二、後宮

第7話 父親

 今回、花永公主かえいこうしゅ章理君しょうりくんを迎えに来た文義ぶんぎは、このまま休まずに西方管区一の街、鉤索こうさくへと向かった。


 そこで馬だけを取り換え、首都・泰玄たいげんへと至る西の交通の大動脈、西泰道せいたいどうを首都へと急いで向かう。


 ある程度から下の者には、香雪妃こうせつひ、花永公主と章理君は宮城にいる、と説明しているため、出迎えるものはいない。


 宮城きゅうじょうに入り、政務空間と後宮との分かれ道である午門ごもんを抜けると、皇太后が遣わした迎えの女官が来ていた。沈鬱な表情の香雪妃と、怯えている花永公主と泰然とした章理君を女官に受け渡す。


 帰ろうとすると宦官が来て、主上が夜、話があるとの仰せです、と文義に伝えた。


 ――やれやれ、若造め。香雪妃をお迎えすることに怖気付いたか?


 内心で毒づきながらも、にこやかに「伺いましょう」と応対する。



 夜は皓々こうこうとした月が黒い空を照らす。そろそろ星が冴え冴えと見え始める時期だ。

 特別に許されて、皇帝の私的な空間である後寝の宮殿の一つ、鏡清宮きょうせいきゅうへと通された。


 宮殿の客間で、文義が、西方大都督の略礼装である、白に黒の流水紋の縫取りのされた上衣下裳を着て跪いていると、しゅる、という衣擦れの音がした。


 浅葱色の襟大袖袍きんたいしゅうほうという非常にくだけた格好をした、偉丈夫がせかせかと客間に入って来た。

 白くはあるが鍛え抜かれた肉体に、つやつやとした黒い髪を持ち、その白皙の顔には意志の強そうな二重の切れ長の目が光っている。


「ご苦労だった、文義」


 現皇帝、瑛毅えいきである。


「章理君と花永公主は今のところは香雪妃とともに皇太后さまの御在所におられます」

「知っている。少し遠くの物陰から見た」

「もうご覧になられたか。ほんにお可愛らしくてお二人ともあなた様にはもったいない」

「この爺め、口だけは健在と見える」


 瑛毅はにやりと笑う。黒檀の卓子のある席へと文義を案内した。

 文義に茶や酒などは出されなかった。水の一滴も。瑛毅も同じ。お互いがお互いを毒殺することを恐れてである。


 西方は国境の密林地帯に近く、皇帝に逆らう者共が多い。

 それをまとめる西方大都督や西方の大貴族らは、自然と反骨心のある者となっていく。

 香雪と瑛毅の婚儀は、西方を治めるためという意味合いが強かった、が。


「香雪はやはり西方の女だな。貴族の女が農婦同然の暮らしを十年近くも続けるとは、気丈すぎるだろう」

「その気丈なお方を壊したのはどこのどなたかな」

「ふん。二人はどう育っている」

「どうもこうも、まともに育っておられる。花永公主は、あれはご聡明でございますなあ」


「ほう」と瑛毅は頬杖をついた。


「そなたがそう見るとは余程だな」

「香雪さまが反物を作っておられてな。花永公主はその反物を見事な手腕で売っていたそうでござる。その弁術、生半可な商人には決して劣らぬと」


 がはは、と瑛毅は愛娘だった少女の快挙に膝を打って笑った。


「あの年でか! さすが」

「おしむらくは女子であること。女子は政治に参加できませぬ故」

「さようか。して、問題の端粛は。太子にする器はあるか?」

「孝心ありて他人想いのお方でござる。おとなしく健気なお方でございますな。……少々、臣下の輔弼が必要かと」

「……」


 はあ、と瑛毅は溜息をつく。おとなしい性格では国君はつとまらない。少々自我が強い方がよい。その顔色を見て取り、文義が聞く。


「皇太后さまの御意志は」

「堅い。端粛を太子に。これは変わらぬし、譲れぬ、と」

「その、謹良様は?」


 謹良とは、第二皇子のことである。母は香雪妃ではない。端粛が宮城にいない今、太子に冊立される予定だった。だが。


「それでも端粛の人柄を聞くに、謹良という選択肢はやはりなくなった」


 よほどなお方であるらしいな、謹良という皇子は、と文義は少し視線をずらす。その先には闇しか見えなかった。

 端粛が気弱なだけで人として立ってゆける性格なのに比べ、謹良は、八歳にして乳母から全く離れず、その乳を吸いたがる。これを太子にするのには骨が折れるぞ、と文義も思っていた。


 瑛毅とその母皇太后は謹良に呆れ果て、であれば西方にいる端粛を呼び戻したほうがいいと判断した。


明月后めいげつこう様のお心は?」


 謹良の母を明月という。瑛毅の皇后であった。もちろん自ら腹を痛めて生んだ子が、太子となることを願っているだろう。だが、若き皇帝は首を横に振った。


「そういう女ではない、あれは」

「さようでございますか。失礼を」


 明月は瑛毅最愛の女性と言われている。従順で、よく婦女の本分をわきまえた女性であると聞く。妻も娘も気骨に溢れている文義などは、ちょっと羨ましいと感じてしまうくらいの「良妻賢母」だった。

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