第7話何処に行ってたって?野暮用よ。言わせんな恥ずかしい

「ゆ、勇者様がご帰還なさいましたっ!!」

 焦りと不安の満ちた教会の一室、安堵と驚きの声が鳴り響くと同時に、一人の美少女が空気を読まない飄々とした表情で気軽に手を上げ現れた。

「よっ!カワサキ、三日ぶりっ!」

「もうセンパイ!何処に行ってたんですかぁ!皆心配していたんですよぉっ!」

 そう言いながらカワサキは自分よりも小柄な涼花を抱きしめ、意外と大きな自身の胸に彼女の顔を埋めさせた。

「苦しいから抱きつくな。ちょっと世界情勢を知る為に町内散策をしていただけだ」

 大きな胸を押し返す涼花に禁欲を良しとするはずの僧が羨ましそうにその仕草を眺めている。

「そんな事言って、本当は挨拶に来るお偉いさんをボクに押し付けるのが目的だったんじゃないですか?相手するの大変だったんですよぉ」

 涼花はギクリと誰が見てもわかる動揺を示すと、目線を逸らせ下手な口笛を吹いた。

「イヤイヤ、そんなわけないじゃないかカワサキく~ん」

 勿論、一番の目的は情報収集だったが、その情報が集まる前に変な約束をしない為にもカワサキを生贄に逃げ出したのもまた事実。

 何か話題を逸らす為に丁度良いものはないか?

 そう涼花が周りを見渡すと、わき目も振らずツカツカとこちらへ向かってくる人物に気付いた。

「おお。テレジアじゃない――」

「涼花っ!!今まで何処をほっつき歩いてたぁっ!!!」

 初日の丁寧な口調は何処へやら、敬称どころか感情むき出しに顔を真っ赤にさせ、怒りのままに怒鳴りつけた。

 もっともテレジアの立場に立ってみればそれも当然であった。

 勇者付きの神官という事実上勇者の管理、監視を任せられていながら、二日目の朝食を最後に三日間も当の勇者を見失い、予定していた教会の意向の教え込みや教会内外での政治利用が一切出来なかった上に、もし、これからの儀式に間に合わねば彼女の所属する勢力の致命的な傷になりかねなかった。

 そのような彼女の立場を考えれば、タイムリミットギリギリに人の気も知らず暢気に現れた涼花態度に対するこの憤怒は当然であった。

 初日の傍若無人ぶりに加え、自身の立場、一族の政治生命を危うくさせられら、テレジアの怒りは天元突破し、流石の涼花もその勢いに圧倒された。

「え?いあのテレジアさんこれはそのフィールドワークの一環で――」

 逆らっては不味い。

 本能でそれを悟った涼花は、咄嗟のいい訳を述べたが、そんな物が怒髪天に達したテレジアに通じるわけは無かった。

「何がフィールドワークだっ!叙任式が今日あると三日前に言っておいただろうがっ!」

「だからこうやって今日帰ってきたんじゃないですかぁテレジアさん~」

 頭のの片隅に「そんな事も言われた気が……?」とおぼろげな記憶を思い出し、何とか言い逃れようとするもテレジアの顔をより真っ赤に染上げるだけだった。

「当日の朝方に帰って来る奴があるかっっ!!」

「そんな終業式や卒業式みたいなもんでしょぉ?そんなものぶっつけ本番でも――」

 事態の重要性を微塵も理解していない涼花にテレジアはプルプルと震える。

「卒業式がどんな物か知らんが、作法も常識も知らん貴様が事前の準備無しに何が出来るっ!!大体、衣装合わせをする時間すらもうないんだぞ!!」

 テレジアは力任せに涼花を掴むとそのまま奥の部屋に引き摺っていく。

「そんなテレジアさん引っ張らなくても……脱げるっ!床に擦れて下が脱げるからっ!!」

「どうせすぐ着替えるから気にするなっ!それより早く自分で歩かんか!」

 涼花は奥の部屋に連れ込まれカワサキがそれに続く。

「カチヤ、ナディヤ着替えを!」

 テレジアの声を合図に衣装を抱えたシスター、針子達が瞬く間に着ていた夏服のセーラー服を剥ぎ取ると下着姿となった涼花にローマのチュニックやトガに似た服を合わせる。

 その迅速さに面食らいながらも、椅子に座らされ舞台栄えのする化粧を施されている涼花に、テレジアはイライラとしつつも少し心配そうに問いかけた。

「それで、この三日間何処で何をしていたんだ?」

「街中をチョロチョロと散策を……」

 はぐらかすような曖昧な表現に嫌な予感を感じたテレジアは、語気を強めながら顔を近づけ問い詰めた。

「具体的に言え!」

 それでなお、涼花は誤魔化すように嘘はつかないが事実を避けるように言葉を選んだ。

「ええっと、孤児院にお世話になって本を読んでもらったかな?」

「どんな行動をとればそんな事に……何処の孤児院だ?」

「そんな性格名前なんて……サンタ・マリア?何とかレデントとかいった気が?」

 この近所にそんな名前の孤児院があったか?

 テレジアはどこかで耳にした気のする名前を脳内検索にかけ、少し悩んだ後似た名前を思い出し、しかし、まさかそんな所に行ったのかと驚いた目で涼花を見た。

「レデント……まさか、サンタ・マリア・ムッター・レデント教会じゃないだろうな?」

「そうです!そのサンタ何とか教会!」

 本当に何の気なしにそれだと同意を示す涼花にテレジアは頭痛を覚え額を手で押さえた。

「そこは孤児院じゃなくて教会だ。そして、それがあるのは聖都でも一、二を争う貧民街スラムだっ!なんでそんな危ない所に行ったんだっ!!勇者と言う身分を自覚せんかこのバカモンが!!」

 襟首を掴みガクガクと揺さぶるテレジア。

「経済を知るにはまずイーストエンドに行けと偉い経済学者も言ってますし、それにお陰でこちらの常識も学べましたしっっ!」

 揺さぶられながらも良いわけをしていた涼花だったが、呆れ、更なる頭痛を覚えたテレジアにいきなり手を離され、ゴスンっと重力に任せ椅子ごと地面へと後向けに倒れた。

「いたたた」

「大丈夫ですかセンパイ?」

 助け起こされる涼花を見てテレジアは小さくため息をついた。

「貧民街の常識が聖教会で通用するわけないだろうがこの……」

 まぁ、魔術の存在すら知らずにその一流の使い手だった魔術師を打ち負かしたのだ、生半可な相手に涼花が負けるとも思えない。

 不意打ちや寝こみを襲うなんていう手段も、むしろ涼花の方が行いそうなイメージが既にテレジアの中に形成されつつあった。

 しかし、無事だったのはよかったが、どういう経緯であの教会の世話になったのか。

 テレジアの属するボルジア派閥とは相反する派閥に属するあの教会に借りや弱みなど作りたくないが、少なくとも本を読み聞かせられる程度には友好的に接しているようだし、あまり悪い様にはなっていないと思いたい。

 そう願ったテレジアは、祈りながら尋ねた。

「それで、何かトラブルに巻き込まれてやしないだろうな?」

 それに対し涼花は大丈夫だと笑顔で答えた。

「大丈夫大丈夫。マフィアと一悶着あっただけで何もトラブルはなかったわ!」

 一瞬でも涼花の笑顔を信じたテレジアの胃がキリキリと痛んだ。

 化粧を再開しつつも聞いていた少女のシスター達も何も聞いていない素振りをしつつもその額には冷や汗が浮かんでいる。

「マフィアなんて大丈夫でしたかセンパイ!?」

「何、文化や言葉が違っても心意気と肉体言語があれば分かり合えるってもんよ!」

 ガハハハハと笑う涼花とは対照的に、テレジアは苦虫を噛み潰したような表情で怒鳴りかけながらも己を制した。

「もうマフィアの話はいい。それがどうしてレデント教会で本を読んでもらう結果になったんだ?」

「子供がマフィアに攫われそうになっていたから助けたのよ。それで色々あって、そのお礼として読み書きとか教会に世話になったって訳よ。言葉が通じても文字が読めないと色々不都合でしょ?」

「……わかった、もういい」

 色々というのが気になるが、借りを作ったようではないし、これ以上話を聞いてはテレジアの精神はもちそうになかった。

 テレジアは、言葉が通じても人というのは分かり合えないものだという事を改めて痛感した。

「あ、そうだテレジアさん。後で魔術や歴史関連の本を貸してもらえる?」

「……まさかとは思うが、もう読み書きをマスターしたのか!?」

 驚くテレジアに、流石にそこまでではないと涼花は否定した。

「多少の読み書きは出来るようになってけど、まだ子供向けの本が読める程度よ」

「それでも信じられない。貴族ですら自分の名前すら書けない者もいるというのに、本当に今まで知らなかった言語をこんな短期間で習得したというのか?」

 今までの涼花の言動にかなりの不信感を抱いていただけに、当然のように信じがたいと疑いの目で睨むテレジアに涼花は翻訳の指輪を外したり付けたりしながら答えた。

「文字の形は全く知らない物だったけど、ありきたりな音素文字だったからこの指輪使って発音と意味を比べれば楽勝よ。文法なんかはラテン語系に近かったし、複数の言語知識と多少の言語学の知識があればそう難しい事ではないわ」

 指輪を外している際は、多少ぎこちないもののこちら側の言葉で話す涼花にテレジアは衝撃を受け、わずかによろめきながら尋ねた。

「もしかして涼花達は、元の世界で高度な教育を受けた貴族の子弟だったのか?」

「はっ!アタシがそんなお上品な産まれに見える?」

 下品で粗野な貴族も辺境であればそれなりに多いが、これほどの教育を受けていてこれほど礼儀知らずはそういない。

 しかし、そうなるともっと恐ろしい想像が頭に浮かんだ。

「では、そちらの世界では皆がそんな高度な教育を受けれているのか?」

 今度はカワサキに尋ねる。

 貴族以外がそれほどの教育を受ける余裕があるというのも考えられないが、知識というアドバンテージが庶民に広まった世界等、どんなに統治が難しいか、どれほど世が荒れるのか、テレジアには想像する事ができなかった。

「いやぁ、ここまでの事が出来るのは、ボクの知る限りではセンパイくらいですよ。学者ならどうかはわかんないですけど、同じ学校に通っているボクには無理です」

 基本は勉強嫌いですが、一度興味を持った事に対する学習意欲は凄いですから、とカワサキが言うと、テレジアは涼花への危険度認識を更に上昇させた。

 ただ、ハチャメチャなだけな奇人ではないと思っていたが、力だけでも、意思だけでもなく、頭の回転まで常識を大きく外れる程に回る。

 非常に厄介なトリックスター。

 そして、皆が皆、涼花ほど知識があるわけではないが、それでも貴族でない者が容易に教育を受けているであろう社会で生活していたというのもテレジアにとって未知の恐怖であった。

 酷く疲れた表情を浮かべたテレジアにカワサキは同情の視線を送った。

「そういえばカワサキ、アンタの魔術修行はどうなったのよ?」

 涼花の質問にカワサキは嬉しそうに答える。

「そうなんですよセンパイ!なんでもボク凄く才能があるようで、少しですがもうコントロールが出来るようになったんですよぉ!」

 涼花に褒められ、カワサキは更に嬉しそうに言葉を続けた。

「オタカルさんが言うには、伝説の賢者の逸話並みに成長が早いって驚いていました!ボク的には武道の気に近いものを感じたのでそれじゃないですかね~」

「そう言われれば、カワサキのジーさんそういうの好きでアンタに色々教えてたわね。アタシにも教えようと色々してきたわよねあのジーさん」

 無闇矢鱈に強かったわね。と、思い出し語る涼花の言葉にテレジアはカワサキの祖父がどれほどの猛者なのか気になった。

「ボクは本気で追いかけるお爺ちゃん相手に逃げ切るセンパイもすごいと思いましたよ」

 カワサキの祖父の武、高度な教育を受けた庶民。

 これ以上その世界に係わるのは禁止するよう教皇に進言しよう。

 テレジアはそう心に決めた。

「――出来ましたっ!」

 シスターが化粧と衣装合わせを終えた。

 いつの間にか大分時間が経過していたようだ。

 テレジアはすぐに気持ちを切り替えると涼花の手を引いて立ち上がった。

「よし!もう時間がない、すぐに大聖堂に向かう!」

「うわっ!ちょ、ちょっとも待って、サンダルが……」

 よろめく涼花を抱き上げるようにしてテレジアは先を急いだ。


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