7-3 avenge or revenge(3)

「それ、君の?」

 高台にある小さな公園から、西の空を見渡せば。

 まもなく、建物向こう側に落ちていくオレンジ色の大きな太陽が見える。

 朝より、昼より。

 ずっと近く感じる西の太陽は、厭に明るく公園を照らし浮かび上がらせていた。

 ベンチに腰掛ける少年は、突然かけらた声に少し驚き、顔を上げた。

 見上げた先には、西陽を全身に受け暖かなオレンジに染まる少年がいて。

 緊張の色を含んだ眼差しで、ベンチに座る少年を見つめている。

 自分と同い年くらい、いや、少し下の学年だろうか。

 癖のある短い髪に、優しく大きな瞳が印象的な華奢な少年。

 緊張のせいか、恥ずかしいからか。

 両手を胸の前でモジモジと、指を絡めていた。

 この少年はきっと、ベンチに広げた〝遊撃者〟のカードのことを聞いているに違いない。

 ベンチに座る少年は、内気な少年の手を取った。

「一緒に遊ばない?」

「え? でも、ボク……カード持ってないよ?」

「いいよ、ボクの一枚あげる」

「え?」

 白い歯を見せて、ベンチに座る少年はくしゃりと笑うと。

 キラキラと輝くカードを一枚、内気な少年に差し出す。

 ルールを知らなくても分かるほどに。

 西陽に反射し輝くカードは明らか貴重なカードで、内気な少年はカードから放たれる眩しさに思わず目を細めた。

「い……いいの?」

「うん! これ、二枚持ってるから!」

「え? 本当?」

「そのカード、〝死神リーパー〟って言って、めちゃくちゃ強いんだよ!」

「ありがとう! 大事にするね」

「君、名前は?」

 ベンチに座る少年は、屈託なく内気な少年に名前を聞く。

 すると、その少年は少し困ったような顔をして、ソワソワと視線を泳がした。

「どうしたの? 名前、何?」

「……あ、の」

 内気な少年の様子に、ベンチに座る少年は何かを察したのか。

 少年を安心させるように、再び満面の笑みを浮かべる。

「じゃあ、あだ名! あだ名を教えてよ!」

「あだ名?」

「友達から、なんて呼ばれてるの?」

「……わっくん」

 内気な少年は、今にも消え入りそうな声で答えた。

 瞬間、ベンチに座る少年が、興奮気味に立ち上がって。

 まるでダンスでも踊り出すような勢いで、その細い腕を掴む。

「わっくんって言うの!? ボクもわっくんって呼ばれてるんだ!!」

「本当!?」

「わぁ! すごい偶然!! 〝わっくん〟が二人もいるなんて!!」

「すごいね!」

「きっとボクたち、めちゃくちゃ仲良くなれるよ! また会える?」

「うん! 会える」

「約束だよ、わっくん」

「うん、約束だね、わっくん」



「そう! 今みたいに、いつもあそこの建物から、甘いホットケーキの匂いがして! 俺、いっつも羨ましかったんですよね」

 すーっと、深呼吸をして。斉藤は公園を懐かしむように言った。

「羨ましい、ですか……」

「サッカーやカードゲームしてたら、お腹がすいちゃって」

「まぁ、そそられる匂いですよね」

「あの時は、こんないい匂いがするお菓子を食べられる同級生が、羨ましくて仕方がなったなぁ」

「私はホットケーキとかあまり好きじゃないんで、特に何も意識しませんけど」

「羨ましい悩み」

「斉藤さん、それ、本気で言ってます?」

 手錠をした手元を隠すように、深い青色のベストを着た榊もまた。

 公園に漂う甘い匂いに、懐かしそうに深く息を吸った。

 そんな榊に少しだけ顔を向け、斉藤はさらに幼い頃を懐かしむようにはにかんだ。

「うちの祖母は、どちらかというと厳しい人だったんで。ホットケーキミックスとか買ってくれなかったんですよね」

「へぇ」

「おやつといえば、蜜柑寒天かコーヒー寒天か。大きな保存容器にこれでもかってくらい作ってあって。それをお玉で掬って食べてました」

「健康を第一に考えてる。いいおばあさまじゃないですか」

「榊さんも、食べたことあるでしょう?」

「え?」

 榊は驚き、思わず斉藤に視線を投げる。

 斉藤は、本心が見えぬ穏やかな笑顔のまま続けた。

「一度来たことあるでしょう? うちに」

「何、言ってるんですか? 斉藤さん」

「妙に歯応えのあるゼリーだって、小さな声で言ってたじゃないですか、榊さん」

「え? そんな、行ってないですよ」

「忘れちゃいましたか?」

「……」

「そうだ、ほら。あんな風に」

 斉藤は、公園の奥にある小さな雑木林を視線を向けた。

 斉藤が何を考えているかわからないまま、榊もつられるように視線を投げる。

 瞬間、榊は体を硬直させ、堪らず息を呑んだ。

「ッ!?」

 雑木林に奥に揺れる、黒い影。

 こちらの様子を伺っているように見える。

 目が合った--。

 感覚で榊がそう思った僅かな時間、その影は蝋燭の炎の如くゆらりと動いて、木の向こう側に消えた。

 手錠で拘束された手が、氷を握らされたみたいに一瞬で冷たくなる。

「たまにあんな風に、俺たちを見ていた人がいましたよね?」

「いや? そう、でしたっけ?」

「あの時は、なんだか気持ち悪くて……。まあ、大人になっても気持ち悪いのは変わらないんですけど。だから、またに俺はうちに榊さんを連れて行ったりしてたんです」

「斉藤さん……あなた」

「あの人は、誰なんです? 斉藤さん」

「……」

「知ってるんでしょ? 榊さん。あの人を知ってるんでしょう?」

「知らない。知りませんよ、そんなの」

 いつものアルカイックスマイルを貼り付けてはいるが、若干榊の声が荒ぶっている。

 斉藤は、眉頭を上げて、少し残念そうに「そうですか」と呟き表情を曇らせた。


『知ってるんでしょ? 榊さん。あの人を知ってるんでしょう?』

『知らない。知りませんよ、そんなの』


 無線から響く二人の声が、池井の耳に雑音と共にこだまする。

 住宅街の小さな公園の出入り口に付近にいた池井は、襟元につけたワイヤレスマイクにそっと口を近づけた。

「引き当たり・池井から、栗山」

『栗山です。どうぞ』

「ホットケーキは、あまり好きじゃないだとよ」

『羨ましい悩みっすね』

「裏を返せ、栗山」

『わかってますよ。池井補佐』

「そこから、教会が見えるか?」

『公園から東側にあるヤツですか?』

「あぁ、そこの正面玄関から少し北に行った先に、幅一メートル程度の生活道路がある。そこから約二十メートル進んだ先に行ってこい」

『了解』

「〝わっくん〟の正体がわかるはずだ」

 池井は、ハァと深く深呼吸をする。

 そして間髪入れず、再びワイヤレスマイクに口を寄せる。

「引き当たり・池井から、支援・遠野補佐」

『支援・遠野、どうぞ』

「大分動揺が見て取れますね」

『かなり精度高いな、斉藤の記憶』

「自分も驚いていますよ、遠野先輩」

『しかし、どこまでが持つかは分からんがな』

「まだいけますよ。引き続きお願いします」

『了解』

 無線から流れよ遠野のガサついた声は、甘い香りを含む一陣の風で巻き上げられた公園の砂とともに散った。

 同時に、斉藤の厭にクリアな声が、池井の耳を攫うように無線から響いてくる。


『榊さん』


 斉藤の声は、相変わらず穏やかな風のようだった。

「何ですか?」

 一方、ため息を混ぜた榊は声は、些かイラついているように棘がある。

「俺、まだ記憶が断片的すぎて。できれば榊さんに補完していただけたら助かるんですけど」

「なら、アレは。アレは、覚えてますか?」

「アレ、ですか?」

 目を見開き、さっぱり分からないといった斉藤の表情。

 榊はそれに少し機嫌を良くして、「そう。アレですよ」と言った。

「苦しかった、怖かったって。痛かったって。斉藤さんは私に、泣きながら教えてくれましたよ?」

「泣き……ながら?」

「ええ、泣きながら……ですよ」




「うっ……うぅ」

 その口は、不安げな声を漏らした。

 初めて身に降りかかった恐怖で思考や口が、うまく回らない。

 縛られた手は背中に回され。

 もがけばもがくほど、ガサガサとした荒い紐がキツく痛く手首に食い込む。

 太腿と足首を拘束する縄は、足の感覚を奪うほど強く結ばれ。

 暗い色の滑らかな素材の布が、目を覆い視界を遮った。

 少年の呼吸は驚くほど早く、荒く。

 押し込められ行き場を失った苦しげな声と同時に。

 しん--とした空間に、自身の息遣いだけが響いていた。

 冷たく、硬い接地面のせいか。

 それとも、体や感覚の自由を奪われたことによる恐怖のせいか。

 少年の四肢末端から、内臓に至るまで。 

 震える体が、氷のように冷めきっていた。

(殺される、んだろうか--?)

 自分の身に起こったことが理解できぬまま、死のフラグを顕著に感じる。

(いやだ……死にたくない!!)

 少年は反射的に体を捩って、床を転がった。

 聴覚や触覚以外の感覚が閉じ込められている、今。

 少年ができる唯一の行動。

 闇雲に震える体を動かし、現状を打破しようと試みる。

「ッうぁ!!」

 その時、少年の腹部を鋭い痛みが襲った。

 何か堅いもので打たれた少年の華奢な体は、本能に大きな震えを起こし、小さく縮めこませる。

 荒い呼吸が、さらに酷くなり。

 得体の知れない恐怖が、少年の支配をさらに強くした。

(殺される--! 助けてッ! 誰か!!)

 恐怖と緊張が極限に達したのか。

 彼の荒い呼吸は、嗚咽を含むものに変化していく。

 何も見えない分、様々な痛みや恐怖が少年の頭の中で暴れ出す。

 体の強張りがより一層強くなった、その時--。

「ッ!?」

 布が裂ける音が耳をつんざくと同時に、体の中を貫くような強烈な痛みが走った。

 少年は痛みから逃れようと、必死に体を捩る。

「やだ……ッ! やめ……ろッ!!」

 何が起こっているのか?

 一体、どうなってしまうのか?

 脳天まで突き上げる痛み。

 皮膚を這う自分以外の肌の感覚。

 少年の体を内側からも、外側からも支配していく。

 己の耳にこだまする、自らの呻き声や息遣いが。

 次第に彼の意識を、奪い去っていく。

 靄がかかりはじめ、朦朧とする彼の思考。

 意識を手放す直前。

 少年は自分を襲い、支配する何者かの声を聞いた。

「マタ、会オウネ。

 機械的な、冷徹な響きを宿す声。

 薄れゆく意識に、強烈に入り込んだ声。

 その声は、得体の知れない恐怖に耐える少年を、一気に絶望の淵へと突き落とした。



「思い出しました? 斉藤さん」

 榊の声は、これ以上ないくらい冷たく。

 まるで頭から氷水を浴びせられたようなほど、身に心に鋭利に突き刺さる。

 公園に広がる、居心地の悪い沈黙。

 池井は堪らず公園の中心へと視線を投げた。

 斉藤は下を向いたまま、榊の声に応えないでいる。

 拙いぞ、榊に呑まれる--池井は思わず手を握りしめた。

(斉藤--! しっかりしろ!!)

 グッと、池井が身を乗り出した瞬間、斉藤が徐に顔を上げる。

 その表情や顔色は、先ほどと変わらない。

 池井はカラカラな喉をゴクリと鳴らした。

「あぁ、ようやく繋がった」

「思い出しましたか?」

「はい、その記憶のパーツだけ。俺の中では少し異質だったんですよ、榊さん」

「異質?」

「えぇ」

 眉根を寄せ怪訝な顔をする榊に、斉藤は表情を変えず距離を縮める。

 そして、榊の耳元に顔を寄せると、スッと息を吸った。

「そこにいましたよね、榊さん」

「さぁ、どうでしょう。私が言ったのは、あなたの記憶に過ぎませんよ?」

「いいえ、いたんです。榊さん、いえ--

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