とある高校で起きた悲惨な事件

日の暮

第1話 文化祭前日

嫌な気持ちを感じさせない匂いが鼻孔いっぱいに広がる、この場所で目を覚ます。

被り込んだ布団からは、より一層その匂いが濃い気がして頬が熱くなるのを感じた。


(いま...なんじ...)


虚ろな目でいつも時計が有る筈の場所へ手を伸ばす。時刻は7:30すぎを指していた。

そろそろ体を起こさないと、名残惜しいような感覚を首を振って否定しながら、ゆっくりと起き上がる。


(あれ...フユにぃ...)


家主は既にこの場所からはいなくなっていた。

変わりに小さな一人用のテーブルにおにぎりとメモ書きが残してあるのを見つける。


”おはようカナデ 俺は先に行くね また学校で”


そう言えば文化祭の準備で、今日の朝も忙しいと話していたなと思いつつおにぎりを口に運ぶ。

ちょうどいい塩加減と、中身のマヨネーズをたっぷりあえたツナの味は、完全に俺好みに併せて作ってくれたものだった。


ゆっくりと味わっている場合ではない。俺も学校に行かなくては。


おにぎりを食べながら、近くに置いてあったスクールバッグを引き寄せて、学生服を取り出す。

身に纏っていたサイズの合わない大きなパジャマを脱いで、慣れた学生服を身に纏う。

スクールバッグに綺麗に畳んでおいたとは言え、シャツは少しくしゃりと畳じわが出来ていた。



だが、いつもの事だ。

最後の1口を放り込んで、顔を洗うため急いで立ち上がった。


いつも綺麗に整頓されている洗面台に、俺専用に用意してくれているタオル。

クローバー柄で少し可愛らしいのだけれど、冬にぃ曰く「俺のものと区別が着くように柄入のものにした」との事だった。

女みたいな物は大嫌いだけれど、俺は柄よりも何よりも俺の為なんかに用意してくれたのが嬉しくて、凄く喜んだ記憶を覚えている。


冷たい水で顔を勢いよく洗う。鏡に映る線の細い体つき。情けなく垂れた大きな目。伸びたまつ毛。女のような俺の見た目。

こんな見た目だからこそ、鏡を見る行為は嫌いだ。だけれども、今の俺の顔は酷く幸せそうに笑っていた。


優しく甘やかしてくれる、この場は誰がなんと言おうと間違いなく幸せな空間なのだ。



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「あ~~!!!!もうぜんっぜん終わらへんやんけぇえええ!!!!」


クラス中に充満しているやってられるかオーラを一人、体現するかのように俺の右隣に居る男は先ほどまでチクチク黙って縫い続けていた布を机に思いっきり叩き付けた。

その行為を見て、周りのクラスメイトも彼に同調するように次々に声を上げ始める。


「やってられるかってんだよ!明日だぞ文化祭!マジでどうすんだよこれ!!」

「これやばいよ...もうなんで、私たちの衣装だけ届かないことが今日わかるの!!!」

「衣装アレンジの作業入ったから、これ終わらせてから飾り付けと準備、うっうっ..今日、何時までかかるのよぉ....」


不満の大爆発。それもそのはず、俺等は文化祭を明日に控えた今日の朝、担任の先生より文化祭に使用する衣装の発注元が納期を勘違いしていて、使用日に間に合わないことを告げられたのだ。


俺達がやるのは冥土喫茶、何てことはない、ただのメイド喫茶のコンセプトをありがちなものに変えただけのカフェなのだが、そのコンセプトに併せて少しホラーテイストな衣装を着て接客を行う予定だった。

それで看板も書いてしまったし、チラシも配ったものだから、今からでは衣装を変えることもできない。

急遽、担任が午前中秋葉原まで行ってきて、コスプレ専門店でメイド服を人数分買い揃えてきてくれたので、それを冥土喫茶のコンセプトに併せるべく、アレンジをクラス全員で行うことになった、それが現状に至るべく経緯である。


まぁ、本来ならクラス内の飾り付けの最終確認と調整などの明日に向けての準備を小一時間ほど行って帰る、といった流れだったため、この酷い有様になっているわけだ。

俺は悲惨な状況に苦笑するしかなく、目の前のまだまだ完成が遠すぎる手元のメイド服を見つめた。


「奏~...。なぁ今日何時に帰れるか賭けようや。」


先ほど一番初めに叫んだ彼が、俺の肩に凭れ掛かりながら悲しい表情を浮かべている。


「はぁ...まあ全員でやりゃあ、メイド服自体は20時くらいには終わるだろ。」

「メイド服自体はな....はは...」


遠い目をしつつ、俺の肩から離れて再び目の前の布に手を伸ばすこいつは間山マヤマ イツキ

クラス内のムードメイカー的存在で、誰からも基本好かれている印象がある。

転勤族の両親持ちで、本人曰く長い間関西を転々としていたらしく、都内にいるくせに関西弁がいまだ抜けないらしいのだがそこも愛嬌として好かれているようだ。


「ん~...タロットでは良い結果は見えていませんから正直なところ、もう少し長引く可能性が高いんですけどね」


俺の左隣から、晴月ハレヅキ 藍乃アイノが手元のタロットカードを揺らしつつ口を挟む。


「おいトドメさすな、やめてさしあげろ。樹は見たいテレビがあったらしいから。」

「そうやでほんま...俺の推しの可愛いバシカン、新ドラマなんや...一話を見逃すなんて不覚...」

「バシカンさん、可愛いですよね~!私も好きです。」


人気女優の話で盛り上がり、俺を挟んで話し出す二人に適当に相槌を打ちながら作業を続ける。


晴月藍乃は占いが趣味且つ良く当たるとのことで、別クラスや他学年からも占ってほしいがために生徒が来ることもしばしば。

正直、俺も驚くくらいカンが鋭いときもある。

また、美人だし巨乳だしおしとやかだしでモテるらしく割と校内では知らない人がいないくらいの有名人だ。

だが、俺はどうにもこいつが苦手だ。


「でも私は楽しいですよ。奏さんと一緒に長く居られますからね!」

「う、うわっ..!やめろ藍乃!手元が狂うんだよ!!」


急に抱き着かれ少々焦るもすぐに振り払う。

樹は俺等を見て「ほんま相変わらずラブラブやな~」と楽しそうに笑っていた。


そう、こいつ、藍乃はやたらと俺に抱き着いたり、付きまとってくる。俺なんかをからかって何が楽しいのか一ミリも理解できない。

クラスでからかわれる分にはもう皆慣れているからまだいいが、廊下やグラウンドでされてみろ。注目されるわ因縁付けられるわ彼氏だと噂されるわで散々だ。

何度もやめろと言ったおかげで、クラス以外であまり必要以上にくっついては来なくなったが、同じクラスで二年目となる今でもこいつの行動の理由は良く掴めていない。

だが正直そのおかげで助かったこともあったのだが、こいつには絶対言ってやらない。


「~...!貴様ら!遊んでいる場合か!!」


俺の真正面、顔を真っ赤にして声を上げたのは谷城タニシロ 朱音アカネ。クラス委員長で、生真面目。

いつも竹刀を持ち歩いていて、聞いたところによると剣道場の一人娘らしい。

不純異性交遊は禁止だーって、いつも俺と藍乃に怒るがそんなつもりは一ミリもない。


「そうだよぉ。まだまだ終わんないんだからね。二人とも。」


朱音の右隣、どこか作ったような、わざとらしいアニメ声で萌え袖を振るのは咲野サクノ 乃愛ノア

手に生産しているのは薔薇のつもりか、ゴミにしか見えず思わず「げ」と声を出してしまった。


「ん?なぁに?奏くん」

「い、嫌、なんでも。乃愛ってさ、裁縫とかやったことあんの?」


んーと口に手を当てながら、首をかくんと傾げ、数秒。「やったことないよ♡」とほほ笑んだこいつから誰か裁縫道具を奪い取ってくれ。


「咲野は女子としてはオワコンだからな。マスコットとして見ておくのが最適解だ。」


朱音の左隣、眼鏡を掛けてもいないのに眼鏡キャラが良くやるような眼鏡に手をあてるポーズをして高らかに宣言するのは変態野郎の片崎カタサキ ヒイラギ。女子のパンツの色を何色か見ずに当てると言った特技を入学当時に披露し、散々なブーイングを食らっていた。


「やだぁ。柊くんにオワコンだなんて言われるの、なんだかムカつくぅ。」


賑やかな班に放り込まれてしまったな、と苦笑していると音を立ててふと教室のドアが開いた。


「みんなお疲れ様、....ええと、どんな感じかな」

「冬祈せんせー!!!!」


クラスメイトが一斉に立ち上がって、声の方へ駆け寄る。

優しげな瞳に比較的色素の薄めな柔い髪の毛がサラサラと綺麗な、ここのクラスの副担任 傘差カザサシ 冬祈フユキ

見た目も話し方も性格も優しく、特に女子に人気の先生だ。


「冬祈先生、相変わらず人気ですよねぇ」

「まぁこの状況も含め、仕方ないだろ、それに」


藍乃が苦笑しつつ放った言葉に軽く相槌を打とうとするが、"冬にぃは誰にでも優しいから"と口に出しそうになる。


「?」

「...ん、嫌、なんでもない。」


誤魔化すというには投げやりな言葉で口を閉ざしながら、駆け寄る皆を少しだけ目で追いつつ、手元の布を再度たぐり寄せた。


冬祈先生の登場により急に女子の高い声で盛り上がる教室に、少しばかり居心地の悪さを感じる。

特に「冬祈先生~全然できないの~」なんて甘えた生徒の声を聴いているとなぜか苛立ちすら覚え始めて、感情が暴走する。


__さっきまでは汚い声で文句を言いつつも作業は行えていたじゃねぇか。


心の中のどす黒い声が、口内まで忍び寄る。


あぁ、どいつもこいつも冬にぃに媚を売って愛嬌を振りまいてそんなことしても意味がない。

冬にぃはだって誰にでも優しいんだからお前らみたいなメスのことなんか___


嫌、待てよ。冬にぃは優しさ故に誰かと付き合うかもしれない。

だって冬にぃはこんな俺にすら優しいんだ男の俺にこんなに優しいなんてことは実は俺が知らないだけですでに?


そんなのは嫌だ、嫌だ、冬にぃが誰かのものになるのは嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ_________


「奏さん?」


「っ...!いった....!!!?!?」


藍乃の声で現実に引き戻される。その勢いで、手にもっていた針で誤って指を突いてしまった。

どうやら深く刺してしまったようで、丸く赤い血が押し出される。慌てて指を口に運んだ。


「か、奏さん大丈夫ですか!?す、すごい怖い顔してたと思ったら急に」

「悪い!指刺しただけ、へーき。保健室行って絆創膏貰ってくる」


心配と困惑が混じり切った態度で、オロオロと俺を眺める藍乃。同じ班の奴等も、俺を同じ顔で見ていた。

逃げるように慌てて席を立ち上がって、冬祈先生が居る前のドアを避けて後ろから出ていこうとする俺の手を、人混みから掻き分けて出てきた冬祈先生が引いた。


「奏、どうしたの?大丈夫?」

「ふ、冬に、...や、せんせ...」


反射的に弾む声に嫌悪感を覚え、ぐっと堪えて俯く。なるべく顔を見ないように、目を逸らす。


「すみません、不注意で指を。保健室に行ってきます。」

「そっか。俺も付いていこうか?」

「いや、大丈夫です。ありがとうございます。」


俺はその場の全てに背を向けて、駆け足で保健室へと向かった。

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