第15話 お母さんには笑って欲しい



 小野屋の前に、巨大なドラゴンがいた。いつだったか、タカに爪切りをくれといったあのドラゴンを巨大化した生き物だ。

「でっ」

タカの口の中で、でっかいという言葉は消えていった。あまりに大きく、でかいくらいでは言い表せない。


 夏のはじめに小野屋のカウンターを焦がしたドラゴンは、大型の客用の扉を通って店に入ってきた。運転があまり上手くいかずに少々斜めになってしまっても、コンビニの駐車場にはみ出ることなく停められそうな小型車くらいだ。


 今日のドラゴンは違う。大型トラックよりもまだ大きい。そもそも道幅一杯で、小野屋の前の通りを完全に塞いでいるから、車と比べようというのが無理だ。


「おはようございます? 」

タカの挨拶は、疑問形になってしまった。

「おはようございます。朝から突然お邪魔して、ごめんなさいね。先日息子がお世話になったそうで、その節はどうもありがとうございました」

巨大なドラゴンは、優しい声をしていた。

「あ、あのドラゴンのお母様でしたか」

「はい。お礼とお詫びに伺うのが遅くなりまして、申し訳ありません」

なんとなく母親だとおもった自分の勘が当たって、タカは嬉しかった。

「いえいえ。ご迷惑だなんて。俺、私もまだ不慣れだったものですから。こちらこそ、わざわざありがとうございます」


 やっぱりあれは子供のお使いだったのだと、タカは微笑ましい気持ちになった。

「私達家族はさとへ帰る旅の途中でした。予定より少し早くに、あの子の妹の卵がかえりました。今はこの近くの山にある鍾乳洞で暮らしています。色々と、必要なものが手に入りづらくて。あの子なりに考えたのでしょうね。突然いなくなって心配していたら、戻ってきたあの子が、赤ちゃん用の爪切りを買ってきたと言って」

「あれは、妹さんへの贈り物だったのですね」

思っていたよりも、ずっと良い子だったらしい。お兄ちゃんから赤ちゃんへの初めての贈り物だったと思うと、タカは自分の顔がにやけだすのを止められなかった。


「えぇ、ありがとうございました。ちょうどあの子が妹の爪を削ってやるのによい大きさでしたから。お兄ちゃんとして張り切っています」

「そうですか。それは良かった。あれを選んだのは店員の手長足長なので、彼等にも伝えておきます。わざわざご丁寧にありがとうございました」


 想像しただけで心温まる光景だ。あの時のヤスリが役に立っているのが嬉しい。怖かったけど良かったなぁとタカは思い出に浸っていた。


「ただ、その時に息子の話ではご迷惑をおかけしたそうで、お店の備品を焦がしてしまったとか」

「あ、いや、少し焦げただけですから。お気になさらないでください」

多分、この母ドラゴンの睫毛一本か二本分程度しか焦げていないはずだ。

「息子さんもまだお小さいことですし、色々失敗もあると思うのです」

タカもきっと色々失敗しているはずだ。お手伝いをしていて皿を割ったとか、覚えているのはその程度だ。だが、覚えていない失敗がもっとずっと沢山あるだろうと想像出来る程度には、タカは自分を理解している。


「そうおっしゃっていただけるとありがたいのですが。私たちドラゴンにとって、炎を調節できないというのは恥ずべきことなのです」

タカの励ましは、目の前の母ドラゴンに全く通用しなかった。どうやら、タカが考えているよりも、あの一件は、はるかに重大な失敗らしい。

「すぐにお詫びに伺わねばと思ったのですが、なにせ下の子も生まれたばかりですし、夫は私よりも大柄ですから、こちらまでお伺いできませんし、遅くなってしまいました」

「いえいえ。そんな赤ちゃんを育てておられるお母さんに無茶言いませんから。お気になさらないでください」

相手は赤ちゃんと子供がいるお母さんだ。それに、郷里へ帰る途中に卵が孵ってしまったと言っていたから、子育てを手伝ってくれる親戚など居ないのだろう。確かにカウンターの表面は焦げたが、ビニール傘の相棒の大奮闘で誰も怪我をせずに済んだ。


 そのくらいで、赤ちゃんと子供がいるお母さんに、遠路遥々えんろはるばる謝りに来いなどというのは非常識だ。道いっぱいの母ドラゴンよりも、父ドラゴンのほうが巨大だというのだから、父ドラゴンが来ないというのはむしろご夫婦の気遣いだろう。


「それよりも今日は赤ちゃんは大丈夫ですか」

「えぇ。夫と息子が面倒を見てくれています」

「そうですか」

きっと良いお兄ちゃんなのだろうなぁと思うと、タカの顔が自然とほころんでしまう。

「あの、ドラゴンのお母さんのお気持ちはありがたく受け取りましたのと、本当に表面が焦げただけですから。私は気にしておりませんし、誰も困っておりませんから、そんなにお気になさらないでください」

タカの頭の中に、まだ会ったことすらない店長のことがよぎったが、タカは無視を決めた。何ヶ月も店番を住み込みバイトの渡人とじんに預けっぱなしにしている店長が悪い。


 幼い赤ちゃんを育てている最中のお母さんが、赤ちゃんを夫と息子に預けてわざわざ謝りに来てくれたのだ。店をほったらかしにして、自分のほうが不在にしておいて、文句を言うような人が店長だったら嫌だ。その場合は、青行燈あおあんどんか保安官のジョーに頼んで、別の仕事を紹介してもらおう。


 それに今、タカはカウンターの焦げをサンドペーパーで磨いている。雑誌でしか見たことのない大人っぽいバーのカウンターのようにならないかと挑戦しているのだ。出来上がりがとても楽しみだ。


 ビニール傘の相棒も、あの一件で付喪神の先輩たちから一目置かれるようになった。人生万事塞翁が馬だ。全ていい感じに収まっている。


 タカが全く気にしていないことを、気にしてもらっていたことが、逆に申し訳なかった。

「本当にお気になさらないでください。店長には私からも伝えておきます」

「まぁ。本当にありがとうございます」

母ドラゴンの目に涙が浮かんだ。


 これはどうやら本格的に、この母ドラゴンは子育てに悩んでいるのかもしれない。タカは焦った。焦ったときは、年長者に頼りたくなるのが人の心理だ。炎といえば、タカには心当たりが一人、というか、一神様いた。


「あの、よろしければ、竈門の神様、うちにおられますんで。息子さんの炎のことか、相談なさいますか」

タカの苦し紛れの提案に、ドラゴンは驚いたらしい。パチパチと目を瞬き、涙が散った。

「竈門の神様、ですか」

「はい。人間は煮炊きをしますので。あの、声かけてみますね」


 竈門の神様は、いつも小野屋の竈門にいる。店の外に出られるのかどうかが疑問だが、タカが考えたって仕方ない。

「あの、竈門の神様」

「朝っぱらからどうした」


 こちらの世界に来てから、タカは火加減を竈門の神様に丸投げ、つまりは完全にお願いをしている。この上さらに図々しく相談するのかと思ったが、既に完全に頼っているのだ。母ドラゴンの子育て問題を、火の専門家に丸投げしても一緒だろう。

「あの、お願いがあるんですけど」


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