第8話:ひとつの閃きが
クヴァスを飲み、空を見上げてみる。
薄く伸びた雲が広がっているが、所々青空が見えていた。
この三日間は晴れの日が続いている。
長閑な光景だった。
森からは小鳥の囀りが聞こえ、すぐ隣りでは酒好きオジサンがガブガブとクヴァスを飲み捲っている。
時間がゆっくりと流れている様な感覚があった。
肌に感じる湿度は低すぎず高すぎず、温暖で過ごしやすい気候だ。
週末に友人らと、都会の喧騒から逃れてキャンプに行く事があったけれど、あれもある意味異世界転移だったよなあ、と思い至る。
今晩のメシ担当のプレッシャーさえなければ、その辺にダラダラと寝転んで寛いでいたい……ごろごろと、だらだらと。
――さて、いつまでもウダウダしていても始まらないので、ここらで気分を入れ替えよう。
恐らく、鹿肉と野菜やらなんやらをイイ感じで焼いただけでも、結構なんとかなるのでは?と思ったりもする。
芋類や根菜類もしっかり火を通せばホクホクして美味しいだろうし。
簡単だけれど、その食文化が無い人たちは十分に舌鼓を打ってくれる美味しさだと思うのだ。
いきなり高難度の料理に手を出して失敗するよりかは、確実にウケるであろう料理を出した方が良いに決まっているから。
頭ではそう分かっていても、胸にモヤモヤが残るのは昨夜の大成功があったからだろう。
今にして思うと、昨夜のナマズ鍋は偶然が重なり出来た産物でしかない。
そんなラッキー料理が二日連続で続くほど、世の中は甘く出来てない、はずだ。
大切な食材を提供して貰っておいて、おれのワガママでギャンブルは打てない。
よし、決めた!今日は至って普通の肉野菜炒めにしよう!
――と、腹を決めクヴァスを一気に飲み干した時に、ひとつの閃きが舞い降りて来た。
過去の経験や視聴した動画などの記憶が、重なり繋がり結実する様な感覚だ。
「ああ、そうか、クヴァスに肉を漬け込んでから焼いたら、柔らかくなるし旨味を引き出せるんじゃないか?」
思わず口を突いて出た言葉を、赤ら顔となったドッズは聞き逃さずに語り掛けて来た。
「んあー?クヴァスに何を漬けるんだってえ?」
かなりのハイペースで呷っていたからか、酒好きオジサンは早くも呂律が怪しい。
目は元々据わり気味だから良く分からないが、足元の方は……一応まだしっかりしているので泥酔では無いみたいだ。
「鹿肉をさ、焼く前にクヴァスに漬け込むんですよ。細かく砕いた岩塩をクヴァスに入れて置いた方がいいかも。この酒器よりも浅くていいので、もう少し大きな器を借りれませんかね?」
「ああん?これより大きな器を持って来ればいいのかあ?ちょっと待ってろ、鳥小屋にあった筈だ」
呂律は怪しいが反応と動きは良いので任せても大丈夫そうだったが、一応付いて行くことにした。
ドッズは鳥小屋に入ると、作業台の下から幾つか木製の器を取り出してくれた。
酒器よりも少し大きな物はあったが、どれもこれも似た者同士だったので、取りあえず中でも一番大きな器を手に取った。
「クヴァスはまだあるから、後は岩塩が欲しいですね。砕いてあるのが良いんですけど」
「岩塩なら作業台の下にある入れ物の中だあ。俺も肉を焼く時に使うからよう。一応細かく砕いてるつもりだがなあ」
作業台の下には幾つか入れ物があり、どれを手に取るか迷っていたらドッズが手を伸ばして取り出してくれた。
蓋を開けて中を見ると……かなり粗はあるが、確かに細かく砕いてあった。
「これだけ細かければ十分ですね。じゃあ試しに鹿肉を焼いてみますか。まずは脂の多い腹肉にしましょう」
「腹肉か?取りあえず少しだけ焼くのかあ?」
「はい、取りあえずおれとドッズで味見をしましょう。肉は一口で放り込めるくらいの大きさが良いと思います」
そう告げるとドッズは腰にぶら下げた鉈を手に取り、鮮やかな捌きで腹肉を一口大に切り分けた。
酔ってはいても、決める所はビシっと決めてくれる格好の良いオジサンだ。
手洗いも何も無いので衛生面的にはかなり危なそうだが、細かい事を言い出したら切りが無いので、ここはノリと度胸で乗り切る事にした。
切り分けた腹肉を器に入れ焼き場へと向かう。
肉を入れた器にクヴァスを注いで、鳥小屋から持参した細かい岩塩を投じる。
何か掻き混ぜる物を……と言おうとしたが、もう今更なので指でぐりぐりと掻き混ぜた。
ドッズは酒も飲まずにおれがしてる事を間近で食い入る様に見詰めている。
「クヴァスでするのは初めてですけど、肉を酒に漬け込んでから焼くと、旨味が増して柔らかくなるんですよ。岩塩を混ぜるのは、味の均一化の為……かな?ごめんなさい、詳しくは分からないですけど、これで多分普通に焼くよりも旨い肉が食える筈です」
そう言いつつも内心緊張はしていた……少なからず期待感もあるけれど。
昔、友人らとのキャンプの時にネットで見た通りに、ビールに肉を漬けてから焼いたら想像してたよりも美味かった記憶があったのだ。
今回はそれをクヴァスに変えてみたらどうか?という感じで、これはもう料理というよりは実験に近い。
旨くなる確証は無かったけれど、やってみる価値は十分にあると思っていた。
焼き場の岩に乗せた鉄板は、既に万全の状態だった。
錆止めの油が塗ってあるのかテカテカとしている。
その油が食用なのかなんなのかは、この際は度外視だ。
「――そろそろ良い感じに漬け込めたかな。取りあえず二切れ焼いてみますね。焼けた肉はスプーンか何かで掬うんですか?」
「ああん?焼いた肉はそのまま指で摘まんでるけどな、俺は」
「え?熱くないですか?」
「そんなもん、すぐに食うか器に乗せりゃあ熱くねえだろう?」
そこは魔法とかでは無くて、純粋に我慢強いとか指の皮が分厚いとかの問題らしい。
いや、これは聞く相手を間違えてると言うか……多分、ルーファスやサイラスが相手であれば全く違う答えを返してくれる様な気がしなくもない。
「えーっと、おれは熱くて無理なので、肉をひっくり返したり器に取るのは頼んでいいですか?」
「おお、いいぜ。いつでも言ってくれ!」
「ありがとうございます。では、焼きますね――」
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