第3話 町の居酒屋

「若造も随分と気張きばったもんだね。いやはやこれはどうしててぇしたもんだ。よくやった」

番傘の親分が上機嫌でくるりと回る。

「ありがとうございやす。親分にそうおっしゃっていただけて、これほど嬉しいことはございやせん」

ビニール傘の相棒は、感無量と言わんばかりに震えている。


 感動的な光景だが、どうにもこうにも付喪神たちが使っている言葉のせいか、タカには小道具が喋る時代劇でも始まったかのように見えてしまう。

「あんたも若いのに頑張ったね! これ、お店からのお祝いだよ」

居酒屋の女将、猫又姐さんが枝豆を持ってきてくれた。

「ありがとう猫又姐さん」

「で、あなたもお祝いあるんでしょ。タカさん」

猫又姉さんが、タカを促すウィンクをくれた。


 付喪神たちの勢いに押されていたタカが、卓の上に置いたのは烏天狗にもらった大徳利だ。

「せっかくなので、お祝いです。一緒に飲みませんか。もらったばかりなんですけど、烏天狗の酒です」

「おぉ、タカ、やるじゃねぇか。お前、烏天狗から酒を礼にもらうだなんて、そんじょそこらの小僧にゃ出来ないこったよ」

「お、待ってました」

「いよっ、兄ちゃん気前が良いねぇ」

「若いの、よくやったな。渡人の兄ちゃんに、負けちゃぁおれん。俺からも祝いだ。ツマミを皆で食おうじゃないか。ジョーさん、品書き見せとくれよ」

番傘の親分の声に、あちこちから声が重なる。お祝いは皆で祝うのがこの世界の流儀だと、タカも覚えた。タカは、この皆が仲間だと言わんばかりの雰囲気が好きだ。


「さっきからお燗をしてあったのよ」

化け猫姉さんが銚釐ちろりから、各自のお猪口に酒を注いでいく。

「ほら、乾杯だ」

あちこちの卓からいろんな腕が伸びてくる。

「よくやった、若造。お前も一人前だな、乾杯だ」

てぇしたもんだ。お前の度胸に乾杯だ」

連呼される乾杯に、ビニール傘の相棒とタカはお礼を言って回った。


 お客の姿は様々だ。この世界はありとあらゆる幻想世界の住人たちが生きている。日本で生まれ育ったタカは、八百万の神々という言葉を聞いたことはある。妖怪も知らないわけじゃない。この町には本当に色々な人たちが溢れていて、誰が人なのか神なのか妖怪なのか、タカにはよくわからない。


 居酒屋で酒を飲むことを、タカはこの世界に来てから覚えた。タカが一番一緒に酒を飲みたかった人の姿は、楽しそうに仲間と話しながら飲んでいる人たちの中にはない。


 父親ともっとたくさん話しておいたらよかった。

「やっとお前と飲めるようになったな」

嬉しそうだった父親を思い出す。結局タカは、一度しか父親と酒を飲めなかった。

「お前も大人になったし、俺の仕事を手伝ってみないか。夏休みだしな」

そう言われて、少し嬉しかった。


 父親は、タカが物心付く前から単身赴任で、タカはほとんど母親に育てられたようなものだ。タカは、偶に帰ってくる父親が得意ではなく、何を話してよいかなんて分からなかった。社会人なのにタカよりも重症の厨二病患者である父親と自分の厨二病を永遠の乙女心と言い換えていた母親は、本当に仲が良かった。家族で最初に厨二病を捨てたのがタカだった。そのタカが厨二病を煮詰めたような世界で、店員をやっているのだから、人生はわからないものだ。


 酒を飲めるようになって父親ともう少し仲良くなれるかと思っていたのに、もうそれがないと思うと寂しい。小野篁おののたかむらのように自在に行き来が出来たら、厨二病患者の両親にこちらの世界の話を聞かせたいけれど、タカは小野篁おののたかむらではない。

「どうした」

タカの隣に、大柄な男が腰を降ろした。昼間は保安官として町を見回っているジョーは、タカと同じ渡人とじんだ。


「ジョーさん」

元は特殊部隊員だったジョーの首は、頭より太いんじゃないかというくらいに立派だ。ジョーの太腿に比べたら、タカのそれは細腿だ。ジョーの腕とタカの細腿のどちらが勝るかを、タカは考えないようにしている。

「ホームシックか」

ジョーは、タカよりもずっと前からこの町に暮らしている。タカがこの町の人たちに受け入れてもらえたのは、町の人たちから尊敬されている保安官のジョーのおかげだろう。


「はい」

タカを優しく気遣ってくれるジョーは、羨ましいことにこの居酒屋の猫又姐さんの旦那でもある。

「ま、来たばっかりの頃より慣れたんじゃないか」

「そうよねぇ。立派なもんよ。まだ来て一月も経ってないのよ」

ジョーの隣に猫又姐さんが座る。客の注文が一段落したらしい。

「タカは機械世界に家族がいるしなぁ。思い入れがある奴が居ないおれとは、違うだろうな」

ジョーの太い腕が、猫又姐さんの肩を抱いている。

「適性がありゃ、行ったり来たりも自由自在らしいけどな。俺の先祖はネイティブアメリカンのシャーマンだって曾祖母ひいばあさんが言ってたから、先祖は出来たかも知れねぇけど、俺はただの元軍人だし、タカは学生だし。手紙は送ったか」

「はい」

一度だけなら手紙を送れると、渡人局の青行灯あおあんどんに言われて、タカは両親に無事を知らせる手紙を書いた。

「返事が来ねぇってのが、タカみたいなヤツには辛いよな。俺は両親は戦死だし、弟も妹も成人してるから心配ねぇし、ここに来る直前は色々無茶苦茶だったし、帰る気なんてねぇし」

「色々無茶苦茶って何ですか」


 タカも初めて聞くジョーの身の上話だ。

「あれ、俺言ってなかったっけ。まぁ、戦争行って帰ってきたら、婚約してた女が別人と結婚してたってやつよ」

大口を開けて笑うジョーの頬を、居酒屋の猫又姐さんが軽く叩いた。

「だめよ、自分を大切にしなきゃ」

「ありがとな」

きっと色々あったはずのジョーの無骨な頬に笑みが浮かぶ。


 本当にジョーの先祖がシャーマンなら、色々無茶苦茶だったジョーを心配してこちらに連れてきたのかもしれない。今のジョーを見て、ジョーの先祖は満足しているだろう。


 タカはどうしてこちらに来たのだろう。ジョーほどではないが悩みはあった。目標を失って、将来に迷っていたが、自分で色々無茶苦茶だったと言うジョーほどの絶望にあったわけじゃない。


 口に含んだ天狗の酒の甘い香りがタカの鼻腔を満たした。酒をほとんどたしなんだことのないタカだが、この酒が本当に上質なものだということくらいはわかる。せっかくだから、父親とこの酒を飲んでみたかった。仲良く晩酌する厨二病両親の酒飲仲間になれるはずだったのに。


 神社の鐘の音が響いた。

「ほら、遅くなる前に店を閉めるぞ」

ジョーの野太い声に、客たちがあれこれ言いながら三々五々腰を上げていく。

「ほら、帰るぞ」

タカは、すっかり酒で出来上がっているビニール傘の持ち手を腕に引っ掛けた。入り口を照らす鬼火に礼を言うと小野屋に向かう。


 町を照らすのは、満天の星空と月だけではない。町を漂う鬼火や蛍火たちが、道を歩くタカの足元を照らしてくれる。

「ありがとう。ここまでで良いです」

この町に来てすぐのころは、タカも最初は足元にただよう炎に驚いて叫んだ。今は、夜の町を見回ってくれているあやかしたちに感謝している。一介の店員だが、自分が働く小野屋が強盗に襲われる心配がないのは、とても心強い。


「いつもありがとうございます」

「おかえりなさい。あとは私の仕事だから、ゆっくりお休み」

シャッターがない小野屋の入り口を守るのは塗り壁だ。お礼のお酒とおつまみをいつもの場所において、タカは小野屋の裏手にある自分の部屋に戻った。


 畳に布団の生活だ。フローリングにベッドの家で育ったタカも最初はとまどったが、結局毎日熟睡している。

「酒を飲んだら、水もちゃんと飲んでおくんだよ」

「はい」

竈門かまどの神様の声に、タカは柄杓ひしゃくを手に取った。

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