第3話 これが、私の異世界転生
街はもう静寂に包まれてからしばらく経っていた。
昼は賑わっていた商店街もコンビニ以外は明かりを消している。外界の音など時折聞こえる野良猫の鳴き声とパトカーのサイレンくらいだ。
まごうことなきベットタウン。
彼女――。
泥のように沈もうとする身体を揺らしながらアパートの階段を登り、玄関で靴を脱ぐと一日の疲れが一気に足へと
「今日も一日お疲れさま――」
自分で自分を労った。
そして糸が切れたかのように玄関の床に倒れ込む。
「あぁ、いけない、眠るのはスーツを脱いでお風呂に入って洗濯物をしてからでなきゃ……」
あ、でもこんな夜中に洗濯すると隣の部屋から苦情が来るかも、どうしよう――。と、何とか頭を働かせて襲い来る睡魔に抗ってみる。
夕飯は……、また朝食と一緒でいっか……。これはいつもの寝落ちパターンだ。
残業をした日はいつもこうである。ほぼ毎日が残業なのだが……。
それもこれも、押し付けられると断れずに、自分がなんでも仕事を安請け合いしてしまうから。毎日これの繰り返しだ。
私っていつからこうなっちゃったんだろう――?
お決まりの自己嫌悪に
「せ、せめて、歯くらいは……磨か……ない……」
と……。そんな抵抗も虚しく、間もなくして意識は深い眠りに落ちた。
※※※
「お…い……」
眩しい、まだ寝ていたい――。朝の陽ざしが、寝ぼけている佳奈子の意識の再起動を促した。
「お~い、……き……」
五月蠅いなぁ!もぉ――!!スマートフォンのアラームが覚醒せよと騒ぎ立てる。
しかし、どれも否。
「お~い、おぬし意識はあるか?おかしいのお、うんともすんとも言わんわ」
「え?」
聞き覚えの無い老人の声に脳が揺さぶられる。重たい瞼を開くと薄っすらと人影が見えた。
「おお!良かった、良かった。問題は無かったようじゃのう」
自分に気が付いたことが分かると、目を細めて顔を緩めた。
はっきりと姿をとらえると、目の前には白を基調とした高そうな椅子に座った古代ギリシャ人みたいな格好をした老人と、全くこの世界観に会わない、キメキメの白いビジネススーツを着た、性格のキツそうなブロンド髪の眼鏡を掛けた美女が立っている。
そして佳奈子は、自分がその老人と対面する形で椅子に座っていることに気付く。
こちらのは少し安そうだった。
「……」
明らかに眠り込んだ時の状況とは違っていた。それに、ここは住んでいるアパートの間取りとも完全にかけ離れている。
辺りを見渡せば、まるで歴史の授業で見たザ・古代ギリシャの神殿の中といった感じで、目に入ってくるのはどれもが自分の給料では買えなそうな家具ばかり。
例えるなら、そう、ここは自分のイメージする天国そのものだった。
ご丁寧に二人共、頭の上には輪っかが浮いている。おまけに美女の方には白い羽根まで生えていた。
「なんだ夢か~」
「夢では無いぞ。現実じゃ」
「ええ~?嘘ぉ??」
「そんで、ここは――、あの世というやつじゃな」
「……」
「まぁ、急に信じろと言っても無理な話かのお?」
「……。――じゃあ待って……、あの世って事は、私死んじゃったてこと……、ですか……?」
「おお!ようやく状況が呑み込めてきたのお」
老人は、我が意を得たりとばかりに嬉しそうに手を叩いた。
いやいやどう考えてもこれは夢でしょ――!喉の先まで言葉が出るが、少し様子をみてこの夢に話を合わせてみることにした。
何となく、展開が予想できたので付き合ってみたくなったからだ。
それに。いつも見る悪夢(夢でも仕事)と比べれば、この夢はなんだか心地が良かった。
「――その通り!おぬしは残念ながら死んでしまったんじゃよ~」
結構重大な内容とは対象的に、その雰囲気は、なんとものんびりとしている。
「……。え?――じゃあ、死因は何?食中毒?寝不足?まさか過労死?私、働きすぎて死んじゃったんですか!?」
悲しいかな、自分が急死しそうな死因の心当たりにはありまくりだった。
「ん、んん……、“まぁそれならそれでも良いか”」
老人は少し考えこむと、小声で何か呟いた。すかさず横に立っていた女性がキッと睨んだ。
「いけませんよ、神様」
「じょ、冗談じゃよぉ……、冗談。今のはジョークじゃってマリエルく~ん?そうゴッドジョーク!」
老人は威圧に耐えられず、誤魔化した。
「神様って……。おじいさんもしかしてあの神様なんですか!?」
「おお、あのがどれことかはしらんが……、そうわしこそ神じゃ。最高神ジーク・ロゴス。それがわしじゃ」
そんな名前のキャラ、アニメとかゲームに出てきたりしたっけ――?聞いたことない名前に思えた。自分の夢にしては芸達者だ。
しかし、これで全てが繋がった。
これはまさに自分のイメージどおりのあの展開。
最近忙しくて消化しきれていないアニメやラノベで、最早使い古されたと言っても良い、ゴリッゴリのお決まりパターン!まさか夢に出てくるとは――。
兎にも角にも、この後の展開は決まっていた。
「すまんのう、おぬしは世界の為に死んでもらったのじゃ」
「キターッ……、ん?」
せ、世界の為――?いきなり話のスケールが広がり、困惑する。
夢のくせに生意気な……。まあ、こういうパターンもあったりはするが――。
「混乱するのはわかるが聞いてもらいたい。おぬしの元いた世界では今、他の平行世界に比べ、魂が増えすぎて飽和状態に陥っていての、そういった世界はそのままだと良くないんじゃ、だから無作為に選んだ魂を、別の魂の少ない他の平行世界に転生させてバランスを取っているんじゃよ」
出ました、転生!……ん?他の平行世界……?
とにかく、これはつまり異世界転生の導入。ここは、夢の中なのだ。この際、些細なディティールには目を
異世界転生が出来るのならば、理由なんてどうでも良い。
「……つまりそれに今回私が選ばれたんですね」
「その通りじゃが……、なんかおぬし反応少し薄くない?“なんで勝手に殺したんだ”とか、“転生ハーレム展開突入よっしゃー”とか、皆、一喜一憂するもんなんじゃが」
「は、はぁ……」
夢の主人にダメ出しとは図々しい夢もあるものだ。
それに夢相手に、転生だ、よっしゃー!など恥ずかしくてできるわけが無い。目が覚めた後、思い出して恥ずかしくなるだろうが――、心の中でツッコんだ。
「――まぁ、それはそれでいいんじゃが……。ここからが本題じゃ。世界の為とはいえ、勝手に殺してしまってわしらも悪いと思っていての、何かお詫びをしたいんじゃ、いわゆる転生得点というやつじゃの。佳奈子君、何か希望はあるかの?転生先に持って行きたい物、チートスキル、転生後の見た目など、なんでも言ってみてくれんか」
「はあ、特には……」
「最近の子は冷めとるのーう。何か願いが有るはずじゃ。どんな
サブカルオタクの自分が、もし異世界転生したらなんて妄想をしないわけが無い。
異世界転生するのだったら、田舎でのんびりチートスローライフや悪役令嬢になってイケメンハーレム、現代知識やチートスキルで無双をしていみたいと、叶うはずのない願いを人並みに思い
しかし。
いくら夢相手にだって、自分の欲望をさらけ出すなんて虚しすぎる――。そんな風に考えてしまう程、佳奈子の心は日々の暮らしで擦れてしまっていた。
これは、あくまでも夢の中。
余りにも多忙で、好きなことも我慢する。己を犠牲にしていくだけの平凡な日常生活から逃げ出したいと、心の奥で叫んでいた自分自身が見せている、現実逃避の一種。
ただ――。
……。
……。……。
急に今までの人生のフラッシュバックが脳裏をよぎる。
終電を逃してしまうほど夜遅くまで薄暗いオフィス働いている自分。頼まれると断り切れず、溜まっていく仕事。ずっと堪えていた嫌な事、辛かった事だ。
まぁ……、自分の夢の中だし、少しくらいは弱音を吐いても良いよね――。
ああ――。
心の奥深く、
「ただ……、今までみたいになんでも人に気を遣ってばっかりで……、他の人に都合の良い様に、自分を犠牲にして報われずに生きていくのはもう疲れました」
「ほお、なるほど」
そう自分は頑張っている。それでも誰に誉められる訳でもなく、報われない事ばかりだ。
自分らしく生きたかった。そうなれる程の強い人間になりたかった。
「来世では……、もっと……、もっと私は自信に満ちた強い人間になりたい!」
気が付くと、佳奈子は泣きながら笑顔でそう答えていた。
心はとうの昔に限界を超えていたことに、いまさらになって気付かされた。
それを聞いてジーク・ロゴスは少し考えこむ。
「……うむ心の問題じゃのお。ん。じゃが、良し心得た!おぬしの希望に沿うように善処しよう」
「神様、こちらなどは如何でしょうか」
マリエルは、片手で持てるくらいの大きさをしたタブレット端末のようなものを見せていた。
「おお!さすがマリエル君。これならぴったりじゃ!!――佳奈子君、おぬしの転生先が今決まったぞ!“魔術世界マギステラ”。そこでおぬしの新しい人生が始まるのじゃ。となればこうしてはいられんぞ。タイミング的にもう時間が無いからの。ほかの詳しい説明もしたいのじゃが、後はノリで宜しく頼む」
「え、ちょっ……、後はノリって……」
「安心せい、飛び切り美人のナイスバディにしてやるでの、なーんちって、ぐふふふ」
「いや……、そういう事じゃなくて、他の詳しい説明を……!」
佳奈子の周りを優しく光が包み込む。
「え!?何この光!!?」
「すまんの、おぬしが上手く覚醒出来たら、後の事は期を見て遣いを送るようにするでの。――そんじゃ、達者での!グッドアフターライフ!!」
「あ、待って……、上手くってどういう……」
意識はここで途絶えた。
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