破滅少女は溺れない

のゆみ

第1話 この世界をどう思う

 赤い記憶の話。

 私は大量の死体の山の前にいた。私がそれなりの時を過ごした教室は、多くの赤が周囲に飛び散り、醜悪な光景を広げている。強烈な匂いが周囲を舞い、言いようのない吐き気がこみあげてくる。でも、吐くものもなく、ただ少しえずくばかりだった。


 けれど、その悍ましい光景の中にいても、私は悲しいとは思わない。それどころか、多少の喜びすら感じる。それは私がこれを成したから……というわけではない。私にはこんなことはできない。良くも悪くも何かをする事に向いていない私には。いやでも、その一端に加担しているという意味では、私がやったと言えなくもないのかもしれないけれど。


 ならばどうしてこんなことになってしまったのか。いや、こうなる未来を掴んでしまったのかということを説明するには、やはりあの時期から始めなくてはいけない。


 それは私が初めて彼女と出会った時。

 あの特別な彼女と出会った時から始めなくてはいけないと思う。多分あの時から全てが始まって、それと同時に終わりへの秒読みは始まっていたような気がする。


 新学期初めの昼休み。

 昼飯を食べるために、別校舎の屋上に私はいた。

 そこは学校の中で簡単に独りに成れる場所で、重宝していたのだけれど。


 けれど、今日はなぜか独りではない。

 扉が開き、彼女が現れたから。


 純白の髪を持つ彼女は声には出さないけれど、すごく気まずい表情をした。なんというか、誰に認められたわけでもないが、ずっと使っている指定席が取られている時のような顔をしていた。

 

 多分私も同じような顔をしていただろう。

 私もこの場所を自らの土地のように感じていたからである。と言っても、彼女がここにきたことからも、そういうわけではないことは明白ではある。所詮、学校の屋上なのだから、誰かが来ることくらいは想定されるべきではある。


 しかし、この別棟の屋上には1年間は誰も来ることはなかったのだから、多少はそのような考えがあっても仕方のないことだと思うのだけれど。

 いや、まぁ誰か来ることを想定したとしても、彼女が来るとは思わなかった。まさか、ユキがくるとは。彼女とは話したことはないけれど、存在は知っている。多分、この学校に通うものであれば、ほぼ全員が知るところだと思うけれど。


 どこかの大企業の娘で、すごいお金持ちであり、容姿端麗、文武両道、そして社交性も抜群ときた。明らかにとんでもない幸運の星の元に生まれているけれど、彼女を話す上で1番大切なことはそこではない。


 1番注視すべきなのは彼女の空気感である。

 雰囲気ともいうべきだろうか。そういったものがなんというか、特殊かつ特別で、不思議な気分になる。言うなれば、彼女の存在感だろうか。

 お金持ち、容姿端麗、文武両道と揃えば、通常であれば恨みを買うこともあるだろうが、ユキの場合に限れば、そんな話は聞いたことはない。不思議なことだけれど、彼女を前にすれば、仕方ないと思ってしまうらしい。そんな噂が、孤立している私にまで流れてきた。


 そしてそれは私も今年に入り、同じ教室で学ぶことになった時にそれを実感する事になった。

 本当にユキほどの存在であれば、それぐらいは当然のことであると感じた。なんというか彼女との差が、当たり前にあるもので、逆になくてはおかしいものだと感じた。彼女のごく普通な白い髪でさえ、とても印象に残るようなものに感じるのだから、不思議なことだった。


 つまりはそんな特異な存在感を放つ彼女は間違っても、この人気もなく古びれた別棟が似合う存在ではない。

 この場所は、大勢の所属する共同体からあぶれたものが来る避難所のひとつで、つまりは私のような学校で友達が誰もできず、昼休みに教室に居続けるのも気まずくなってしまうような私のようなものが来る場所である。

 共同体の中心、いや共同体を生み出す側の彼女が来る場所ではない、と私は思っていたのだけれど……


 ユキは、一瞬歪めた顔を戻して、この屋上の端に腰掛けた。ちょうど私の反対側である。そして購買か何かで買ったであろう麺麭を食べ始めたのを見て、流石に驚かざる負えなかった。

 いや、わざわざ昼休みにこんな場所に来ているということは、静かにご飯を食べるため以外にはあまり考えられなかったけれど、それでも誰かと会う約束をしていたという可能性が消えた事に私は驚いた。よく考えてみれば、誰かと会う約束をしていたところで、先に食べ始めるものかもしれないけれど、私はこの時点で彼女が1人になりに来たのだと断定した。


 1人になりに来たのだから、私を見てぎょっとしたのだろう。私もそうしてしまったように。それに、この場所に慣れている。少なくとも初めてではない。


 けれど、それは変なことではある。去年の私は毎日のようにここで昼休みを過ごしたけれど、彼女を見かけたことは一度もない。彼女がこの別棟の屋上を利用していたのであれば、これまでに出会うことがあったはずだけれど、私が彼女と初めてであったと呼べるのは2年生の新学級の顔合わせの時だし。

 いや、それが原因だろうか。去年は別の学級で今は同じであることが原因なのだろう。午後の授業がある日は学級によって少し変わる、故に昼休みにここを使う機会が重なることはなかったのだろう。


 すると、今年の昼休みはずっと2人になってしまうということなのだろうか。いや、2人きりとは限らないのだけれど。

 やはり退散して、別の場所を探した方が賢明だろうか。わざわざこんな場所に来たということは、彼女も1人になることを望んでいるのだろうし、それは私も同じなのだから、そういた方がお互いのためな気がする。


 別に私は1人が好きなわけではないんだけれど。


「もう行くの?」


 店売りの簡素な穀物を腹に押し込み、立ち上がった私にユキはそう問いかけた。


「あ、いや、もう食べ終わったから」


 私はまさか話しかけられるとは思っていなくて、どう返答すればいいのかわからなかった。馬鹿正直に1人になりたくてと言うのも憚られるし、無難な答えを返すことしかできない。


 それで引き下がってくれるかと思ったけれど、ユキは私を引き留めた。


「少し話をしていかない? 無理にとは言わないけれど」


 そう言われれば、断るのも忍びなく、屋上からの撤退を取りやめ、元の場所へと戻る。そうすると彼女は少し笑って、立ち上がり、私の隣へと席を移した。


「こうした方が話しやすいでしょ?」


 その行動に驚いたけれど、それはそうかとも思う。というよりも、話をしようと言われて、近くに行かない私の方に問題がある気がする。友達が1人もいない弊害が出ているのかもしれない。


「えっと。ミリア、だよね?」

「よく知って、ますね」


 少し驚いた。彼女にも私の名が知られているとは。

 完全に別世界の人間であるという感覚が強いから、知られているわけはないと思っていたけれど。それぐらいには私の悪名も広がっているということだろうか。


「まぁね。あなたは有名だから。その、色々と」


 色々ね。

 その内容は大抵想像できる。


 親のいない独り者。孤児特有の優遇制度によって入学した卑怯者。大量殺人鬼の血を引く残虐者。国の金で生きる税金泥棒。


 とかなんとか。まぁそれは大概正解だし、反論の余地はないのだけれど。

 実際のところ、私は孤児だし、だからこそ色々なところでの優遇措置もそれなりにあるというのも事実ではある。私はその制度を使わなくて損と思い、使えるところでは使っているのだけれど、この学校への入学もそのひとつだった。だからまぁ、半分裏口入学みたいなものではある。


 でも、ここまで孤立し、勉強もついていけないと知っていれば、別の場所にしたのにという後悔もある。昔の私は、孤児への優遇制度があるというだけでこの学校を選んだけれど、ここは思ったよりも社会的地位の高い者が多い学校で、本質的には貧乏人以下でしかない私は完全に孤立した。


 まだ私に強力な社会性でもあれば、また話は変わったのかもしれないけれど、残念ながらそんなものはなかった。それがなければ、対人関係の構築とはお互いの歩み寄りによって構築されるものだと思うけれど、あいにくと大抵の人は私を避けたし、私も別に歩み寄ろうとは思わなかった。


 多分その一端を担ったのが、どこからともなく流れた噂だろう。それは私の親が殺人鬼であるという噂だった。それが事実なのかは私は知らない。幼い頃に捨てられた私は親の顔なんて知らないから。でも、私と顔の似ている殺人犯が私が生まれた時期に捕まったというのは本当のことらしい。


 証拠というのはたったそれだけだけれど、それだけでも子供な私達には十分なものではあった。だから私は犯罪者の娘の税金泥棒ということになっている。


「噂はそんなに有名ですか?」


 私の問いに彼女は少し気まずそうに頷いた。


「それなら、知っていますよね? 私が孤立してるって。私と関わると碌なことになりませんから」


 実際のところ、私が孤立している理由というのは前述した噂という名の事実に似たものだけが問題ではない。私という存在もそれなりの問題ではある。

 私は少し背伸びして、というより優遇制度という反則技でこの学校に来たせいで、周りにはついていけないことになった。それは勉学的にという意味もあるけれど、単純に話が合わない。価値観も合わない。言うなれば、別世界の人と話しているような感じになってしまう。


 そしてその異物を受け入れる余裕のある人は私の周りにはいなかったし、いたとしても空気感によって鏖殺されてしまっていた。そう、すでにこの学校に来てから1年、私にはあまり触れるなという雰囲気が非常に蔓延してしまっている気がする。

 しょうがないことではある。無理をしすぎたから、私は身の丈に合わない場所に来てしまったのだから、異物として処理されるのは仕方のないことではあると思う。


 そしてその空気は、私と関わることは学校内での立場を落とすということになるという雰囲気を作成する。そうなれば、私に近づくものは誰もいない。そうしなくては学校内での立場を失うことになるから。

 それに気づかないほど鈍感ではないけれど、そうなればもう私の孤立が治ることはない。


 と思っていたのだけれど、ユキは引き留めてきたのだから驚いた。一体何を考えているのだろう。


「いやー……うん。そんなことはどうでもいいことだよ。それより私はミリアが敬語なことの方が気になるけどね」

「そう言われましても」

「同じ年だし。普通に話して欲しいな」


 なんとなしに、私は敬語で話すものだと思っていた。直接目の前にいる彼女の存在は、想像よりも大きく見えて、敬語にせずにはいられなかった。

 けれど、普通に話して欲しいといわれれば、それはそれで普通に話すべきかという感じはして。別にどちらでもいいのかもしれないけれど、彼女の言われたとおりにしなくてはいけない気がした。彼女の言うことが正しい気がした。


「あ、ごめんなさい、じゃない、ごめん」


 だから、私は思わず謝っていた。よく考えてみれば、謝るほどのことでもないのだけれど、その時の私は謝らずにはいられなかった。彼女に要求させてしまったということ自体が私にとっては、どこか負い目を感じるものだった。

 そんな私とは対照的に彼女はそんなことは気にしていないような様子で、軽快に言葉を続ける。


「まぁいいんだけれどね。それよりも気になること、じゃないか。話したいことがあるんだよ」


 そこで言葉を区切り、彼女は私の方を見つめて、極めて真剣な表情で意識外の言葉を紡いだ。


「ミリアはこの世界をどう思う?」


 最初彼女の言葉がよくわからなかった。数瞬のうちに理解するけれど、それでもよくわからなかった。


 世界をどう思う? 

 何を言っているのだろう。魔導教の何かなのだろうか。生憎と私はあまり宗教に明るい方ではないのだけれど。


「魔力に支えられて、魔力に依存し、魔力を信仰する、この世界。果てには魔力の在り方に対する解釈で戦争まで始めようとしている。そんな世界に未来はあるのかな。

 そんな大局的に見なくても、この学校という小さな世界でさえ、醜い争いを止めることはできない。企業同士の密約や権力闘争、ここにいるとそんなことばかり聞こえてくる。個人に目を向けようにも、皆が個人を隠しているから、何も見えてこない。

 いや、多分みんなわからなくなっているんだと思う。ずっと個人の欲求ではなく、他者の命令により動いているから、個人的な感情を忘れてしまっている、のかもしれない。あるのは、知らない大人の期待に応えることと、その抑圧による精神的負担の発散のための行為のみなんじゃないかな。

 だからみんな群れを作って、笑ってもない笑顔を振りまいているんじゃないのかな。だからみんな、群れの強さに依存して、離れられなくなっているんじゃないのかな。もちろん、私達は社会的な生物ということになっているのだから、ある程度の我慢をしなくてはいけないのかもしれないのだけれど。でも、それでも、こんなにも抑うつされた世界でいいのかな? ミリアはそんな世界をどう思う?」


 彼女が何を言いたいのか私には全然わからなかった。

 でも、冗談を言っているという風でもないから、茶化すのも違う気がする。真剣に考えてみるべきなのだろうか。真剣に考えて、熟考をしたうえで返すべき質問な気がする。しかし、そうは言われてみても私はこの世界に深く精通しているわけではないし、正解を出すことはできない気がする。いや、正解なんてものはないのだろうけれど。


「どう、と言われても。私には、その、よくわからないかもしれない。世界がどうとか」


 そんな要領の得ない返答しかできない私に彼女は笑いかけ、私の手をそっと掴む。彼女の手はひんやりとしていたが、美しくしなやかで、少し私の心をざわつかせる。これは、緊張というやつだろう。ちょっとしんどいので、やめて欲しい。


「そのままの印象でいいよ。ミリアは世界と聞いて、どんな情景を思い浮かべるのかな。情景じゃなくても、文章、音、色、匂い、どれでもいいのだけれど、とにかく印象を教えて欲しいな。別にまとまっていなくていいから」


 そのままの印象……そのままか……いや、でも。うーん、これでいいのだろうか。いや、流石に要領を得ない説明になりすぎている気がするけれど。まぁでも私は多分、そのままの答えを返すしかないのだろう。いくら考えたところでわからないのだから、私の中の小さな答えを返すこと以外には選択肢はない、多分。


「狭い足場に暴風。落ちれば大海。時々、流星。みたいな感じかな……本当に印象というか、思い浮かんだ景色でしかないんだけれど」


 私の自分でもよくわからない説明のどこに満足したのか、彼女は嬉しそうにしていた。その様子は随分と、不思議な様子だった。整った笑顔が少し怖い気もするけれど、それ以上に惹かれるものを感じるような。なんといえばいいのだろう。

 まるで人間ではない何かに狙われたかのように感じた。同時に、それが良いことであるようにも。


 こうして私が変なことを考えているうちに彼女は、ありがとう、とそれだけ言って、立ち上がり屋上から去っていく。意外と去っていくときは一瞬で思ったよりあっけないものだなと思ったけれど、屋上の出入り口である扉の前で、彼女は私を向いてこう言った。


「また明日ね」

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