第6話 出発

 そよ風が色づいた葉を運んできた。ひらりひらりと舞うその葉は、静嘉と文義の間に静かに落ちた。


「ど、どうしてそんなこと」


 静嘉は躊躇ためらいがちにいた。文義はそれに、あっけらかんと答えた。


「香雪妃の亡き父上とわしが、親友同士であったため。香雪妃の亡き父上は官僚でな。実家の斉一族がこの付近を我が物顔で闊歩するのを許さなかった。そんな彼とわしは気が合ったんじゃ。斉本家からは爪弾き者にされながらも、まっすぐ顔を上げているところとかの」


 香雪は固かった表情を少し和めながら、文義に一礼した。祖父の話も初めて聞いたが、父が皇帝であるという話よりは現実味を感じる。


「それで、親友の遺した娘を哀れんで、斉家と交渉してここに置いた。香雪妃は無事御快復なさり、お子たちをお育てになっている、ということじゃ」


 足元が崩れていくのを感じる。では、この穏やかな暮らしは、母や自分や弟が自ら得たものではなく、文義や斉一族なる大貴族に守られたものだったということか?


「あの」


 端粛が細い声をあげた。


「つまり、ぼくたちは皇帝陛下のこどもだということですか?」

「そうじゃ。端粛様」


 文義が微笑んで答えると、端粛は、おどおどと訊いた。


「あの、このようなことをお聞きするのも、気が引けるのですが……、皇帝陛下のこどもということは、楽な暮らしがたくさんできるということですよね」

「……まあ、そうなるな」


 端粛は、いきなり、がばりと頭をさげる。


「ぼくは構いませんから、姉さまと母さまを連れて行ってくださいっ……!!」

「端粛様」

「母さまと姉さまはぼくなんかよりもいっぱい働いて……ぼくは何一つできないのによくしてもらって……、だから、お二人には楽な暮らしをしてほしいのです」

「端粛?」


 静嘉は傍らの弟を見た。弟は雪のように白い頬に、一粒の涙を零していた。


「お願いします、お願いします、文義、様……! ぼくはなんでもします」


 文義は静かに吐息を漏らした。その後、苦笑する。


「端粛様のほうこそ何が何でも連れて帰れとのご命令なのだが、その端粛様からそういわれては仕方あるまい。端粛様、母君と姉君を想う孝心はあっぱれなもの。そのかわり、端粛様には大きなご苦労を背負っていただくことになる。良いか?」

「かまいません。なんでもいたします」


 気弱な弟は、その柔和で繊細な切れ長の二重の目に、固い決意と強い意志を宿していた。弟は静嘉の袖を掴む。


「姉さま、この御方に主上のところへ連れて行ってもらおう。ぼくは父親とかいうものがどういうものかわからない。でも、この御方に従えば、ぼくはまだしも、姉さまや母さまは楽な暮らしができる」

「……でも」

「姉さまはこのまま抵抗して、どうしたいの? 抵抗したところできっといいことにはならない、と思う」

「端粛……」

「ぼくは姉さんに苦労をしてほしくない。母さんにも」


 弟の言葉に、静嘉はがっくりと項垂うなだれるしかない。香雪は丁寧に文義に礼をした。

 文義は傍らに控える盛徳にすぐに命令すると、用意していた軒と馭者を、静嘉達の家の門前に停めた。


「参ろうか」


 軒二台が大通りに出ると、護衛のためにと軍列が静嘉達の周りを取り囲んだ。それにも驚いて、意外としっかり状況を受け入れている端粛に比べ、静嘉はやや恐慌状態を引き起こした。

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