蟲の影
村を出てしばらくしてから、水も食料も無い事に気が付いた。いまさら引き返す気も起きないので、仕方なく先に見える町へ向かう。
少しは暑さが和らぐかと考え、樽を頭からかぶる。思っていたよりずっと涼しく、しかも樽にはいくつかの隙間がるので前後不覚になることもない。
樽の隅に、巻き取り忘れた蜘蛛の巣が引っかかっているのを見つけた。なんとなくで鉈の手持ちに巻き付けておいた。
少し遠くの方で、蟲車の人たちとすれ違う。商隊の人たちだろうか。こちらには気が付いていないようだった。
とても急いでいる様子でかなりの速度がでている。あんなに速く走って、蟲の体力は持つのだろうか。優秀な蟲なのだろうか。みたところ、蟲の引いている籠や車の荷物はたっぷりある。郵便や速駆けでもないようだ。
商隊とすれちがってからしばらくすると、ふっと幻想のように町が溶けて消えた。そんなはずは無いと、目を樽の隙間によく近づける。それでもやっぱりなくなっていた。
あれは蜃気楼だったのかもしれない。しかし商隊が通ったのだから、方角は合っているはずだ。立ち止まって、くるくると樽を回転させるのが煩わしくなったので、腕を持ち上げて樽から体を全部出した。その時だ。
僅かな衝撃と風の後、樽がふっと軽くなる。どさりと音を立てて、真っ二つになった樽の上半分が、砂に落ちる。
動けなかった。後ろから何かが僕を見ていた。大きく、長い影が僕を覆うように背後から伸びている。
もう駄目だと思った。両手を上げた間抜けな恰好から微動だにすることができない。
跳蟲と睨み合ったときも、おばさんに射殺されそうになった時も、これほどまでに強く死を感じる事はなかった。
本能が強く告げている。「うごくなかれ」
いったいどのくらいこうしていただろう。腕と頭から血の気が引いて、意識が朦朧としてきた。左腕がまたジクジクと痛みだした。
太陽はいつの間にか真上に来ていて、筒になった樽の口からじりじりと髪を焼いてくる。いったい何度、震えそうな足に力を籠めなおしたことか。
「何か」は僕を探している。「何か」は僕が動くのを待っている。きっと商隊を引いていた蟲はこの「何か」に怯えていたに違いないのだ。
この時間がいつまで続くのか。もしかすると永遠に続くのではないか。望みは絶たれ、諦めかけたその時、さっと弱い風が頬をなで、気配や圧力が霧散した。消えた。
「!!!!はーーー!!」
大きく息を吐いて、その場に崩れ落ちた。手をついて後ろを見ても、もうそこには何もいない。空気と、ぽっかりした砂漠だけが残っていた。
生き残った達成感と、少しの寂しさを感じた。どっと疲れが出てきて倒れそうだった。前の方にさっきとは違う商隊を見つけた。誰かが居る安心が欲しくて、僕は大声を上げながら手を振って駆けていった。
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