第2話 釜爺は火でお湯を沸かす
この小説のお題に出てくる「釜爺」は、ご存じの「千と千尋の神隠し」の釜爺のことである。別にジブリ作品の批評をしようというわけじゃない。まあ、適当なところで、そうしたわけである。
で、釜爺はふいごを使ってせっせと火を焚いて、お湯を沸かしてるわけだが、さすがに電気でお湯は沸かさない。あたりまえだけど。自分も近頃はやりの「ソロキャン」とやらで電気で沸かしたりはしない。
そもそも、電気を熱に変えるというのは、物理的にとってももったいないことをしてるのである。電気は100パーセント熱に変わるが、熱は絶対に100パーセント電気になることはない。電気は質の良いエネルギーで、火を焚いて沸かした蒸気で発電した電気を、またお湯に変えるなんていうのは実にもったいないのである。このような知識は、蒸気機関の発展とともに発達した熱力学という学問の分野で知られるようになった。
エコキュートで夜お風呂を沸かす、なんてのは原発の夜間電力が余っていたころに電気会社が発明した商売なのである。いまじゃあ、とってもこの制度が困りものになっていて、せっかく安くした夜間電力プランをもとに戻したくてしょうがないわけである。おまけに、原発がフル稼働したとしても、フランスみたいに夜間は原発出力を抑制できるのならいいが、日本は安全性に自信が持てないからやらないわけである。
さらにいうなら、電気というのは貯めるのがとても難しい。だから、かつてキャンプとかいうとたいていは火を使ったものだ。どうしたって同じ熱量を出す炭とかと比べると重くなってしまう。だから、まさかバッテリーかかえてキャンプをやる人々が出る時代になるとは思ってなかった。まあ、抱えるといったって車に乗せてくだけだけどね。
それに、最近みたいに家でやってる焼肉を、わざわざ虫がいる野外に出て食い、寝心地の悪い地面の上で寝るなんてのが流行るとは思わなかったしね。だから、薪より重くなった巨大バッテリーを車に積んでとかやってるわけである。CMでも「この電源を使えば、キャンプで朝から目玉焼きとトーストが食べられます」とかやってるわけである。
そんなもん、ワイルドなわたくしみたいな人間にはたまらなくいやだ。もったいないから、餅でも煮て朝飯はおしまいにするよ。だいたい冬の富士山にいくような人間は、バッテリー持ってくアホはいないとは思うが、人のことはどうでもいいか。
よーく考えてみれば当たり前のことなのだが、薪だの炭だのは燃やしてしまえば重量が減って灰になる。だいたいのエネルギーを放出したら、二酸化炭素と水になり飛び去ってくれるのである。
バッテリーはそうはいかない。電気を化学結合のエネルギーに変換してため込み、それがまた元に戻るときのエネルギーを使ってるわけだから、捨てるわけにはいかないのである。だから、絶対に排気の出る薪や炭を燃やした方がエネルギー密度が高くなる。要するに同じ熱量を出すのに軽くなるわけである。
あったりまえだが、電気自動車だっておなじだ。ガソリン燃やして走ってるほうが、化学反応のエネルギーだけはありがたく頂戴でき、変化してできたガスは捨てちゃうから重量だって軽くなる。
そんなとこからして、方向性が間違ってるというのは無論なのではあるが、世の中というのは怖いわけで、わたしのような「キチガイ」でないと、大声では言えないようにできている。妙な仕掛けばかり作りやがって、チクショウ。
まあ、ガソリンエンジンのような内燃機関の場合には、ある出力領域のところだけが効率がよくて、発進時なんかにはとっても効率が悪かったりするから、ハイブリッド車とかがあるわけだ。
なんでまた、重い電池だけにすべてを頼り、しかもエネルギー密度が低くてしょうもないエネルギー源を使いたいのかわけわからない。
ああ、いいよ、いいさ、君もわたしを「キチガイ」と呼んでくれたまえ。
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