第5話 出生
この国は五つの管区にわかれる。西方大都督とは、その西方管区の軍事・行政の長である。そんな文義と真向かいに座った静嘉は、まだ何かの間違いだと考えていた。
「さて、香雪妃。お聞き苦しい話をするが許してくだされ」
香雪は文義の言葉に静かに頷いた。文義は姿勢を崩し、胡座になって懐から扇子を出してあおいだ。気さくに静嘉に聞いてくる。
「静嘉さまと端粛さまにはお父君について、お母君からどう聞いておられる?」
「端粛が生まれたとき、病で亡くなったと」
すると、文義が「あの若造め、死人にされておる」と吹き出した。
「何か問題でも?」
「いや、こちらの事情よ。なんでもない。どのような病でか、おいくつで亡くなられたか、どのようなお方であったか、名前は、聞いておるか?」
「……」
そういえば、聞いたことがない。ただ母は、端粛が生まれたときに、病で亡くなったとしか繰り返さなかった。それを気にしたことはない。母の愛情で満たされていたし、弟もいたし、なにより生活に追われていたから。
村で見る娘たちの幾人かはそうであるように、流行り病かなにかで亡くなったのだろうと思っていた。
「おかしいのう。母君が幼い娘を怖がらせないために、病についてはぼかして語ることがあろう。しかし、父親について具体的な話をせぬとは穏やかならざる話。名前すらも教えぬとは、疑問に思われなかったか?」
疑問に思ったことは、正直あった。けれど、恐ろしくて聞けなかった。母は後宮の女官だとぽっつりと漏らしたことがある。それ以上は何も。
後宮の女官として母は何をしていたのだろう。どうして自分たち姉弟を身ごもったのだろう。後宮は男子禁制だと、静嘉は聞いている。
――どういう、こと。
文義は静嘉のまっ青な顔を窺い、かか、と笑った。
「そういうことじゃ。静嘉さまたちは村の者ではないじゃろう。何もしておらぬのに村からつまはじきにされておる。おそらく香雪妃は自らの前歴を後宮の女官だとおっしゃっておいでだったろう。そうならば、父親は誰だという話になる。しかも四歳も年下の弟を儲けられる、長く関係のあったお方は。皇帝陛下しか考えられぬ」
かなかな、と秋の蝉の哀しげな鳴き声が聞こえた。
文義は静嘉がその真っ黒な瞳をこちらに向け始めたとわかると、今度は折り目正しく座り直し、静かに語りだした。
「香雪さまはこの一帯を治められる
そこで商売してました、などとはいえない。首を横に振る。
「香雪さまは赴かれたか?」
「葬式の前の日に、おばさまのご厚情で、亡くなられたおじさまのお顔だけは拝見することが出来ました。すぐに帰りました」
「だろうのう。斉家は一応、香雪さまとお子のお二人を全力で探している、ということになっている故」
文義は静嘉と端粛にむかって、「これから昔語りを致します」と一礼した。その声が、どこか悲しく淋しい。
香雪は、消え入りそうな顔でうつむいていた。
「今から十年ほど前、主上の妃が、子二人を連れて後宮から逃げた。妃というのは后の下、嬪の上。まあ、後宮にも序列なんぞというものがあり、いうなれば二番めに偉いきさきが後宮から逃げたのよ。珍事じゃな。お子たちは、一人は四歳になったばかりの
「……それが、わたしたち、ですか?」
「ああ。香雪妃はそのとき、栄耀栄華の絶頂にあるように見えた。見えたんじゃ。ほとんどの人には。だが……。妃。ここでのご静養で随分とお顔色もよくなりましたな。お子にお話ししてもよろしいか」
香雪は「はい」と頷いた。
「当時の香雪妃は見るも憐れな状態であった。髪の毛は
「何故……」
それ以上は、という香雪の視線を受けて、文義は肩をすくめた。
「後宮は伏魔殿よ、というしかないな。わしにはそれ以上のことはわからんし、主上と斉家のものから話を聞いただけ。後宮はともかく、皆が手を尽くして探したが、まったく見つからぬ」
「それで、ここを探し当ててきたのですか?」
端粛がおどおどとした声で尋ねた。
「違うな。わしはすでにお二人がここにいることは把握しとった。というより、この館を用意したのはわしじゃ。隠しておったのはわしゆえ」
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