第五章 ビッグマーメイド
1
メンデへは、ミラの足で3日ほど掛かった。
メンデはパンが美味い事で有名だったが、今は有事なので軒並み店は閉まっている。
一応、旅人用に宿はやっているが、本当ならば街中パンの焼ける良い香りに包まれているはずなので、とても残念でならない。
現状、街の北側に守備兵が1000人ほど陣を敷いており、マーマンの襲来に備えていた。
だが、聞いた話では、マーマンが蛙の傍を離れる事は無く、こちらから手を出さない限りは安全なようだ。
もちろん、何時マーマンが動き出すか判らない以上、警戒態勢は解けない。
1日も早い勇者の到着を、皆心待ちにしていた。
すまんな、来たのは俺だ(^^;
取り敢えず、冒険者ギルドと盗賊ギルドで、これまでの経緯を確認しておいた。
当初、もう少し近場に出現した蛙は、現在棲み処としている岩場までゆっくり移動。
放置する訳にも行かない領主は迎撃を命じ、結果返り討ちに遭う。
メンデの守備兵力は2500程度だったが、この時の戦いで半減している。
それにより追撃が不可能となったが、蛙にこちらを襲う気は無いようで、現在の居場所まで移動した後は、延々とマーマンを産み続けているそうだ。
そのマーマンは、大体700体ほど。
だが、継続して蛙は産み続けている。
水場の無い岩場に居を構えた事もあり、付近にはマーマンの食料になるものが無い。
しかし、何故かマーマンは蛙から一定の距離以上離れようとせず、仕舞いには空腹に耐えかね共食いをしたり、そのまま餓死したりする。
蛙自身は、産んだマーマンを捕食するらしい。
そうして、延々産み続けるが死んで数を減らし続け、結果総数700程度で推移しているそうだ。
どうやら、マーマンどもは蛙に支配されているようだな。
完全に自我が失われている訳では無いが、逃げ出す事は叶わないようだ。
そして、産むと表現されているが、そのスピードと成体として産み落とされる事から、実際に産むのでは無く眷属招喚に当たるのだと思われる。
じっとして動かず眷属を招喚し続け、腹が減ったら招喚した眷属を喰う。
そう言う生き物なのだろう。
ある程度近付くと、マーマンたちは迎撃して来る。
冒険者有志が何度か攻撃を加えた事があるようだが、飢餓感から必死な様子で、本来のマーマンよりも手強かったそうだ。
何人かの犠牲者が、マーマンに捕食されてしまった。
骨も残さず食い散らかされ、遺品も回収出来無い有り様だったそうな。
その為、冒険者や盗賊が手を出す事も禁じられており、今は数名が監視任務に就いているのみだ。
う~む、監視がいるのか。
先にそっちを何とかしないとな。
あんまり見られたくは無いからな、俺の実験体たち。
2
こちらの姿を晒す気は無いので、徒歩で現場に向かう。
徒歩2時間は掛かるので、日を改めて午前中に出発。
もちろん、監視役たちはいざと言う時の伝令も務めるので、ちゃんと馬での移動だからもっと早く行き来出来る。
俺の実験体たちが目撃されたら、最悪数時間後にはこちらが包囲されかねない。
ま、その時には忽然と消え失せてはいるが、見られないに越した事は無い。
そこで、現場に近付いてすぐ、空間感知を広域展開。
そこに、アストラル体感知も重ねる。
ふむ、岩場から500m程離れた場所に、5人パーティーと思しき集団と、個別に3人確認。
良し、パーフェクトステルスを発動し、彼らを見渡せる位置に空間固定、転移。
茂みの陰に隠れているが、こちらからは丸見えだ。
マーマンから隠れているのだから、当然か。
俺はロングボウを構え、マジックアローをつがえる。
今回は単純な強化ではいけない。
あくまで監視役たちは味方であって、間違って殺してしまう訳には行かないからな。
物質攻撃力を完全に削ぎ、その上で8人同時にターゲティング、ロックオン。
さすがに、こう言う芸当はマニュアルでは出来んな(^^;
放たれたホーミングアローは、見事全弾命中……お、ひとりだけ、気絶しないでぎりぎり堪えているな。
どれどれ、視覚拡張……こいつは、どうやら専業魔導士のようだな。
魔法防御力が高くて、アストラルダメージが足りなかったようだ。
やはり、俺の実力などまだまだだな。
クリスティーナたちは、俺を過大評価してるよ。
と言う事で、その魔導士の背後に転移して、インビジブルダガーを追加でひと刺し。
これで、全員半日は目覚めない。
後は、マジックシールドで保護。
間違ってマーマンがこっちへ逃げて来たりしたら、こいつら食べられちゃうからな。
準備が整ったので、早速実験体の招喚に移る。
前方に巨大な魔法陣5つを半円状に描き、自身の目の前に個人用の魔法陣を7つ。
実験体の集団招喚だが、こいつらは休眠状態なのでほぼ物扱い。
大したMP消費にはならないので、術式さえ構築してしまえば、招喚は簡単だ。
そうして俺は喚び出した、ゾンビの軍団を。
俺は、悪党退治で生け捕ったり殺したりした協力者たちで、ネクロマンシー(死霊術)の研究にも勤しんだ。
結果的に、神聖オルヴァドル教国の勇者と言う特殊な状況が、俺の野望実現に別の可能性を示したが、一応保険として“それ”は確保しておこうと思ったからだ。
その協力者たちを、勿体無いから廃材利用した。
それが、ゾンビたちである。
ただ、協力者たちには悪いので、魂は解放し成仏させてやったから、言ってみればフレッシュ(死体)ゴーレムみたいなもんだ。
防腐処置と生命力吸収による負の再生能力を付与してやったので、並みの戦士よりは強いけど。
ただ、火耐性や神聖耐性は弄っていないので、並みの戦士より強いが明確な弱点も持つ戦力だ。
別に、最強軍団を組織しよう、なんて考えていないので、敢えて弱点は残しておいた。
だって、その方が面白いだろ。
こいつらは、俺の魔力でOnOff切り替えて、普段は拠点地下に作ったカタコンベ(地下墓地)で眠らせてある。
その多くは、トーリンゲン拠点だ。
新拠点でも同様の設備と備蓄はしてあるが、絶対数が違う。
その数、およそ500体。
しかし、魂も無いゴーレム並みのゾンビでは、ただの烏合の衆。
そこで、数体ばかし特別なゾンビも用意した。
盗賊たちの中で、首領級や戦闘力の高い奴に、このまま死ぬかアンデッドでも良いからこの世に残りたいかを選ばせた。
そうしてこの世に留まる事を選んだ盗賊たちを、特別に強化した死体に魂を縛り付けて死者として蘇生。
俺は、コマンダーゾンビ(指揮官ゾンビ)と呼んでいる。
こいつらには、ゴーレムゾンビたちの支配権を与えた。
それにより、実戦では5体のコマンダーがそれぞれ100体程度のゾンビを操って、集団戦闘を行うのだ。
ただ、コマンダーは計7体いる。
残りの2体は、さらに特別である。
ボニーとクライド。
ここは異世界だから、あくまで偶然だけどな。
こいつらは、強力な盗賊団の首領と副首領で、金品の略奪だけで無く、いつも気に入った男女を1人ずつ連れ去っていた。
そして、それぞれが見ている前で女を犯し、男を犯し、絶頂を迎える時に首を切り裂く。
それが2人の性癖であり、だからお互い愛し合えない。
それで、代わりの者を連れて来て、愛し合う姿を見せ合うのだ。
俺は、とある豪商が同時に跡取り息子と長女を連れ去られた時、救出の依頼を受けて彼らの盗賊団を壊滅させた。
幸い2人の命だけは救った。
そして、俺はボニーとクライドに選ばせたのだ。
このまま俺に殺されるのが良いか、最期に2人で愛し合うのが良いか、と。
2人は迷わず、お互いを激しく求め合い、本当はずっとそうしたかったとばかりに、幸せの絶頂でお互いの首を切り裂き合った。
俺は、その一部始終を見ながら、不謹慎だがね、美しいと思ったんだ。
こんな純粋な愛を、俺は初めて見たと思った。
だから、ボニーとクライドだけは、意思確認をせずに、俺の意向でコマンダーとして蘇らせた。
ゾンビとなっては、もう肉欲は存在しない。
生き物では無いので、繁殖行動は必要無いからだ。
だが、いやだからこそ、彼らはただただお互いを愛するだけのこの環境を、素直に受け入れた。
彼らが一番従順で、一番強いコマンダーとなった。
その2人が、他のコマンダーを含む全てのゾンビの支配権を持ち、全体を統括する。
……正直、少し後悔している。
あんまりにも強烈な存在故、そのまま打ち捨てる事が出来ず、こんな形で手元に置いてしまった。
他のコマンダーたちは、俺に勝ったら別の体を用意し転生させ生き返らせてやる、と言う言葉を信じて、軍事訓練の度に、何度負けても突っ掛かって来て諦めようとせず、少しずつだがゾンビの体にも慣れ強くなって来ている。
そんな彼らに、少し愛着が湧いて来てしまったのだ。
仲間なんて欲しく無かったのに、アンデッドの仲間を作ってしまった気分だ。
今はまだ、いつ壊れても惜しく無いただの手駒のはずだが、いつしか失いたく無い大切な存在になりはしないか。
それが不安である(^^;
3
ゾンビ軍団の招喚は完了した。
取り敢えず、総勢およそ500体の機能をOnにして、目覚めさせる。
そして、いつも軍事訓練でそうするように、ボニーとクライド用に空中に空間固定を行い、彼らがそこへ飛び乗る。
「良いか、お前ら。今日はいつもの訓練では無く実戦だ。生前の記憶はあるんだから判ると思うが、何事も練習と本番では勝手が違う。相手は弱いが、油断だけはするなよ。」
ボニーとクライドは、いつも通り畏まって聞いている。
他のコマンダーたちも大人しく耳を傾けているが、どこと無くいつもと様子が違う気がする。
実戦を前にして緊張している、なんて玉では無いはずだが。
「今回の任務は、マーマンたちを抑え込む事だ。奴らの殲滅は考えなくて良い。下手に突出すると、奥にいる化け蛙に喰われちまうかも知れないからな。化け蛙には、決して近付くな。そっちは俺が何とかする。」
状況を確認する為に、コマンダーたちはマーマンの群れに目を向ける。
「それから、ここにいる人間たちには手を出すなよ。一応、マジックシールドで守ってあるが、マーマンたちも近付けるな。お前たちを目撃させない為一時的にお眠り頂いた冒険者の皆さんだ。事が終われば無事にお帰り頂くからな。」
こっちは確認しようともしない。
どうでも良いと思ったのかも知れないが、俺には一応大事な事なんだがなぁ。
ま、もしもの時は、マーマンの所為にするけども(^^;
「それじゃあ、宜しく頼むぞ。俺は上空から見物させて貰う。」
そう言って、俺は短距離空間転移で空へ上がる。
さて、お手並み拝見。
ゾンビたちは、マーマンたちを半包囲する形に移行出来るよう、半円状に展開しておいた。
コマンダーたちが大体100体ずつを操る為、左右に展開して行く。
程無く進軍を開始し、ゾンビ軍団が動き始めてすぐ、マーマンたちもこちらに気付く。
しかし……圧倒的では無いか、わが軍は。
ま、判っていた事だけどな。
元より、Lv10程度のマーマンなど俺のゴーレムゾンビより遥かに弱い。
飢餓感から狂気に駆られていようと、ゴーレムゾンビたちは無感情故恐怖に捕らわれる事も無い。
その上、生体から生命力を吸収し、ゴーレムゾンビたちは傷を負っても再生する。
実際のゴーレムとは違い、あくまで暗黒魔法により生み出されたゾンビでもあるので、その戦い方も凄まじい。
生体から生命力を吸収するには、体内に取り込むのが一番効率的らしく、ゾンビ映画宜しく相手の体を引き裂き喰い荒らす。
むしろ、飢餓感すら忘れて、ゾンビを恐れマーマンたちの方が恐慌状態である。
ちなみに、生命力を吸収され尽くした生体は塵と化すので、ゾンビの体内に死肉が残る事は無い。
だから、カタコンベに戻したゾンビの体内で腐肉がガスを出し、ちょっとした火種で大爆発、なんて事故は起こらないで済みます(^^;
そして、ゴーレムゾンビたちより強いコマンダーは、ゴーレムゾンビたちを操りながらでもマーマンなどに遅れは取らず、少数ゴーレムゾンビを突破して来たマーマンを一撃で簡単に屠って行く。
元々、盗賊団の首領を務めたり戦闘員として実力のある猛者たちだった上に、並みのゾンビ以上に強化してあり、さらに俺との訓練で揉まれているので、今や相当の実力者たちだと思われる。
元から頭ひとつ抜きん出ていたボニーとクライドは、火耐性、神聖耐性の強化以外は施しておらず、生前の姿そのまま。
それでも、肉体強化も施し巨躯となった他のコマンダーたちよりも、素で強さは上回っていた。
7体の内2体を他のコマンダーたちよりも上位に位置付けると知った際、5体のコマンダーたちは納得が行かないとクレームを付けたので、ボニーとクライド対他5体で戦わせた結果、コマンダーたちは素直にその決定を受け入れたのだ。
肉弾戦だけで言えば俺より強いのではないか、とその時思ったので、従順でいてくれて正直ホッとしたものだ。
もちろん、この戦いでボニーとクライドの出番など無いがね。
彼らは、傍目には空中でイチャイチャしているだけにしか見えない(^^;
だが、全体を統括して、特に外周部に位置するコントロールから外れそうな個体の制御をこなしている……はずだ。
実際に何をどうしているのか、俺にも判らないからな。
でも、本当の意味での総括者である俺は、今ゾンビたちを一切制御していない。
放置していても、全く問題無く軍事行動が統制されているのは、ボニーとクライドが統括、各コマンダーが100人長を務めるこの体制が、上手く機能している証拠だろう。
良し、マーマンたちは任せて大丈夫そうだ。
となると、次は俺の番だな。
正直、気は進まないのだが、取り敢えず偵察に向かおう。
俺は、何度か空間固定の足場を乗り継ぎ、ステルスモードで蛙の上空まで辿り着く。
……マジか……凄ぇ気持ち悪ぃ(^^;
遠目からではそこまではっきりしなかったが、これはあれだ。
何時か何かのTV番組かネットで見た事ある。
背中に無数の卵を背負って、そこからおたまじゃくしが孵る蛙。
あれそっくりのビジュアル。
(作者注・コモリガエル、もしくはピパピパで検索、トライポフォビア(集合体恐怖症)、蓮コラなんかが苦手な方は要注意。)
そいつが体長20mほどの巨体となって、背中からマーマンを産み続けているのだ。
マーマンが産まれるペースは然程早く無いが、見ている間にも1匹2匹と産まれて来る。
これでは、仮にゾンビ軍団がマーマンたちを殲滅したとしても、じきにまた増えてしまうだろう。
やはり、俺が始末を付けるしか無いか。
とは言え、普通の焔紫では心許無い。
だが、ランドクラーケンの時みたいな魔力拡大焔紫では、一時的に魔力の枯渇を招き俺の身が危うい。
しかし、魔力付与したショートソードで何百回斬ろうが、マジックアローを何千本射ろうが、多分ここまでデカいアストラル体には効果が薄いだろう。
何より、こんなデカブツ相手に、近接戦闘や遠距離攻撃などを行って、誤って反撃を喰らおうものならこちらがやられる。
攻撃魔法の研究優先度は低かったが、こう言う時、自称美少女天才魔道士の
……やはり、暗黒魔法か。
どうせネクロマンシーを極める過程で手を出さざるを得なかった暗黒魔法なのだから、こうなったら暗黒魔法自体を極めるつもりで、研究してみても良いだろう。
悪魔の力を借りるなんて悪い事だ、なんて人間の倫理観、俺には関係無いしな。
良し、そうと決まれば早速実験と行こう。
この蛙は、絶好の実験対象だ。
4
蛙の周りには、総勢およそ700体のマーマンがいたが、その多くは南側に配置されていて、北側は比較的手薄だ。
南側から人間たちがやって来て戦闘になった事を、この蛙は理解しているのだろう。
今は、マーマンの主力は南側でゾンビたちと戦闘を繰り広げていて、北側に残ったマーマンは100体ほど。
その100体を、生贄に使う。
とは言え、普通に意識のある生き物を生贄に捧げますと言ったところで、それは契約として成立しない。
生贄は、捧げる者が完全に支配下に置く必要がある。
最低でも、縛り上げて自由を奪う程度の処遇は必要だ。
そこでまず、100体を囲うように結界を張る。
結界とは、魔法的な力場で壁を作り、囲ってしまうものだ。
結界を破るなり中和するなりしなければ、自由に出入り出来無い。
まぁ、結界を張った者や許可を与えた者の出入りは自由だ。
100体を囲う為卵型に展開されている結界を、今度は円形に変化させる。
今回は、直径50m程度の円にした。
結界近くにいたマーマンは、移動する結界に触れて弾かれ、その円形の結界内でひと所にまとめられる。
その中心上空に転移して、そこからマジックアローを降らせる。
これで、意識を失ったマーマンの生贄100体確保。
次に行うのは、魔法では無く儀式。
だから、黙詠唱では無く声に出して願う必要がある。
「……。」
おっと危ない、まずは結界から出なくては。
悪魔との契約は、慎重に慎重を期さねばならない。
もし条件に合致してしまえば、術者も生贄として喰われてしまいかねない。
そう、仮に間違って、結界内にいる生命を全て生贄に捧げる、と明言した時、術者自らが結界内にいたなら、悪魔は当然の権利として術者も喰らうのだ。
悪魔は絶対に約束を破らない。
それが、誤って結んだ約束であっても。
俺は一度深呼吸をして、仕切り直して呼び掛ける。
「闇に沈みし魔界に潜むものどもよ。我ここに贄を捧げ願い奉る。結界にて自由を奪いし100の血肉を貪り喰らいたければ、疾く我が声に応えよ。」
もちろん、ただ文言を唱えるだけでは無く、これは悪魔に呼び掛ける特殊な魔法語だ。
特殊とは言っても、暗黒魔法を行使する時の共通の魔法語だから、わざわざ別途修得する必要は無い。
そう、普通に暗黒魔法を使うだけでも、その声は魔界の悪魔たちに聞こえている。
暗黒魔法は、悪魔の力を借りる魔法なのだから。
俺の呼び掛けに何時、誰が応えてくれるかは判らないのだが、すぐに変化は起こった。
結界内の地面が暗黒に呑み込まれ、闇の鏡面から巨大な顎門が現れ、全てのマーマンを呑み込んでしまう。
数瞬の沈黙の後、今度は鏡面からゆっくり巨大な顔が現れる。
だが、顔だけだ。
悪魔的な容姿とは言えず、人間族の禿げたおっさんのような巨大な顔だけが、そこにいる。
そう言えばステルスを解くのを忘れていたが、その眼が俺を捉える。
「私はアヴァドラス。旨い馳走を頂いた。何より、私を再びアーデルヴァイトへ喚び出した事に礼を言う。魔界の空気は最悪だ。やはりここは気持ち良い。」
思い出したからステルスは解除したが、クリスティーナでもシロでも見破れなかった俺の存在を、完全に看破していたな、この顔(^^;
「私ほどの悪魔となると、誰も招喚条件を満たしてくれん。100体の生贄など、中々豪気な事をする。他の者に盗られぬように、思わず飛び付いてしまったわ。」
豪快に笑う顔。
ふむ、やはり相当の大物らしいな。
「用があって喚び出したのであろう。名残惜しいが仕方無い。願いをひとつ、叶えてやろう。」
「あそこに見える蛙、あれを喰ってくれ。そして、喰ったら魔界へ還れ。以上だ。」
顔は目を細めて、感心した表情をする。
「ほう、賢しいな。悪魔との交渉の仕方を熟知しておるのか。久しぶりにしばらくアーデルヴァイトの空気を堪能出来ると思ったのに、残念な事だ。」
ふん、こちとら悪魔の怖さは先刻承知。
致命的で無かったとは言え、実験段階で何度か失敗したからな(-ω-;
この悪魔も、親し気な口調で話しているが、とんだ狸である。
先程から、溢れ出る瘴気で俺のアストラル体を汚染しようとしている。
アストラル体が弱れば魂が弱る。
魂が弱れば気も弱る。
そうして精神が衰弱した状態にしておいて、悪魔優位の約束を結ばせようとする。
悪魔は絶対に約束を破らない。
しかしそれは、誠実だからでは無い。
約束は破らないが嘘は吐くし、言わねばならない事を意図的に黙っていたり、こうして心を弱らせて意思を混濁させようとしたりもする。
悪魔は皆詐欺師なのだ。
約束を破れないと言う制約はあっても、人は騙すのである。
正直、マーマン100体はやり過ぎだったかも知れない。
一気に敵の数も減らせると思ってつい100体も捧げてしまったが、大物が釣れ過ぎた。
多分、以前の俺ではこの瘴気に耐えられなかっただろう。
ここ最近の大きな変化、世界樹の守護精霊、そして本性は隠したままだが古代竜、そんな偉大な存在との邂逅が俺のアストラル体を強くしたような気がする。
「残念だが、お前の瘴気にやられるほど俺は弱く無いようだ。もう一度言う。大悪魔アヴァドラスよ、我が指定せし敵を滅ぼし、然る後魔界へ還れ。以上だ。」
大きな顔が、顔いっぱいに大きく笑う。
「面白い。実に面白いぞ、人間。相解った。あの蛙を馳走になり、魔界へ還ろう。短い時間であったが、此度のアーデルヴァイト滞在は非常に愉快である。お前の命令は、正しく遂行しよう。」
そのまま鏡面へ沈んで行き、顔が消えると暗黒も消えた。
次いで、すぐさま蛙のいる地面が暗黒へと呑み込まれ、アヴァドラスの顎門が蛙を捕食する。
先程と違い、そのまま美味しそうに咀嚼している。
数こそ多かったが、やはりマーマンよりもこっちの方が遥かに強いし、その分美味いのだろうか。
今度も、アヴァドラスは顔だけだ。
アヴァドラスとは、顔だけの悪魔なのだろうか。
それとも、狭い出入り口から、顔だけを出しているのだろうか。
程無く、アヴァドラスの顔はまた沈み、暗黒も消え、静寂が訪れる。
こうして、俺は無事、蛙の駆除に成功した。
5
しかし、強く思い知らされた。
やはり、悪魔を招喚するなんて危うい。
同じ暗黒魔法でも、悪魔招喚は禁じ手として、詠唱による魔法行使だけに留めておいた方が良さそうだ。
アーデルヴァイトに、そして物質体に縛られていないからか、古代竜よりも悪魔の方が脅威的だと感じた。
一応、神、悪魔、ハイエルフ、古代竜は同格と見做されているが……俺は今回、心胆寒からしめられた。
大悪魔アヴァドラス……あれは駄目だろ。
さて、化け蛙は何とかしたが、マーマンの方はどうなったかな、と見れば、すでに四散していた。
今回の命令は、マーマンを抑え込む事。
殲滅の必要は無いとも言明した。
俺の言葉に、ちゃんと忠実に従ったようだな。
下手に追撃などしていない。
マーマンどもは、蛙の支配から逃れた以上、もう脅威ではあるまい。
無事、棲息地まで戻れるかは知ったこっちゃ無いが、群れで街を襲うほど統率されてもいない。
マーマンだけでは、繁殖も出来無い。
これで、メンデの脅威は取り払われたのだ。
俺はボニーとクライドの元へ戻り、報告を求める。
「ご苦労さん。戦果と損害を聞こうか。」
「およそ350体ほどを殺害。50体ほどまだ息があります。200体ほどは潰走しました。こちらの損害はありません。全てのゾンビどもが再生を終えて、万全な状態に戻っております。」
クライドが報告する。
初陣としては上々だな。
「テムジン、ボワーノ、ミシェル、サンダース、テルミット、お前らもご苦労だった。どうだ、まだ暴れ足りないなら、今からいつもみたいに稽古付けてやろうか。」
「……いえ、結構です。もう充分です。」
何処と無く、神妙な様子のコマンダーたち。
あれ、こいつらこんなに従順だったか?
小声で、隣にいるボニーとクライドに聞いてみる。
「なぁ、あいつら、嫌に大人しくないか?今日は全然反抗しねぇよな。」
顔を見合わせるボニーとクライド。
「ふふ、マスターの本当のお力が、ようやく解ったのでしょう。もしや、前回の訓練から何か御変わりになられましたか?大分、アストラル体の強大さが判りやすくなっておいでです。彼らは今まで、戦闘的なお力だけでマスターを格上とお認めになっていただけでしたが、今は本能的に畏怖しているのでしょう。私だって、こんな近くでマスターの偉大さに中てられて、背中のゾクゾクが止まりませんわ。」
「私もだよ、ボニー。マスターの傍にいると、失った肉欲すら目覚めるようなおかしな気分だ。君の首筋から目が離せなくなる。」
「あぁ、私もよ、クライド。とても素敵な、斬り裂きたくなるそのお首。」
「……そこらのマーマンからまだ生気も吸えるだろう。一度斬り裂き合っても良いぞ。」
「ボニー!」「クライド!」
許可出した途端、お互いの首を撥ね合う。
その後、それぞれ自分の首を慌てて拾う様を見ていると、生前美しいと思った光景も、今やお笑いネタのようだ(^ω^;
首を元に戻して帰って来たクライドが、真面目な顔で付け足す。
「それに、先程の気配、あれは何です?畏れながら、マスターすら超える途轍も無いものを感じました。もちろん、それを成したのがマスターである事は瞭然ですが、恐ろしくて堪りませんでした。」
「マーマンたちが逃げ出したのは、それに恐慌を来しての事ですわ。あれで決着が付いたと言えます。」
そうだよな。
俺ですら、あれには参った。
少し離れていたくらいでは、あの瘴気の影響から完全に逃れる事など出来無かっただろう。
やはり俺は、とんでもないモノを招喚したのだな。
「それじゃあ、今回の任務はこれまでだ。もう寝る時間だぞ、お前たち。やり残し、言い残しは無いか。」
俺の前に、静かに整列するコマンダーたち。
発言する者はいない。
「……ボニー、クライド、テムジン、ボワーノ、ミシェル、サンダース、テルミット、本当に良くやった。お前たちの力も改めて確認出来た。また何かあれば役立って貰おう。……では、良い夢を。」
俺は全てのゾンビの機能をOffにして、元の寝床に還してやる。
本当に、良い夢が見られる事を祈ろう。
死して尚、魂を縛られた哀れな下僕たちに、しばしの安らぎを……。
もうマーマンの脅威は去った。
それだけは確認出来るように、マーマンたちはそのままで、気絶させた冒険者たちを回復させる。
何故こんな事態になったかは、知る必要など無い。
ただ、もう大丈夫だと、それさえ伝わればそれで良い。
無責任だが、マーマンを放置し、冒険者たちだけ残して、俺はさっさとメンデへ帰還した。
間違っても、俺が街を救ったなんて思われたく無いからな。
結局、何が起こったのかはっきりしない所為で、街の警戒体制は維持されてしまったが。
あぁ、早くメンデのパンを堪能したかったのに(-ω-)
仕方無いので、拠点作りに精を出しながら、クリスティーナたちの到着を待つ。
街が対マーマンで警戒していた為、近くに手頃な盗賊団は見付からなかった。
警戒態勢中の為、新規に物件購入も難しい。
そこで、今回は霊廟を1基購入してみた。
こんな時でも、死者の寝床は必要になるから、ちゃんと買える。
空の石棺の底から、地下研究所へ出入りする形だ。
墓地の地下に研究所、そのさらに地下にカタコンベ。
それを勝手に魔法で作りました。
しかし、完成を待たずして、クリスティーナたちが到着。
さすがに早いな。
別れてから、まだ2週間経っていない。
とは言え、暫くは放置だ。
何故かって、街の人々があの蛙は勇者様が倒してくれたのか、と思い込んで、例の如く歓待が始まってしまったからである。
すまんな、クリスティーナ。
そっちは任せた。
6
数日後の夜、俺はこっそりクリスティーナを訪ねた。
「よう、久しぶり。来るのが早かったと言う事は、そっちも無事に蛇退治は終わったんだな。」
俺の姿を認めると、クリスティーナは怒り出す。
「ちょっと、クリムゾンちゃん。これはどう言う事よ。ちゃんと説明して頂戴。」
「何の話だ?」
「何の話じゃ無いでしょ。何でちゃんと自分が倒しましたって言わないのよ。私たち、何もしていないのよ。」
「元々、勇者のモンスター退治なんだし、別に良いだろ。俺は、目立ちたく無いの。」
「本当、そこんところが、良く判らないのよね。別に良いじゃない。皆に感謝されるのって、悪い気分じゃ無いわよ。」
「俺は人見知りなんだよ。それに……まぁ、それは良い。とにかく、これで全部終わったんだろ。お疲れさん。」
俺は話を切り上げようとしたが、意外な相手に待ったを掛けられた。
「まぁ、それは良いが、もうひとつ聞きたい事がある。」
シロが真面目な顔をして詰め寄って来る。
「私たちが何故早く来訪したと思う。途轍も無い気配を感じたからだ。あれは間違い無く、悪魔のものだった。君も感じただろう?」
そのジト目は、全てを解った上で聞いていると思わせた。
「……はぁ、すまんな。あれは俺だよ。俺が喚び出した。さすがに反省している。あれはやり過ぎた。」
目を剥くクリスティーナ。
「……嘘……クリムゾンちゃんが、喚んだって言うの……?」
「やれやれ、他には考えられないとは思ったが、本当に君の仕業だったのか。……それで、悪魔の名は?」
「アヴァドラス。」
絶句するシロ。
「君は……いや、知る訳が無いな。良いか、良く聞くんだ。それは、魔界の7大悪魔のひとりだ。真なる古代竜たちですら敵わなかった、真なる魔王直属の配下だよ。神話の中の存在だ。」
「真なる……古代竜?それは、シロとは違うのか?」
シロは、寂しそうな顔をする。
「我々古代竜は、緩やかに滅んで行く種族だ。全盛期の力は徐々に失われている。少なくとも、今の私は神代の時代に生きた古代竜と比べれば、レッサードラゴン並みに弱い存在と言えるだろう。」
永く生き、強き力を持つからこそ、繁殖の必要性も低くなる。
それでは、種としては衰退して行くばかり。
多くのフィクションでも、ハイエルフやドラゴンは、そうして滅亡を迎える運命にあるとされている。
アーデルヴァイトの古代竜たちも、やはり同様なのであった。
「悪魔と対峙する時は、慎重に慎重を期す必要がある。それは判っていたんだが、思わぬ大物が出て来て俺も参ったよ。ちょっと、生贄が多過ぎた。」
「生贄って、一体何を……。」
「マーマンだよ。折角たくさんいるんだ。マーマンを100体ばかし生贄に捧げた。それで蛙を倒して貰った。」
クリスティーナが少しホッとする。
「マーマンね。まぁ、彼らには悪いけど、敵だったんだし仕方無いかしら。生贄なんて言うから、私てっきり……。」
「さすがに人間を生贄に捧げたりしないぞ、俺だって。……まぁ、犯罪者ならその限りでは無いが。」
「う~ん、そうよね。人間かどうかじゃ無いものね。何だったら良くて何だったら悪いなんて、それこそ勝手な考えよね。私、こっちの生活にも慣れて来たつもりだけど、まだあっちの気分抜け切っていないわね。」
それは判る。
どうしても、平和ボケした現世の倫理観が、頭をよぎったりするんだ。
身に沁み着いたものは、中々落ちない。
「それで、ちゃんと魔界へ還したのだろうな。」
「あぁ、それは大丈夫だ。多分、オフィーリアとシロのお陰だな。」
「黄金樹の守護精霊か。彼女と私が、何か力になれたのかね?」
「オフィーリアに逢って、アストラル体でいる事に慣れ色々世界の視え方も変わった。シロの強大さも、だからこそ視えた。そして、シロほど強大な存在に出逢っていたから、あの大悪魔の瘴気にも影響されなかった。以前の俺なら、何かおかしな約束を交わしてしまったかも知れない。助かったよ。」
「……そうか。そう言う事なら、まぁ大丈夫なのだろう。あれほどの悪魔を目の前にして、君に変わった様子は見えない。取り込まれたりしていないようだ。だが……。」
「解ってる。さすがにあれは駄目だ。もう悪魔招喚は禁じ手だ。あれは、アーデルヴァイトに喚んでは駄目だ。世界存亡に関わり兼ねない。」
「うむ。完全な降臨などそうそう出来るものでは無いが、暫くの間居座るだけでも、どれほどの影響を及ぼすか判らないな。」
「……そんなに凄かったのね、あれ。」
「あぁ、多分、この世の魔王なんか、足元にも及ばないんだろうな。」
心底思う。
神も悪魔もこの世にはもういない。
それがとても幸せな事なのだと。
「さて、それじゃあこれでお別れだ。トラップにも、宜しく言っておいてくれ。」
「え、もう行っちゃうの?……お別れって、今日は帰る、って意味じゃ無いのね。」
俺は姿勢を正して、クリスティーナとシロへ向き直る。
「あぁ、これでお別れだ。俺は勇者じゃ無い。一緒に行く気は無いからな。」
クリスティーナも、立ち上がってこちらに正対する。
「そうね。私は自ら望んで勇者の務めを果たす。クリムゾンちゃんにはクリムゾンちゃんの道がある。それで、クリムゾンちゃんはこれからどうするの?」
「一応、暫くはこの街にいるけどな。その後は、当初の予定通り、北を目指す。」
「魔族をその目で見て、自らで判断する、か。良い心掛けだと、私は思うよ。」
「ありがとう、シロ。世話になったな。」
俺は、シロの小さくて大きな手を取り、握手を交わす。
「クリスティーナもありがとう。クリスティーナも、頑張ってな。」
クリスティーナとも握手を交わす。
「また何時か逢えるわよ。私は中央諸国に留まるわ。北で見聞を広めたら、また逢いに来てよね。」
「あぁ、約束しよう。お互い、生きていたら、また。」
そして、俺は窓から失礼する。
クリスティーナは表の存在であり、俺は陰の存在だ。
それが、お互いが選んだ道である。
まずは、勇者クリスのお陰でパン屋も再開したから、美味しいパン屋巡りを楽しもう。
拠点作りはもう慣れっこだから、あと2週間もあれば終わるだろう。
その後は、いよいよ北方諸国である。
魔族の真実を、この目で確かめるのだ。
第三巻へつづく
あとがき(※小説家になろう投稿時執筆)
お疲れ様です。
何とか、第二巻分書き終わりました。
構想としては、次の第三巻で魔族の正体が明かされて、第一部終了です。
書きながら色々アイデアが浮かんで来て、当初第四巻までしか構想が固まっていませんでしたが、第五巻、第六巻のメインシナリオも思い浮かびました。
最終回のクライマックス手前は考えてあるので、現状でも七巻分くらいのボリュームには出来そうです。
二桁まで行けると良いなぁ。
頑張って書いて行きますので、楽しんで頂けたら幸いです。
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