第2話 奇妙な砂時計

「どうぞ、ひっくり返してください」

 恐る恐る手に取った小さな砂時計を眺めおろす。何も入っていないその容器はキラキラと光って見えた。そしてひっくり返せば、ささりという音の隙間からどこか聞き覚えのある蝉の声が聞こえたような気がして、思わず目を閉じた。

 妙なことが起きた。眼の前に8歳ほどのおかっぱの少女の姿が思い浮かんだ。見覚えはある。けれどもそれが誰かはよくわからない。

かいちゃん? どうしたん?」

「あ、三重みえ姉ちゃん。なんかぼーっとしてた」

 するりと口から出たその名前で、少女が昔、近所に住んでいた子だったことを思い出す。

「しっかりして。行きたいって言ったの櫂ちゃんじゃん」

「行きたい?」

 ああ、そうだ。そういえば家を見に行くのだった。三重は私の手を引き、道を進む。この頃の三重の住む四風の山奥はいわゆる貧民窟で、親には立ち入っては行けないといわれていたとを思い出し、少し怯んだ。

「どしたの?」

「いや、その」

「行きたいっていったの櫂ちゃんじゃない」

 三重は少し不機嫌そうに私の手を少し強く引く。その三重の白いブラウスの袖は少しだけ垢じみていた。これは確かに昔あった出来事だ。あの時、私はどうしたんだったろう。三重の手に引かれるまま、私はその山道を登った。それで、そうだ。その先で嫌なことがあった、ような。

 突然ザリザリと砂の音が増し、プツリと記憶が途切れた。

 目をあけると、芦屋質店の店内だった。呆然として見回すと、店員はやはり手元のタブレットに目を落とし、目の前には小さな砂時計が静かに佇んでいた。慌てて再び砂時計をひっくり返してももう何も起こらなかった。砂の音もしなかった。

「あの……?」

「ああ、終わりましたか。では返却ください」

 店員は手を伸ばし、カウンターに置かれた砂時計を引き寄せ元の小箱に収納し、そのまま奥に戻ろうとするのを慌てて引き止めた。

「あの!」

「はい?」

 ゆくり振り返った店員に、なんと声をかけていいかわからなかった。今見たものは何か。いや、そんなものは白昼夢だ。いや、けれどもあの砂の音とともにあの夢は現れた。

「今のは何でしょうか」

「今? 私はあなたが見たものはわかりません」

「いえ、言い換えます。私は何を見たのでしょう」

「……先程の説明のとおりです。この砂時計が落ちきるまでの間、あなたの記憶を遡って過去を見ることができます」

 記憶。

 いまのはたしかに私の記憶なのだろう。そのような気がした。けれども記憶にしては鮮明すぎる。だから過去を……見た?

 あのあと、何があったんだ。そういえば一定の時期から、私は三重に会っていない。そしてますます両親に四風の山に登ることを禁じられた。ではあれは、本当に過去? 過去、私と三重にあったこと?

「その、何故、これを?」

「……蔓日々草は夾竹桃科のつる性の多年草で、紫の小さな花を咲かせます。花言葉は『幼なじみ』『優しい思い』『楽しい思い出』『追憶』、だからです。あの東の魔女の考えそうなことから推認しました。悩みは解消されましたか?」

 悩み。隙間から覗く視線。ふと、それがあの三重と重なった。私と三重はたしかに幼なじみだった。そして家を見に、探検に行った。それも事実。

 あのあと、私は三重に手を引かれて四風の山に登ったあと、どうなったんだ!?

「すいません、もう一度お貸し頂けないでしょうか!」

「駄目です」

 その取り付く島もない答えにあっけにとられた。

「何故! ここからが重要という時に!」

「砂が落ちきるまでと申し上げました。漫然とではなく、きちんと求めればその情報に行き当たったはずです。あなたは正しく、その情報を求めましたか?」

 正しく……?

「しかし! 見るまで思い出さなかった記憶だ!」

「では、それはあなたにとってさほど重要ではないのでしょう。ご自省ください」

 重要では、ない……?

 あの隙間の存在はここのところずっと私の前に現れていた。けれども私は、それを本当に真剣に考えていた、だろうか。私は真剣にそれが何か知りたいと願っただろうか。私は。

「残念ながら、このアワーグラスを使用できるのはお1人につき1度だけです。諦めてください」

 店員は平常で、こちらの頼みを聞いてくれなさそうだ。いや、頼みは十二分に聞いてくれた。だから不足があるとすれば、真剣ではなかった私のほうだ。そして記憶を思い出したのならば、より思い出せば良い。

「ありがとう」

 礼を行って店を飛び出す。何故だかいてもたってもいられなかった。

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