第2話:また、いつか、必ず

ルーファス宅を出ると、外には眠気眼のソフィアが待っていた。

季節柄まだ早朝は寒いからか、彼女は薬師のローブに頭と身体を包み込んでいる。

「――ああ、リョウスケの為に昨日襤褸ぼろを探してたのね。確かに、その恰好で俯いていると奴隷か罪人を移送してる様に見えるかも。まさか偉大な聖人と同じギフトを所有してる人だとは、誰も思わないでしょうね」

ソフィアから太鼓判を頂戴したが、それで嬉しい気持ちになる訳も無く、おれは苦笑いを浮かべるしか無かった。

「王都までは、大人しく目立たない様にしないと駄目みたいだからね……」

「港町は人さらいが多いって聞くから油断しない様にね。貴方は……力で抗える人では無いから、絶対に独りにはならない様にしないと。ルーファスから離れては駄目よ?」

「ああ、何処までも着いていくよ。いっそ首輪を着けて引っ張っていて欲しいくらいだよ」

眠気眼だからか、別れを惜しんでくれているのかソフィアの表情はいつに無く憂いを帯びている様に見えた。


大先生は多分気を利かせてくれて、先に進まずにおれとソフィアに別れの時間を与えてくれていたが、そろそろ頃合いらしく声を掛けてきた。

「これソフィアよ、ライザールの件はわしが王都に着き次第上手く纏まる様に話を進めるゆえ、早まった行動は慎む様にな」

相変わらず大先生はソフィアに対しては素気無い態度だった。

しかし別れ際にそれを口に出して告げるという事は、全く気に掛けて無い訳では無さそうだ。

「早まるも何も……私がどう動いた所で父様の気持ちが変わるとは思えないし。何が起ころうとも私は父様の力になると、手紙に認めてアランに託したけど」

「ふむ、お主の助力が得られるのであれば、ライザールも救われる事であろう。ではリョウスケよ、そろそろ参るとするかのう――」


東の空は僅かに白ばみ始めていた。

大先生は灰色のローブを靡かせ歩いてゆく。

老齢だがしっかりとした足取りだった。

人並み外れた健脚自慢なのは間違い無いから、遅れない様にしなければならない。

集落の東端に着くと、今度はギルの姿が目に映った。

馬を引いたサイラスの姿もある。

アランの姿は無いので、あの若い騎士は既に集落を発ってしまったのだろう。

「――では、サイラスとギルよ……集落の事は任せるゆえ、守護者としての務めしっかりとな」

大先生は一瞬立ち止まり二人に声を掛けた後、すぐに手綱を受け取り馬を引いた。

競馬で見るサラブレッドよりもがっしりとした骨格をした馬だ。

どちらかと言えば驢馬ろばに近い様な……驢馬と馬との明確な違いは分からないが、大先生が用意した旅の荷物はその背中に背負わせてあった。

革製の鞍を装着しているので乗馬も出来そうだが、乗る気配は無いので今回は荷物運搬用で使うらしい。

集落から出た直ぐの所でギルが「じゃあなリョウスケ。俺も機会があれば王都い行くからよ、そん時はまた酒飲もうぜ!」と声を掛けてくれた。

振り返ると、サイラスとソフィアとギルは横並びになり、それぞれが笑顔を手向けてくれている。

「みんな、また、いつか、必ず!バイバイ――」

おれは思わずそう別れを告げ、手を大きく左右に振った。

そして振り返り前を向き、大先生のすぐ後ろに着く。

ああ、彼らに「バイバイ」と告げても伝わって無いかもな、と笑みが零れた。


集落の東側は人の足で踏み慣らされた道が伸びており、その両側には畑が広がっていた。

その畑の奥には木々が鬱蒼うっそうと生い茂っているので、如何にも大森林を切り拓いた土地と言った感じだ。

左手側は一面麦畑で、右手側はどの様な作物を育てているのか分からないけれど、緑色の葉や色取り取りの花が咲き乱れていた。

荷物を運んでくれている馬は人に良く慣れているみたいで、大人しく大先生に引かれている。

まるで絵画の様な農村風景に、思わず感嘆の息が漏れた。

電柱や電線や近代的な建築物が一切ない情景の中を歩む老魔法使いとは、思い描いていた幻想的な風景そのもので琴線に触れる。

それからふと、今は大先生と二人きりだから奴隷の振りはしなくていいんだよな、と思い至った。

旅路の中で気になった事はどんどん質問して、見識を深めておくべきだ。

「――あの、ルーファス?今左手側にある畑は、どの様な品種の麦を……」

大先生と距離を詰め語り掛けると、彼はそこでぴたりと足を止めた。

突然の停止に対応出来ず、おれと馬は二歩、三歩と先行してしまう。

振り返り大先生の顔を見ると、彼はおれや馬には目もくれず道の先を見据えていた。

目を見開き驚いている……いや、驚愕の表情だったと言うべきだろうか。

今からおれに対し農産物についての講釈を垂れる様な雰囲気では無かった。


それからおれは大先生の視線の先を追い道の先へと視線を向けた。

つい先刻まで周囲の畑に気を取られていたので気が付かなかったが、道の先には荷馬車らしき影が見えた。

どうやらこちらへと向かって来ているらしい。

「えーっと、あれは荷馬車ですかね?こちらに向かって来てるみたいですけど、行商人でしょうか?」

既に太陽が昇り始めており、逆光気味でまだ距離もあるのでおれの目には何やら影が動いてる様にしか見えない。

「――なぜ、わしの魔力感知に掛からんのじゃ?あれほどの膨大な魔力の接近に何故、今の今まで気が付かんかったんじゃ?」

大先生は口早に自問を繰り返していた。

長閑な雰囲気から急転直下の緊迫だった。

今まで大人しかった馬がブルブルと鼻を鳴らしている。


おれは大先生から再び道の先へと視線を向けた。

徐々にその姿が鮮明に目に映り始める。

二頭立ての荷馬車で、御者席で手綱を握っている人物は見覚えがある……あれは確か、ドナルドの護衛をしていたウリヤ人のザーフィラだ。

それを見ておれは荷台に乗っているのはドナルドなのでは?と思った。

その他に人影は無く、大先生が一体何に慄いているのか全く理解が出来ない。

おれたちが全く動かなくなったので、異変を察知したのか集落の方から見送りに来ていたギルらが駆け寄って来た。

「おーい、どうしたんだ?何か忘れもんでもしたのかよ?」

もう暫くは聞く事は無いと思っていたギルの大声が響き渡った。

この時既に、道先の荷馬車は百メートル先にまで迫っていた。

「――リョウスケよ、馬を引き下がっておれ。ソフィア、サイラス?お主らはリョウスケと馬を集落の中へ連れて行け!」

大先生は厳しい口調でそう言い放った。

しかし、恐らく大先生以外は状況を全く飲み込めておらず、戸惑うばかりだ。

おれは大先生から押し付けられた手綱を手にし、言われた通りに馬を引いて二歩、三歩と下がるが興奮気味の馬は中々おれの思い通りには動いてくれなかった。

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