第6話 また別の黒歴史登場

「日暮れが早くなりましたね」

先程まで夕焼け色に染まっていた塗り壁の体は、闇に溶け込もうとしている。

「そうですねぇ」

ゆっくりとした穏やかな塗り壁の低い声は、静かになっていく夜の商店街にふさわしい。

「出勤早まって大変じゃないですか」

塗り壁は小野屋のシャッターを努めてくれている。こちらの世界では日の出と日暮れが町の住民たちの行動の基準だ。時刻を告げる鐘の音に、タカが驚いたのは最初だけだ。


「いや、それほどでもないですよ」

鬼火たちの柔らかい明かりが、暗くなった町を点々と照らし始めたときだ。


 凄まじい臭いが、タカの鼻を襲ってきた。

「何だぁ? 」

自慢じゃないが、タカは店や周辺を真面目に掃除している。そこら中に神様がいるのだから、おろそかになんて出来ない。どの神様に誓うのかはともかく、タカは神様に誓ってこんな生ゴミ臭くなるようないい加減な掃除はしていない。

「ありゃなんすかね」

ビニール傘の相棒が指した先には、黒尽くめの男が居た。タカより少し若く、彫りが深い顔立ちをしていて、背中になにか大きなものを背負っている。臭いは男の方向から漂ってきていた。

「人間? かな? 」

なにかが違うことに、タカが首を傾げた瞬間だ。


「人間だ! 」

何かを背負った生臭い男が、タカに向かって突進してきた。

「下がって! 」

塗り壁が男の進路を塞ぎ、ゴンッという鈍い痛そうな音がした。

「塗り壁さん、大丈夫ですか」

「何のこれしき」

頼もしい返事をした塗り壁の足元に、大きな箱を背負った男が倒れていた。


「なんだこいつ」

強烈に臭い以外、さっぱり何もかもがわからない。

「臭いっすね」

「臭いねぇ」

手長足長が無言で男の頭から水を掛けた。二人がかりで柄杓ひしゃく手桶ておけを駆使し、情け容赦なく次々と水を掛け続ける。


「何だこの箱」

タカは男が背負っていた箱をしげしげと眺めて腰を抜かした。

「棺桶だ」

「棺桶? これが棺桶っすか。随分へんてこな形っすねぇ」

ビニール傘の相棒がそう言いたくなるのもわからないではない。真っ黒で外国風の足元が狭まった棺桶だ。

「じゃ、こいつ、棺桶背負ってここまで来たんすか。変な奴っすねぇ。棺桶背負った奴なんて、あっしも聞いたことありませんよ」

外の騒ぎに気づいたのか、震々が店の窓から覗いている。

「どうするかな、これ。このまま放っておくわけにもいかないし。でも夕飯食べに行きたいし」

タカの頭の中で、常識と腹の虫が喧嘩する。

「こんな臭いやつ、猫又姐さんの店には連れていけませんよ」

「営業妨害だよな。でも、小野屋にも入れられないしなぁ。背負ってる棺桶にいれとくか」


「誰が入れるんすか」

冷静なビニール傘の相棒のツッコミに、タカは黙った。生臭いずぶ濡れの男に触りたい人間などいるだろうか。手長足長もタカと視線を合わせようとしない。あやかしも嫌なのだろう。

「このままにしとくってわけにもなぁ。鬼火さん、ちょっとこいつ照らしてください」

ふわふわと漂ってきた鬼火に照らされた顔を、タカはしげしげと眺めた。

「あれ」

口元が光っている。

「牙?」

全員の視線が、タカの口元に集まった。

「俺には牙はないよ」

タカがふと湧いた心当たりを確かめるために、倒れている男の頬を突いた。思っていた通り冷たい。

「吸血鬼だ。多分」

「キュウケツキ? 」

「多分だけどね。こいつ、日光にあたったら死んじゃうかも」

機械世界の伝奇小説に登場する吸血鬼たちは、たいていそんな感じだった。


「えぇぇぇぇぇぇ!」

全員の悲鳴に、男が目を開けた。

「人間! 」

「触んじゃねぇ!」

一声叫んでタカに抱きつこうとした男の頭にビニール傘の一閃が命中し、手長が男の襟首を掴み吊り上げた。足長の背丈も合わさるから、男はタカの頭上だ。

「うわー、うわー、暴力は止めてください。暴力は。僕は無害な吸血鬼です」

「何が無害だ。吸血鬼が無害なわけがないだろう。お前、血を吸うじゃないか」

タカは怒鳴った。

「話を聞いてくださぁぁぁぁぁぁい! 」

喚く男の声が鼓膜に痛い。


 どうすると言いたげな手長足長の視線がタカに向いた。

「降ろしていいけど、捕まえといてくれ」

「あー助かりましたぁ」

いつの間にか、小野屋の周囲には異変に気づいた鬼火たちが集まり、タカたちは煌々こうこうと照らされていた。


「僕、吸血鬼です。お店で働かせてください! 」

タカよりも若そうな男の口元では、鋭い牙が光っている。

「ここは夜には閉まるんだ。お前、吸血鬼なら夜行性だろうが」

お前は馬鹿かと言わなかった自分の成長をタカは実感した。

「ずっと夜だけなんてつまらない。僕は違うんだ。僕は父上みたいな当たり前の吸血鬼になんかなりたくない! 」

吸血鬼の言葉が、タカの胸をえぐった。反抗期の頃の自分が目の前にいる。聞いているタカの耳も心も痛い。一言一言が、タカの心に刺さってくる。


「お前な、当たり前ってだけで、十分立派なんだぞ! 」

タカの両親は、タカを育ててくれた。せっかく大学に通わせてくれたのに、勉強する意味や将来の夢を見失ったタカを責めないでいてくれた。二人とも未だに重症の厨二病だが、それでも親として当たり前のことをしてくれた。息子として何も返せないまま、タカはこちらの世界に来てしまった。心のどこかで八つ当たりだとわかっていたが、タカは怒鳴らずにおれなかった。


「あらまぁ、タカさん。良いことを言うじゃないの」

猫又姐さんの声がした。隣にいるのは保安官のジョーだ。

「お前、見慣れないがどこかから来た。この町には吸血鬼はいないはずだ」

さすが、保安官だけあって言葉の迫力が違う。

「おぉぉぉ、人間、痛! 」

残念ながら吸血鬼には、ジョーの気迫が通じなかったらしい。吸血鬼の頭には、手長の拳が命中していた。町で尊敬されている保安官のジョーに失礼を働いて、無事ですむ訳がない。


「若いの、ちょっと落ち着ちつきな」

ろくろ首が首を伸ばして、吐いた煙管きせるの煙を吸血鬼にまとわりつかせた。

「それにしても、お前さん臭いねぇ。少々いぶした程度ではどうにもなりゃしないじゃないか」

煙管の煙は、まるでそれ自体が意思があるように、吸血鬼にまとわりつく。あの煙管きせるも普通の煙管きせるではないのかもしれない。


「タカ、悪いがこの吸血鬼に着替えをやってくれないか。俺が立て替えとくよ。若いんだ。何かの仕事は出来るだろ。臭いがなんとかなったら、店で事情を聞こう」

「ジョーさん、あたいが半分もつよ。あんたにゃ世話になってるからね。このお馬鹿な若造のせいで、夜も働くんだ。ちょっとは礼くらいさせとくれ」

「ありがとう、ろくろ首」

ぽかんと呆けている吸血鬼をタカは睨んだ。

「お前な、こういうときは、二人にお礼を言うんだお礼を! 」

タカが苛立つのは、きっと吸血鬼の態度に反抗期の自分を思い出すからで、半ば八つ当たりだとわかっているだけ余計に腹が立つ。

「あ、ありがとうございます」

素直な吸血鬼に、タカは、怒り狂っていた自分が馬鹿らしくなった。


 反抗期相手にムキになったところで仕方ない。そもそも人の成長過程の一つで、誰にもある。やっぱり、タカは教員には向いていなかったのかも知れない。機械世界に置いてきたはずの悩みが、タカの心の中でまた芽を出した。悩んだところで、もうあちらには帰れないから意味はないのに。そもそも相手は吸血鬼だ。


 タカはこちらの世界で、小野屋の店員として生きているのだ。報酬をもらっている以上、仕事にはプロであるべきだ。


「吸血鬼の君、立ってくれるかな。身長で服選ぶから。浴衣で良いよね。もう夜だし」

「えぇっと、はい」

意外と素直に吸血鬼は立ち上がった。ほんの少しだけ相手を見上げることになったタカの頭に浮かんだのは、色々と問題児だが、本当は素直な良い子だという反抗期への定型文だ。あれは、本気で反抗期に向かっている人間だけが口にしていい言葉だ。吸血鬼の両親でも何でもないタカが言うことではない。


 おまけに相手は吸血鬼だ。人外だ。タカは、目の前の臭い男をどうやって着替えさせるかに頭を切り替えた。このままだと公衆の面前で裸にくことになる。

「あの、着替えさせるので」

「お、そうか」

タカの言葉に事情を察した町の住民たちが、三々五々散っていく。

「俺、気にしませんけど」

まだ住民たちが残っているのに、吸血鬼が服を脱ぎ始める。

「少しは気にしろ!」

タカが張り上げた声に、笑い声が沸き起こった。


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