第2話 希望か絶望かわからないもの

「また明日ね」


 ユキからそう言われてしまったけれど、私は明日も屋上に来ると思われているのだろうか。いや、何もなければそれは正しいのだろうけれど、元はと言えば1人になれる場所を探していたのだから、彼女が来るとなれば、別の場所に行くのが正しい気はする。

 というか、彼女も屋上に来るつもりなのだろうか。容姿端麗、文武両道、社交性抜群の彼女も、1人になりたいから屋上に来たというのであれば、理解はまだできる。けれど、そうなのであれば、屋上に私がいた時点で、次の日は別の場所を探すのではないだろうか。


 たしかに、少し変な話をしたような気もするけれど、あれは彼女のなりの気まずい空気を何とかするための話題だったのではないだろうか。きっとそうだ。そうに違いない。また明日というのも、あの屋上での話ではなく教室で出会うという話なのではないだろうか。実際同じ学級なのだから、順当にいけば私達は毎日出会うことになるのだし。それなら色々辻褄は会う。


 実際、今日という明日になったところで彼女が私を気に掛ける様子はない。昨日、あの屋上で出会ったことは何かの間違いだったかのように感じる。本当にあったことなのだろうか。


 しかし、こう見ると彼女は随分と社交的らしい。いや、それは知っていたことなのだけれど、よく見てみれば、彼女は誰とでも話すことができている。そこに男女の差異はあまりない。本当に誰とでも、対等に、ほどよく親密に話すことができているのではないだろうか。


 この学級は随分とまとまりが強いように感じていたのだけれど、それはきっとユキのせいなのだろう。ユキを中心として人間関係が構築されているようにみえる。この学級全体として、1つの大きな共同体になろうとしているんじゃないだろうか。


 そんなことは普通は無理だと思う。ほとんど友達というものができたことはない私だけれど、それでも一度もないわけではないし、それに孤児院というのは、それなりに多くの人間関係が発生する場所でもあるのだから。私はあまり所属しているとは言えなかったけれど。


 けど、その人間関係から学んだこともある。人間関係のような共同体はあまりにも巨大になりすぎれば、どこからが友達かがわからなくなったり、中で軋轢が生じたりすることで、崩壊し、分裂するということである。崩壊という聞こえは悪いが、言うなれば、住み分けというやつなんだろう。


 でも、彼女の生み出す共同体にその兆しはない。いや、あれは友達関係の共同体というよりは、ユキの友達の集まりなんだろう。別に他の人がどうとかはあまり関係なくて、そこに彼女がいるから、共同体として成り立っているのではないだろうか。

 その証拠に、ユキが何かの用でいなくなれば、小さな仲間内同士に戻ってしまう。いや、それが本来の、というか通常の姿なのだろうけれど。


 やはり彼女の存在は何かが違う。私の素人目でもわかる。明らかに何か、特別な存在なのではないだろうか。まぁ、大企業のご令嬢なのだから、それは当然なのかもしれないけれど。

 見れば見るほど、私とは別世界の人に見える。もう二度と会うこともないだろう。 


 と思っていたのだけれど、私達はまた屋上で出会った。


「こんにちは。遅かったね」


 私も彼女も、何故か屋上にいた。

 いや、思い返してみれば、彼女の変な話は、私を引き留めてまで話し始めたものだったのだから、話題づくりのための苦肉の策という説は元から破綻していたのだから、彼女が私に少なからず興味というか、それに類するものを持っているというのは考えるまでもないことだったのかもしれない。驕りかもしれないけれど。


 しかし、それはともかく私はどうして屋上まで来たんだろう。少なくとも私がここに来る理由は何もなかったはずなのに。私は1人になりたくて、この屋上に来たのだから……まぁ、どうでもいいか。もう来てしまったのだし。


 後の私が少し考えて推測を話すとするなら、私は別に1人になりたいわけではなかったということなのではないだろうか。1人になるというのは、単純にただ孤独を痛感させられる教室から逃げるための手段でしかなくて、できることなら誰かと話したいというのは私の望むところだったのではないだろうか。


「もうお昼ご飯は食べちゃったのかな?」


 彼女の問いに首を横に振る。


「なら、一緒に食べようか。私はもうそれなり食べ終えてしまったけれど」


 そんなに遅くなったつもりはなかったけれど、彼女はすでに麺麭を食べていた。袋から見れば、麺麭は3つあったようだけれど、すでに1つを食べ終えたようだった。こうみてみれば、想うのだけれど、彼女はどうして麺麭などたべているのだろう。いや、別に麺麭を食べていること自体が悪いとかそういうことを言いたいわけではない。けれど、疑問ではある。


 あの麺麭は学校内の購買で売られているもので手に入れる機会は誰にでもあるけれど、かといって彼女のような人が食べるものに似つかわしいのかと言われれば、決してそんなことはない。私も弁当を作り忘れた際に何度か食べたことはあるけれど、あまりおいしいものでもなかったはずなのに。

 彼女ぐらいの、というかこの学校に通っている大抵の人は、家の者が作った明らかに豪華な食事をしている者が大抵だし、学校からでて高そうな飯屋で食べている者もいるくらいなのだから、ユキぐらいの人が安くまずい麺麭を食べるというのは疑問が残るものではある。

 あえて、聞くほどの疑問でもないけれど。


 私は弁当を広げ、食事を口に運ぶ。

 冷めきっているが、それなりの栄養にはなるように作ったはずの弁当はそれなりに美味しい。自分で作って、自分用に調整された味なのだから、当然と言えばそうなのかもしれないけれど。

 しかし、こうして彼女と並んで食事をしていると沈黙が目立つことに気づいた。何を話せばいいのか全く分からない。よく考えるまでもないことだけれど、特に話すこともないのだから、沈黙になるのは当然なのだけれど。


 でも、さっき扉を開け屋上に入った時にはそんなことは思わなかった。ユキに出会って、今日も何かを話すのだと漠然と信じていた。実際には何も話すことはないのだから、私はあの場面で緊張するべきだった。いや、それよりも前にここに来るべきではなかったのかもしれない。共通の話題でもあれば、変わったのかもしれないけれど……しかし、そんなもの特にない。ユキという存在の噂は知っていても、彼女がどのような人間で、何を好んでいるのかわからないから、何を話したらいいのかわからない。


 結局、私が食事を終えるまでお互いに一言も発することはなかった。彼女は私よりも大分早く食事を終えていたけれど、それでも私達の間に会話はなかった。非常に気まずく感じて、今にも帰りたくなっていたけれど、流石に食事の途中でどこかに行く方が気まずいと感じて、無心で口に運んでいた。


「食べ終わった? じゃあ、昨日の続きの話をしよっか」


 もうどこかへと行こうかと思っていた私を引き留めたのは、またしても彼女の台詞だった。ユキは別に話すことがなかったのではなく、ただ私が食事を終えるのを待っていただけだったようだ。

 それならそれで私の感じていた気まずさを彼女は感じていなかったのだろうか。私だけが、あんな気分になっていたと思うと、少し恥ずかしくなる。


「昨日、ミリアは言ったよね。狭い足場に暴風。落ちれば大海。時々、流星。世界を捉えたときにそんな風になるって」

「あ……まぁ、うん」


 正直、あんまり覚えていない。言われてみれば、そんなことを言ったような気もするけれど、私はユキ自身に関しての考察で思考領域を占有されていたのだから、そんな些細なことは忘れてしまいそうになっていた。


「今から話すのは私の推測に過ぎないから、間違いであれば悪いんだけれど、この世界への解釈を、私なりに再解釈してみたんだよ。狭い足場、これはこの世界自体のことだと思った。それは空間的な意味か、それともまた時間的、精神的意味かもしれないけれど、ミリアにとってこの世界は小さすぎるんじゃないかな。多分窮屈なんだよ。

 さらに暴風。あまり良い環境とは言えないよね。たださえ狭い場所に吹き荒れる風は、この世界に無数に存在する困難かな? それは色々だろうけれど、ミリアにとっては、強烈で避けられないものみたいだね。そして時には吹き飛ばされることもある。本当に恐ろしいものばかりみたい。

 しかも狭い足場の下は大海。これは困難にさらされても逃げ場はないってことでしょ。いや、逃げたところで余計悪くなると思っているのかな。だから、結局のところ今いる小さな足場にしがみつくしかない。」

「そうかもね。随分と暗いけれど」


 正直、私はそこまで考えて発したわけではない。なんとなくというか、想ったままに口に出しただけで、よくわからないというのが私の本音になるのだけれど。でも、彼女の語った解釈というか、世界観は随分とすんなり入ってくるように感じた。随分と正確に言い当てられた気がした。

 実際、私から見た世界は大分暗いものになるだろう。月明りすらほとんど差し込むことはないぐらいの闇の中にいる気がする。しかし、その闇の正体はなんとなくわかっている。


「でも、流星が降る。たしかにここまでは暗くて、恐ろしい世界だったけれど、それでも星は流れる。幸運を示す流星、これは多分だけれど……ミリアの中にある希望、じゃない? 違うかな。何かに期待をしている、することのできる。そういうことじゃないのかな」


 そう言われて見れば、そうかもしれない。

 しかし、素直に頷くのはなんだか違う気がする。さっきまでの解釈は素直に頷くことができたけれど、流星への解釈はどうにもしっくりこない気がする。いや、私の中に正解や答えがあるわけではないから、別にどういう解釈でもいいのだけれど。

 いや、良くないか。明らかにその解釈を私は拒んでいる。なら、私の中で流星とはなんなのだろう。


「どうかな。その解釈だと流星は良いものになってしまうけれど……私は、そんな気はしない。いや、別に悪いものと言っているわけじゃないよ。たしかに流星は幸運の象徴で、願いを叶えるとも言われているし、魔神シンベストの化身と言われることもあるし、良いものでもある、と思うけれど。でも、流星は落ちてくるから」


 そう、落ちてくるのだ。流れるだけなら、あまり問題にはならないかもしれないけれど、落ちてきて、振ってくれば、この国どころか、大陸ごと多大な被害を受けることになるだろう。


「たしかに……なら、流星は未知かな。知らないものというものは、希望か絶望かわからないものだし。魔神箱に似たものなのかもね」

「そういう解釈の方が、それっぽいけれど」


 そう私が答えれば、ユキは非常に満足そうなというか、楽しそうと言った方が正確だろうか。その時の彼女には、こういう話を昔からずっとしたくて心のうちに秘めていたような、そんな感じがした。


「うん。なるほど。じゃあ、そうだね。次は私の解釈を話すよ。私の見ている世界は濁り切った灰色に赤色を垂らしたものだと思っているんだよね。いや、思っていたのほうが正しいかな。最近は少し輝く虹色も見つけた気がするんだけれど」

「そうなんだ。それは、その、よかったね」


 よかった、で良いのだろうか。と少し思ったけれど、すでに声に出したものは仕方ない。そうこうしているうちに昼休みは終わりを迎えていて、彼女は屋上を去ろうとしていた。


「また明日ね」

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