第16章:いざ、カン砦へ

第1話:二度目の出立

ベッドから起き抜けに魔女様と顔を合わせた時は、気不味さやよそよそしさは寸分も無くて。

かと言って過度にいちゃついて来たり、親密な雰囲気を醸し出す事も無い。

昨晩の夜伽がまるで夢だったかの様な変化の無さだった。

全裸で寝ていたしまだ微かに体感は残っているが、もしかしたら魔法でそう言う夢を見させられていたのかも知れない?……と真剣に思い悩めるほどだった。

しかしまさか魔女様に対して「昨日、おれとキミは、パンパンしちゃったよね?」と聞く訳にもゆかず、どっちつかずな心持ちでおれの異世界生活五日目は始まった。


まだ夜の面影が残る早朝。

烏の行水を終え、濡髪のままバタバタと身支度を済ませて集落の入口へと馳せ参じる。

すでに荷馬車の周りには人だかりが出来ていた。

操縦席にはザーフィラが着き、荷台には宝物庫から引き揚げたお宝が積載してあり魔女様も乗車していた。

魔女様は仄かに赤いローブを身に纏い目深にフードを被ったままザーフィラと談笑している。

その荷馬車の周りを集落の人々が取り囲んでいた。

集落長夫妻とノーマ、ドッズとギルとコール、薬屋のマイルズとその妹レイラ……そして昨日は波乱万丈な一日を送る事となった宮廷魔法使いサイラス。

その場へおれよりも少し遅れてソフィアとロッタ少年がやって来た。

朝に弱そうなソフィアはまだ眠気眼だったが……見るからに旅の装いで、背中にはパンパンに荷物を詰め込んだ大きなザックを背負い、その上からローブを羽織っていた。

彼女はロッタ少年を伴い、おれの傍へと歩み寄って来た。


「――おはようソフィア、ロッタ」

先んじて挨拶をすると、まずソフィがカスカスの声で「おはよ……」と呟き、それに続いてロッタが「おはようございます!」と元気な声を上げた。

「その様子を見る限り、ソフィアはおれに同行してくれるって事かな?ロッタは集落に残って薬師の仕事を務められそうかい?」

おれとしてもこの少年とは昨日の内に言葉を交わしておきたかったが、何分色々とイベントが有り過ぎて時間が作れなかった。

大人として言い訳はみっとも無く思うが……。

「はい!突然で驚いたのですが、ドッズやマイルズに助けて貰えば僕でも大丈夫だと思うのです!」

少年は朝から元気一杯だった。

尊敬するソフィア姉様から大役を任せられて希望とヤル気に満ち溢れて見える。

可愛らしい従弟の様子を見てソフィアは頬を緩めていた。

「トリス街の薬師ギルドから月に一度はこの辺りの集落を回って貰う依頼をするわ。その代わり私もギルドから仕事の依頼を受ける事になるけどね」

出立の時を迎え、彼女は漸く目覚めてくれた様だ。

まだ声はカスカスとしていたが、その表情には明るさと強さが宿っていた。


おれたちの談笑が耳に入ったのか魔女様は荷台から声を掛けて来た。

「――おや?ソフィアも私たちに同行するのかい?」

その声を聞きソフィアは荷台へと歩み寄った。

そして魔女様に対し「私は父ライザールの下で幼少の頃より神聖魔法と格闘術を教わりました。護衛役や荷物持ちで役に立ちますので、魔女様の旅に同行の許可を頂きたく参じた次第です――」と力強い口調で告げ、僅かに頭垂れた。

ソフィアからの申し入れを受け魔女様は被っていたフードを取った。

口許には笑みを湛え如何にも上機嫌そうな表情だ。

「私の旅に同行するという事は、私の仲間となりサリィズ王国と喧嘩をするって事だけど、承知してるのかい?」

「はい、承知してます。誰かと喧嘩をするなら尚更私を召し抱えるべきだと進言いたします。私は子供の頃から殴り合いの喧嘩では、生まれてこの方負けた事がありません。そこに居るウリヤの女戦士が相手でも負ける事は無いでしょう!」

ソフィアの分かり易い煽り文句を真に受けた受けたザーフィラは、勢いよく操縦席に立ち上がり「おい、ソフィア!生意気なイセリアの女よ!この場でどちらが強いか分からせてやる、掛かって来いっ!」と朝っぱらか鬼の形相を浮かべていた。

今までこの二人が絡んでる所は見た事無いが、想像以上に最悪な相性の様だ。


この様子を見ていた集落の人々は……皆一様に困り顔で、魔女様だけ嬉々とした表情を浮かべていた。

「あははは、いいね、いいね!私はそういうノリは嫌いじゃあ無いよ。それじゃあ……カン砦に着いたらみんなで殴り合いの喧嘩をしようか。私もウリヤにいた頃に格闘術は習ってるし、ササラでも面白い技を覚えたから腕に自信はあるんだよ。だから、今は一旦落ち着いておくれ」

魔女様はそう言うと指をパチリと鳴らした。

小さな音だったし、そのさり気ない行為は角度的におれにしか見えて無かったと思う。

何かしら魔法を使った瞬間だった……恐らくは昂った気持ちを抑える様な。

それを証拠に今にも襲い掛かって来そうだったザーフィラだったが「ちっ、仕方ない。ソフィア?カン砦に着いてから詫びを入れても許さないからな!」と吠えた後は大人しく操縦席に着いた。

ソフィアの方も「喧嘩の後にどちらが詫びを入れる事になるのか、今から楽しみだわ!」と相変わらずの強気を見せるが、その後は煽る事無く大人しくなってしまった。

これを目の当たりにしてしまうと魔女様の凄さを実感してしまうし、改めてヤバい人に弟子入りしてしまったと思い至る。


「さて、二人とも落ち着いたみたいだし、そろそろ出るかな。皆、朝早くから見送りありがとう。またその内直ぐに顔を見せるけど、当分はトリス街に滞在してるから何か用がある時は街まで来ておくれ。すまないがリョウスケとソフィアは徒歩で頼む。これ以上荷台に積載すると馬の足に負担が掛かって、カン砦に到着するのが遅くなるだけだからさ。ソフィアの荷物くらいなら載せれるけど、どうする?」

魔女様の問い掛けに対しソフィアは「大丈夫です、魔女様。私は力持ちなので」と返答していた。

まだ若干魔女様の魔法が効いているみたいで、声質は普段通りだが棒読みの様な口調だった。

「その荷物で旅が出来るとは恐れ入るよ。疲れたらいつでも声を掛けておくれ。じゃあ、ザーフィラ?馬車を出しておくれ」

そしてザーフィラの方もまだ魔法が効いたままなのだと思う。

彼女は特に反応を示す事無く、馬車を走らせ始めた。

おれは歩き出す前に集落の皆の方へ振り返り「ありがとう!行って来ます!」と声を上げた。

この世界に来てから二度目の、最初の集落からの出立なので初回の様な感動は無かったが、それでも見送りに来てくれた皆の気持ちは嬉しかった。


それぞれと簡単な挨拶を終えてから走り出した荷馬車を追い掛ける。

その速度は普通に歩くのと同じくらいで、すぐに追いつく事が出来た。

その頃には操縦席のザーフィラと荷台の魔女様は談笑をしており、ソフィアはおれが隣りに並ぶと「いい天気で良かったわね、今はまだ日中も涼しいから旅がしやすいし」と普段通りの口調で話し掛けてくれた。

要するに、すでに魔女様の魔法の効果は消えてしまったという事なのだろう。

時間制限があるのか、おれが離れている間に魔法の効果を消す魔法を使ったのか。

他者の感情をこんなにも簡単にコントロール出来てしまうのは恐ろしいと感じたし、弟子であるおれもその内使える様になるのか?と思うと……おれ自身は晴れて魔法使いとなった時にどの様になっているのか、今はまだ想像もつかなかった。

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