ヘイトの嵐

てんの翔

第1話

 『もしサッカーで日本人に負けたら、玄界灘に身を投げろ!』 承晩スンマン



       1


 高校三年のときに、はじめて両親から打ち明けられた。

 それまで美里は、自分のことをごく普通の生い立ちだとしか思っていなかった。それが一夜のうちに覆されてしまったのだ。

「お父さんは、日本人じゃないんだ」

「え?」

 それを耳にして、美里はきょとんとすることしかできなかった。

「韓国人なんだ」

「え……え!?」

 在日コリアンだということを告白された。わけがわからなくて、頭が真っ白になった。

「じゃ、じゃあ……わたしも、韓国人なの!?」

 父はうなずいた。

「でもね、日本人でもあるんだ」

 続きがあった。

「お母さんは、日本だ」

 韓国人と日本人のハーフ。

「二重国籍というんだ」

 それまで国籍のことなんて考えたこともなかった。

 日本では父母両系血統主義をとっているので、父か母、どちらかが日本人であれば、その子供は日本国籍を有する。一方、韓国も現在は父母両系血統主義をとっているそうだが、1998年に国籍法が改正される以前は、父系血統主義だったらしい。

 もし生まれるのが数年早く、さらに父が日本人で、母が韓国人であったとしたら、韓国籍はなく、完全な日本人だったということになる。

「美里は、これから二二歳までに、どちらの国籍をとるか選択しなければならないんだ」

 頭は混乱していたが、その答えは簡単だった。これまで生粋の日本人だと思っていたのだ。日本語しか話せないし、韓国に対してとくに親しみを感じたこともない。

「みさと、という読み方は、あくまで日本風のものなんだ。韓国では、ミリと読む」

 そんな話をされても、心は動かされなかった。

 美里は、これまでのことを思い起こしてみた。だがこの家で、韓国を匂わせるようなものはなにもない。食卓にキムチすらあがったことはなかった。

 父のことを思い出しても、スポーツで応援するのは日本のチームだけだったし、韓国色はなにもない。

「韓国での姓は、朴なんだ。いまでは漢字表記はつかわないけどね」

 ということは、自分の韓国名は、パク・ミリということになる。

「どちらの国籍を選ぶかは、ミリの自由だ」

 あえてなのか、ミリと父は呼んだ。

 だが、美里の気持ちは迷うことなく決まっていた。

 その告白からすぐに美里は日本国籍を選び、韓国籍は消滅した。しかしそれからの人生は、胸を張って『日本人』だと主張するような生き方にはならなかった。

 友人には結局、自分の親が在日だとは打ち明けられなかった。差別が怖かったわけではない……いや、そうだったのだろうか。

 美里自身は、それまで民族差別という概念をもっていない少女だった。だが、韓国籍をもっていることがわかった瞬間に、そういうものの当事者に加わった。

 高校のときの親友とは、韓国の芸能人のことで盛り上がったこともある。K-POPの人気は日常化していたし、韓流ドラマも同じだ。韓国のことに理解はあるはずだ。

 だが、そういうことではないのだ。

 その立場になってみて、はじめて実感した。

 たぶん正直に告白すれば、友人たちは普通に受け入れてくれるだろう。しかし自分を見る眼が変わってしまうことも同時にわかる。なぜなら、親友から同じことを打ち明けられたら、美里もそうなってしまうからだ。

 日本国籍を選択してからも、当然それはかわらなかった。おそらく一生、親が在日であることは隠すことになるだろう。美里は、そう考えていた。

 もし最初から、韓国人と日本人のハーフだと知っていたら……幼いころから、オープンにしている家庭だったとしたら、きっと問題なく在日の子供だと胸を張って生きていただろう。

 両親に対しては、複雑な感情を抱いてしまうことになった。きっと、わたしを思ってのことだ──そう自身に言い聞かせる日々が続いていた。

 高校、大学を無事に卒業し、国家公務試験に合格したこともあって、美里は外務省に入省することができた。まさか第一希望の職場に入ることができるとは、夢にも思っていなかった。

 しかし、それが数奇な運命のはじまりだった。いや、それは両親からの告白で決定づけられていたのか……。

 国内研修で一年ほど経ったころ、出入国在留管理庁への出向を命じられた。

「それって……入国管理局のことですよね?」

 美里は、当時の上司にそう質問した。

「そうです」

 上司は、何事もないような口調で答えていた。

 入国管理局は、法務省の内局だ。2019年四月に、出入国在留管理庁という名称に変更され、法務省の外局となっている。

 内・外どちらにしろ外務省ではなく、法務省の部局ということになる。

 だが上司はそれ以上、詳しい説明はしてくれなかった。美里はわけのわからないまま、出入国在留管理庁へ異動した。

 正確には、出入国在留管理庁の外郭団体『ヘイトクライム対策機構』というところだった。

 形態としては、特殊法人ということになっているらしい。厳密にいえば、職員は公務員ではない。が、実質的な公務員待遇が認められ、美里の身分も、外務省員として国家公務員の権限が残されている。

 オフィスは、新大久保にあるビルの一室だった。職員は美里をふくめて四名。所長は法務省の所属で、入管の次長をつとめた人物だ。そのほかの人員は、まったくの民間人で、美里だけが外務省がらみとなる。

 いや、正式な所員ではないが、初日にやって来た人物がいた。外務省の人間で、藤森といった。

 美里は、個室でその藤森と二人っきりにされた。

「私は、ここと外務省をつなぐ役目だと思ってもらいたい。君になにかおこったら、私のところに連絡がくる。もしくは、君が問題に直面したときは、私に連絡してくれ」

 藤森は三十代で、理知的な外見をしていた。外務省よりも財務省のほうが似合いそうだった。眼鏡の奥の瞳が、人を駒としか見ていないと語っているようだ。

「ここは、なにをするところなんですか?」

「そのままだよ。ヘイトに関する問題を調査・解決してもらう」

「ヘイト? 差別問題ですか?」

「もっと具体的に言おう。韓国との軋轢だよ」

 特定の国名を出されるとは思ってもみなかった。

「いまの大統領になって改善されたが、前大統領のとき、日韓関係は最悪の状態だった。ある意味、緊急事態だよ」

「……どうして、わたしなんでしょうか?」

 恐る恐る質問した。答えの予想はついていた。

「君が、適任だと考えたからだ」

 藤森は、はっきりと明言しなかった。しかし、言ったも同然だった。韓国の事案に適任な理由は一つしかない。美里がハーフだと知っているからだ。

 当然といえば当然だ。国の機関に採用されるのだから、素性は調べられているだろう。外務省ともなると国家機密の漏洩を防ぐために、身元は充分に審査されているはずだ。

「あなたのような人材を待っていたんだ。韓国人であり、日本人でもある」

「あ、あの……」

 それには反論したくなった。

「わたしは日本人です。日本で生まれ、日本で育ち、日本語しか話せません」

 正確には、英語とフランス語もできる。ドイツ語も少々。イタリア語も勉強中だ。

 韓国語はできない、という意味で言ったのだ。

「もし、韓国について詳しいとの思いで採用したのであれば、ご期待にはそえないと思います」

「そんなことは、ちゃんと調査しています。君が日本人として育ったことはね」

 美里の懸念は、すぐに否定された。

「それがいいのだよ。韓国人の血をもっていながら、しかし日本人としてのアイデンティティのみをもった君のような人材がね」

「……どんなことをするんですか?」

 具体的な説明が聞きたかった。

「それは、ここの職員が教えてくれるだろう」

 急に突き放されたようだった。

 藤森との面談はそこで終わり、それから今日まで会っていない。なにも問題がなかったからだ。

 ヘイトクライム対策機構に赴任して、半年が経とうとしていた──。



 新大久保の街並みにも、だいぶ慣れた。高校生のときに一度来たことがあるだけの街だ。まだ自分が韓国の血をもっていることを知らなかったころ……。高校時代の親友たちと韓流アイドルのグッズを買いに来たのだ。いまでは、もう懐かしい思い出だった。

 コリアタウンと呼ばれているのは、大久保通りと職安通りをつなぐ『イケメン通り』を中心としたエリアだ。高校生のころは、もっと駅に近い場所に韓国のお店が集まっていた記憶があったのだが、いろいろと様変わりしたようだ。

 前大統領時代の日韓関係の悪化で、韓国のお店は減り、ほかのアジア諸国の店が増えたそうだ。それでも、この通りはコリアタウンとしてのにぎわいをみせている。関係改善の影響も大きいのかもしれない。

「あの、出入国在留管理庁の者ですけど」

 韓国料理店のなかに入ると、美里は声をかけた。

「担当の人!?」

 怒りをあらわにした声が返ってきた。五十代ぐらいの女性だ。ここの店主のようだ。

「はい。ヘイトクライム対策機構の新井です」

 美里は、名刺を渡した。

「とにかく、これ見て!」

 その名刺を乱暴にエプロンのポケットに仕舞うと、女性店主は店の外に出た。美里もそれに続く。

 シャッターを閉めはじめた。まだ営業まえなので、店内に客はいない。

「これよ、これ!」

 シャッターにはペンキで落書きがされていた。

『日本から出てけ』と書いてある。

「これで、もう三度目よ! いいかげんにしてほしいわ!」

「警察に被害届は出されましたか?」

「なにもしてくれないわよ!」

 それは、被害届を出したのになにもしてくれないのか、なにもしてくれないと思っているから被害届を出していないのか、判断に迷う言動だった。

 確認することはしなかった。彼女が憤慨していることにかわりはないし、こういうトラブルに対処するのが自分の仕事なのだ。

 まさか外務省に入って、こんなお困り相談センターのようなことをするとは思っていなかった。

「どうにかしてよ! 犯人をみつけて!」

 すごい剣幕で怒りをあらわにしている。

 日本語は完璧に近く、少しイントネーションに特徴があるぐらいだ。日本で生まれたのではないようだが、長期間この国で生活しているのだろう。

「犯人に心当たりはありますか?」

 冷却させるために、その質問をした。

 こういう状況では、とにかくは話をさせる。それによって怒りがよみがえってくる場合もあるが、大概は熱が冷めてくれるものだ。

「ないわよ!」

 聞き方が悪かった。心当たりがあるということは、自身にも非があると、とらえることもできる。

 韓国人は、自分の非を認めない。謝罪をしない国民性だ。謝罪は負けであり、謝罪相手への従属を意味する。

 逆に日本は、謝罪の文化だ。むしろ謝ることを潔しとし、美徳とされている。

 機構の渋谷という同僚から、韓国人についてはレクチャーされている。それを聞いたときは、かなり偏見に満ちていると思ったものだが、実際に役立つことも多かった。

「どんな人がやったと思いますか?」

 美里は言いなおした。

「わたしたちを嫌ってる人でしょ!」

 吐き捨てるように、店主は答えた。

 嫌韓は、着実にこの国で根づいている。それも仕方のないことだと美里は考えてしまう。韓国が反日の国だということが、みなに浸透してしまったからだ。

 2002年のワールドカップ共催のときは、美里はまだ物心がつくまえだった。それでも韓国との距離が縮まったことは歴史的事実として知っている。そのときは、まだ韓国人のことを日本人が理解できていなかったのだ。

 いまはちがう。

 韓国人に悪感情をもっていない美里ですら、それを肌で感じる。

 いや、正確にはそれすらもまちがっている。日本人の多くは、韓国に対して関心はない。好きか嫌いかを質問されて、はじめて意識するにすぎない。

 それでも、どちらかといえば嫌い、という人が多くなっているのが事実だ。韓国という国が、徹底的に反日であるということを知ってしまったからだ。

 ここ最近の関係改善でも埋められないほどの溝……。

 音楽やドラマで興味をひいた若者も、いずれそのことに気づく。無邪気に韓国が好きと答えられるのは、十代までだ。社会人になれば、そういうことがわかってくる。やはり大きかったのは、レーダー照射事件になるだろうか。自衛隊の哨戒機に韓国軍がレーダー照射で威嚇をした事件があった。

 韓国軍、韓国政府は、そのことに謝罪をすることはなく、逆に日本が悪かったという主張に終始した。ここでも、韓国人のあやまらない種族特性がいかんなく発揮されたのだ。結果、韓国内では、あの事件の原因は日本の哨戒機による急接近が原因であるということになってしまった。

 美里はまだ大学生だったが、あれで嫌韓になった友達が二人もいた。

「わたしたちだってね、仲良くしたいと思ってるのよ……」

 女店主は一転、やるせない憤りを吐露しはじめた。怒りとはちがう感情だ。

「日本のことは、第二の故郷だと思ってる……」

 建前を語っているようには思えなかった。本気で言っている。

 韓国人とのスタンスのとりかたが難しくなる理由がそこになる。個人個人だと、とても親切で温かい人柄なのだ。韓国旅行をした日本人が感じるのは、反日的な雰囲気でなく、むしろおせっかいなほどの面倒見のよさだという。

 この評は、あくまでも渋谷の受け売りで、美里自身は韓国旅行には行ったことがない。それでも、この職についてから似たようなことを感じている。

 ただし国単位になると、韓国は異常なほどの反日になる。そのギャップが、韓国という国とつきあう難しさにつながっているはずだ。

「わかりました。犯人をさがしてみます」

「解決できるなら、すべてあなたにまかせるわ。どうせ警察は真剣に動いてくれないし……。こういうことには、あなたが適任だと聞いた」

 いまの機構に来てから美里はまだ仕事らしい仕事はしていない。何件か、このようなトラブルを仲裁したことがあるだけだ。しかし噂が独り歩きしているようなのだ。

「どこまでできるかわかりませんけど……」

「べつにわたしは、逮捕してくれとか、賠償しろとか言いたいわけじゃないのよ……ただ、これをやった人があやまってくれれば」

「最善をつくします」

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