第1章 影のオーケストラ
学校の昇降口に私はいた。
辺りは暗く、赤い照明と監視カメラの電源ランプ、消火栓のランプのみが光っている。
昇降口の戸は開かない。
ガラスには少女の姿が映っている。照明で赤くなった水色のシュシュで結ばれた茶髪のツーサイドアップテール。赤に染まった半袖の制服を着ている。私、
昼に見たあのタイルから全ては始まった。
終業式やホームルームが終わり、放課後になってから数十分が経過していた。
ほとんどの生徒が帰っているが、私はまだ教室にいた。帰る支度はとうに終わっているし、すぐに帰ることもできたのだが、そうはしなかった。
床のタイルが気になり、帰るどころではなかった。
学校のタイルは至って普通だった。一年と数か月在籍しているため、タイルには見飽きていると言っても良い。しかし、私は今まさに足元にあるタイルが気になって仕方がなかった。
ーーこのタイルのみ他のタイルとは明らかに異なっていた。
このタイルにのみ文字が書かれていたのだ。この窓際の席に座り
「夜の学校にて、演奏会あり?」
内容を読み上げてみるが、さっぱりわからない。
本当に夜の学校で演奏をしていることがあるだろうか。
足で擦ってみるが、簡単に消えるようなインクではなかった。
いつ誰が書いたものかわからないが、誰も気が付かないことがあるだろうか。人は意外と見ていないのかもしれない。
「……ん?」
足で擦っていると、タイルが動いた気がした。
つま先を引っ掛けてみるが、びくりともしない。
一度家に帰り、夜になる。親が寝ていることを確認し、家を抜け出す。
ジメジメとして蒸し暑く、じんわりと汗をかく。
誰かに見つからないように、隠れて学校へ向かう。
学校の校門は閉まっていた。夜なのだから当然だった。
私は校舎の裏側へ行く。校舎裏にあるフェンスの下部が破れており、四つ這いで敷地へと侵入することができた。入学当初に学校を回っていた時に偶然発見した裏口。忘れ物をした時に何度か使って検証済みだ。
監視カメラの死角を移動し、昇降口に辿り着く。
近くの木に留まっていた
「え、どうして……」
思わず声が漏れてしまい、慌てて口を
昇降口の戸が少しだけ勝手に開いた。
速くなっていく鼓動を手で押さえ、用心して中へ踏み込む。
廊下に差し掛かろうとした時、背後でカチャと音がした。
振り返ると開いていたはずの戸が閉まっていた。何度か試すが開くことはなかった。
そして、今に至る。
校舎内に等間隔で設置されている赤い照明が不気味に感じる。
昼間はうるさかった
「あなたも招待されたのかしら?」
暗闇からよく響く
柱の陰から、人影が現れた。左目から赤く光る残光が伸び揺れている。右目はくるくると内側に巻かれた髪が覆い隠している。口元に笑みを浮かべているが目は笑っていない。
「出たーっ!」
忍んでいたことを一瞬で忘れ、つい大きな声で叫んでしまうが、気にしている余裕はない。ぶつけた痛みさえも忘れ、全力で昇降口を目指す。
戸を開けようとするが、もちろん開くはずはなく追い詰められる。
「うふふ、一緒に遊びましょう」
小さく笑い、ゾンビのように前に手を突き出しゆっくりと近づいてくる。
戸のガラスを叩くが、ヒビ一つ入らない。
「冗談はここまでにして、驚きすぎじゃない。朝会ったわよね?」
「いや、お化けと知り合いになった覚えなんて……」
ガラスに反射して真っ赤に染まった顔が見えた。すぐに顔を背けて目を
「落ち着くのよ。冷静になって」
「
震える声で
「ええ、襲わないわ」
深呼吸をして息を整え、ゆっくりとお化け(?)を見る。
「……あ、今朝の。もしかして、私怒らせた。
「怒ってないわ。別に怒るようなことをしていないでしょう」
今朝のことを思い返してみる。話しかけたが聞こえていなくて素通りされたような……。
「聞こえていたの?」
「あれだけ大きな声を出されたら誰だって気付くでしょ」
私の声、届いていたんだ。
「……ってことは無視された?」
「そんなことはどうでもいいわ。それでそこの戸は開かないの?」
今朝会った女生徒は戸に手を掛け調べている。
「ちょっと待って。あの紙わざと落としたの?」
「さぁ、どうかしらね。他の出口を探しましょうか」
くすっと笑い、廊下を進んで行ってしまう。
「朝のことはもういいか。ねえ、名前教えてよ」
「そうね。また出会ったのも何かの縁だし、特別に教えてあげるわ。私はレイカよ。あなた、夢乃風華でしょ?」
「えっ、なんで知っているの?」
そんなに有名になるような行動は取っていないし、レイカと面識はない。
「同じ学校なんだし、この学校のことは全て把握しているわ」
「……そうなんだ」
私なんてよく知っているのは友だちくらいだ。
一階を探索していくが、どの教室も鍵がかかっていて開くことはなかった。廊下の窓も鍵がかかっている。
「次は二階よ」
「二階から飛び降りるとか言わないよね」
「場合によってはあるかもね」
ニヤリとレイカは笑う。
二階に上がると、三階へ上がる階段が折り返してあるはずだが、ただの壁が元からそこに存在していたようにある。さらに、上がってきた階段も壁になっていた。
壁に手を伸ばしてみるが、手は壁を通り抜けることはなく衝突する。
「貫通すると思ったの?」
ため息混じりにレイカが言う。
「……えへへ」
痛む手を握りしめ、笑いで痛みを堪える。
ペタペタと壁を触るが、他と同じただの壁でしかなかった。
「普通の壁ね」
「壁だよね」
階段で上がってきたことを疑うくらいに普通の壁だった。
「上も下も行けないなら、このフロアを探すしかないわね」
「やっぱり飛び降りるの?」
「飛び降りたい?」
レイカが不敵な笑みを浮かべる。
「二階からなら、まぁ……」
少しの怪我で済むのだろうか。近くの窓から下を見ると、
「ここにいても仕方がないし、進みましょう」
レイカに賛成だ。戻ることができないのなら、進むしかない。
「どこも閉まっているね」
教室のドアを開けようとするが一階と同様に閉まっている。
「あっ、ここの教室は鍵が開いている。……ここ、私の教室だ」
「風華の教室なんだ」
レイカはニタリと笑う。
「何、その言い方」
「別にちょっと
レイカは教室に入って行ってしまう。
「先に見つけたのに」
レイカの後に続き、中へと入る。背後でカチャッと音がした。
ドアを開けようと試みるが、どんなに力をかけても開くことはなかった。押して開かないなら一度引いてみる。再度開こうとするが結果は変わらない。次は叩いてみる。虚しく音が響くだけで何も変わることはなかった。
「鍵がかかっているわ」
レイカが戸のロックを外す。
手を掛け引いてみるが、やはり開くことはなかった。
「完全に閉じ込められたようね」
レイカは窓際の机にもたれかかり、声を弾ませている。靴で床をコーンコーンとリズムよく叩いている。床にしてはよく響く。
照明のスイッチを押すが、つくことはなかった。
「窓は開くかな」
窓の鍵を下ろし、横に力をかける。鍵はかかっていないはずなのに、窓は固定されているかのようにびくとも動かない。昼間は普通に開けていたのに。
ふぅと息を吐き、外を見る。月が校庭を照らしている。
窓に触れると冷たく、少し肌寒くなってきた。教室の天井にはエアコンが設置されているが起動はしていない。世界から切り離されてしまったような不思議な感覚に思わず身震いする。
「そういえば、風華はここに何をしに来たの?」
「……あれ、何か目的があったような」
いろいろなことが起き過ぎて忘れていた。確か文字を見たような……。
「そうだ、演奏会だよ」
「演奏会?」
自身の机に向かおうとして、レイカがもたれかかっている机がそうだと気付く。
「そこ、私の机」
「そう、それは偶然ね」
レイカは興味なさそうだ。
「足元のタイルに文字が書いてない?」
レイカは足元を確認している。
「あぁ、何か書いてあるね。夜の学校にて、演奏会あり。もしかして、これに釣られて来たの?」
「悪い?」
「単純だなぁと思って」
レイカは机から離れ、窓に手をつき外を見ている。
「これを見たら誰だって気になるよ」
「……そうかな。誰も来たことないけど」
レイカはにんまりとする。
「えっ?」
「なんでもないわ。それより、夜の学校の
話を逸らされた気がするが、噂も気になる。
「噂って?」
「突然電気が消えた時、背後に気配を感じるの。振り返ると赤い目をした幽霊が待ち構えていて闇に引き
「電気がついていないから大丈夫だね」
私とレイカの他に何かいるような感じはしない。
「それより、レイカはどうなの。同じような理由じゃないの?」
レイカは振り返る。月明かりに照らされ、
「夜の学校って神秘的でしょ」
レイカは誇らしげだ。
「それって同じというか、私より目的がないような」
机に手をついて抗議する。
「いやいや、誰が書いたかわからない文章に誘導される方がどうなのよ」
「どうして閉じ込められているのに、平然と神秘的と言っていられるの?」
「それは数々の修羅場を乗り越えてきたからね。こんなの面白くて笑っちゃうレベルよ」
レイカはこの状況を楽しんでいるようだ。
「なんか疲れた」
自身の席に座る。
「何をしていたんだろう」
「ん、これではなくて?」
いつの間にかレイカが背後にいて椅子から落ちそうになる。
レイカは足で床をつつく。鈍い音がする。
「あっ、そうそう。このタイル。文字が書いてあったの」
「異変はそれだけ?」
レイカは再び鈍い音がするタイルをリズムよく叩き始める。
「それだけって?」
「他にはなかった? この教室の異変。もしくはそのタイルの異変」
レイカに合わせて文字の書かれたタイルを足で叩く。レイカのとは違いよく響く。
「このタイルだけ音が違うよね」
「なんでだと思う?」
月が雲に隠れ、辺りは真っ暗になる。
始めから違和感があったが、その原因にようやく気付いた。
「中が空洞なんだ」
口にしてからおかしなことを言ったと思った。
「冗談だよ。下にも教室があるからありえないよね」
「冗談だと思うなら確かめてみたらいいわ」
レイカの誘うような妖艶な声が周りから聞こえてくる。
雲から月が現れる。
レイカは少しも動いてはいなかった。口元がニヤリと笑っている。
文字の書いてあるタイルの近くにしゃがみ、タイルの隙間に爪を引っ掛けて持ち上げる。
「うっ、重い」
少しタイルが浮くが、爪で持ち上げるには重く、すぐに元へ戻ってしまう。
「ねぇ、レイカも手伝ってよ」
「もう少し持ち上がったら、一緒に持ち上げるわ」
中腰の姿勢でレイカは見守っている。
何度やっても同じ結果で、爪が痛くなってきた。
「レイカ、交代しよ」
「仕方ないわね。一緒にやってあげる」
息を合わせ、タイルを持ち上げる。先程までとは比べものにならない程に軽く、そして楽だった。タイルを横に置く。
「レイカ、重かった?」
「ん、全然」
何事もなかったかのように平然としている。見た目によらず力持ちなのかな。
「これって
「良かったね。飛び降りずに済んで」
入り口は少し狭いが、金属でできた梯子が垂直に下へと続いており、なんとか下りていけそうだ。
「どうする、下りる?」
「風華はここで閉じ込められていてもいいわ。私は先に行くから」
レイカは梯子に足をかけて下りていってしまう。
ひんやりとした冷たい空気に体がブルッと震える。
「学校にこんなところがあるなんて知らなかった」
自身の教室の下は普通の教室だと思っていたが、廊下のようだった。しかし、普通の廊下ではない。辺りは暗く、壁に掛けられた
「どうかしたの?」
梯子を下りてからレイカは何も話そうとはせず、時が止まったかのようにピクリとも動かない。
「ちょっと静かに」
レイカの張り詰めた声に動きを止める。コツコツと
「まだ遠そうだけど、用心した方がいいかも」
周りの音を聞き、様子を
部屋は一つもなく、掃除用具入れや消化器、消火栓が一定の間隔で設置されている。どこかで戸の閉まる音がした。
「この廊下、長くない?」
ループしているのではないかと思うほどに端までの距離が長く感じる。蝋燭がゆらゆらと揺れ、影も揺れる。
「ねぇ、風華」
不意にレイカの歩みが遅くなる。声が少し震えていた。
「どうしたの、今になって怖くなってきた?」
「いや、そんなことはないけど……」
「……けど?」
先程までの
「変なことを
「どんなこと?」
レイカの冷淡な口調に背筋がゾクッとする。
「夢で暮らすことができたら、幸せだと思わない?」
「……」
突拍子もないことを言い出す。
「夢でならやりたいことは何だってできるし、欲しいものは何だって手に入る。それって素敵だと思わない?」
私が理解できていないと思ったのか、レイカは付け加える。
「……確かにそうかも?」
レイカの話を聞いて、なんとなくそう答えた。
「あっ、端が見えた」
レイカが奥の壁に触れる。
「何をしているの?」
レイカはずっと壁に触れている。
「なんでもないわ。次は階段ね」
壁の横には先が暗く奥まで見通すことのできない階段がある。階段には白色の蛍光灯がついており、少しだけ安心する。
「進むよ」
レイカの声音が明るくなり、ホッとする。
階段を上り、上り、上って、上る。
「この階段も長いね」
廊下が長かったせいか、あまり驚きはない。
「そうね、上っていて大丈夫なのか心配になるわ」
レイカの言葉に呼応するように蛍光灯が
「一階分は過ぎているよね」
「そうね」
レイカの声が小さく冷淡に聞こえる。
まだ階段の端は見えない。蛍光灯はほとんど点灯しなくなっている。足元に気をつけて進んでいく。
「この階段って……」
レイカの声がぎこちない。
「どうかしたの?」
下から冷たい風が吹いてくる。
「この階段、どんなに頑張って上っても果てしなく続いているの」
レイカが何者かに取り
レイカの声に合わせて、蛍光灯が明滅する。
「そして、疲れた頃に階段が途絶えて落ちていく……」
蛍光灯がパチッと音を立て、消えた。
私の足音が響く中、もう一つ微かに駆け上がってくる音が聞こえる。徐々にその足音は大きくなっている。
「レイカ、何か来てるよ」
「……」
蛍光灯の明かりはない。辺りは暗く、ひんやりとした空気に包まれている。
「レイカ!」
「……」
呼びかけてみるが返事はない。レイカの足音もしない。
駆け上がってくる何者かの足音だけが近づいてくる。どのくらい離れているのかわからないが、レイカの無事を祈り階段を駆け上る。
ここまで一本道だったはずだ。廊下で聞いた足音なら、どこかで抜かしたのだろうか。
「ーーっ⁉︎」
何者かの足音と気配を背後に感じた瞬間、階段に足をつまずいた。しかし、腕を掴まれ、倒れることはなかった。
「ありがとうレイカ」
後ろを振り向くと、真っ赤に染まる目をした何かが立っていた。
梯子を下りる前のレイカの噂の話を思い出すが、もう手遅れだ。
すぐに目を逸らすが、赤い目は逸らさせないように追いかけてくる。真っ赤に
近くでカラスが鳴いている。
「ついに見つけた。ここか」
目の前にあるのは見た目は普通の学校だ。学校からは不思議なエネルギーを感じる。
昇降口の戸はなぜか開いていた。
「ガラスを割る手間が省けた」
ガラスの戸にはローブのシルエットが黒く映っている。
中へ入り辺りを見渡すが特に変わったことはない。
「エネルギーの源はどこだ」
感覚を研ぎ澄まし、発生源を探る。
ーーまだ遠いか。
一階を探してみるが、ここではなさそうだ。
中央階段を上る。
「風華、大丈夫?」
目を開けると、レイカが見下ろしていた。奥に天井が見える。
「……レイカだ」
背中にゴツゴツとした感じはない。床は平らのようだ。
「どこにいたの?」
「ここにいたわ。それより、うなされていたみたいだけれど大丈夫?」
あれは夢だったのだろうか。
「ここはどこなの?」
起き上がり辺りを見ると、教室がある。階数はわからないが普通の学校の廊下のようだ。
「さぁ、どこかしら。私にもわからない」
レイカは近くの教室の戸を開けようとするが、鍵がかかっているようで開いていない。
「どこも閉まっているね」
反対の教室を試すが、やはり開くことはなかった。
「ねぇ、風華はどこを目指しているの?」
次の教室を試すが鍵がかかっている。
「音楽室かな。演奏って言ったら音楽室でしょ?」
背後で教室の戸の鍵が引っかかる音が聞こえる。
「それなら、ここの階は関係ないわ」
「それもそうだね」
なんとなくレイカに釣られて開けようとしてしまったが、音楽室に行くのであれば他の教室は関係ない。音楽室のある階は特別教室が集まる四階だ。
「ここは何階だろう」
近くの教室の札を見上げる。
「三年生の教室だ。三階だよね」
レイカは階数などどうでも良いというように、気にすることもなく進んでいってしまう。
「ちょっと待ってよ」
レイカの後を追いかけるが、レイカが突然立ち止まりぶつかってしまう。
「急に立ち止まらないでよ」
「どっちなのよ。それより……」
レイカの視線を追う。
壁には四つの絵が掛けられていた。一つ目は月の描かれている本。本を取り囲むように黒く塗り潰された人影が楽器を奏でている。二つ目は霧に包まれた公園で遊んでいる三人のシルエット。三つ目は仮面をつけた人たちが
「綺麗な絵だね」
「感心していて良いの?」
「あっ、中央階段がない。また、何か手がかりを探さないと」
「冷静に考えられるようになったのね」
レイカの声が遠くから聞こえ、戸が開く音がした。
レイカの姿を探していると、教室から伸び手招きしている手を発見する。
「さっきは閉まっていたはずだよね」
何度か試したから間違いはない。レイカが鍵を見つけて入ったのだろうか。
「……ウオォォォ」
教室に近づくと、中から
恐る恐る近づき、戸に背を預け中をそっと覗く。
「ーーウオッ!」
「ーーうわぁっ⁉︎」
大きな呻き声に思わず飛び上がり、絵画の辺りまで一目散に逃げる。背後を振り返り何もいないことを確認しようとした。
「何をしているの?」
「うっ、レイカか」
呻き声の正体かと思って逃げようとしてしまった。
「変なのが教室にいたの」
レイカは怯えもせず教室へ向かっていく。
「気をつけて。変なのがいるから」
レイカは教室を正面から堂々と見ている。
「何もいないけど?」
ジト目でこっちを見てくる。
「本当にいたんだ……よっ⁉︎」
レイカが何者かに引き込まれ教室へと消えた。
「……」
状況を理解できずに立ち尽くすが、教室へとゆっくり向かっていく。真っ暗な教室へ足を踏み入れる。
「レイカ、いるの?」
小声で呼びかける。
何者かの気配はするが、暗くてどこにいるかわからない。教室の照明スイッチを手探りで押すがつかない。
「ーーウオォッ!」
何者かが叫んだ。
その場に崩れ落ち、這って机の下に縮こまる。
「ヒィ……」
机の脚を掴む手が震え、ガタガタと机が音を立てる。
周囲から複数の足音が近づいてくる。
体勢をさらに低くする。
「もう面白すぎ」
緊張感のない声が聞こえた。
カーテンが開かれ月明かりが差し込む。笑いを堪えているレイカがいた。
「驚かせないでよ」
「風華が冷静で面白くないからよ」
胸を押さえ、呼吸を整える。机の下から出て、机を支えに立ち上がる。
「それで、この教室はどうして開いているの?」
「どうしてだと思う?」
質問を返されてしまった。
「鍵を見つけたんでしょ?」
「残念ハズレよ」
「ここは私の教室よ」
「レイカの教室なんだ」
先輩だったようだ。
「すみません、レイカ先輩」
「なんか気持ち悪い。戻して」
「うん、そうする」
今日初めて会ったとは思えない程に心地よい。
「どうして鍵が開いているのか、まだ聞いていないんだけど」
「ん、言ったわ。私の教室だからよ」
それは答えになっているのだろうか。
「そんなことより、これをあげるわ」
レイカは私が隠れていた机の中から、一冊の本を取り出した。
「ありがとう?」
本の表紙には月が描かれていた。鍵が付いており開くことはできない。
「それでさ……」
「鍵はどこにあるの?」
レイカと声が重なる。
「ごめん、どうかしたの?」
「なんでもない。鍵はないわ。私も探しているの」
何か言いかけたが聞くことはできなかった。
もう一度
「待ってよ、レイカ」
慌てて追いかけるが、レイカの姿はなかった。絵画も消えていた。
「元に戻っている?」
上に行く階段のみ出現している。
「上に行ったのかな」
階段を上る。
廊下に月明かりが差し、黒いローブの人影を落とす。
階段を上り各階を見てきたが、特に異変はなかった。どの教室も鍵がかかり入ることができない。
エネルギーを探っていくが、どこもあまり変わらない。ここであることは間違いないが、近づくことができない。まるで何かに遮られているかのようだ。
「近いようで遠い」
正面からでは行くことができないのか。
中央階段を下りる。
「レイカ、出てきてよ」
階段の踊り場の折り返しや柱の陰など、レイカが隠れていそうな場所を探すが見当たらない。
「ここしかなさそうだね」
四階の大きく異なっているところ。通常ならいくつもの教室があるはずだが、重厚感のある二箇所の扉しかない。
扉の前に立つと、自動で扉が開く。扉の先は暗い闇が広がっている。
「やっと来たわ。こっちよ」
入ることを
驚きのあまり声も出せず、連れて行かれるままに歩く。
「ここに椅子があるから座って」
姿の見えないレイカの声に従い、手探りで座る。
どこを見ても真っ黒で何もわからない。ただ周囲に何者かの気配を感じる。一人や二人ではなく、もっと大勢いる。
突如目の前が明るくなる。突然の明るさに思わず手で目を覆う。
指の隙間から
レイカは一礼し、堂々と立ち前方を眺めている。
「今夜も集まってくれてありがとう。影の演奏会を開催するわ。一曲だけど、心を込めて演奏するから、最後まで楽しむのよ」
レイカは再び一礼すると、スポットライトが暗くなり暗闇へと姿を消した。
静寂に包まれたのも束の間、壇上の照明が一斉に点灯し、観客席から歓声が湧き起こる。
壇上にはたくさんの黒い楽器があり、レイカはピアノに向かっている。レイカ以外の奏者と指揮者は光が当たっているにも関わらず、全身が黒に染まっている。
指揮者が礼をすると、周りから拍手が鳴り響く。
辺りを見渡すと、当然に観客がいる。私以外は指揮者、奏者と同様に姿が黒い。空席はなく会場内は満席だ。
指揮者が
演奏に耳を傾けていると、会場が本当に揺れた。壇上で演奏している影たちが揺らぎ、演奏が中断される。ピアノの耳をつんざくような音が鳴り響く。
「私の邪魔をするのは誰よっ‼︎」
演奏していた影が、観客の影が、黒い粒子となって
会場は静まり返り、また揺れる。
「風華、ごめんなさい。せっかく来てくれたのに。あなたが望むのであれば帰ってもいいわ。再開できるかわからないもの」
レイカは壇を下り、重厚感のある扉から出て行った。
会場に一人取り残された。会場は揺れて上から埃が落ちてくる。
夢で見た「私を探して」という声が脳裏で再生される。その声に突き動かされるように、私は扉を開けた。
「もう一回だ」
両手を壁に当て魔力を込めて解き放つ。
魔法の
「エネルギーの源はここが一番近いはずだ。ここを壊せば突破口が開けるというのに」
何度魔力をぶつけても、結界を崩すことができない。
「仕方ない。結界の弱い部分を探すとするか」
「レイカ、どこにいるの?」
揺れる校舎の中を探す。階段を下りて三階に行くが、この階より下に行く方法は見つからなかった。三階と四階を
レイカの教室に手がかりを求めて踏み込んだ。
私が隠れていた机の上に紙が置いてあった。『出口を探しているの? それとも、私を探しているの?』と書かれている。
「もちろん、レイカだよ」
ぽつりと呟いた言葉に反応して、紙から眩しい光が放たれる。
一瞬にして、見覚えのある廊下へと移動していた。あの長い階段の下、長い廊下の奥だった。
レイカが触れていた奥の壁が扉に変わっている。
恐る恐る、扉に手をかける。
「失礼しまーす」
小声で
「こんなに本がたくさん」
「……行ったみたいね」
レイカは何かに夢中で気が付いていないようだ。
こっそり近づいて、肩を上から軽く叩く。
レイカの体がピクッと跳ね、慌てて何かに布をかけた。
「何をしているの?」
「ーーっ⁉︎ なんでもないわ。ようこそ、我が書庫へ」
声が少し上擦っている。
「そこに何かあるの?」
机を覗こうとするが、レイカが見せないように動く。
「何もないわ。もう大丈夫そうね。演奏会に戻りましょう」
レイカに促され扉を開けると、演奏会場だった。すでに影たちの迫力のある演奏は始まっており、会場は熱気に包まれていた。
「最高の演奏をするから、席に戻って」
先程座っていた席だけ空いており再び席につく。
レイカもピアノへ着き、タイミングよく入る。
演奏に耳を傾けていると、左隣の黒い影に小突かれる。
「どうしたの?」
折り畳まれた紙を差し出される。紙を開くと『本日の曲目:宇宙の創造』と書かれていた。
「ありがとう」
黒い影は見向きもせず、手拍子をして体を揺らしている。
迫力のある演奏は収まり、優しく伸びやかな曲調になる。音がゆっくりと響く。包まれているような温かさを感じ、先程までの出来事が嘘のように思えてくる。楽器の強弱が少しずつ変化し、異なるハーモニーを奏でている。黒い影たちも曲に合わせてゆっくりと体を揺らす。
会場の照明がレイカと指揮者のスポットライトのみとなる。ゆったりとしたピアノの音が伸びやかな響きを奏で、会場を包み込む。
音がパッと消え、ステージ上全ての照明が再び点灯する。全ての楽器が調和し共鳴するフィナーレを迎える。壮大で会場を突き破ろうとする程の音量が鳴り響くが、優雅で綺麗だ。全ての楽器が音を伸ばし、少しずつ静まり演奏は終了した。
指揮者とレイカが壇上中央に並ぶ。同時に礼をすると、会場は盛大な拍手と歓声に包まれる。
周りの影たちに負けないくらい強く手を叩く。
「本日の公演はこれにて終わりよ。今日は中断してしまってごめんなさい。また来てくれると嬉しいわ。気をつけて帰るのよ」
レイカが客席に告げると、影たちは吸い込まれるようにあらゆる方向へと散っていく。壇上で演奏していた影たちも同様だ。また、楽器もいつの間にか消えている。
壇上を照らしていた照明が消え、観客席上の照明がつく。
レイカの姿はどこにもない。きっと、あの書庫に戻ったのだろう。
「これ、どうやって帰るんだろう」
不思議に思いつつも扉を開ける。
校舎内を歩き回ったが、結界が張り巡らされており何も収穫はなかった。
「少しエネルギーの流れが変わったな」
昇降口に戻ってくると、先程までと感覚が変わっている。
「やはりここで間違いはなさそうだ。もう少し張ってみるか」
気がつくと、階段の踊り場に横たわっていた。上があることから四階ではないだろう。これも異変であるなら、わからないが。
近くに本が落ちており拾い上げる。レイカから受け取った月の表紙の本だった。やはり鍵がかかっている。鍵は落ちていない。
気温が戻っており暑い。
階段を下へと進む。すぐに階段は終わり、昇降口が見えた。
「キミは今までどこにいたのかな?」
最後の段を下りたところで横から聞き覚えのない落ち着いた低い声がして、ビクッと体が飛び上がる。
「驚かせてすまない。いやしかし、上階には誰もいなかったはずだ」
赤い光に照らされ、声の主が姿を現す。ローブを身に
「……先生?」
こんな怪しい先生はいなかったはずだが、仮装でもしているのだろうか。
「ここの者ではない。ここがどのような場所か見に来たのだ」
ここは学校だ。先程まで怪奇現象が起きていたが、いつも通っている普通の学校だ。
いつでも外へ出ることができるように、経路を確認する。
「そんなに怯えないでくれ。キミがどこへ行っていたのか知りたいだけなのだ」
ローブを纏った人物は身じろぎ一つしない。
「……夜に開催されている演奏会を聴きに来ました」
別に隠すようなことでもない。先生でないのなら怒られることもないだろう。夜に勝手に忍び込んでいるのだから同罪だ。私は生徒でローブの人物は部外者だから、どちらかというと私の方が罪は軽いだろう。
「演奏会か。音は聴こえなかったな」
腕を組み靴を鳴らしている。顔は見えないが、じっと見られている気がして落ち着かない。
「まぁ良い。キミとはいずれまた会うだろうし、その時にまた聞かせてもらおう」
ローブを
「なんだったの?」
昇降口の戸は開いていた。戸の間から生暖かい風が吹き抜ける。
「どこにいるの?」
夜の公園でよく集まっていたことを思い出し、公園を訪れる。
公園内を歩いていると、あの時の記憶が
サコッシュに入っていた
ーー神様、お願いします。友だちがどこにいるのか、教えてください。
華霞 星宮幽鬼 HoshimiyaYuki @Mamonaka-Yuki
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。華霞の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます