第3話 筋肉の国のロリ令嬢
「なんてだらしない肉体、よくもそれで貴族と名乗れたものね」
入学式の後、それぞれ決められた教室に向かったカーチス達はそんな騒ぎを耳にすることになった。
「申し訳ありません……」
「今まで何をしていたのかしら。貴女だけではなく貴女の家の方々もよ」
「まったく、このような醜い令嬢など国の恥だわ」
「魔法派でもないというのだから、本当にお笑い草ですわね」
あまりにも、な言動。
だがカーチスの視線は、そして耳はそんなゴリラのような令嬢たちには向けられていなかった。
か細く謝る声、澄んだ鈴の音色のごときそれは知性を得た類人猿の鳴き声よりも鋭く脳髄を刺激し、子供と見間違えるような体躯でありながらブロンドの髪をたなびかせ、他国であれば誰もがその前に傅くであろう美貌は眼球を抉らんほどの衝撃を与えた。
「なにをしている」
「これはこれはカーチス殿下、この令嬢がフレム王国にふさわしくないと話しておりました」
ゴリラの一匹に返事をされたカーチス、なるべくその姿を視界に入れないようにとさげすまれていた令嬢に目線を向ける。
いや、むしろ目を奪われると言った方が正しいだろう。
「フレム王国の偉人たちは筋肉を見れば人となりがわかると言いました。しかしこの令嬢は鍛えている様子もなく、そして国是とされる自己の研鑽を怠らないという倫理にも反している。故に、お話をしていたのです」
「そうか、だがそれは君たちの仕事ではない。下がれ」
「ですが……」
「下がれ、と言ったが聞こえなかったか? その耳にも筋肉が詰まっているのか?」
「そんな……耳の穴まで筋肉が詰まっているなんて。なんてほめ殺しをしてくるのでしょう。私達初対面だというのに……」
「……まぁいい、君の名を聞かせてくれるかな?」
カーチスがこの場にいる数少ないゴリラではない令嬢に声をかける。
親子ほどの身の丈ゆえ、わざわざ膝をついて顔を覗き込むようにしての挨拶、立場から考えてあり得ない行為ではあるが、それを責め立てる者はいない。
「ミリア・ド・ルーヴルでございます。カーチス・ジュール・フレム殿下」
「そう身構えるな。俺はたしかに大層な立場にいるがあくまでも王家に早く生まれたというだけの話。見ての通りそれほど鍛えているわけでもないからな」
「ですが……その、かなり鍛えてらっしゃいますよね? 肉体、というよりも骨から」
その言葉にギクリと身を震わせるカーチス、鍛えているのかという疑問に対してはその通りと答えるだけで済ます。
フレム王国で身体を鍛えていない人間はいない、魔法使いであってもそこら辺を闊歩する魔獣や、他国の盗賊はもちろん正規兵すら片手であしらえる程度の筋肉を持っている。
しかし骨を鍛えているという事を告げられたことに驚いたのだ。
「どうしてそう思う」
「体捌きが熟練の兵士や騎士に通じるものがありました。何度も骨折をして、その度に治してを繰り返してきた……おそらくは幼い頃から毎日のように骨折と魔法による治療を繰り返してきたのではないかと……」
「驚いたな、すさまじい観察眼だ。ただこれは鍛えているとかそういう話ではない。強いて言うなら、そうだなトラウマのようなものだ」
「トラウマですか?」
「あぁ、乳母がこの国有数の筋肉の持ち主でな。毎日抱きしめられていたのだが……ひ弱な俺はその度に骨を折ってしまい、治療を繰り返すうちに骨が頑丈になったんだ」
痛かったから骨に良い物を口にし続けたというのもあるがな、と微笑を浮かべながら付け加えるカーチス。
その笑みは周囲のゴリラを魅了するには十分だった。
「なんて美しい笑みを浮かべるのでしょう……表情筋を余すところなく使っているわ」
「作り笑いがこんなに美しい人はじめて見た……」
「私、あんな表情筋毎日見られるなんて感激……」
なお魅了の方向性が他の国とは違うのは言うまでもない。
「おかげで身体は頑丈になったが、今度は筋肉をつけにくい体質になってしまったようでな。見ての通りの身体つきだ。おまけにこの国の王族に生まれておきながら筋肉に恐怖心を抱いてしまう情けない男だと笑ってくれ」
「殿下、このような場でその発言は……」
「モーリス、俺のことを気にかけてくれるのは嬉しいが周知の事実だ。ミリア嬢には初めて会ったが、一般的な貴族はみんな知っていることだ」
カーチスの筋肉嫌いは貴族の間で有名な話だった。
この国において筋肉を否定することは宗教国家で主神を否定するのと同義である。
故に、カーチスに白い目を向けるものも心無い言葉を投げつけるものも少なからずいた。
そして第二王子を次期国王にという声も少なからず上がっており、当の本人もこの国を出る事ができるならそれも悪くないと考えていたのだ。
なお第二王子も問題があるが、それらを踏まえたうえでカーチスとの仲は良好である。
「カーチス殿下、僭越ながら……おそらくそれは筋肉をつけにくい体質なのではありません」
「どういうことだ?」
「少々、お体に触れてもよろしいでしょうか」
「なんて破廉恥な!」
「人様の肉体に触れるなど……恥を知りなさい!」
ミリアの言葉に非難の声が上がる。
神聖な筋肉に触れていいのは本人と身内、そして婚約者や恋人とトレーナーだけという不文律があった。
とはいえ、これはあくまでもそれ相応の立場を持つ者だけのしきたりのようなものであり、例えば猟師や農民、兵士などは事有る毎に筋肉自慢大会を開き自らの肉体を披露し触らせていた。
「構わない、このような貧相な身体でよければ好きなだけ触ってくれ」
「では失礼して……やはりそうですね」
「なにかわかったのか?」
「殿下は幼い頃に骨折を繰り返しました。それ故に骨格がゆがんでしまっています。それが成長の阻害に繋がっていますね」
カーチスは身長が高くない。
一般的なゴリラ令嬢の身長が180㎝から2mというフレム王国だが男性は2mを超えるのが普通だ。
しかしカーチスは160㎝程度の身長しかなく、更にミリアに至っては140㎝程度のまさに子供としか言えない体型であった。
「つまり……俺が華奢で小柄なのは骨の並びが悪いのか?」
「えぇ、例えばここ」
ゴグンッという鈍い音と共にカーチスの背筋が伸びる。
鈍い音に顔をしかめる令嬢達と、いざとなったらミリアの頭部を握りつぶそうと考えるモーリス。
しかし当のカーチスは何が起こったのかわからないと言った様子で右手を握っては開いてを繰り返していた。
「これは……」
「背骨の位置を矯正しました。今のは右腕に干渉していた骨でしたので、しばらくすればその痺れも取れていつもよりも力が出るはずです。今後鍛えれば鍛えるほど筋肉がついていくでしょう」
「なんと……ミリアは医学を?」
とっさに聞き返してしまったカーチスは既にミリアを呼び捨てにしているが、家名ではなく、敬称も付けずに名を呼び捨てにするのは王族としてはしたない行為とされる。
だがそれを気に留めるものは……否、それ以上の衝撃にそのような些事にかまけていられるようなものはいなかった。
「ルーブル家は古くから王立書庫の番人です。私は諸事情から鍛えることは難しかったのですが、この国にある書物の内容は全て網羅しています」
禁書と呼ばれるものも含めて全て、と小声で付け足したミリアだがその言葉に気づく者は一人もいない。
「……ミリア、君の力があれば俺の身長を伸ばすことはできるか?」
「可能か不可能かで言えば、おそらくは可能でしょう。陛下も女王様も背の高い方ですし、遺伝の問題でなく後天的にというのであれば施術と治癒魔法の併用で肉体を正しく成長させることができるはずです」
「そうか……モーリス」
「はい、直ちに手続きをします」
カーチスの言葉に一礼したモーリスは足早にその場を去る。
これから教室で今後の学園生活諸々の説明があるのだが、そんなことはお構いなしだ。
「ミリア、君を俺の専属トレーナーにしたい。この話、どうか受けてくれないだろうか」
そして、カーチスがその場において最も口にしてはならないことを告げたことで令嬢たちはいっせいに悲鳴を上げてその場にズズンッという似つかわしくない音を立てて倒れ込むのだった。
ただ二人、唖然とした表情のミリアと満足げなカーチスを除いて。
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