第1話 ギルド『魔法使いの金言』
“これ以上無用な血を流さない為にもしばらくの間お暇を頂きたく存じます――”。
なんとも
だから逃げだしてきたのだと……。
彼女の名前は、ヴァルロゼッタ・ベル・ロザリオ。大陸メガリアの北東に位置する国、エルダーランド王国の第三皇女である。
だが今日からは、その高貴な身分を捨て去り。
名と素性を偽って。
王都を守る壁の外に広がっている未知なる世界で、冒険者ロゼッタとして生きて行こうと歩み出したのだ。
少なからず冒険者と言うものに憧れがあった。
正直、学校と城を行き来するだけの生活には息苦しさを感じていたという事も事実で、いつの間にか、どうしても外の世界が見てみたい、そう思うようになっていたのだ。
「今までお世話になりました。わたくしは、これより自分の力だけで自分らしく生きていきます!」
そんな風に。
振り返ると小さく見えてきた王都に向むかってお辞儀をしては別れを告げる。
小鳥の様に透き通った繊細ながらも力強さを感じさせる美声は、慈悲も無く荒野の無音に吸い込まれる。
まるで、こちらの世界では自分などちっぽけなものだと言われているかの様。
けれども。その顔は、自身に満ちていた。
何を隠そうヴァルロゼッタは異世界転生者。
創作上の産物だと思っていた異世界に転生したからには、神から与えられたチートスキルを使い、悪党や魔物を蹴散らしながら冒険がしてみたいと考えるのは至極当然の事なのだ。
行く宛の無い旅路。
それでも。これからが新たな人生の始まりだと、胸の中は期待で一杯になっていた。
自分らしく生れるように――。今度の人生こそは報われる為に――。
『チートで無双とかしたりして、有名になってしまってまったらどうしましょうか!?』
今のヴァルロゼッタには、憂いという類の言葉は不要だった。
晴れ渡った蒼穹までもが、自分の今日という門出を祝福してくれている様にさえ思える。
取り敢えず。
どこかにゆっくり出来る安住の地を求めて、心の向くままに進路を取った。
※※※
大陸歴1554年。春の2月。
ヴァルロゼッタが転生する以前の世界では4月に当たる今は、春の雪どけに呼応して、冬眠していて腹をすかせた魔物達が徐々に活発化し出す、危険な季節。
王都を出て約10ヶ月。
彼女の冒険者生活も慣れたもので、今では、地図を読み間違えて目的地にたどり着けないという失敗の類は卒業したのだ。
立ち寄った村や町では、様々なトラブルを解決したり、狂暴な魔物や非道な悪人たちをこてんぱんに成敗したりして、毎日日記に書き記すエピソードには事欠かなかった。
勿論。ゆく先々で感謝をされた。
只一つ死活的な問題があるとすれば、彼女には、ある程度の度を越えると、
王都のライブラン魔術騎士学院にいた頃は、なんとかその
皆、生きるために必死なのだ。
なので、こちらも不本意ながらそれ相応の対応を余儀なくされてしまっていた。
したがって。非常に残念なことに。
このやり過ぎてしまう力は、なかなか周囲に受け入れられず町から町へ放浪する事が今のヴァルロゼッタのライフワークとなっていたのだ。
とある町から出ていく際。
王都ライブランから方角を西に十数の町や村を経由して、辛うじて馬車がすれ違える程の田舎道を進んでいった先に、周囲を樹海に囲われた辺境の町があると聞いて、ヴァルロゼッタはその町に向かう事にした。
その事を教えてくれた旅人の話す噂によれば。そこに、彼女の持つ問題を解決できるかもしれない人物が居ると聞いたからだ。
……。
……。
……。
町には、二日ほどで到着する事が出来た。
それが隣国のグラディエント皇国との国境に最も近い、エルダーランド王国最西端のアインシュタット辺境伯が治める人口500人ほどの町、ノーツライザ。
その町並みは、辺境であるからなのか。木造の建物が目立つ、少し時代に取り残されたような独特のあじわいがある。
それでも商店が並ぶ大通りでは活気に満ちていて、なかでも王都とは違い、人間と亜人が差別なく暮らすそのさまは、この町が良い町であるという何よりもの証拠だった。
ヴァルロゼッタは、素敵な新生活の始まりの予感に心を躍らせながら、店先に並ぶ特産物の誘惑をやり過ごし、大通りを真っ直ぐ目的地へと進んでいく。
ノーツライザにも辺境のド田舎でありながら、
ギルドとは、人間が生活する上で必要になってくる力仕事や薬草などの素材調達、
また、ギルドから依頼を受けて生計を立てている者は、冒険者と呼ばれていた。
ヴァルロゼッタも今はそんな冒険者の一人なのだ。
ギルド集会場は、何故か酒場と基本セットにされているということもあってか、ノーツライザでも一際目立つ大きさの建物になっている。おかげで集会場へは迷わずたどり着くことができた。
外観は、経年劣化のためか幾度の補修工事の
前世の感覚で言えば、廃校になった小学校みたいな感じというのが、一番しっくりくる表現になる。
これが、この町のギルド『魔法使いの金言』である。
今度こそ上手くやっていけますように――。
そんな風に願掛けをしながら、少し緊張気味に、ゆっくり集会場の扉を開ける。中の様子は、外観のくたびれた感じとは裏腹に、わいわいと賑やかで気圧されるほどだった。
汗と酒と肉の匂い。
お行儀の良い王都には無い世界。
おおよそ標準的なギルドの集会場が視界に入る。
ただそれでも、掃除の方は恐ろしいくらいに行き届いていた。埃なんかの類も見当たらなかった。
他にも変わったところは無いかと眼を見張る。
まだ昼間だと言うのに宴会を開いている者もいれば、狩場を転々と旅しているであろう女冒険者に自らの武勇伝を語る軟派な男たち。
募集依頼の紙が幾つか張られている掲示板の前では、何やら議論をしているまだ初々しく見える冒険者一行。
この辺は、今まで渡ってきたギルドと遜色は無い。
そして、ほとんどの人たちが獣の皮や鱗を主体とした防具を身に着けていて、やはりここでも自分のような
ヴァルロゼッタも王都の壁の外に出て身をもって知ったことなのだが、人よりも素早い魔物相手では重量のある鎧の様な防具を着て戦うことはかえって自殺行為になりかねないのだ。
確かに、獣の皮や鱗に比べると格段に防御力はあるものの、身軽さで言えば前者には及ばない。加えて言えば、鎧を着ながらも俊敏に動けるのであれば、その分、鎧を捨て被弾率をゼロに近づけた方が結果的に生存率が上がるというわけだ。
急所さえ保護できればといった感じの防具が今の冒険者の
したがって、彼女の様に律儀に鎧を着ているのは、よほどの物好きか何かの理由で職を追われた元魔術騎士団員の二択になる。
実の所。異世界転生者であるヴァルロゼッタであれば、鎧なんて無くても困らないモノの一つであった。寧ろ、売り払って金に換えた方が今の自分には良いくらいだ。
それなら、なぜこの様な目立つ格好でいるのかというと。
まだそれは、少しばかり王都にいた頃の自分を完全に捨てきれていない、未練の様なものであった。
「おろ、嬢ちゃん。この格好は……、騎士様か!?」
と。
酒飲みの卓にいた大柄の猿の亜人が、足をもつれさせながらも器用に転ばず近づいて来る。
こればかりは仕方ありませんね――。
ヴァルロゼッタは、肩を落として溜め息をついた。
物珍しい恰好をしている自分にも少しは落ち度はあるので、文句は言えないが。
「――んん……?おめえさん。どっかで見たような……???」
しかし。
問題は、ヴァルロゼッタが予想していた冷やかしなどの類では無かったという点だ。
猿の亜人は左右の眉を交互に動かしている。
「……!?」
思わぬ言葉に、心臓が跳ねた。
確かに冒険をするにあたって、素性がバレるリスクとは常に隣り合わせではあった。
が、ヴァルロゼッタも対策は講じているのだ。
前世で体得した数少ない特技の一つのメイク
それに身に付けている物も、身分が分かってしまう様な家紋などは全て処理済み。
なので、第三皇女のヴァルロゼッタ・ベル・ロザリオであると気付かれることは絶対に無いはず。
……。
……。
「ひっく」
酒臭い。
恐らく、酔っぱらってるだけだろう。
大丈夫、看破された訳では無い――。
「き、き、き……、気のせいではないでしょうか……?」
それでも、こういった場面で若干挙動不審になってしまうのは、前世のコミュ障の名残か。
「んん、そうかぁ?――と、便所に行くんだった。へへ、呼び止めて悪かったな」
「……。いえ、お気になさらず」
そっと胸を撫でおろす。
万に一つ。正体を看破されてしまえば、王国に強制送還されるかもしれない。
そうなる危険性があれば最悪の場合……、
「……」
ともあれ、難は去った。良しとする。
毎度毎度、力の差も推し量れないで突っかかって来るチンピラ共や、いやらしい視線を向けるナンパ野郎を律儀に相手にするのも面倒くさい。
静かに過ごせるのならば、それに越した事は無いのだ。
機を取り直して。
一通り集会場内を見渡すと用事を済ませるべく、集会場奥にある受付窓口へ向かっていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます