四.
イアは寝着に着替えてまだ間もないというのに、
廊下の外の衛兵達がいつもよりも早くひきあげることに、
疑問を感じていた。いつもこの時間なら、自分の部屋の前は
何人もの衛兵が廊下を歩いている。
なのに今日は、もう夜中の見張り番一人が、
ずっと先の廊下に立っているだけだ。
のぞいていたドアを静かに閉めて、イアは暖炉の前の
ソファに腰掛けた。そして、二日前に自分が父に告げたこと、
そして父が言ってくれたことを思い返していた。
(お父様はリブラと暮らすことを考えてやると
おっしゃっていたけれど…、本当に、叶えてくださるの
かしら)
暖炉の火の瞬きにぼんやりしていると、
ふいに、ドアをノックされた。先ほどの、いつにない
衛兵の様子を見ていたのも手伝ってか、イアは
不安に襲われた。
おそるおそる、ドアを開くと、
そこにいたのはリブラだった。
黒い、王侯騎士隊長がつける甲冑に身を包んでいた
リブラだったが、何よりリブラがきたことに、イアは顔が
火照るのを隠せない。
リブラは少し部屋に入った。
イアもつられて部屋に入る。
「どうなさったのリブラ、こんな遅くに…
明日あなたは戦地へ赴くと、お父様が言って
いたのに。」
「…姫に、どうしても会いたかったのですよ」
後ろ手で、リブラはドアをしめた。鍵の落ちる音が
聞こえたが、イアは自分の目をのぞきこんでくるリブラに
吸い寄せられていて、聞こえていない。
リブラには、これからはじまる、いや、何かが
壊れる音に聞こえていたのかもしれない。
寝着に着替えていることを後悔しながら、
イアはふと、思い当ることをリブラに尋ねた。
「ね、ねぇ、リブラ…、もしかして、その…、
お父様から聞いたの?
私が、あなたと、暮らしたい、ってこと…」
リブラは微笑んだ。
「ええ、聞きましたよ、姫」
イアの顔が赤くなった。
「そ、それで?
お父様はなんとおっしゃっていたの?」
リブラはイアを見つめる。
「お父上は…『いい』とおっしゃって
くださいましたよ」
イアはぴょんと飛び跳ねた。
「まぁ!嬉しい!!!」
しかしすぐに、不安そうな目になる。
「…で、でも、
あなたの気持ちを聞いていないわ、リブラ…
あなたは」
「姫」
言葉を被せて、リブラが言った。
「騎士が髪の毛を束ねずにおろしてくるときは…、
どんなときか、ご存知ですか」
イアがリブラを見つめた。
すっかり舞いあがっていたけれど、よく見れば、
リブラはその美しい豊かな髪を、今日は束ねず
さらりと垂らしている。
「えっ?
そ…それは、戦いに赴くときでしょう?」
リブラはうなずいた。
「そう。
そしてもう一つ」
(貴方様と自分に嘘をつくとき…)
リブラは微笑んだ。
「それは
貴方様を抱こうと決めたときです」
イアの鼓動が、高鳴った。
「で、でも…!
あなたは他人に触れてはならないと…」
「…触れずに、愛が確かめ合えますか?」
肩の鎧をがちゃり、とはずす。
「私にはできない…だから…、
今宵だけ、騎士であることを
捨てます」
続けて胸の甲冑を。
リブラの体の線が現れてくるにつれ、
イアはたとえようのない気持ちになった。
リブラは、本気だ。
いつだって、いつだって…
イアの知っているリブラは、本気だった。
でも…、何故か今日のリブラには、何かが
あるようで、ならない。イアはリブラの腕を抑えた。
リブラの動きが少し止まったのをイアはのがさず、
言葉を発した。
「だめよリブラ…!!
私のためにそんな……」
「構いません
貴方様の…
気持ちを叶えることができるのなら
私は…」
(違う。
本当は、姫…)
涙を伝わせる姫の頬に、はじめて触れた。
そのまま引き寄せて、くちづけをした。
(私は嘘なのです)
――神よ 我を斬りたまえ――
「離しませぬ」
そのままゆっくり、床に押し倒した。
(罪などひとつあれば百犯しても同じこと)
愛しいそのものの体を、目眩めく気持ちで
抱いた。
(卑怯者め、ここまでしておきながら、
未だに言葉に出せないでいる)
ずっと秘めていた感情を、
体だけで、触れたいと願った場所に、
触れたい気持ちの量だけ、触れた。
(傷つくのがこわいから
嘘をつきとおすのか)
壊したくなかった愛しい空気。
――何故にここはこんなに冷たい?
溶ける。
――何故に神は人を創った
――何故に神は姫と私をこのような形で
めぐり合わせた……
二人は深い眠りに、ついた。
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