序章

 陽光がまぶしく照り、花の周りを蝶がひらひらと舞っている。花畑を円形に囲む木々に留まったせみたちが忙しなく鳴いている。ただでさえ気温が高いというのに、さらに暑く感じさせる。

「ーーまだ夏休みじゃないよ」

 私は飛び起きるのと同時に、小鳥たちが木を飛び立っていく。

 速く打ちつける鼓動を胸に手を当てて押さえつつ、状況を確認する。

 いつものお気に入りの花畑に私はいた。

 学校に行く前に寄り道をしたら、あまりの心地よさに眠ってしまったようだ。

 時計を確認するが、始業時刻まで余裕がかなりある。

「寄り道しながら行こうかな」

 そばに置いてある学生鞄スクールバッグから水筒を取り出し、一口飲む。冷たい水で暑さが少し和らぐ。

 立ち上がり、服に付着した土や草を払い、学生鞄を持つ。

 森林の遊歩道を通る。木漏れ日が差し、水の流れる音と時折吹く風が暑さを和らげる。

 遊歩道から少し外れたところに呆然と立つ二足歩行の何かがいた。熊ではなく人だ。

「そこで何をしているの?」

 恐る恐る声をかける。

 その人は振り返り、軽く手を振る。片手で持たれた黄色い紙が風でたなびく。

 笑みを浮かべて青年がゆっくりと向かってくる。

「この森、深く入ってはダメなんだよ」

「どうしてだい?」

「それは……」

 私も本当のことはよく知らなかった。ただ周りの大人たちが言うから、遊歩道から外れずに花畑までしか行くことはなかった。目的もなく危険な場所に自分から踏み込むような愚かなことはしない。

 青年は紙を指し示す。

「この場所を知らないか。森が描かれているから、この近くだと思うんだ」

 遠くてよく見えない。

「ちょっと地図を見せてもらえる?」

 緑の短髪の青年がギザギザの髪を揺らし走ってくる。地図を広げ、私は横からのぞく。

「これって本当にここの地図なの」

 森のような絵が描かれているが、どれも枯れ木に見える。地図は経年劣化で黄ばんでいる。

「ここではないのだろうか……」

 カーキ色のサファリハットと同系色のサファリジャケット、カーゴパンツに身を包んだ青年は地図を折りたたむ。

「他を探してみるよ。ありがとう」

 赤い瞳の青年は森林の奥へと進んでいってしまう。

「森の奥は危険なんだよ」

 注意するが、青年は手を振り足を止めることなく進んでいく。

 青年の安全を祈り森林を抜ける。

 道が二つに分かれている。直進すれば街へ、左に曲がれば砂浜へと出る。

 潮の香りに誘われ、砂浜へと下りる。

 海は穏やかに波打ち、太陽の光を反射しきらめいている。砂浜には流木など漂流物が打ち上げられている。爽やかな風が吹き髪をなびかせる。

 流木に座り水平線を眺めているサイドテールの髪の少女がいた。基本はホワイトグレージュ色だが、左のサイドテールはダークグレージュ色だ。結んだ根本には鮮やかな色の羽が三本刺さっている。

「あなた、どこから来たの?」

 ブルーのラインが入ったピンクのTシャツにベルトのついた白色のショートパンツを着た少女は身を震わせて目を見開き立ち上がった。

「森から来たよ」

 来た方向を指差す。

 肩からサコッシュを提げている少女は詰め寄ってきて、私は少し後退する。

「どうやってきりの中を抜けてきたの?」

「……きり?」

 森からここへ来るまでに霧なんてかかっていなかった。

 厚底の黒いブーツから靴下の白いリボンをのぞかせた少女は私の後ろを指し示す。

「霧がかかっているでしょう?」

 振り返るが霧などはなく、下りてきた階段が見えている。

「あそこから下りてきたんだよ」

 方向を示すが、海の少女はいぶかしげに見ている。

「ちょっと案内して」

「……うん」

 階段に向かって歩いていると、海の少女が辺りを見回し始めた。

「どこにいますか?」

 海の少女はすぐ後ろにいるが、私が見えていないかのように狼狽うろたえている。

「ここだよ」

 海の少女に近づき、手を掴む。

「良かった。いなくなったのかと思った」

 痛いくらいに握り返される。

「いなくならないよ。だけど、こんなによく晴れているのに見失ったの?」

 空は雲一つなく快晴だった。

「えっ、真っ白だよ?」

 海の少女は困惑している。嘘をついているようには見えない。一体どんな景色が見えているのだろう。

「このまま案内してもらえる?」

 手を繋いだまま階段へと近づいていく。

「着いたよ。階段を上るね」

「……」

 一段目に足をかけた時、繋いでいた手を風がさらっていった。

 背後を振り返るが海の少女の姿はない。近くに隠れられる場所などないが辺りには誰もいない。

 生暖かい風が吹き、いその香りに息苦しくなる。

「……学校に向かわないと」

 気になるが考えないことにして街に向かう。

 分かれ道へと戻ってきた。木の看板に従い、左へ曲がる。

 公園が見えてきた。この街で一番好きな公園だ。ブランコや滑り台、砂場、トンネルの空いているドーム型の遊具などがある。隅には小さなほこらがあり、奥の大きな木にはしめ縄が巻かれ紙垂しでが下がっている。

「祠がどうかしたの?」

 祠を眺めていたら横から突然声をかけられ、ビクッとする。

 キャンディをめている少女がいた。

「こんな祠あったかな」

「最近できたみたいだよ」

 黄色に赤いアクセントカラーが入っており、キャンディのヘアゴムでツインテールにした少女は言った。

「この公園で行方不明になる子が多いんだって。灯台代わりになるように建てられたみたいだよ」

 少女は遠い目で祠の奥を眺めている。

「本当に帰って来れるのかはわからないけどね。まだ帰って来れていない子も多いみたいだし」

「……そうなんだ。戻って来られるといいね」

「帰って来てくれるって信じてるよ」

 チェック柄のピンクのワンピースを着た少女は賽銭箱さいせんばこに少量の小銭を入れて、二礼し二拍叩くと手を合わせ祈り始めた。

 邪魔をしないように、静かに公園から出る。

 時計を見ると、始業時刻が迫っていた。少し急いだ方が良いだろう。

 ようやく通学路へと戻って来た。

 学校が見えてきたところで、同じ制服を着た女生徒が向かってくる。

「終業式に行かないの?」

 女生徒は聞こえていないのか、通り過ぎて行く。

「ここまで来たなら行こうよ。一学期の最終日なんだからさ」

 大きな声で呼び止めようとするが、歩みを速めるでも遅めるでもなく、そのまま進んで行ってしまう。

 女生徒のスカートのポケットから紙切れが落ちた。

「何か落ちたよ」

 急いで紙を拾い上げるが、女生徒の姿はなかった。

 紫紺しこんの前髪が右目を覆い隠し、くるくると内向きに巻いたミディアムヘアの女生徒だった。あやしい不思議なオーラをまとっていた。

 拾った紙を見ると『一緒に遊びましょう』と文字が書かれていた。

「あっ」

 気がつくと、走らないと間に合わないくらいに時間が迫っていた。

 花畑にいた時にはかなり時間があったはずだが、結局始業時刻ギリギリになってしまった。


 終業式やホームルームが終わり、放課後になってから数十分が経過していた。

 ほとんどの生徒が帰っているが、私はまだ教室にいた。帰る支度はとうに終わっている。すぐに帰ることもできたのだが、そうはしなかった。

 ーー床のタイルが気になり、帰るどころではなかったのだ。

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