛んで渡る、なんて使い方も可能なので、決して無意味なマジックアイテムでは無い。

が、俺なら短距離空間転移で事足りる。

結果、空飛ぶマントもフライの魔法も、普段は無用の長物なのだ。

だが、魔力に溢れた魔族であれば、こうして浮遊させ移動の補助とするくらい、難無くこなすだろう。

中には、呪紋を解呪した事で、自力で飛べる者もいるかも知れない。

障害を持ってはいても、呪紋さえ無ければ魔族は充分脅威たり得るはずだ。


そうして準備が調ってから、全員でテントの入り口まで移動する。

「もうひとつ、お前たち全員に不可視の魔法を掛けてやる。これで夜闇の中、より見付かりづらくなるだろう。だが、お前たち同士も見えにくくなるからな。ここからは、ちゃんと隣の者同士、しっかり手を繋いで行け。絶対にはぐれるなよ。不可視の魔法は3時間程度で切れるようにする。街から少し離れるまでしか持たないからな。」

さすがに、50人弱全員にまとめて掛けるのは俺の脳が疲れるので、ひとりずつ順番に掛けて行く(^^;

掛け終わった後、今度は空間感知を広域展開。

うん、多分この動いているのが警邏中の衛兵たちだな。

良し、今なら近くにいない。

「それでは行くが良い。今なら東へ向かえば見咎められずに街を出られるはずだ。ある程度離れてから北へ向かえ。もう二度と会う事も無いと思うが、元気でな。」

俺はそう告げて、踵を返す。

それが別れの合図と察したように、彼らはテントを出て行く。

俺は彼らが出て行った後、しばらく空間感知で追跡してみる。

俺の言った通り、しっかり東へ向かっているようだ。

……、……、……。

うん、どうやら街の外へは無事達したようだ。

そのままどんどん離れて行く。

これで俺の責任は果たしたぞ。

後は、彼ら次第だ。


6


俺は仕上げの為に、豚がいるVIPルームへ戻る。

さすがに疲れ果て、ブヒブヒ言いながら大の字になって倒れていた。

落ちているショートソードを拾い上げ、豚に近付く。

「どうだ、少しは良い運動になっただろ。」

「ブハァ、ブハァ、ブハァ……ふ、ふざ、うぷっ……ふざ、けるな……。」

「辛そうだな。仕方無い、ヒールでも掛けてやるよ。」

そう言うと、俺は継続ヒールを掛けてやる。

暫くの間、ヒールの効果が掛かり続ける魔法だ。

今回は3時間ほど継続させるので、神に愛されていない俺には結構大変な魔法となる。

それをわざわざ、この豚に掛けてやる。

「はぁ、はぁ、はぁ、は、はは、何だ、反省したのか?急に、パパ伯爵が怖くなったか?まぁ良い、私は寛大な男だヴァッッッ!!!!」

豚の腹にショートソードを思い切り突き立て、石畳まで貫通させる。

これで、こいつが自力で抜け出す事は出来無いはずだ。

「すびばせん、ごべんなさ、こ、こで抜いでぇぇぇ。」

俺は一瞥もくれずに、説明だけしてやる。

「継続ヒールを掛けてやったから、効果が続いている間は傷が治り続ける。大丈夫。痛いだけだ。死にやしない。確かにお前は、伯爵の御子息様だ。さすがの俺も、簡単に手に掛ける訳にも行かん。」

心にも無い事を言っておく。

「だから、一度だけチャンスをやるんだ。これに懲りたら反省して、心を入れ替えろ。そうすれば、パパも喜ぶぞ。」

「いだい~、いだいがら~、ごれ抜いでよ~。」

泣きじゃくって聞いちゃいねぇ(^Д^;

ま、そりゃ痛いだろ。

かなりの出血だから、こりゃどこか普通じゃ死ぬような場所を貫いちまったかな。

……血、か。

俺は豚の血を使って、石畳にサインをしてやる事にした。

盗賊ノワール参上。


豚はそのまま放置して、俺はテントの外に出た。

空間感知……うむ、丁度良い、近くに警邏中の衛兵がいるな。

俺はテントに、ファイアーボールで火を放つ。

その後、警邏中の衛兵たちの方向へ歩いて行く。

そして、風の魔法の応用で、声音を女性に変えて叫ぶ。

「きゃあ、火事よ!誰か~、テントが燃えてるわ~!」

その声に反応して、衛兵たちがこちらへやって来る。

すれ違いざま、わざと衛兵のひとりに肩をぶつける。

倒れる衛兵……いや、ちょっと力が強過ぎたか(^^;

「き、気を付け、ろ……。」

俺は衛兵を、射貫くような眼で睥睨する。

そして、何事も無かったかのように歩み去る。

「おい、何してる。本当にテントが燃えているぞ。早くお前も来い。」

もうひとりの衛兵に急かされて、倒れた衛兵もテントに向かう。

良し、これで目撃者も証拠も上手く残せたな。

ミッションコンプリート。

俺はステルスモードを発動し、屋根の上に転移してその場を立ち去る。

後は、盗賊ギルドで待つだけだ。

迎えが来るのをな。


つづく

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る