第23話言語は国が滅んでも生きるわ!

「う~~。気持ち悪いですぅ~~~」

 聖戦軍一行を乗せた船団が、続々とアンティオキア公国の港町に入港し、海に慣れぬ殆どの者達(カワサキ含む)は皆一様に青い顔で不調を訴えていた。

 不安の種であったビザンチンでも、涼花は表面化するような問題は起こさず、テレジアは心の底から深く神に感謝を捧げた。

「全く、皆あの程度の揺れに情けない」

 涼花は手紙の束を商人に渡しながら、揺れない地面に四つん這いになって、既に胃は空っぽながらも未だ嘔吐感に襲われているカワサキを見下ろした。

「せ、先輩こそ船中で本ばかり読んでいたのによく無事で……オエッ、あの姿を思い出しただけで吐き気が」

「鍛え方が違うのよ。カワサキも本の一冊でも読んで鍛えればよかったのよ」

 涼花はそう言うと自分の荷物から二冊の本を取り出し、カワサキへと差し出した。

「そんな事言ってもこの世界の字なんて読めませんよぉ」

「だから、覚える為に聖教と魔族の聖典を渡したのよ。前半部分は共通だから、比較して読めば一気に両方の文字が読み書き出来るようになるわよ!」

 涼花はニコニコと本気で言っているのが窺がえる。

「……そんな事が用意に出来るのは先輩くらいですよ」

 とんでもない事を要求してくる涼花にカワサキは呆れつつも日本での事を思い出した。

 涼花の勉強への意欲は決して褒められたものではなく、まともに宿題などやってくる事が滅多になかった。

 しかし、自身が必要と感じた事柄への探究心は強く、自ら専門家を訪ねて質問攻めにする事も度々あった。

『国が滅んで全てを失っても知識と技術は生きる』

 涼花はそう父から教えられていた。

「センパイはどの程度読めるようになったんですか?」

 カワサキは受け取った本をパラパラと捲り、魔族文字難解さに表情をしかめながら尋ねた。

「とりあえず、聖教側のロム語とガリア語とゲルマニア語、魔族のナバテア語と古ヒュペルボリア語は読み書き出るようになったわよ。実際の発音は怪しいけど、どれも音素文字だから少し話せば多分何とかなるわ」

 とんでもない事をあっさり言ってのける涼花にテレジア、オタカルは驚愕し、信じられない者を見る目で彼女を見渡し、カワサキは半分呆れた顔になった。

「わ、わざわざ覚えなくても、通訳の指輪を使えばいいのでは?」

 何やら嫌な予感を感じたオタカルは、探りを入れるように涼花に尋ねた。

「通訳の指輪じゃ文字までカバーできないでしょ?文字は土地の文化の基礎よ?今から征服に行く土地の文化はしっかり学ぶべきよ。そうじゃないと些細な文化の違いが千年の殺し合いを生み出す事になるわよ」

 最低限のマナー、タブーは学ばねばならないと力説する涼花。

 テレジアやオタカルは、涼花が道中ヴェネディヒやビザンチンで大量の書籍を買い込んでいたのを知っていた。

 聖教圏の本以上に古い過去の本や魔族領の本、聖典から学術書、走り書きのようなものまで、量もさる事ながらその無節操な蒐集に二人は転売目的と予想していたのだが……

 まさか本当に自分で読む事が目的だったとは露ほども思わなかった。

「それに通訳を介さず、直接相手の言葉で話す事はとても重要よ。わざわざ相手が言葉を覚えてまで自分と話そうとしているという事実は、相手に好印象を持たせるに十分な力があるのよ」

 その説明にテレジアは感心する様に頷くが、オタカルの脳裏には嫌な予想が浮かんでいた。

 涼花の言い分には一理ある。

 しかし、いくら彼女が異常に優秀で言語学の知識が豊富とはいえ、コミュニケーションを円滑にするそれだけの目的の為に独学で幾つも異国の言葉を覚えるか?

 彼女の言うとおり、通訳の魔術では文字の読み書きまでは不可能だ。

 しかし、本来の狙いはそこではないのではないか?

 通訳の魔術は、意訳であるが細かな齟齬が発生しやすく、それでいて極めて高度な術式で習得は難しく、多くが秘匿とされており、代々その魔術を受け継ぐ家はそれだけで外交官として地位と財産が約束されるほどだ。

 そして、その通訳の魔術が施された魔導具など、大国であっても数個、小国では一つも所持できていないなどざらだ。

 つまり、魔族領の言葉など聖教徒達にとっては全く理解できない暗号のようなもの。

 そんな暗号と同意語の言語で話されては、どんなに堂々と陰謀を話されてもオタカル達には理解が出来ない。

 言い知れぬ不安を抱いたオタカルの瞳にニヤリと笑う涼花の笑みが写る。

「(嗚呼もう嫌な予感しかしない……)」

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