第5話 小野屋と不思議

 小野屋の倉庫は、商品の在庫が積み上がっているだけだった。タカの目には、特徴のないただの倉庫にしか見えなかった。機械世界育ちのタカの当たり前が通用するなんて、絶対におかしい。


 積み上げられた商品は、タカに何ら情報を与えてくれなかった。


 考えたって仕方ないことは放置しておくしかない。このところタカは、工作に勤しんでいた。小人の店長のために作ったのぼり旗が大好評で、次々に注文が入っているのだ。お祝いごとなどで使うらしい。三桁の誕生日を祝うメッセージを清書していたときだ。


 引き戸が開いた。


 途端にかぐわしい香りがタカの鼻腔をくすぐった。

「お香? 」

伽羅きゃらっすかねぇ」

タカとビニール傘の相棒の言葉に、客が微笑んだのがわかった。


「いらっしゃいませ」

猫又姐さんで見慣れていたから、客だとわかったようなものだ。着物を着た狐がいた。無粋なタカでもわかる上等な着物だ。

「お邪魔するよ。一反木綿のところのお絹さんが、あそこは美人だが、一段と艶々になってねぇ。私もあやかりたいと思ったのは。ここのを使ってると、猫又からも聞いたものだから。ぼんは、タカさんといったかい。ちょっと私に見繕ってくれないかい」


「はい。勿論ですお客様」

狐の不思議な威厳に、タカの声がひっくり返った。ビニール傘の相棒は文字通りひっくり返っている。


「私は稲荷の使いだよ。そう畏まりなさんなって」

穏やかな口調の狐が九尾の狐ではないことに安心しかけたタカだが、別のことに気づいて慌てて背筋を伸ばした。稲荷といえば、お稲荷さん、タカの眼の前にいるのは、稲荷の神様のお使いだ。


 タカは、常に人様には礼儀正しくご挨拶をしましょうねと躾けてくれた母親に感謝した。ただ、母親がその言葉をスーパーで周囲に聞こえるように、特に店員相手に怒鳴り散らす迷惑客の耳に届くように言っていたことを、幼かった頃から今までタカは忘れたことはない。自称永遠の乙女心の持ち主は、常に強気だった。


「あの、お客様のお召し物を洗うのでしょうか」

「いや、体を洗うものが欲しくてね。猫又姐さんも随分とふわふわだったじゃないかい」

タカは首を傾げた。

「お客様はすでに艶々でふわふわでいらっしゃるようにお見受けしますが」

「おやまぁ、随分とお上手なこと。若いのに大したもんだねぇ」

稲荷の神様のお使い狐が動く度に、衣からふんわりとお香の香りが漂う。流石は神様のお使い、無茶苦茶上品だ。恐れ多い気持ちとはこういうことか。

「猫又姐さんはこちらのシャンプーとトリートメントをお使いです。あとは毛並みを整えるには、こういった櫛で梳かすのも大切かと思います」

シャンプーもトリートメントもタカが見慣れた化粧品メーカーの商品だ。やっぱりこの店は変だ。


「試しにこれで梳いてみても良いかい」

「どうぞ」

タカの目の前で、稲荷の神様のお使い狐がゆっくりと櫛で毛皮を撫でた。優雅な手付きに思わず見惚れてしまう。


 髪は女の命ってのは大げさだと思うのよね。でも、こうしたらほら、綺麗になるでしょうと言いながら、母はいつも長い髪の毛を丁寧に梳いていた。


 稲荷の神様のお使い狐は、シャンプーとトリートメントと櫛をお買い上げになった。

「ありがとうね、タカさん。店長によろしく言っといておくれ」

「ありがとうございました。店長には伝えます」


 返事をしたタカだが、まだ店長に会ったことがない。渡人局の青行燈に、タカにピッタリの仕事の求人だからと紹介されたからここにいるだけだ。たしか青行灯は、店長は仕入れて長期不在だと言っていたはずだ。


「ってことはこれの謎は、店長が知っているってことか」

タカは棚の商品を睨んだ。どこからどう見てもタカが元いた機械世界のドラッグストアと同じ商品が並んでいる。


「店長がいつ帰ってくるか知ってる? 」

タカの問いに手長足長も震々も首を振った。

「住み込みの店員に任せきりでいいのか」

見ず知らずのタカに店を任せきりというより、そもそも店長はタカという店員がここで働いていることすら知らないかも知れないのだ。店長が帰ってくるなり追い出されるかもしれない。


「良いんじゃないっすか? 」

タカの心配を、ビニール傘の相棒は軽く笑い飛ばした。

「だって、お客さんたち喜んでくれてるじゃないっすか」

タカよりも古参の店員である手長足長と震々も頷いている。

「そっか」

タカもこの店のこの世界の一員なのだ。そう思えて嬉しかった。


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