ぼんやりと、霧のかかったような暗がりである。境内に足音がざっ、ざっ、と闖入した。人影は辺りを見回すこともせず、乱雑にそれを放り投げた。それは一瞬、月光を反射し、からんと音を立て地面に転がった。

 すかさず、去る人影を麦が追った。それに気づき、小柄な身体を即座に躍らせた彼女は、しかし階段の前で行く手を阻まれた。則人が正面に立ち塞がったためである。

「呪器を手放すだけで呪いの伝播は防げません。手続を踏んできちんと解呪しないことには。そしてこの町で祓えるのは、俺だけです」

 則人が語る傍ら、麦は素手で触れぬよう、慎重に布きれで嚙鏡を包んだ。

「……それって、脅してるの?」

「はい。今から話すことが事実なら、それを全部認めること。それが条件です。あなたが犯人ですよね、花田先生」

「事実なら、ね」

 花田今日子はため息をついた。元より退路はない。顔にうっすら浮かぶ諦念のためか、取り乱すことはしなかった。

「美代ちゃんは蛆釘で誰かを呪おうとし、嚙鏡による呪詛返しで逆に死亡した。蛆釘は手製の物に打ち込むことで、誰かを呪い殺す呪器です。ただ一撃で殺さず、じわじわ苦しめることもできる。殺害は、その物を貫いたときに起こる。

 嚙鏡は呪いを反射します。条件は、呪う側が破片を近くに置いていること。呪われる側が鏡本体を持っていること。

 美代ちゃんは誰かの人代を盗んでいて、これはあなたもご存知でしょうが、倉庫にしまってる人代にはすべて穴が開けられていました。人代が呪いの媒介に使われた。容疑者は、人代並べに参加する二年生の生徒か――」

 則人は、法子の話を思い出す。

去年二年生の担任だった浅野先生は、その直後に骨折して入院した。だからみんな、人代並べに効果なんてないんだと思っている。

 浅野という教師は、人代に厄を引き受けさせられなかった。

「二年の生徒か、です」

 あくまで祓は憤らず、端的であった。

「美代ちゃんが人代を持ち去ったのは十月八日。お守りに鏡の破片が仕込まれたのは、十月九日の夜か十日の朝。この間に美代ちゃんによる呪いを受けた犯人は、呪詛返しを決行することを考えた。

 まず犯人は、十月十四日に美代ちゃんが持ち去った人代の持ち主です――まずここで、三人が除外される。浦川颯くんは人代を作ってすらいなかった。人代を持ち去るのを目撃したのは法子ちゃんと大月弘哉くんですが、二人は人代を倉庫にしまう前だった。持ち去られることはない。

 次に、お守りに入っていた破片。あなた含め、全員のお守りに入っていました。お守りには名前が縫い込まれていて、破片を持たせたい人だけを狙い撃つこともできました。破片に気づかれるリスクを負ってまで全員分に仕込んだのは、

 角田こころちゃんは、法子ちゃんから人代の盗難について聞かされていた。十五日の朝のことです。破片を仕込む前に、美代ちゃんが呪い手だと理解できたはずです。こころちゃんも違う。

 そしてくるみちゃんと沙織ちゃん。この二人は十四日より前に人代を完成させていました。美代ちゃんによる盗難も知らなかった。でも、この二人は違う。何故なら美代ちゃんが、人代を使って二人を呪おうとは考えないはずだからです」

「いきなり感情論? 確かに夕木さんと足立さんは仲が良かった。だからって、」

「違います」

 則人の語気に、花田の反駁は途切れた。

「お守りにマスコット。二人が作ったものはいずれ手に入ります。それを作っている様子は美代ちゃんだってしっかり見ていた。

 お守りはくるみ、マスコットは沙織。作り手もはっきりしている。

「犯人は十四日には人形を倉庫にしまっていて、十六日時点で美代ちゃんが盗んだと知らない人物。そして、人代以外に釘を打ち込む物を作っていない。花田先生、あなたです」

「……反論しても無駄なんでしょうね。その鏡を捨てた以上」

 花田の視線が、手元に注がれた。暗闇の中でも、麦はそれを感じることができた。

「――いったい何がいけないの? 殺される前に殺すことの。大体、夕木さんが釘を貫かずにいれば死なずに済んだ。それなのに、私だけが責められるの?」

 則人は答えない。

 花田の言葉には理がある。麦はそう思った

「夕木さんに恨まれる理由だって分からない! もしかして、自分より好かれてるのが気に食わなかったのかな……あなたは私に、どうしてほしかった?」

 麦はひたすらに祈った。則人が祓として無情に、ただ断罪できることを。同時に、則人にはそれができないこともよく知っていた。

「私は、自分のことを嫌いな人間が一番嫌いなの」

 それは己に言い聞かせるかのような吐露だった。

「……じゃあ、お祓いよろしく。逮捕なんてできないけど、村八分でも報復でも好きにしてね」

 立ち去る花田を、麦は追えなかった。則人も、道を空けすらした。佐古牛を出た今、則人に残された手段は祓うことと、忌々しい私刑だけである。

 夜はまだ長い。則人は麦から嚙鏡を受け取ると、そのまま邸宅の方へと進んだ。

「大月さんに許可は取ってあります。この家で、祓います。……立ち会いますか」

「もちろん」

 麦は則人の肩に、労るように手を添えた。

 時刻は二時を回っていた。

「寒くない?」

「大丈夫です。麦さんこそ」

「私は、暑がりだから」

 しんと静まった室内に、善蔵が立っていた。熱い茶を入れてくれたようだ。だが則人は、卓に置かれたそれに見向きもせず、祓のための部屋へと進んだ。

 祓うのに立ち会うのは、二度目である。手順は同じだった。呪器を、簪で突く。たったそれだけなのに、ひどく重苦しい儀式であった。

「ようやく、終わったか。感謝する……また世話を掛けてしまって、申し訳ない」

「いえ。俺は俺の仕事をしただけです。それにまだ、終わりじゃない」

 嚙鏡と、蛆釘。二つの呪器が並んで、巾着に入れられる。

 くるみと沙織、それに、巻き込まれた子供達。

 則人は、彼ら彼女らの顔を思い浮かべているのだ。麦はなんの疑いもなく、そう思った。

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