第3話休むことにした

 床に手をつき、俺が真剣に悩んでいる傍ら。

 彼女は渡されたシャツをパシャッパシャっと上下に揺らし、首を捻って「ぅー?」などと唸っていた。

 やめて、シャツと一緒に胸元の帯が捲れ上がりそうになるからッ!

 

「着ぃるっ、羽織ぉるっ、着用っ、召すっ!」

 

 見ないように目を手で覆って隠していると、今度は大声までプラスされて再開し始める。


「その、さっきから何してるんだ?」


 じゃっかん、いや、だいぶ怖かったが隣に聞こえたら嫌だしと恐る恐る指の隙間から声をかける。


「ぱぱっ! 服ってどうやって着るの?」

「どうって、普通に」

「普通……?」


 服を振る手がピタリッと止まる。

 笑顔は打って変わってしぼみ「ふつ……う」と手を見つめる彼女には哀愁が漂っていた。

 っあ……普通なら知っている、それは即ち知らないなら異常者であり規格外で仲間がいない。

 十分、そう察っせるほどの情報を与えているんだから傷ついて当然だろっ、何言ってんだよッ! 俺。


「大丈夫、ほら教えるから動くなよ」

「うんっ……わかった」


 出来る限り優しく言いながら、彼女の後ろへ回る。

 背中にまるでブラジャーのように巻き付いている帯へ目をやる。

 しかし、知識量も元になったラノベに依存するのか?

 それなら『ボタンを開けて腕を通してボタンを閉める』なんて細かくて面白みのない描写は初心者で、人気作なら書いてあるわけがないから服を着れないのも納得だ。


「じゃ精液は描写されていたってことになるかよ……なんちゅうラノベだ」


 物静かな彼女が持っていたシャツを受け取り、


「くすぐったいっ」


 体をくねらせる彼女の身体を纏っていた帯をゆっくり、ゆっくり回して外し、折りたたんで部屋の隅に置く。

 そして彼女の腕に袖を一本ずつ通し、下から順にボタンを閉めていく。

 

「おぉぉっ、すごい……! 外れない」

「こ、こうやってな、ボタンは閉めるんだ。後は胸元まで同じだから一人で出来るな?」

「うんっ、ありがとっ!」


 締めた所を引っ張っていた彼女は元気よく返事をし、緊張した顔でゆっくりゆっくりボタンと穴を手に持つ。

 そして少し汗を流しながらボタンを傾け、穴を広げ、通す。


「ぱぱ見てみて! 出来たっ!!」


 たった一つボタンを通しただけ、だと言うのにパァッと花が咲いたような笑顔を見せた彼女は褒めて欲しそうに振り返ってきた。

 その風圧でシャツが捲れ上がり、胸元が見えそうになるので瞬時に締める。

 

「そ、そっかっ、えらいぞ」

「えっへへ〜」


 ほとんど感情が入っていない褒め言葉、それでも彼女は嬉しそうにはにかんでくる。

 戻そう、本に戻さなければ、そうどこかでずっと考えていた心がズキズキと痛む。

 でも、それが自然の摂理。

 本と精子が合わさって人が生まれるなんて、この宇宙ルールである質量保存の法則すら破っている。


「てッ、今何時だ?!」

「えっとね、8時ちょうどっ!」


 不味いっ。

 もう学校に出かける時間じゃないか、色々なことは後で考えることにして取り敢えず学校に向かわなきゃ。

 急いでドアの付近へ立てかけていた鞄を持ち、すぐにでも出て行こうとした。


「学校? 私も行くっ! ぱぱをいじめから守る」


 けれど、玄関で靴を履いていると彼女が追いかけるように来てしまった。

 

「なんでいじめられている前提なんだよ、割りかし陰キャの分類だけどさ。ダメだ」

「大人しくするっ」

「そういう問題じゃない、変な目で見られるだろ? 妹って大きさでも無いし」


 流石に身長の差も少ないし、誤魔化すにはキツすぎる。

 連れて行ってもらえない、そう分かった彼女は物悲しそうにぺたんっと女の子座りで座り込んでしまう。


 っゔ……少し可哀想だが我慢してもらうしかない、仕方ない事なんだ。


「じゃ……本に戻れたら連れて行ってくれるの?」


 ドアノブに手をかけ、出ようとした矢先……か細い声が聞こえてきた。

 っえ、戻たら 戻れるのか?

 それなら俺の考えている問題は全部解決じゃないか、本に戻った彼女を先輩に返し、知らないフリをするって選択肢も出てくる。

 それに人間フォルムで身体を洗わせれば、カピカピじゃない本に戻れる可能性だってある。


「それなら、あぁ、いくらでも連れて行ってやる!」


 思わず顔からは笑みが溢れ、嬉しさを隠しきれない声で返事をした。

 すると彼女はしゃがみ込み、体育座りで足をこれでもかと抱きつき、身体をどんどんと小さく丸め始めた。

 気づいた時にはもう人に変わってたからあれだけど……これは、


「魔法少女みたいにキラキラエフェクトとか魔法陣じゃなくて、思ってたより物理的なんだな」

 

 ん……ちょっと待てよッ。

 このまま人間が本のサイズに圧縮されたら、目玉とか肉片やら臓器が物凄いことになるんじゃないか?

 撒き散らすようなことになったら、学校行って帰ってくるまでの間に腐敗臭が凄いことになるぞ!

 それにそもそもグロ耐性なんかないッ!! 見たくないッ!!!


「う、ぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅっ!」


 玄関に常設していた大きいゴミ袋、それを急いで彼女に覆い被せる。


「むぶぅぅぅぅぅぅぅぅゔッ!!」

 

 唸り声が強くなり、息が吐き出すたびにパタパタする半透明なゴミ袋の中が吐息で曇り始める。

 そして更に20秒後。


「はぁ……はぁっ、むっ、むぅぅぅぅぅッ!」


 そして2分後。

 彼女は何も変わらず、丸まっただけだった。


 膝から崩れ落ちた俺は四つん這いで床を叩き、天井を見上げる。

 先輩の本でオナニーした俺も悪いけど、本が人間になるファンタジーなこと起きてんだから戻れたりせめて小さくなれよォォォォッ!!!

 プリキュアでも仮面ライダーでももう少し親切だろうがっ! くそったれぇッ!!

 精霊でもなんでも出てこいやッ!! いるべきだろ、説明役がよッ!!

 

「一生懸命頑張っているのは嬉しいけど………無理なら無理って言ってくれ」


 肺の空気をありったけ吐いて鬱憤も無くなってスッキリした俺は、彼女に被せていた水滴が沢山ついたゴミ袋を外す。

 

「う、うん……小さくならないから、ここでぱぱを待ってる」


 自分でも無理だと悟ったようで、彼女ははぁはぁっと顔を熱らせながら大人しく諦めてくれた。

 まぁ……小さくならないなら、仕方ないな。


「冷蔵庫に食べ物もあるし、トイレはそこの扉の先にあるからな」

「食べ方も、トイレも分からないから……ここでずっと待ってる」


 ズルズルと彼女は廊下の端にズレ、テンションの低さが露骨なこもった声で返事。


「——っ」

 

 そうじゃん、飲まず食わずどころか、トイレの仕方まで分かる訳がない。

 このまま学校に行ったら、帰ってきて汚れまくってたら良い方、家が燃えている可能性すらある。

 それに……


「だいじょうぶ、1人でお留守番するよ?」


 俺が黙って見ていることに気づき。

 彼女はにこっ、と平気そうな顔をしているが、手は自分のシャツを掴んでいる。

 生まれたばかりで、俺より分からない事だらけで、そんな彼女に不安がないはずがない。


「今日は学校を休むよ」


 気を遣ってもらって、学校を優先する……てのは性に合わない。

 好きな人がいるんだ。

 胸張って、好かれられるような選択を取りたい。

 

「ぱぱ、いいの?」


 思ってもいなかったのか、彼女は上目遣いをしてくる。

 なので俺もうん、っと頷いて鞄を下ろす。


「やったぁぁっ! お詫びに、ぱぱの妹なるね」


 よっぽど嬉しいのか、無邪気に飛び跳ねる彼女。

 ただ側にいると答えただけ、それなのにこんな喜ばれるなんて初めてだな。

 それだけ不安だったってことなんだろう。


「今日は金曜だしね、先輩にも会いたくなかったし、ちょうど良い」

 

 今日は学校をスルーすれば、本屋に行って同じラノベが買って誤魔化せる。





『あの……ごめんね? 具合が悪くてお休みって聞いたんだけど、その、渡す本を取り間違えちゃったいで……出来たら返して欲しくて』


 テレビドアホン越しに先輩が映る。

 その一方、

 

「ぱぱっ! みてみて、トイレットペーパーがどんどん吸い込まれてるよっ!! すごい」


 後ろでは『カラカラ』とトイレットペーパーが転がり、繋がったままの紙は下水へ逃げ続け。

 あの子はトイレから飛び出し、それを止めもせず、自慢げに見せびらかしてくる。


「どうして……どうしてこうなるんだよ」

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