第2話 文化祭準備
保健室の先生に軽く消毒をして貰い、絆創膏を貼ってもらう間で、先ほどの自分への嫌悪感が一気に溢れ出す。
俺、何を考えてたんだ。__気持ち悪い。
気持ち悪い感情が最近抑えられない。まるでこの感情が体の全てを侵食しているようだ。相当タチの悪い、感情。気持ち悪い。
そうだ、まるでこの容姿と同じく女みたいで気持ち悪い。
冬にぃに対して、どう思ってるんだ、俺は。
だけど、この感情を男女のソレと表することも烏滸がましいと分かっている。そんな綺麗なものには到底なれはしない。
見た目がいくら女のようでも、俺の体は男。それを分かっているからこそ、必死に脳内で否定をし続けて決して言葉を形にしないことを繰り返している。
「はい、これでもう大丈夫。怪我には気を付けてね。」
「あ、はい、ありがとうございます..。」
けれど、二人きりではない場所で俺以外の誰かと接する冬にぃをを見ると胸の中がぐしゃぐしゃになる。
幸せなのは二人きりで部屋にいるときだけ。ただ俺だけを見てくれている気がする、その時だけ。
冬にぃが家に置いてくれなくなったら、俺はまた戻るしかないんだ。
冬にぃのいない生活に。生徒と先生の関係だけに。
それだけは嫌だ、嫌なんだ、あの大嫌いな日常には戻りたくないんだよ。
お願いだよ冬にぃ、俺を見捨てないで。
不安定な気持ちのまま保健室のドアを開けると、途端に聞き覚えのある声が俺の名前を呼んだ。
「奏さん!」
はっと目を見開く。少し遠くから声の主、藍乃が駆け寄ってくるのが見えた。
「...藍乃?」
「迎えに来ました!そろそろ終わるころかなって。...奏さん?」
藍乃はまだ心配そうな表情で俺の顔色を窺うように口を開き掛けては閉じる。
そんな藍乃を見ていると何だか申し訳なくなった。
「悪い。心配掛けたな。」
「あ、ち、違うんです!私が勝手に心配してるだけで、奏さん、お家のこととか、色々あるでしょうから。」
「別にお前は気にしなくていいって...まぁ、でも、さんきゅ」
俺は両親を少し前に事故で亡くし、年の離れた兄と二人暮しをしている。
だが兄との折り合いが上手くいかず、家の中での意心地が良いものとは言えず困り果てていたところ、冬にぃが優しく接してくれて、週に数回冬にぃの家にお泊りをするようになった。
冬にぃとその事に関する内容を話していたところ、偶然通りかかった藍乃に聞かれてしまってからは常日頃心配をしてくれている。
「私は奏さんのことが心配なんですよ~!だって私、奏さんのこと大好きですからね!」
「....はいはい。」
しかし、いつもこいつは本当に何がしたいのかが分からない。
ただただ純粋に全く有り得ることではないだろうけれどももし万が一俺の事が好きなのだとしたら、今の俺はその感情に対して嬉しいという気持ちよりも羨ましいという感情を覚えてしまう。
...気持ち悪い。
「何かあったら、相談してくださいね」
「ん....。」
俺の隣で優しく微笑む藍乃を見ていると自分の惨めさや汚さが良く際立つ気がして、目を合わせないように逸らした。
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教室に戻ると、先程まで冬祈先生に群がっていた女子たちは皆自分の席につき作業を再開していた。
「おー、奏、彼女連れて仲良くおかえりか。いいご身分だな~。」
先程まで居なかった、この2-Eのクラスの担任、
「やだもう先生、彼女なんて...///」
「違います。晴月は俺を呼びに来てくれたので」
とりあえず速攻で否定をするが、綺麗な黒髪を雑に耳に掛けながら「悪い悪い」とからかう表情のままに躱された。
口は丁寧ではないが生徒思いで姉御肌の先生で、冬祈先生同様生徒から好かれている。
きちんとしたシャツと黒パンツを着用しているのに、黒のジャージを上着としていつも身にまとっていたり、髪が掛けられた耳は、沢山のピアス穴の跡が見えていたりと、なんていうか「綺麗な女性らしさ」はあまり見当たらない人ではあるが。
「奏!大丈夫だった?」
後ろの方の班の手助けをしていて俺達に気付いていなかった冬祈先生が、気付き声を掛けてくれた。
「あっと....大丈夫です!っていうか針に指刺しただけだしそこまで心配しなくていいですよ!」
「本当に?ちょっとの怪我でも気を付けないんだよ、....待って、見せてみて。」
自然に俺の方まで近寄ってくる冬祈先生に、驚き慌てて返事をする。
「い、いや!本当に大したことないから!俺、席戻ります!」
「あっ、奏」
強引に会話を切り上げて、藍乃の手を引いて急ぎ足で席に戻った。
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自分の班に戻って作業を続けていると、先生同士で何か話し合っているのが目に入った。
冬祈先生の深刻そうな顔、恐らく作業時間に関する内容だろうか。
「__ええと、お前ら、ちょっといいか。」
担任が少し声を張り上げて皆に呼びかける。その時、大抵の生徒は嫌な空気を察したようだった。
「このままじゃ正直作業が終わる目途が立たない。非常に言いにくいんだが...まあ、その。」
言い淀むが、生徒から不安の声がぽつぽつと漏れ出るのに気づき、担任は慌てて言葉を続けた。
「あー!これ以降は10名ほどこの学校にお泊りしてもらいます!お泊りメンバーは平等に先生たちがくじで決めるから我慢しろ!以上!」
やけくそに言い放った言葉を飲み込むのに時間がかかり、数秒の沈黙、それから一気に非難の声が爆発した。
「「「「「「「「「「はぁああああああああああああああああああああああ!?!?」」」」」」」」」
「あ、あの、みんな落ち着いて....」
普段であれば声を掛ければ、鶴の一声のように女子はおとなしくなるのに今回は冬にぃですらもはや誰にも届かない。
「いやいやいや!!!!お泊りってなんだよおおおおお!」
「絶対その枠に入りたくない!!!!着替えとかメイクとかどうすんのおお!!」
「やだやだやだやだ、ぜったいやだやだに決まってるじゃんんん!」
ギャーギャーギャー、沈静しそうにもない不満の数々。しばらくは止まらなさそうだ。
俺の班の皆ももちろんもれなくすごい顔をしているが、俺は正直今日も冬にぃのお家にお世話になる予定だったので学校にお泊りは受け入れてもいいなと思っていて、平然としていた。
「...か、奏くぅん。お泊りok派?」
「まぁ、俺は。今日は予定もないし。」
「え、ええぇ...のあ、絶対やだぁ...お風呂とかどうなるの..」
そんな俺を不思議そうに見つめる、班の皆。萌え袖を口元に当てながら乃愛が先陣を切って俺に話しかける。
俺としてはお泊りをすることのデメリットは少ない。冬にぃのお家に一人で入るのも本人はいいよって言ってくれるけど極力したくないし。
「この学校は大浴場もあるし布団の用意もあるし泊りの環境には最高だぞ~、あきらめろお前ら~足掻いても決定は決定ですからぁ」
吹っ切れた様子で、大ブーイングも意に介さずに担任が声を張り上げつつ皆に告げる。
冬にぃは先ほどからせっせと紙に何かを書いているようで、くじの準備でもしているのかな。
「つーかよぉ、さっきから雨濡が別に嫌そうじゃないから雨濡は決定でいいじゃねぇか!」
「...あ?」
急に後ろから右肩を掴まれ、思わず睨みつける。
声をわざとらしく張り上げて、周りに聞こえるように言い放つこいつは
やけに鬱陶しい首元から除く金色のネックレスが不愉快に思えた。
「あはは、賛成~。アタシもそういうの困るもん。嫌じゃないなら、雨濡がやればいいじゃぁん。」
その言葉に同調してけらけらと笑いながら手を叩く
今まさに俺の肩を掴んでいる男とお揃いのネックレスが、首から揺れていた。
「くじだって先生は言ってたじゃないですかお二人とも。そんな風に言うのはダメですよ。」
むっとした様子で、藍乃が口を挟むが四目は馬鹿にしたように笑って俺を煽る。
「まぁた彼女に守ってもらってんのか、相変わらず女みてぇでひょろっこくて情けねぇなぁお前。」
「うるせぇ、触んなよ。第一藍乃は関係ねぇだろ。」
ばっと手を振り払いつつ、自分の手元に再度向き直った。
後ろから二人が何かを言っているが、こいつらに多く絡むとロクなことがないと今まででも良く知っている。
そんなやり取りの後すぐに、担任からお泊りメンバーの発表が始まった。
「え~...じゃあここにクラス全員の名前を書いた紙を入れたから、10枚冬祈先生に引いて行ってもらう。
名前を呼ばれた奴は残留で、拒否権はありません!以上!じゃ、始めていってくれ」
「は、はい...ええと、では」
先程まで騒がしかった生徒が急に、静まって息を飲む。
冬祈先生が10枚用紙を迷わずに引き終えて、一枚目を開く。
「__間山 樹」
「な、なんでやあああああああああああああああああああああ!!!!!!!」
静まり返った教室に、樹の叫び声だけがこだまする。あいつどこまで運が悪いんだ。
目の前で項垂れる様子に思わず同情している内に、次の名前が呼ばれる。
「
「!?はぁ!?い、嫌なんだけど!!!!!無理無理無理、今日はマジ勘弁してってうそでしょ...」
離れた席から、栗色のボブヘアの女子生徒が悲痛な声を上げるのが見える。
「夏側 ゆすら」
「へ....アタシ...?やだ....嵐ぃ」
後ろですすり泣く声が聞こえる。それでも続けて名前は淡々と呼ばれていく。
「片崎 柊、谷城 朱音」
これで5人目。まだ俺の名前は呼ばれない。出来ればお泊り組に入りたいが、そう上手くはいってくれないだろうか。
「四目 嵐、
後2人、呼ばれなければ誰かと代わってもらうのも手だろうか。
極力冬にぃに気を使わせたくもないし、代わるならやっぱり樹に___
「咲野 乃愛、雨濡 奏_以上10名、今日の居残り組です。」
「...あ」
最後の一人、選ばれたことに、少し声が無意識に弾んだ。
「いやいやいやいやいや!!!ここの班藍乃ちゃん以外全員じゃん!!!」
乃愛が勢いよく席を立ち抗議の声を上げるので、慌てて自分の緩んだ口元を画すべく咄嗟に手で押さえた。
「おかしいやろおおおおおおおおおお!なんか仕組んだな先生こらぁ!!!!」
掴みかかる勢いで、樹が立ち上がって先生達に向けて指を刺す。
冬にぃは困ったように笑いながら、空曇先生は溜め息をつきながら答えた。
「た、確かに偏ってるけど不正はしてないよ..ごめんね。」
「そうだ、私たちに不正する必要性なんかねぇだろ。第一不正するなら真面目な反抗しなさそうなやつ選ぶわ。」
確かに、先生方に不正をするメリットが無い。いくら問題児の多いE組とは言えども、選ばれたメンバーは特別おとなしいわけでもない。むしろ問題児が混ざっているくらいだ。
「二人とも落ち着け、先生たちの言う通りだ。例え私たちの班がほとんど選ばれていても先生たちには何のメリットもない。」
「そうだ。貴重な思い出が出来るかもしれんぞ、まあそう嫌がるな」
「柊くんと一緒なんだよぉ!?やだぁ!!!」
「ていうかなんで私だけなんですか!?!?私も奏さんとお泊り!!絶対するもん!!!」
「いや、お前はくじで選ばれてないんだからあきらめろよ。」
「ううぅぅうぅ.....」
「はいはいはい、そこまでそこまで~。じゃあもういい時間だから、居残り組以外の奴は帰る準備しろ~」
「は~い」
「先生たちは居残りメンバー報告してるからな~。その間にちゃんと帰るんだぞ~。」
「ありがとうございました~さようなら~」
先生たちが教室を出ていくのを簡単な礼で見送ると選ばれなかった人たちは安心しきった声で荷物をバタバタと片付け始めた。
だが、ほとんどが残留となったうちの班の雰囲気は最悪だ。
「なんで俺ら藍乃ちゃん以外全員やねん...」
「ほんっとそれ.....なんでのあまでぇ...しかもこの変態まで」
「はっはっは、安心しろ、僕はロリコンではない」
「柊、女子も多いのだから変態的な言動や行動には気をつけろよ。」
「ん?そういえば晴月は?」
そういえば、藍乃がいつのまにか席から消えている。もう既に帰ったのかなと思ったが、荷物がまだ残っている。友達とお話でもしているのだろうか。
「じゃあ居残り組の皆さんお疲れ~私たち帰るね~」
「うううううう...!」
居残り組以外の皆が席を立って、教室には居残り組だけが残った。はずだったがどことなく違和感を感じたとき、片埼が俺より埼にその違和感を口にした。
「ん?おかしいな、10人だと言っていなかったか?」
それだ。感じていたのは人数の違和感だ。隣にいた谷城が残っていた人数を指さしで数え始める。
「...私たちで5人、そこのDQNカップルで7人、であそこにいる山許、岡で9人。ん?岸宮どこ行った?」
「ふっふっふ....」
俺たち3人が首を傾げていると、後ろから聞きなれた声が聞こえてきた。
「岸宮さんなら返しましたよ!!!!!私と交代ですよ!!!!!」
ばばーん!と効果音でも付きそうなくらいにドアを勢いよく開けて現れたのは居残り組に選ばれなかった藍乃。
「えええええええええ!?」
「な、なんのメリットがあんだよお前に...」
「奏さんと一つ屋根の下が合法的にかなえられるこの日を逃してたまるか!の一心です、テヘヘ」
いつもの調子であっけらかんと笑いながら、俺をまっすぐに見てくる。
全くもって理解のできない行動に、思わず苦笑いをしていると教室のドアがまた開いた。
「お前ら~ちゃんと居残ってるか~...ん?おい晴月お前なんでいるんだ」
ドアを開けたのは先ほど出て行った担任だ。すかさず藍乃を見つけるが、藍乃は勢いよく右手を上げて言い訳を放つ。
「岸宮さんがお腹痛いって言うので保健委員として見過ごせず!許してください!」
「はぁぁ??そういう不正したら意味ねぇだろ!!!」
「そんなこと言ったって岸宮さんは帰りました!!諦めてください!!!」
もちろんバレバレである。当たり前に担任が少し顔を歪めて声を荒げるが、全く持って聞く耳を持たない。なんだこいつ。
「チッ、おい冬祈、岸宮に電話してくるからこの馬鹿達どうにかしてろ!!!」
担任はそんな藍乃にひどく深いため息を吐いてから舌打ちをし、冬にぃに八つ当たりをするように叫んで教室を再度出て行った。
「え、....あ、は、はぁ」
冬にぃは困った表情でそんな様子を見送っていた。
「...愛の勝利ですね!ハッ、「あいの」だけに。」
「いやほんとわけわかんない。何してるの藍乃ちゃん...。」
実際に声に出していった乃愛以外にも、そういった風に思っている奴は多いだろう。現に俺も藍乃の行動は相変わらず理解できない。
藍乃は酷く上機嫌の様子だが、周りは当然こんな選ばれたくもない役目を背負わされているのだから余計に。
「アホカップルの話なんかどうでもいいんだよ、つーか先生よぉ、早く終わらせてくんね?俺とっとと帰りたいし。」
そんな空気を割って机に足を上げながら四目が冬にぃに話しかける。
「....あ、あぁ。そうだね、じゃあ皆作業の続きを。」
冬にぃは先ほどからどこか上の空だ。思いつめたような表情で、頭に手を当てることを定期的に繰り返している。
この作業の目途はそこまで立っていないのだろうか。俺から見るに、この人数で後2.3時間ほど頑張れば完成しそうなものだが。
正直スムーズに行けば終電にも間に合いそうだし、居残りをする必要なんてないのではと少し安易な考えもあるくらいで。
「あ、雨...」
岡が窓を見てぽつりと呟いた。窓に目をやると、いつのまにか外は暗くなっていて激しめの雨音に意識が向いた。
「今日は一日晴れってきいとったのに。なんや、えらい急に強い雨やのう。」
「帰った皆はびしょぬれになってそうだ。大丈夫だろうか..。」
つられるように皆が窓に視線をやる。先ほどまで晴天だった気がしたが、いつのまにやら遅い時間になっているということだろう。
「ちっくしょう!!電話でやがらねぇアイツ!ばっくれやがった!!」
しばらくして勢いよくドアを乱暴に開けて、担任が戻ってきた。
「...もう仕方ないですよ、先生。それよりちょっといいですか。」
「チッ...ああ、色々と手続き踏まねぇと。」
宥めるように、とはどこか違う諦めのような感情が見え隠れしたような冬にぃの姿を捉えると同時に、そろってすぐに出ていく二人。
「忙しそうですねぇ」
「いやお前のせいでもあるだろ。ほんとお前何やってんだよ。」
「テヘ」
呑気ににこにことほほ笑んで、藍乃は相変わらずだ。
雨の音が次第に強くなる。窓を時折乱暴に叩く音に耳を傾けながら、目の前の作業を続けた。
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