二.
六月二五日 巨蟹宮
Alju-arraとhrru-juuoの軍勢がミルレイ河で
衝突。士気はアルジュハラが上であったが、
軍配は死を呼ぶ粉や新しい武器による戦法を用いた
ヒルジューノの作戦にあがる。
「迂闊であった。
まさか剣を用いずに来るとは、な。
さすがのお前も気付けなかったであろう。」
ここはアルジュハラの西の謁見の間である。
そしてリブラは傷ついた体や返り血を浴びた鎧のまま、
王に謁見している。許されるのは、リブラだけであろう。
大きな寝具のなかに埋もれ、だが剣は絶えず身から
離さない、リブラが忠誠を誓ってやまない鷹の目を持つ
故国の主は、苦しいはずの呼吸を乱すこともなく、そう一言、
リブラに答えた。
リブラはそんな王を目の前にただ、自分を責めつづける。
血の味のする口から、重い唇を押し開き、次の言葉をやっと、
吐き出した。
「死を呼ぶ妖しげな粉の舞うなか、悶え死ぬ騎士を目の前で
見ていながら、私だけがおめおめと生き延びてしまいました。」
「よい、言うな」
「私の部隊はほぼ壊滅です。
国王より任せられた選りすぐりの騎士の命を、
私は全て守り切ることが出来ませんでした。」
「よい、リブラ」
王はただ、しかし強く、リブラを諭した。
「お前が生きて帰ってきただけでも、良かった」
それに、と加えて、国王は顔を苦渋にゆがませた。
「おめおめと生き延びたというのは私の息子のことだ、
リブラよ。あれは死ぬることが怖かったと、ゆくゆくまで
笑い種となるであろう、なげかわしいことだ。」
王は続けた。
「ところでリブラよ…、ヒルジューノは我が娘イアを
ヒルジューノの皇太子の妃に欲しいそうだ。おそらく
それが目的で、この戦をしかけてきたのだろう…。」
姫を?
一瞬、リブラの頭が白くなった。
はっとして、顔をあげる。動揺している
自分に気付き、リブラはさらにうろたえた。
声を震わせ、リブラは聞いた。
「で、では、姫を…!」
「いや、娘に聞いたことがある。
娘は想い人がいるそうだ…」
安心したと同時に、新たに
沸き起こる感情に揺れ、我にかえった。
「想い人…ですか」
「うむ、誰なのかは聞いていないのだがな…。
どちらにしろ、まだあれを手放すつもりはない。
私はそれより、和平の条件にイアを、というヒルジューノの
やり方が気に食わぬのだ…。私達は今回の戦に破れはしたが、
対等の小国同士で渡り合ったのだ、わが国はヒルジューノに
取り入るつもりも、降伏するつもりもない…。
戦が長引くのは国の民を苦しめるが、
この条件を飲むつもりはないのだ。もう1度
部隊を編成し、戦うつもりだ。
行ってくれるか、リブラ」
アルジュハラを先代にはないここまでの繁栄にさせたのは、
ほかならぬこの王である。リブラはもとよりこの王に生涯を尽くして
いたので、戦えることに感謝をした。自らの落ち度を晴らせる場所が、
もう1度、与えられるのだ。
彼女はすぐに応じる。
「おおせのままに」、と。
心の陰りに気付きながら。
その日の夕暮れ、月は細い弧を空に描いていた。
アルジュハラの大地は薄紫に染まる。アルジュハラ城も
例外に漏れることなく、その壮大な外観を空のそれと同じに
染めていた。大気はまだ、あたたかい。
アルジュハラ城は、東の回廊を抜けた吹き抜けの
踊り場から左の階段を登ると、アルジュハラの草原を
一望できる廊下がある。そこから吹き抜けを振り返れば、
天井まで届くステンドグラスが見る者を惹き寄せる。
アルジュハラ第3皇女、イアの部屋は、この廊下の
1番奥にあった。戦から戻ったことを伝えるため、という
理由を心に作り、リブラはイアの部屋を訪れた。
ノックをしても返事がないので、リブラはそっと
ドアを開いた。大きく、白く、しかし皇女にふさわしい
品格を備えたイアの部屋には、これまた綺麗な大窓がある。
イアはそこから、ぼんやりと薄紫の草原を眺めていた。
リブラはイアを静かに呼んだ。
ゆっくり振り返る姫は、一瞬不思議そうな顔をしたが、
リブラだとわかると、ぱっと笑顔になった。皇女にふさわしい
振るまいを姉達から教わっているのだろうが、今のイアは
リブラに走り寄る美しい少女でしかない。
「おかえりなさい、リブラ!
良かった無事で……!負けたと聞いて、
心配で…」
リブラは無理矢理笑顔を作った。
「…申し訳ございませぬ、姫…、
私だけおめおめと生きて帰って参りました」
イアの笑顔が曇った。
「もういいわ、リブラ…責めるのはやめて。」
さらに口を開こうとするリブラを、イアはリブラの
名前を呼んで止めた。そして苦しげに口を開いた。
「リブラ、私、本当は…、本当は、
戦争に勝ったのも負けるのも、そして
誰が死んでしまったのも、どうでもいいの…、
貴方がこうして、生きて帰ってきて
くれたんですもの」
リブラははっとしてイアの目をのぞこうと
したが、イアの目は両手に覆われていた。
泣いていた。肩が震えている。思わずのびかけた
手を、騎士の精神が制止させた。
騎士は、他人に触ることを許さないのだ。
手に他人をかけるとき、それは、人を殺めるとき
しかない、そうリブラは叩き込まれていた。
自分のために涙をこぼしている
少女を目の前にしながら、リブラは言った。
「姫、我々騎士は、人に触れることはタブーと
されておりますゆえ、姫を救えるものは今の私には
何もありませぬ…、どうか、どうかお顔をお上げ
下さい。」
イアは涙の伝う頬を拭いつつ、うなずいて
顔をあげた。リブラは微笑んだ。
「姫の温かい涙で、私が救われたように
思います…、ありがとうございます。」
イアは熱っぽく言葉をリブラに重ねた。
「リブラお願い、もう何処へも行かないで。
ずうっと、この城にいて、私を守っていて。」
ずしり、と、胸に刺さる。
私はいつだって、守る為に…
私はいつだって、…
嬉しいのと、困惑が、同時にリブラを襲った。
こみ上げてくる言葉を飲んだ。
リブラは無理矢理笑った。
痛いまま、言葉を吐いた。
「ふふ、姫にそのような勢いで迫られては、姫の
思い人は、さぞかし、嬉しかったことでしょうな。」
イアがきょとんとする。
「え?なんのこと、リブラ?」
リブラは足元に目線をおとした。
声は心の動きを姫にさとられないように
平静を保っている。
「貴方様のお父上がおっしゃっておりましたよ、
姫には思い人がいらっしゃる、と」
自分で言う言葉に打ちのめされるなど、
騎士に許されてよいものなのだろうか。リブラは
自分のことを低く笑った。
イアは黙って、テーブルの燭台に火をともした。
火の燃える音が、部屋に響いた。
「いつか、お父様に、打ち明け様と思うの。
その人と一緒に暮らしたいと……」
イアは恥ずかしそうに笑った。
リブラは自分と葛藤していた。
変わらず、自分を抑えつけた。
「それはそれは……。
そのときには私にも教えてくださいますか。」
姫がまた無言でテーブルの向こうへ廻った。
燭台をはさんで、向かい合わせになった。
リブラの問いを、イアは問いで返した。
「…どう思う、リブラ。
私がその人と一緒に暮らそうと、
思っていること。」
傷つきました、など、言えるはずもない。
リブラは反射的に言葉を返した。
「い、いや、別に何も思ってはおりませんが」
イアがはっとする。
うつむいた。
「…そう……」
これ以上、ここに居るのは、辛い。
戦いに赴くのが楽しいことであるリブラは、辛いという感情を、
このときはじめて感じた自分を、自分のなかに認めた。
空気にピンを刺す。
「では、今日はこれにて失礼いたします、姫…」
姫はうなずいた。
扉を閉めて、リブラは小さなため息をついた。
部屋を遠ざかる足音を聞いて、イアは窓の外へ
目をやる。
壁にかかっている、アルジュハラの紋章をかたどった
タペストリーが、この部屋を重く、低く、見下ろしていた。
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