第7話:イリース川を南から北へ
店を出る前のひと時。
ザーフィラはソフィアの大荷物を運ぶために右手で掴み上げようとしたが、重すぎて片手では上がらなかった。
「おいおい、この馬鹿力クソイセリア女はこんな重い荷物を背負って来たってのかい?」
酷い言い様だったが感心はしてるみたいで、今度は両手で掴み腰を下ろして抱え上げていた。
「これを集落からここまで背負って歩くのは……流石に私でも無理だ。この馬鹿力でノーム古式流をガキの頃から叩き込まれてるって言うんだから、強い筈だよ」
ぶつくさと文句を言いつつもザーフィラは大荷物を外へ運び出し、荷台の上へと運んでくれた。
そうなると酔い潰れたソフィアはおれが運ぶしか無いと思い、声を掛けてみるが全く反応は無かった。
意識の無い若い女性の身体に無断で触れるのは些か気が引けてしまうが、ここはひとつ男を見せる所だと思い、お姫様抱っこをしようとしたが……ソフィアを抱え上げる事が出来なかった。
それを見て魔女様はゲラゲラと笑うだけで手伝ってくれる様子は無い。
しかしこれは流石に非力すぎやしないか?と思うのだ。
ソフィアはしっかりとした骨格で身体も鍛えてあるから一般的な女性よりも重いかも知れないが、しかしそれでも六十キロ、七十キロとある様には見えない。
元居た世界でジムに通ったり家で筋トレをしていた訳では無かったが、ここまで非力でひ弱では無かった、はず。
それから結局、大荷物を置いて戻って来たザーフィラがおれを押し退けて、ソフィアを軽々と抱え上げ荷台へと運んでしまった。
男らしさを見せようとした結果地獄級のみっともなさを味わい、異世界に来てから一番の辛酸を舐めることに……。
些細ではあったがこの経験は、時間が出来たら真剣に身体を鍛えよう!と心に決めた瞬間で、改めてこの世界に生きる女性たちの逞しさを思い知った瞬間でもあった。
その後店から出ると、領軍兵のロッキは荷馬車から離れずにしっかりと見張り番をしてくれていた。
酔い潰れてるソフィアや荷物を覗き見る者たちがいたが、彼は誰か近づく者あらばすぐに大声を出して追い払っていた。
魔女様の声掛け一つで地元の若者が協力してくれる事実は、どれ程有難く感じ力強く感じた事か。
「――すまないね、ロッキ。アンタのお陰でゆっくり食事を取る事が出来たよ。これは荷馬車の見張り代として受け取っておくれ」
魔女様はそう告げると、彼が断わりの態度を示す前に押し付けてしまった。
受け取ってしまった金貨一枚を見てロッキは「これは頂きすぎです!」と、驚きの声を上げていた。
「いいよ、取っておきなよ。生憎私は金貨しか持って無いからさ、それしかアンタにあげれる物が無いんだ。貰い過ぎだと思うなら、独り占めせずに仲間や親族に酒やメシを奢ってやればいいさ」
嫌味なく、当然恩着せがましさなど微塵もなく、恐らくは下心もなく魔女様は若者をたらし込んでしまう。
ギフトや能力値の効果もあると思うが、それ以前に彼女は人たらしの才能を有しているのだろう。
「あの……そのう、魔女様がそう仰られるのなら、有難く頂戴しておきます」
ロッキはそう言い頭を下げ、頂いた金貨を大切に両手で包み込む様に握り締めていた。
「ところでロッキ?アンタはいつまでこの宿の警護をしてるんだい?」
魔女様の問い掛けに対しロッキは全く困る様子を見せない。
既に領軍兵たる自覚は無く、魔女様麾下の兵士の様にも見える。
彼からはドッズやギルに似た、魔女様に対する強い信仰心を感じた。
「本来なら三日程すれば交代の者がトリス街から来るのですが、今回はどうなるか分かりません」
「当分ここに滞在する可能性があるということだね。じゃあさ、私らの動向を探るヤツらとかが来た時は、嘘は言わずに川を渡ってカン砦へ向かったと言っておくれ。領軍のヤツらならまだしも、ヴァース教の異端審問官とか面倒臭いのに嘘がバレたら、アンタだけじゃなくて親兄弟も一緒に縛り首に処されるかもしれないからね」
重苦しい雰囲気では無かったが、ここでロッキの表情に緊張感が奔って見えた。
魔女様にしても過去の経験から、異端審問官がヤバい奴らだと認識してるのは確かだ。
「わ、分かりました。そう言う奴らが来たら正直に話します」
「心配しなくても、そんなヤツらに襲われても私はやられないから。むしろ陰に隠れて嗅ぎ回られるよりも、向かって来てくれるヤツらを相手にしてる方が分かり易くて楽だからね――」
ロッキと別れ川の桟橋へ向かうと、馬車用の大きなイカダが用意されてあった。
船頭だけでは無くて、川に浸かり手でイカダを支えている半裸の男たちも五名ほどいた。
イリース川の川幅は三十か四十メートルほどはあるだろうか。
かなりの大河で水量も豊富だ。
川の流れはゆったりとして見えるが、スケールが大きいので侮る気にはならない。
「あの、魔女様?かなり水深がありそうですけど、水の中に魔獣が潜んでるとかリザードマンみたいな亜人がいるとかあったりします?」
既にイカダに乗り込んでいるので、時すでに遅しだが衝動的に尋ねてしまった。
「山奥の上流域ならまだしも、この辺りで魔獣が出るって話は聞いた事が無いよ。リザードマンが棲息してるのはもっと南方の方だしさ。アレはそれこそササラの領域に行けばうじゃうじゃといる。あのトカゲ共は他の亜人種に比べ生態が特殊だし凶暴で厄介なヤツらだけど、この地方の冬の寒さには耐えられないんだよ。冬に雪が降る様な地方では見た事が無いからね」
「では、この辺りに魔獣がいない理由はあるんですか?」
「それはさ、先人たちのお陰ってヤツだよ。イリース川中流域の活用はこの地方で暮らすイセリア人にとって生命線だからね、それこそ死に物狂いで川に棲む魔獣や凶悪な生物を狩り捲ったって伝承にある。それにさ、もし何かしらがいたとしても私の魔力感知の網に引っ掛からない筈が無いから。この近隣に魔獣はいないと断言出来るよ」
臆病なおれはその言葉を聞いて漸く心の騒めきを治める事が出来た。
そして弱いし臆病だからこそ、高精度な魔力感知能力が必要だと思い知ってしまう。
【不朽不滅】であり、現代最強とされる魔女様と一緒だから集落の外へ出て旅が出来ているが、本来であればおれみたいな奴が旅に出るなんてちゃんちゃら可笑しい話なのだと、イリース川の川面を眺めつつ理解するに至った。
イカダが桟橋から離れると、更に三名の男が桟橋から川に飛び込んだ。
年老いた船頭は長い棒で上手く舵を取り、川に入った男たちが人力でイカダを対岸へと押してゆく。
半端ないマンパワーぶりに、おれはいつの間にか手に汗握っていた。
そして川の半ばに差し掛かる頃に、魔女様はパチリと指を鳴らした。
すると目に見えてイカダの推進力が増したのだ。
「今、イカダを押してくれてる男たちの筋力と精神力を、魔法で向上させた」と魔女様。
「ああ、それで推進力が上がったんですね。なるほど、そう言う使い方もあるのか……」
「魔法使いはね、至る所でそう言う悪戯をするんだよ。馬車を引く馬とか農耕でつかう家畜とかにも使ったりする。まあでも結局さ、精霊魔法による能力の向上ってのは、施術される対象の能力の前借りでしかないからね。リョウスケもいつかその手の魔法を使う時が来るだろうから、それは頭に入れておいた方がいい」
確か治癒魔法も同じ原理だった筈だ。
要するに精霊魔法では、無い物を新たに産み出す事は出来ない。
「能力の前借りで一時的に能力値が向上するだけで、その後は疲労感が伴うって事ですよね?」
「そう言うこと。優秀な魔法使いってのはさ、その前借り具合のさじ加減が絶妙なんだよ。この後の戦闘に大きな影響を及ぼさない程度の能力上昇を、いかに効率的に時機を見計らって出来るかどうか。魔力量とか魔力操作だけじゃなくてさ、状況判断力が重要になってくる。だからさ、天啓の石板の測定結果が全てでは無いって事も覚えておいて欲しい。あれは便利な道具だけどさ、能力値は正確に測定出来ても個人の経験までは測れないからね――」
唐突に始まった極々短い魔法の授業だが、分かり易く納得のいくお話だった。
今後もその時々で実演を踏まえて講義をしてくれるのなら、最高の師匠に弟子入りする事が出来たと思わざるを得ない。
このままもっと魔法の授業を……と思ったが、バフの効いた男たちの頑張りで早くも対岸の桟橋へと到着してしまった。
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