第2話 商売
しばらくすると、寺の門が、ぎぎっという音を立てて開いた。
そのなかから、白い喪服を着た、悲しそうな顔をした人間が数名出てくる。さすがに彼らは静嘉たちにとりあわなかった。喪主とその家族だろう。
だが、その後。法事にふさわしくない笑い声を立てながら、礼服を着た人間がつぎつぎと現れた。数が多い。
「姉さま」
端粛が静嘉にすがる。静嘉はうなずいた。
「そういうこと。ちょっと前に、今日、このお寺で、ものすごくえらい貴族さまの、法事があるって聞いたの。母さまがぽっつりおっしゃってた」
「ばちあたりじゃないかなあ」
「かもね。でも、お寺への参道から市場に行くのは面倒だから、参道で売ったほうがお客さんのためになると思うのよ。……端粛、売り物を出して」
むしろの上に、静嘉がせおってきたかごを置く。そのなかから、色あざやかな織物があふれだす。すべて、静嘉と端粛の母親が織ったものだ。
端粛は織物をていねいに取り出し、自分の肩にかけて、ゆっくりと参道をくるくる歩いた。
少女と見まごう端粛がそうしてくれるだけで、客が集まりやすい。案の定、端粛に惹かれて、礼服を着た女性がつぎつぎとやってきた。法事とは関係ない通りすがりの人だが、ひとだかりに引き寄せられる人もいた。
「本当にきれいな織物」
静嘉は愛想よく、にっこりと笑う。
「私たちの母が織りました。なかなかほつれないんですよ。しっかりと織ってあって……」
そういいながら、かごから刃物と布を取り出し、布を切ろうとした。だが、まったくもって布が切れない。
——母さまは本当に織るのがお上手。
静嘉は商いの最中なのに、母を心のうちで褒めたたえた。かつては都で後宮の女官をしていたという母は、後宮で習ってきたという織物を何よりも得意としていた。
「よし、買った! このくらいでどうかしら」
女が、銭五十文を静嘉のきゃしゃだがしっかりしている手に渡してきた。静嘉はにっこりとまた愛想よく笑う。
「ありがとうございます! ……あぁ、そういえば、お客様」
静嘉は少し悩ましげな表情をする。女は、不審げな顔をした。
「なんだい?」
「あのう、もうひとつこちらの織物をおつけすると」
かごからもう一枚、織物を取り出した。はためにも非常に良い織物だとわかる。
「少し安くお売りできます。本来は二つで百四文なのですが……百文で」
法で定められてはいないが、習慣で、たいてい銭は大抵百文を数珠繋ぎにする。その際、数珠つなぎにしてある銭を百文と数えて実際は九十六文しかない場合が多い。実際の価値より四文低く勘定される。だから、こちらも本来の価値の百文より四文多く提示しておき、元の価格に値引きした。
きりがいいので、女は目の色を変えた。
「買う! 買うわ!」
もう一つと静嘉の手に数珠繋がりの銭が渡された。静嘉は先ほどの銭五十文を返した。
お互いににっこりと微笑んだ。
「ありがとうございます」
「ありがたいわ。参道で商いしてくれて。親戚の法事だったんだけれどね、もう遠い旅で、布が足りなくってね。これでなんとかしのげるわ。坊やも、お姉ちゃんのお手伝いして偉いわね」
女は、端粛の頭を撫でた。彼は「はい」とおっとりと微笑む。
その後も、静嘉と端粛の織物は飛ぶように売れた。織物のつまっていたかごは、銅銭で満たされていく。
その様子を、少し離れた場所から、静嘉より少し年上の、白い喪服を着た少年が眉をひそめて見ていた。真面目な秀才を絵に描いたような少年は、粗末な服をまとった少女と、その弟をみながら、さげすむようにため息をつく。
「父上の法事につけこんで、あろうことか商売をする民がいるとは」
喪主であるところの少年は、頼もしく気高く言い放つ。その姿に、彼の母はうなずきながらも少しだけ諌めた。
「あの子たちはまだ子ども。まずしいのですよ。まずしければどこでも商売をいたしましょう」
「私が主上のおそばに参じ、この国の政を動かせるようになったおりは、あのような卑しい娘たちを減らさなければ」
「さすがですわ」、と彼の母は微笑んだ。
「母は、楽しみにしております。——
瑞景とよばれた少年は力強くうなずいた。
口ではさげすみながらも、あの貧民の娘、綺麗な格好をすればかなり見映えがいいのに、と惹かれつつ。
日が傾くなか、静嘉と端粛は手を繋いで、坂になっている畦道を歩いて家に帰っていた。
「いっぱい売れたね」
端粛が無邪気に笑う。静嘉も笑いかえす。
「そうね。稼いだ銅銭で、ちゃんとお肉や、糸や、お薬も、市場で買えたし……」
貴族の娘で、後宮女官だったという静嘉たちの母は、この地域に縁がほとんどない。
この地域に住む農民であれば、お互いの持っているものを融通する。だが、よそものである静嘉たちの家には何も融通されない。静嘉たちも、他の人たちに融通するものを何も持ち合わせていない。
だから、稼ぐしかない。
静嘉はあと数年すれば、どこかの家に奉公へ上がろうと考えている。それで金を貯め、母たちを連れて西方都督府のある都市・
まあ、どこかの家に奉公に上がれて、お金が貯められたら万々歳だ。
「母さまはどういう料理を作ってくださるかなあ!」
端粛が、脳内で未来予想図を描く静嘉の袖を引いた。彼女は、「そうだね」と弟に返し、その顔を見る。
弟が本当に、きれいな笑顔で大きく笑っている。
——この笑顔を守りたい。ずうっと。
それが、静嘉の人生の目的。一生変わることはないだろう。
畦道から普通の道に出て、少しだけ小高い坂を登ると、小さな石造りの家があった。決して粗末なあばら屋ではない。大門をくぐると、見慣れた精悍な大男が立っていた。
「盛徳おじさま!」
静嘉はよろこびの声をあげて、彼に抱きついた。端粛も同様だ。
「どうしたの!? おじさま。あがってよ! 母さまもきっと待っているよ」
盛徳は、ふたりを宝物を扱うようにそっと一気に抱き上げた。
「おふたりとも、ご息災そうで何よりにございます」
彼はふたりに対し、非常にていねいな物言いをする。それを不思議に思ったことがあり、静嘉は問いただしたが、はかばかしい答えは得られなかった。ただ、こう繰り返すのみだった。
——おふたりは私の仕えるべきお方たちですから。
とはいえ、彼が慕わしい人物であることには変わりない。家の様子をちょくちょく見にきてくれて、悪いことをするわけでもなく、いつも穏やかで優しく、働き者だ。
父親が物心ついた時からいなかった静嘉は、盛徳が父親であれば、などとちょっと考えてしまう。
ふたりが盛徳を急かすので、彼はふたりを抱えて、大門と母屋をつなぐ中門である
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