第9章:若き騎士の苦悩

第1話:【言語理解】の本質

ソフィアの家を出て、そのまま真っ直ぐにギルの家へは向かわずに小丘の大ケヤキまで歩いて来た。

ここからは周囲の大森林が見渡せて、遥か遠くに霞む雄大な山脈を眺望する事も出来るので、良い気晴らしになる。

天気の良い日にみんなでBBQして酒を飲んだら楽しそうだなあ……と思い、その光景を思い浮かべてみた。

鉄板と食材があればなんとかなるので、ナマズ鍋を作る事を考えると今からでも出来てしまいそうな気はする。

こちらから提案しなくても、そもそもそう言う文化があるかも知れないし。


ふと、あの日の魔方陣へ目を向けた。

まだくっきりと跡が残っており、その一面には全く雑草が生えて無い。

大地の茶色が生々しく剥き出しになっている。

魔方陣へ歩みより、その場にしゃがみ込み指先でそっと触れてみた。

文字や線は地面を抉って描かれており、まるで岩の様に硬くなっていて指先では痕跡を消せそうにない。

何も描かれて無い箇所と比べても明らかに硬さが異なるので、自然に風化するまで暫く時を要しそうだ。

他の箇所も試してみようと思い一旦立ち上がろうと腰を上げたが、その瞬間酷い眩暈めまいに襲われてしまった。

過去に立ち眩みの経験はあったが、今回は意識を失いそうになるほどで、地面にがくりと膝をつきしゃがみ込んでしまった。

突然の事に驚いてしまったが慌てふためく程では無く、目を閉じ深呼吸を何度も繰り返した。

魔方陣に魔力の残滓ざんしみたいなものがあり、その影響を受けたのか?と思ったが、本番を無効化したのだから、今更これ程の影響を受けるとは考えにくい。

後ほど効果が表れるなら、ルーファスから一言あっていい様な気もするし……。

もしくは魔方陣は全くの無関係で、おれ自身の健康問題の可能性もある。

異常に高鳴る鼓動を気に掛けつつ、呼吸を整え静かに時を過ごした。


そのままの状態でどのくらい経っただろうか。

五分か十分か、その間近くに人の気配は無かった。

誰かが訪れていたら大騒ぎになっていたかも知れない。

どちらにせよ、漸く眩暈は消え鼓動も落ち着いてくれた。

ただの立ち眩みにしては酷すぎだ……。

気分も落ち着いて来たので、取りあえず目を開けてみた。

これで世界がグルグルと回っている感じがあったらいよいよ駄目かもな、と思ったが特に異変は感じ無かった。

それどころか先程までの眩暈が嘘の様にスッキリとした気分だ。

一応、念のためゆっくりと立ち上がってみる。

ふらつきも立ち眩みも無く平然と起立出来た。

そのまま二度三度と深呼吸をしてみる。

遠くの山脈と近くの魔方陣と視点を切り替えてみたが、これも特に問題は無く……。

だがしかし、明らかな異常はあった。

異常と言うか変化というか、ギフト【言語理解】の効果を考えるとこの状態が平常と言うべきなのか。


魔方陣に描かれた文字の意味が理解出来てしまう、のだ。

驚きを抑えつつ、改めてその全容を視界に収めてみた。

魔方陣は大きな円の内に九つの区画があり、それぞれの区画には中央に大きな文字が描かれてあった。

文字の形容は印象的な大文字は複雑な梵字ぼんじの様で、その周囲を取り囲む簡易的な文字はルーン文字の様に見えた。

一見全く意味不明で解読は不可能だし、つい先刻目にした時は意味不明だったが、今は傍観では無く注視すると理解が出来てしまう。

まず円の中央部にひと際大きく描かれた文字は、滅殺と頭に意味が浮かびあがる。

いや、浮かび上がると言うか、日本語の文字を読む時と同じ様な感覚で理解出来ると言うべきか。

平仮名の簡単な文章を読む様に、殆ど思考を働かさなくても理解が出来てしまうのだ。

ギフトが【言語理解】だから文字も読めて然るべきだとは思うが、しかし天啓の石板を見た時は全く理解出来なかった。

魔方陣と天啓の石板とで共通の言語が使用されて無い可能性はあるが、この世界でのギフトの在り方を考えると、恐らく全ての言語を読み話す事が出来るはず。


天啓の石板を見たのは転移した翌日で、あの時点では【言語理解】が完全に機能して無かったと考えるべきだろうか。

ギフトが身体に馴染んで無くて、数日経た今は馴染んで完璧に機能してる、とか?

それか最初は会話のソフトだけインストールされていて、今は読み書きのソフトのインストールが完了した、みたいな?

そうなるとさっきの酷い眩暈は全くの無関係とは考えにく様な気がして来た。

あまりにも膨大なデータ量過ぎて処理しきれ無かったんじゃ無いか?

それが正解だと、この世界の全てはデータで構築されてますよね?となり、ここはゲームの世界だったと結論づいてしまう様な気も……。

けれど、今はそれを妄想で突き詰めてもどうにもならないので、得意の棚上げにすることにした。

ここが異世界なのかゲームの中なのかは、おれにとって凄く重要な事だが、それがどちらであれ今はなるようにしかならないから追求しても無駄かな、という心持ち。

それよりも現状は魔方陣や己の能力の追求を進めたい。


まずは魔方陣の中の滅殺のエリアに描かれた簡素な文字を読んでみる事にした。

「光属性魔力――有効化――増幅――備積。こっちは闇属性魔力――減衰化――減少――放出?うーん、単語の意味は分かるけど流石に魔法言語のシステムの理解までは出来ないのか。【言語理解】なのだからこの世の言語に関わる事は全て理解出来てくれてもいい様な気がするが……いや、でも文字が読める様になったのはかなり有難いけどさ」

とりあえずシステムの理解は諦め、その他の梵字風に目をやると、攻撃や結界や中和などが読み取れた。

「要するにおれをこの世から消し去るのにも、色々と手順を講じる必要があったって訳か。単純に殺せとか死ねと命じるだけでは魔法は発動しないってことだ」

そんな感じで魔方陣に夢中になってしまったが、今になって手中の貝殻に意識が向いた。

そう言えばギルの家に向かう途中だったと思い出し、若干名残惜しいが魔方陣を後にし小丘から下りる事にした。

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