痣災い

 突き刺されるような痛みで目が覚める。腕がずきずきとして、棘が入り込んだような感覚だった。慌てて灯りをつけるが、傷も血も見当たらない。ただ、黒い痣が、二の腕から手首にかけて浮かんでいた。

 そしてまた、同じ痛み。汗が噴き出す。病気? 怪我? 違う、と直感した。嫌な気分だった。まるで誰かの尾を知らぬ間に踏んづけていたような、その恨みが刃物になって、自分を刺しているような。

 蛆釘うじくぎだ――すぐに、そう思った。いつだったか、おじいちゃんに聞かされたことがある。蛆釘というのは恐ろしい道具、人を呪うための道具だ。

 他人が作ったものに打ち込むことで、作った人間に痛みを与えることができる。そしてそれをやられると、蛆のような痣が浮かんでくる。今、誰かが蛆釘で自分を呪っている。 蛆釘は、永遠には続かない。一週間だかそこらで、呪いが効かなくなるらしい。けれど、もっと早く終わらせる方法があった。

 打ち込んだものを、蛆釘で完全に貫くこと。そうすれば相手は痣を全身に浮かべ、死に至る。

 死にたくない――殺されたくない。

 呪いには呪いで返せ。心の中で、誰かが言う。この町には呪いを避けるための行事があるけれど、それだけじゃないことは知っている。

 鏡。呪いを返す鏡。逆に相手を呪うために作られた道具。

それがあることを知っている……それにしても、使うことになるなんて。

 呪い殺される前に、早く、鏡を――


 机に並んだ資料を慌ててしまい込み、井上麦は図書館を出た。コピーはあらかたクリアファイルに入れたが、一枚だけ手に持ったまま、スマホを操作する。

 音羽則人の連絡先は知らなかった。彼のことだから、携帯を持っているかすら怪しい。ただ、我妻家の古い黒電話の番号なら登録してあった。

 数コールで、懐かしい老人の声が現れる。

「すみません、則人くんに取り次いでいただきたくて」

 挨拶もそこそこにそう言うと、玄悟は、ふむ、と呟いた。面妖な顔をしているのだろう、と麦は思った。

 やや間があってから、則人の声がした。

「お久しぶりです。もう、連絡してこないかと」

「私も……」

 握ったコピーを見る。カラー印刷でないせいでずいぶん薄暗く刷られたそれは、ある町民の日誌だった。長々と経緯を話すこともなく、直裁に麦は問いかけた。

「《蛆釘》って知ってる?」


 バスを降りると、目眩が麦を襲った。最寄りの駅から四十五分。同じ愛知でも、麦の住む辺りと比べてずいぶん辺鄙なところだった。道は舗装されていないし、郵便局や役場も年季の入ったものだった。

 則人が、とん、とステップから着地する。

「どうする?」

 宿には三時に向かう予定だった。今は一時過ぎと、やや早い時間での到着である。

「お昼ご飯にしましょう」

 麦は、車内で腹が何度も鳴ったことを思い出した。則人は寝ているように見えたが、耳はしっかり起きて聞いていたのかもしれない

 居酒屋と定食屋が横並びになっていた。暖簾をくぐり、定食屋に入る。テーブルがぽつぽつとある奥に、店主と思しい老婆が立っていた。

「いらっしゃい」

 水をすでにふたり分持っている。他に客はいない。

 二人がけの席に座り先に注文を済ませる。そして、麦は資料を手渡した。

 夕桟ゆうざん町には、人代並べという祭礼が伝わっている。手製の人形を神社に並べ、その年の厄を引き受けてもらうという、ありふれたものだ。何かに災いを肩代わりしてもらう行事は、各地に見られる。麦はそれを類型化するつもりで、人代並べひとつに注力してはいなかった。夕桟町という名前も、論文に一度登場するだけのはずだった。

 そうした経緯をまくし立てた後、一枚のコピーを取り出す。

「夕桟がまだ村だった頃、出入りしていた材木商の日誌。補足資料程度のつもりだったんだけど」

 その材木商は、加工しやすい木を求められた。用途を聞くと、人代並べという行事のためだという。そこから興味を持ち、起源を探っていったようだ。日誌には人代並べの起こりをあれこれ探る様子が書かれている。

 老婆は厨房に引っ込んだが、聞かれていないとも限らない。麦は声を潜めた。

「人代並べのきっかけは、公には伝染病ってことになってる。なんでも体中に黒い痣を浮かべて死んだ人間が出て、それから逃れるために始まったんだって」

 別紙を取り出す。東海地方の伝染病の概史である。

「そんな病気は見つからなかった。見た目的にも結構衝撃的だし、記録されてそうじゃない? 村の中ですらその病気に関する資料は見つからなかった」

 ただの疑問ではなかった。佐古牛での一件以降、不審な死の背景には暗いものを感じてしまう。

「で、辿り着いたのが呪器。村の中では公然の秘密だったんだって。《蛆釘》によって誰かが誰かを呪っている。呪われた人間は体中に黒い痣を浮かべる。人代並べは、呪術から逃れるための儀式だったみたい」

 そこまで言って、麦は言葉を切った。老婆が姿を現したからだ。お盆にはふたり分の定食が載っている。それらがデーブルに置かれる瞬間、緊張が走った。老婆の、射すくめるような視線のせいである。

 淀んだ声は、則人に向けられていた。「蛆釘を知っとるんか」

「……はい」

「あんた、音羽さんのせがれじゃな」

「祖母を知ってるんですか?」

「人代並べじゃあ厄を防ぐことなんぞできんかった……。音羽さんがいなければ、今頃この町は呪いまみれじゃ」

 確かに、一度呪器が使われた村である。祓が来たことがあっても、おかしくはない。

「恐ろしい因果や……あんたが来た今、また、蛆釘で死人が出た。しかも、子供じゃ。あんな愚かしいもん、わしらで終わらせなきゃいけんのに……」

「場所を、教えてください」

「夕桟中学校の生徒や。町の、東側……」

 則人は料理を平らげる間もなく駆け出した。麦は千円札を二枚、テーブルに置いて追いかける。

 店を出ると、バスがちょうど来たところだった。行き先は、「夕桟中学校入口」とあった。


 現場はすぐに分かった。

学校の近くに、薄灰の幕が玄関口に張られた家があったためだ。あれで伝染病が防げるはずもない。

「どうする? 佐古牛みたいにはいかないと思うけど」

「そうですね……」

 則人は、故郷以外での祓の経験がなかった。先の老婆くらいの齢なら音羽チヅを知っているだろうが、祓としての権威がここでは通じない。話を聞くことにも難儀するように思われた。

 麦が言うと則人は、

「夕桟神社の神主さんを探しましょう」

「夕桟神社……人代並べをするところ?」

「はい。そこなら、婆ちゃんも立ち寄ったはず」

 則人が歩き出す。麦も、神社の位置は頭に入っていた。中学校の裏手にあるはずだ。

蛆釘の詳細もまだ分からないまま事件が起きてしまった。則人の解説を聞きたいところだが、そんな暇はなかった。

 山道を無理矢理切り開くようにして、石の階段が備え付けられていた。先は見えないが、ここが夕桟神社なのだろう。

 上りきった先に、はかま姿の男が立っていた。そして、隠れるようにして、眼鏡をかけた少女。

「どなたかな」

「音羽則人と言います」

 その名前を聞いた途端、男は目を見開いて、すがるような顔つきになった。あからさまに警戒していた空気が、すぐさま弛緩した。

「……音羽とは、もしや」

「祖母が世話になりました。俺は、音羽チヅの孫です」

「世話になったのはこっちだ。先代が、随分感謝していた。そして、今来たということは」

「また事件が起こったみたいです。俺がここにいたのは偶然なんですが」

 麦は、定食屋の老婆の言葉を思い出した。恐ろしい因果。音羽の血と呪いは、同じ渦の中にあるのかもしれない。

「だから、詳しい話は知らないんです。よければお聞かせ願えませんか。やれることは、やりますから」

 男は檜屋ひのきや善蔵ぜんぞうと名乗った。則人と善蔵が話す間に、麦は、後ろの少女に歩み寄った。目線を揃えると、眼鏡の奥の怯えた瞳が、ちらと麦の方を向いた。

「こんにちは。お名前、なんていうのかな」

「……真島法子です」

 冴よりかは、心を閉ざしている様子はない。最初は善蔵の娘かとも思ったが、違うようだ。「法子ちゃん。この方たちはな、今回のような事件によく通じているんだよ。よければ、話を聞いてもらわないか?」

 善蔵は呼びかけ、則人の方を向いた。

「実は彼女が、気になることがあると言うので相談に来たんだよ。亡くなった美代ちゃんとは同級生で」

「子供が亡くなったとお聞きしましたが……」

「ああ。中学二年生だ。痛ましい」

 佐古牛では冴が、海野によって呪殺の加担者とされてしまった。今度は、子供が子供を殺したのだろうか?

 則人が法子に歩み寄った。

「今この町で起きてしまったことは確かになくならない。けれど、次同じことが起きるのは防げるかもしれない。ゆっくりで良いから、気になることを話してくれ。できるだけ、細かく」

 法子は自分より少し年上の少年を見上げ、ここ数日のことを思い返した。 

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