2章_白雨は星の形
1
七月も中旬に入って、今年の夏の暑さが垣間見えるようになった。期末試験の最中も私は図書館の自習室に入り浸って、エアコンの風が気持ち良い中、試験勉強に励んだ。旭は西ノ浦に通っているだけあって、分からない問題を質問するといつもあっさり解説してくれる。そのおかげか、順調に試験期間は過ぎていった。
期末試験最終日、午前で日程が全て終了した後、私はすぐに帰らず結々とお弁当を広げていた。校庭ではサッカー部が早くもボールを蹴り始めている。教室も、そろそろ夏休みの計画を立てる声で賑わっていた。
「ねえ、梓さ。まだ図書館で会ってるの? その、旭くんて人と」
食べ終わったお弁当箱を片付けながら、結々が切り出す。
「会ってるよ」
私もおにぎりを食べきって、お箸をケースにしまう。結々は恋愛話が好きだから、そっち方面の話題だと思った。
「そうなんだ……」
だけど彼女は何故か言い淀む。どしたのって、私は首をひねる。
「ううん。その、大したことじゃないんだけど」
「大したことって」
「今も仲良くしてるのかなーって思って」
「まあまあだよ」
私は笑ったけど、結々は釣られて笑わなかった。少し考える顔をするから言葉を待っていたけど、彼女はいそいそと鞄を取り出す。
「あ、もう部活行かなきゃ」
明らかに怪しい。けど私が問い詰める前に、彼女は教科書やノートをさっさと鞄に突っ込んだ。部活だと言われると無闇に引き止めるわけにもいかなくて、迷っている内に「また明日」って彼女は手を振った。
それから一週間、私は普段通りに過ごしていた。学校で授業を受けて、結々やクラスメイト達と話して、放課後に図書館に行って、旭やぷちに会って。そんな何気ない日々なのに、そこにいつもと違う違和感を覚える。
それがはっきりしたのは、終業式の前日、廊下で他のクラスの女子に話しかけられた時だった。顔と名前を知っている程度の、話したことのない女の子二人組。彼女たちは唐突に言った。
「西ノ浦の、樹って男子知ってる?」
いつき、というのが旭の苗字であることを思い出すのに、少し時間が必要だった。
「樹旭って子?」
「そうそう!」
彼女たちは顔を見合わせて嬉しそうに頷いた。けれどその笑顔がなんだか嫌な感じで、私はいい気分になれない。
「仲良いの?」
「どうかな……それなりだと思うけど……」
「その樹って、どんな人?」
「どんなって、別に普通だよ」
普通という言葉は、彼女たちの欲しい回答ではなかったらしい。「ほんとに?」なんて言ってくる。
「ちょっと訛りがあるけど、普通の男の子だと思う。それがどうしたの」
彼が雨を操れるだとか、動物と話せるとか、そんなことを言う必要はない。彼女たちが何を求めているのか分からないけど、私は淡々と答えた。
「何でもない」
そう言いながら、彼女たちは顔を見合わせてくすくす笑っている。
「何なの、教えてよ」
「だから何でもないってば」
意味ありげな笑みを浮かべたまま、「行こ」と言い合って二人は自分たちの教室に戻っていってしまった。他所のクラスに乗り込む勇気がない私は、苛立った気持ちを抱えたまま仕方なく自分の教室に帰った。
気のせいだと思っていた違和感は、周囲の好奇の視線だということに気が付いた。私はいつの間にか、みんなの大好きな噂の的になっている。その噂の中身を知らないのが私だけ、という事実に心がざわつく。
「ねえ、結々」
五時限目の音楽室からの帰り道、ひとけのない階段の踊り場で、私は結々の袖を引いた。釣られて立ち止まる彼女に詰め寄る。
「一体何なの。みんな何の噂してるの」
「噂って、何のこと」
「とぼけないでよ。私の噂をみんな言い合ってるんでしょ。気付いてるんだから」
被害妄想なんかじゃない。こんなのが続けば、いずれ精神が参ってしまう。
結々はそれ以上とぼけなかった。迷うように視線を泳がして、言うべきかどうか悩んでいる。私は右腕で教科書を抱えたまま、左手で彼女の腕を掴んで懇願した。
「教えてよ、結々。お願いだから。私なにか悪いことしちゃったの」
「梓は悪いことなんかしてないって」
「じゃあなに?」
私が何かしでかしたわけではなさそうで、ほんの少しほっとする。だけど余計に意味がわからない。結々はずっしりと重たそうな口をやっと開いてくれた。
「その、さ、旭くんって子。会わない方がいいよ」
「……なんで?」
思いもよらない言葉に、子どもみたいな声が漏れる。噂について聞いたはずが、どうしてそんな台詞に繋がるの?
「あたしは、梓が心配なの」
「全然意味わかんない」
「ごめん。今はほら、時間ないから」
そう言って、結々は反対に私の腕を引っ張るようにして階段を下りる。人がたくさんいる場所なら、私も下手に結々を問い詰めるわけにはいかない。ずるいと思ったけど、その真剣な横顔を見てしまうと、それ以上何も訊くことができなかった。
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