二――真島法子の述懐

  十月七日


「はあ? 先生にちゃんと持っててって言われたじゃん!」

 こころちゃんが声を高くした。けらけら笑うときの高い声は好きだけれど、今のは心臓を直接刺すような感じがする。

「良いでしょ別に。いちいち借りるの面倒だし、手伝ってあげるんだから」

 反対に、美代ちゃんはいつでも冷たい声をしている。心の上に分厚い氷があるみたいだ。私は美代ちゃんの後ろの、くるみちゃんを見た。彼女は争いが嫌いで、誰とでも仲良くしようとする。今だって触角をいじりながら、もやもやしたものを抱えているんだろう。何かを言えば、それがまた火種になってしまうから。

 私たちは今、倉庫の鍵をどうするかで揉めている。

 人代並べは、二年生が参加する行事だ。人代という木の人形を手作りし、夕桟神社に並べる。人代に厄を引き受けてもらうのだ。

 ただ、去年二年生の担任だった浅野先生は、その直後に骨折して入院した。だからみんな、人代並べに効果なんてないんだと思っている。 人代は、係が――つまりは私とこころちゃんが回収した上で倉庫にしまうことになっている。人代を机の中とかに放置しておくと、穢れがついてしまうからだ。

 つまり、係がいる時間にしか人形は作れない。取り出すにもしまうにも、鍵が必要だから。

 けれど、美代ちゃんは、作った人が自分でしまえば良いと言うのだ。そのために倉庫の鍵を、誰でも取れるところに置く。確かにそうすれば、みんな好きな時間に作業ができる。でも、何かあれば鍵を任された私たちの責任だ。

 美代ちゃんはこころちゃんとの一騎打ちになることを悟ったのか、一パーセントだけ私に投げていた視線を、完全に逸らした。

「効率よくやろうよ」

「それで鍵がなくなったら責任取れるの?」

 こころちゃんが私を見た。頷くのが、私の限界だ。

「あのさ、」

 くるみちゃんが、おずおずと言った。

「誰かと二人で鍵を開け閉めするようにしたら? それなら、なくすこともないんじゃない?」

「……ああ、うん、なら良いんじゃない。その代わり、先生とか、他の学年には絶対漏らさないでよ。美奈ちゃんにもね」

「分かってるよ。てか、あの子人形作るか怪しいし」

 美奈ちゃんは美代ちゃんの妹で、今は一年生だ。けれど、学校にはあまり来ていないらしい。聞けば男子に、美代ちゃんの「占い癖」のことでからかわれたからだとか。

 こころちゃんの投げやりな答えで、話は終わった。こころちゃんも美代ちゃんも同じくらい、クラスで人望がある。でも、真面目なこころちゃんの言うことはたまに正しすぎて、横から美代ちゃんに賛成を奪われるんだ。

 言い争う間にもう日が暮れていて、私とこころちゃんだけが教室にいた。

「ごめんね」

「なんで法子が謝るの」

「何も、言えなかったから……」

 こころちゃんは三つ編みを揺らして、こっちに顔を向ける。口は横にぴんと伸びて、眉はへの字になっていた。苛立ちを抑える顔だ。次になんて言われるか、私は知っている。

「法子は悪くないよ」


 十月十四日


 それから、クラス全員に鍵のことが伝えられた。鍵は倉庫の脇、鉢植えの土に埋まっている。使ったらしっかり戻すこと。二人以上で鍵を使うこと。

 水やりは環境委員の浦川くんがやるので、先生にはバレないだろう。不便さはみんな感じていたらしく、反対する人はいなかった。こんな空気じゃ、思っても言えないだろうけど。

 夕桟中学校は生徒数がどんどん減っている。今まで町の西部から通っていた子が、夕桟第二中へ行くようになったせいだ。

 あっちは道路もちゃんとしてるしお店も多いから、この辺りの子でも第二中に進学したりもする。

 そんなわけで、うちの学校に二年生は七人しかいない。男女も偏っていて、男子は浦川くんと弘哉くんの二人だけだ。

 顔を上げると、その弘哉くんと目が合った。弘哉くんは、優しく微笑みかける、なんてことはしない。代わりに、

「終わるか?」

 と私を気遣うようなことを言ってくれる。みんなに対してそうだ。だから、私が特別なんてことはない。

 鍵についての決定がされてからちょうど一週間。確かに、作業が効率よく進むおかげで今週末の人代並べにまでには完成しそうだ。

「あとちょっと。そっちは?」

「もう終わるよ。足の長さ違うけど」

「ほんとだ」

 弘哉くんの作った人形は左足がちょっと長い。少し適当なところが彼らしいけれど、ちゃんと立つのかが心配だ。

 ともかく、これで人代は完成だ。浦川くんを除けば、全員分のが。

「まあ良いだろ。暗くなる前に倉庫入れよ」

 弘哉くんがリュックを背負い、人形片手に立ち上がる。「鍵は二人で」のルールのおかげで、放課後一緒に作業が出来た。こころちゃんには悪いけど、内心、この決め事に感謝していた。

 けれど、緊張のせいか、倉庫に向かう間の会話が続かない。さっきまでは人代を作ることが逃げ場になっていた。でも、今はそれがない。

「よく角田、納得したよな」

「え?」

「鍵のこと」

「……ああ」

 納得しては、いないと思う。こころちゃんは多分悩んでいるんだ。自分の「正しい」が必ずしも受け入れられないことに。

 でも、それを言って良いんだろうか? 勝手にこころちゃんの心を喋る権利なんて、私にはない。

「おい、あれ」

 私がそんなことを考えていると、弘哉くんが窓の外を指さした。「夕木?」

 校庭の方に走り去るのは、美代ちゃんだ。片手に抱えているのは……人代?

「あいつ、一人で倉庫入ったのか」

「みたい、だね」

 倉庫の前に着き、美代ちゃんの走り去った方を見る。自分が言い出した癖に、こころちゃんが折れたっていうのに、美代ちゃんはルールを破った。逃げるような背中を見て、無性に腹が立った。こころちゃんに言えばカンカンに怒るだろう。けれど、きちんと伝えて、私も一緒に怒ろう。

 後ろで、弘哉くんが鉢植えの中から鍵を取りだした。

「しまうか」

 倉庫の中は薄暗くて、夕日が入ったくらいでは全然身動きが取れなかった。

 弘哉くんの人代を受け取り、私の隣に置く。 暗がりの中で無理に手を伸ばしたから、横の人代が落ちてしまった。からん、と嫌な音。幸い、人代は割れていなかった。でも、誰かの身替わりを落としてしまうと気分がよくない。

「大丈夫か?」

 弘哉くんが、落とした人代を手渡してくれた。何気なくその裏を見る。小さく、名前が書いてあるはずだ。暗闇の中、何とかそれが読み取れた。

「……え?」

「どうした?」

「これ、美代ちゃんの人代」

 人代には名前を彫るルールになっている。少し丸みがかった、可愛い字。夕木美代。間違いない。

 弘哉くんは「ふーん」と言って、倉庫から出た。

 鍵はしっかりしまった。弘哉くんとせっかく一緒に帰れるのに、私の頭にはずっと疑問が渦巻いて、会話はろくに覚えていない。

 美代ちゃんは、誰の人代を持ち帰ったんだろう?


 十月十六日


 くるみちゃんは、誰とでも仲が良い。美代ちゃんやこころちゃんとはもちろん、私にだってよく話しかけてくれる。浦川くんは無口だけれど、くるみちゃんにだけは自分から挨拶をする。

 中でもよく一緒にいるのは、沙織ちゃんだ。帰るときも一緒だし、クラス全員分のお守りと、フェルトのマスコットを作ってくれたのも、くるみちゃんと沙織ちゃんのふたりだった。

「はい、みんな集合!」

 快活に言って、くるみちゃんは箱を掲げる。背は小さくて目もくりんとしていて、小動物みたい。なのにどこから、あんな元気な声が出るんだろう。

「お守りだよ! 合唱頑張ろうね! あ、これは沙織ちゃんが作ったぬいぐるみ。可愛いでしょー」

 綺麗な青い、サメのマスコットだ。沙織ちゃんがこういうことをするのは珍しい。先週から二人してずっと作っていて、その姿はすっかり馴染みのものだった。

 十月には、町の合唱祭に出ることになっている。二年生全員をかき集めても足りないし、男女のバランスも悪い。そこで、一年生を加えた十五人で、夕桟中合唱団が作られた。夕桟第二中からは合唱部が出場するのに、こっちは生徒の寄せ集めだ。勝てるとも思わない、けれど、くるみちゃんは真っ直ぐだ。

「ん、これ。法子ちゃんのね」

 お守りとぬいぐるみのセットを受け取る。お守りには器用に「のりこ」と名前が糸で描かれていた。

 沙織ちゃんはクールで、多分、お守りに合唱祭の命運を賭けてなんかいない。沙織ちゃんは、お守りじゃなくて、それを真剣に作るくるみちゃんが好きなんだと思う。気持ちは、少しだけ分かる。私だって、正しさを貫こうとするこころちゃんが好きだ。

「人代作りながらこっちも作ったの?」

「そうだよ。昨日できたの。ハナちゃんの分もちゃんとあるし」

 まるで友だちのように呼ぶが、ハナちゃんというのは花田先生、私たちの担任だ。

「そっか。ありがと」

 お礼に気持ちが入りきらなかったのは何も、沙織ちゃんのせいではない。

 美代ちゃんが倉庫に一人で入っていたこと、誰かの人代を持ち去っていたらしいことを伝えると、こころちゃんはそっぽを向いてしまった。昨日の朝からずっとこの調子だ。

 こころちゃんは機嫌を悪くすると、棘を向けるのではなく殻にこもってしまう。言葉の節々に壁を作って、私を立ち入れなくする。それがまだ、尾を引いていた。

 お守りが一通り配られる。私が席に戻るのと、こころちゃんが立ち上がるのは同時だった。

 くるみちゃんと弘哉くんが話していた。弘哉くんがふざけて中を覗こうとして、それをくるみちゃんが小突く。妙に似合っていて、嫌な気持ちだった。

 たまらず目をそらすと、こころちゃんが、浦川くんのところへ行くのが見えた。浦川くんは休みがちで、まだ人代も作り終えていない……それどころか、手つかずだと聞いている。彼の彫刻刀は綺麗なままだし、机に木くずも見当たらない。お守りを受け取りにいかない浦川くんを、こころちゃんが促す。渋々、彼は立ち上がった。

 次に美代ちゃんを、ちらりと見た。やっぱり人代のことが頭から離れない。

 小学生の頃、縄跳びが流行ったことがあった。せーの、と声を揃えて、友だちと一緒に跳ぶのが楽しかった。もちろん、流行り物に敏感な美代ちゃんだってそこにいた。

 縄跳びは学校に置いてある。児童も少ないから、足りないなんてことはなかった。それなのに、美代ちゃんはわざわざ自分のを持ってきて、ラメ入りのピンクの縄跳びを、どこか見せびらかしながら跳んでいた。

 何気なく、学校のを使えば良いじゃん、と声をかけたことがある。すると、

「だって、自分のものじゃないと嫌じゃん」

 そのときは、潔癖なんだな、と思ってそれきりだった。けれど、今なら分かる。あれは多分、自分のものと人のものを、はっきり分けたかったんだ。そんな美代ちゃんが、他人の人代を持って帰るだろうか。

 もしかしたら、嫌がらせかもしれない。誰かの人代がなくなったり、壊れたりするかもしれない。そのときは、はっきり言おう。美代ちゃんが誰かの人代を持ち帰っていたと。

 弘哉くんもいる。大丈夫だ。



 十月十七日


 人代並べの日。朝早くから夕桟神社に行くことになっていた。人代を置く台を準備するためだ。鍵のことを申し訳なく思ったのか、手伝ってくれると美代ちゃんから連絡があった。

 こころちゃんの家で待ち合わせて、夕桟神社へ向かう。その途中で、美代ちゃんの家に寄ることになっていた。

「人代のこと、ハナちゃんに言ってある」

「え?」

「美代ちゃんが、誰かの人代持ってったって。私が言っても美代ちゃんは、聞かないだろうし」

 それは賢明な判断だったと思う。人代並べがいざ始まるとなって、誰かのものが欠けている――そんなことが起きたら、ひどい空気になる。

 もうハナちゃんは、美代ちゃんに話をしただろうか。願わくば、素直に謝って、すっきりした気分で今日を迎えてほしい。そう思って、美代ちゃんの家の前まで来た。

 ところが、美代ちゃんはいなかった。

「寝てるのかな?」

 欠伸をかみ殺しながら、こころちゃんが言った。「時間ないのに」

「ピンポンしてみよっか」

「まだ六時だよ。迷惑でしょ」

「でも……」

 なんて言っていると、扉がからからと開いて、小さい影がこちらを見た。美奈ちゃんだ。「ごめん、起こしたね」

 こころちゃんが屈み、美奈ちゃんと視線を合わせる。

「お姉ちゃんと約束があるの」

「お姉ちゃんはまだ寝てるけど……起こす?」

「うん。お願い」

 とたとた、と美奈ちゃんが駆けていく。美代ちゃんのお家は、お父さんがいない。お母さんは、車がないから多分、仕事なのだろう。 階段をとたとたと上がる音。その後、美奈ちゃんがじれるように、ノックを強くしていくのが聞こえる。そして――

「お姉ちゃん⁉ お姉ちゃん!」

 こころちゃんと顔を見合わせる。さすがのこころちゃんも困った顔をしていたけれど、それも長くはなかった。

「見に行こう」

 スリッパを履く余裕なんてなかった。鳥の鳴き声がはっきり聞こえるくらい、辺りは静かだ。そこに荒い足音を立てて、美代ちゃんの部屋に向かう。ドアは開いていて、震える美奈ちゃんが部屋からはみ出ていた。

「美代ちゃん!」

 こころちゃんは悲鳴みたいな声で、名前を呼んだ。

 部屋にはパンダのぬいぐるみが大小いくつも並んでいて、それに見守られるように、美代ちゃんは倒れていた。窓は開いている、朝の秋風で、部屋は冷えていた。

顔中に、いや、よく見ると足や手にも、黒い痣を浮かべている。手には、細長い、ヨレヨレの釘が握られていた。おじいちゃんの腕みたいな釘だ。

 こころちゃんがまず動いて、美奈ちゃんを部屋の外に出した。

「法子……救急車……」

 言われるままに、一階に降りる。電話を手に取りながら、私は、美代ちゃんが助かるだなんて思っていないことに気づいた。ただそうする意外、何もできなかった。こころちゃんですら、痣だらけの美代ちゃんには、触れられなかったのだ。

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