第17章:カン砦の事情
第1話:百年前の記憶
「――あの左手に見えるのがカン砦だね」
魔女様が指さした方向には、石造りの大きな建造物があった。
二階建てと形容すれば良いのか……一階部分はがっしりとした円錐台でこちらは完全に石造りで、二階部分は殆ど木造の平屋というか掘っ立て小屋だった。
作り掛け、もしくは建造中に石材が足りなくなってしまった様な砦だ。
「カン砦の周囲に小屋が乱立してますね。人影も結構見えるし、住居っぽいですけど。砦の周りに人が集まって集落化してる感じですか?」
「元々はサイカ宿みたいな感じだったんだよ。そこに森林戦争を始めた頃くらいに砦を建造した感じだったと思う。私がこの地方に来た頃にはあったと思うけど、百年くらい前のことは結構記憶が曖昧なんだよ」
おれたちがサイカ宿から歩いて来た道は南北に延びており、南から来た場合はカン砦とそれに隣接した集落は左手側にあった。
道の右手側には畑が広がって見えるので、住民らが農作業に従事しているのだろう。
砦の方から伸びている堀なのか用水路なのか、これは土を掘っただけでは無く
夕闇の中では分かり難いが石樋を流れる水は中には小魚が泳いでいた。
清水かどうかはさて置き透明度は高そうだ。
「そう言えば、ここってルードアン辺境伯領なんですよね?」
「ああ、カン砦とトク砦はルードアン辺境伯領だよ。一応オークの森も私の領地に含まれるんだけどね。今はイリース川より北側は王家が代行統治をしてるはず」
「ってことは、もしかして今からカン砦に乗り込んで支配権の移譲を迫る気ですか?」
「いやいや、その下調べをさ、ドナルドに任せてるんだよ。カン砦を指揮してるヤツが、ドナルドとは旧知の仲らしくてね。もしかしたら口説き落とせるかもって進言して来たから」
その進言通りにドナルドがカン砦の指揮官を引き抜いてくれば……早くも拠点を得る事になるのか。
しかし魔女様の意向でトリス街に攻撃を仕掛け無いのであれば、この小さな砦一つで挙兵しても余り意味が無い様に思える。
当面一番重要な問題は、トリス街の支配権が魔女様に戻るのが何時になるのか。
近々であればトリス街の支配が正常化した後にカン砦とトク砦を抑えて、それからオークの森を攻略するのが一番良い道筋だと思うのだ。
この件に関しては、近々で魔女様やドナルドと意見交換をしておきたい。
荷馬車がカン砦に近づくと、おれたちの事を見てあからさまに驚き道を開けてくれた。
「あははは、ザーフィラの顔が怖いからみんな道を譲ってくれるね」
魔女様は上機嫌で高笑いを上げていたが、人々の視線は操縦席では無くおれや魔女様へと向けられていた。
「何を馬鹿な事を。私はカン砦には月に一度は来てるから珍しくもなんともないよ。平然とした顔で森の民とササラ人がやって来たから、みんな驚いてんのさ」
ザーフィラは呆れ声でそう言い、荷馬車を道の端へ停めた。
すぐに近くの小屋から襤褸を身に纏った老人が出て来てザーフィラと何やら交渉をしている。
「おれや魔女様は顔が売れるまでは、何処に行ってもこんな感じで驚かれますよね、おそらく……」
「私もこの辺には百年近く住んでるけど、二十年間も留守にしてたからね。顔馴染みも多くは死んでしまってるだろうし、人脈作りも殆ど一からやり直しという事になるよ」
話しながらおれたちはソフィア嬢の乗る荷台へと近づいた。
彼女は先刻派手に寝惚けてから暫く恥ずかしそうに下を向いて口を閉ざしていたが、漸くこちらへ顔を向けてくれた。
「あの、魔女様ありがとうございました。荷台を譲ってもらって」
ソフィアはそう言うと荷台の上に立ち上がり、そのまま地面へと飛び降りた。
魔女様の様な優雅さは無かったが、アクション俳優の様な勇ましさがあった。
「ああ、別に構わないよ。それよりソフィア?アンタさ、この砦に知り合いはいるかい?」
ソフィアが会話の輪に入り、おれたちは荷台の後ろで三人顔を突き合わせて話す事にした。
「はい、砦の王国軍の人たちは大体知り合いです。いつも使ってる宿の女将さんも顔馴染みですね」
「ふうん、じゃあカン砦の城砦隊長も知ってるんだ?」
「ええ、城砦隊長はグレッグ・アスカムと言う名です。騎士家の出で領地はトリス街の南方域にある荘園とか農村って言ってた様な記憶がありますけど……」
ソフィアは記憶を辿りつつ話している感じだった。
この砦にはたまに顔を出す程度と言っていたので、それ程深い仲では無さそうだ。
「トリス街の南方の出と言う事は、魔女様の領地にある騎士家の出身って事ですよね?」
おれが黙っていても二人で話を進めてくれそうだが、疑問点が出たらすぐに質問し無いと分からない事ばかりで身動きが取れなくなってしまう。
「いや、アスカム家ってさ、聞き覚えがあるんだよ。結構古豪でこの辺りじゃ有力な騎士家だった様な気がする」
「騎士って領主に対して剣を捧げて忠誠を誓う人たちですよね?って事はアスカム家出身の騎士は魔女様に剣を捧げる……本来ならば、ですけど」
魔女様不在の空白の二十年はまず剣を捧げられないし、代行統治させて放置状態であった時も騎士と領主の関係性を構築して無い可能性が高い。
「なんかさあ、今になって少し後悔してるよ。師匠から当主を引き継いだ時に騎士家のヤツらが押し寄せて来てさ、剣を捧げるだの忠誠がどうのと騒ぎ立てるから片っ端から追い返してしまったんだよ、あの頃の私さあ……」
自信家の魔女様もこの時ばかりは過去の自身の行いに、げんなりとした表情を浮かべていた。
過去の騎士家の者たち……魔女様から追い払われたのが百年前なので普通の人間は生きて無い筈だが、しかし酷い仕打ちを受けた記憶はしっかりと受け継がれている様な気がする。
「その……騎士の役割って、荘園とか領地を領主に成り代わり統治して、戦争となれば兵士を率いて戦う人と言う認識で良いですか?」
要するに国家を運営する上では縁の下の力持ちであり、戦場では花形で今の時代背景を考えると無くてはならない存在だ。
有能な騎士を多く抱えてる国や組織が、他国を制すると言っても過言無いと思う。
「イセリアの国々は騎士がいないとまともに回らないよ。トリス街みたいな大きな街は行政を官吏が司っているけどさ、地方の荘園、集落、農村は騎士家が管理運営を担ってるから……例えば私がトリス街の支配権を取り戻したとしても、騎士家が味方についてくれなければ、税も兵も集められずにあっと言う間に破綻して亡国になるって話だね」
「あの、失礼を承知で尋ねますけど、そんな大切な事を今思い出したんですか?」
「だからさっきも言っただろ?私は百年くらい前の記憶は曖昧だって。しっかりと鮮明に記憶が残ってるのは六十年前くらいからなんだよ。百年前の記憶なんてさ、こうして問題と向き合ってみてさ、初めて断片的に記憶が蘇るみたいな感じだから……」
こう言う事で嘘をつくタイプでは無さそうだから、この件に関しては彼女を責めても仕方無い。
「では、カン砦の城砦隊長も過去の魔女様の行いに関して、怒りを抱いているかも知れないって事ですね。アスカム家が古豪の騎士家であれば尚のこと恨みが強い可能性もある」
「騎士家百年の恨みか。けどさ?この件に関して、今更私が詫びを入れたり頭を下げて解決する問題なのかね?そもそも百年前の怒りが世代を超えて今も尚継続するのか?って聞きたいんだけど、私が言ってる意味分かるかな?」
百年前の記憶が曖昧な魔女様は、罪の意識は疎か後悔の念も薄いと思う。
「仰りたい意味は理解出来てると思います。おれとしては……例え百年もの間怒りや恨みが継続していたとしても、魔女様が頭を下げる必要は無いと思います。百年前に騎士家であり今も尚同じ地位にあるのであれば、剣を捧げる先を魔女様から他の領主へ移した事になるで。それに……よくよく考えてみると、他の領主から金を貰いつつ百年経た今も魔女様に対し恨みを抱き続けてる騎士家なんて、相手にしなくて良い様な気もしますしね」
魔女様の領内に怒り心頭の騎士家が大多数となれば、その時は改めてこの問題と向き合う必要はあると思う。
しかし、現実的にその様な騎士家は殆ど無いのでは?と言うのがおれの見解だった。
家族を殺されたとか領地から追放されたとかでは無く、小娘からあしらわれ恥をかいた程度の怒りが百年間も続くなよ……と思わざるを得ない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます