7-1 avenge or revenge(1)

「〝引き当たり〟の支援?」

 人身安全・少年課の隅にあるミーティングテーブルで、遠野隆史は声を抑えて聞き返した。

 来年度の予算要求作業もようやく終わり、今までできなかった事にシフトチェンジしようと。

 あれこれ思考を巡らせていた矢先の事だった。捜査第二課の審理係補佐である遠野は、後輩の池井の達っての願いにより人身安全・少年課へと足を運んだのだが。

 まさか〝引き当たり〟に関する事で呼ばれたとは、夢にも思わなかった。

 〝引き当たり〟とは、引き当たり捜査の略語・通称だ。

 当該刑事事件に関係する場所に、警察や検察の捜査官と被疑者が一緒に行き、写真などを撮影する等の形で行われる捜査活動を指す。

 この引き当たり捜査の意味する範疇はんちゅうは広く、実際にその犯行現場には赴かない場合もある。

 警察施設などで犯行の模様を再現し、写真などを撮影する形のものも含まれているのだ。

 目の前に座す人身安全・少年課の池井が、遠野に伝えた引き当たり捜査提案は、通常のものではなかった。

 警察人生三十年目に突入した遠野でさえ、自分の耳を疑い聞き返すほどの突飛な提案であると言える。

 遠野は椅子に深く座り直すと、〝極秘〟と赤いゴム印が押された資料に、目を落とした。

「池井」

「なんですか? 遠野先輩」

「ここは日本だぞ?」

「分かってます」

「計画自体、突飛なんだよ」

「そうですか?」

 神妙な遠野に対して、遠野の懸念する事を全く気にしない様子で、明るく応える。

 遠野は深くため息をついた。

「支援部隊が多岐にわたるなんて、よっぽどな事案じゃなきゃ無理だろ?」

「そういう遠野先輩だって、SWAT(※アメリカ合衆国の警察など米法執行機関に設置されている特殊部隊)並みの突入劇をしたじゃないですか」

「あー……あれは」

 池井に痛いところを突かれたのか。

 遠野は歯切れの悪い返事をして池井から目を逸らす。

「あれは、特命も特命。超法規的で、超プライベートなヤツなんだってば」

「〝ブラッドダイアモンド〟の一件なんて、皆知ってますけどね」

「うっせぇよ」

「その経験と手腕をお借りしたいんです。遠野補佐」

「アレとコレとは全く仕様が違うだろ、池井」

「それがそうでもないんですよ、遠野先輩」

「は? どういうことだよ、池井」

 怪訝に眉をひそめる遠野に、池井は厭に晴れやかな笑顔で応えた。

、引き当たり捜査なんです」


* * *


『サイバー特務・市川から各局』

 無線を介した凜とした声は。

 耳に差し込まれたイヤホンから静かに、そしてダイレクトに池井や栗山、そして斉藤の頭に伝わった。

『国道二二号線幹線設置の防犯カメラの情報から、現在時。引き当たり車両周辺場所及び進行方向市街地周辺については、火災・事故等による異常なし。繰り返す--』

『同じく、警備航空隊・仮山。現在、上空監視するも異常は発見できず。繰り返す--』

 榊を乗せたセダンの中には、警察無線は設置されていない。

 矢継ぎ早にもたらされる情報に、皆一様に黙して語らず、だ。

 助手席に深く腰を下ろす池井は、皆に悟られぬよう小さく息を吐いた。

「斉藤さん、どこに行くんですか?」

 その緊迫した状況すら物ともせず。

 栗山と斉藤に挟まれて座る榊が、明るい声で徐に口を開いた。

「榊さんも、よく知っている場所だと思います」

 そんな榊に、斉藤は穏やかに応える。

「さっきから……なんなんですか? 斉藤さん」

「え?」

 顔は、いつもの張り付いた笑顔。

 しかし、榊の視線や口調は、若干の苛立ちを含んでいた。

 雰囲気がまた変わった、と。斉藤は少し目を丸くする。

「勿体ぶって、どこに行くかもはっきり言わない。何が目的なのか、きちんと説明してくれない。何の謎解きなんですか? 斉藤さん」

「分かりま……せんか? 榊さん」

「何が?」

「榊さんなら、すぐわかると思ったんですけど」

「斉藤さん、いい加減にしてもらえませんか?」

「え?」

「よく分からないことに、私を巻き込まないでください」

「すみません。榊さん」

「いえ、気になさらず」

 穏やかな旋律であるのに、低く圧のある榊の声。

 その圧に、斉藤は榊から目を逸らし、口をキュッと結んだ。

 瞬間の、斉藤の面持ちや発する雰囲気が、榊の知っている斉藤のそれになった。

(やっと、静かになった) 

 まるで、催眠にかかっているような。

 極端な立ち振る舞いをする斉藤を一瞥し、榊は深くため息を吐いた。

 一方、斉藤等を乗せたセダンの車に追随する、ワンボックスカーは。

 また違った雰囲気を乗せて、走行していた。

『勿体ぶって、どこに行くかもはっきり言わない。何が目的なのか、きちんと説明してくれない。何の謎解きなんですか? 斉藤さん』

『分かりま……せんか? 榊さん』

『何が?』

『榊さんなら、すぐわかると思ったんですけど』

『斉藤さん、いい加減にしてもらえませんか?』

『え?』

『よく分からないことに、私を巻き込まないでください』

『すみません。榊さん

『いえ、気になさらず』

 ガタゴトと。

 車が走行する振動をダイレクトに受けた小さなスピーカーは、斉藤と榊の声をかなりの解析度で再現する。

 ハンドルを握る遠野は、助手席に座るのんびりとした雰囲気の女性にチラリと視線を投げた。

 相談広報課・被害者支援室の臨床心理士である花井紗央里は、ふんわりとした軽やかな髪を肩で揺らして、小さなスピーカーに耳を傾ける。

「斉藤さん、上手いですね」

 遠野に喋りかけている風でもない、かといって独り言でもない花井の口調。

 遠野は返事をするかどうか、ハンドルを握りながら考えあぐねていた。

 意を決したように、短く息を吸うと遠野は口を開く。

「上手いん、ですか? これ」

「上手いですよー。上手く、相手を誘導してます」

「俺ァ、あんま普段と変わんないように思います」

「それが一番いいんです」

「そんなモンっすかね」

「えぇ。なんか色々吹っ切れたせいですかね」

 花井はニコニコと笑いながら「うん、上手くできてる。斉藤さん!」と明るく言った。

(この臨床心理士の先生、こんな人だとは思わなかったな)

 と、心の中で呟きながら。遠野は少し前に、池井に呼び出された時のことを思い浮かべていた。

 池井に呼び出され、絶句するような計画を聞かされた遠野は、重たい足取りで人身安全・少年課のドアを開ける。

「え? イッチー?」

「おつかれさまです。遠野補佐」

 人身安全・少年課の出入り口。

 ばったりと勝手の教え子であり同僚である、サイバー犯罪対策課の市川雪哉と鉢合わせた。

「ひょっとして、池井に呼ばれたか?」

「はい。遠野補佐もですか?」

「あぁ」

「少し、大掛かりになりそうですよね。コレ」

「え?」

 市川は色素の薄い目を大きく見開き、そして一つ瞬きをする。

「聞いてませんか? 遠野補佐」

「聞いてるもなにも。池井が宣った信じられない計画に絶句してんだよ」

「あぁ、そうですね。確かに」

「だろ?」

「でも、遠野補佐の役割は、そういう感じがいいのかもしれません」

「まぁな」

「いつも思うんです」

 市川は遠野から視線を外すと、少し意思を含んだ低い声で言った。

「avenge(正義の復讐)とrevenge(恨みある復讐)は、表裏一体なのかもしれません」

「いつだってそうだよ。いつ破れるかわからないその薄氷の上で、なりふり構わず立ち回ってんだから」

 これから詳細に聞かされる計画アベンジの重さ、と。

 後輩から仰せつかった、頭が重たくなる役目。

 ため息の止まない遠野だったが、目を細めて優しい笑顔を見せる市川のおかげで、だいぶ平静を保つことができていた。

「榊さん」

「斉藤さん、まだ喋ることがあるんですか?」

 一旦、水を打ったように静かになった車内に、再び斉藤と榊の声が響く。

 いつも穏やかな榊の口調に少し棘がある。

 空気が変わった、と。

 変わり映えのない窓の外に視線を投げていた栗山は、具(つぶさ)に感じ取っていた。

「榊さんは小さい頃、どんな子どもでしたか?」

「小さい頃?」

「はい」

「なんで、あなたにそんな事を話さなきゃならないんですか?」

「〝わっくん〟」

「は?」

「榊さんは〝わっくん〟を知っている」

「だから、何ですか?」

「俺と榊さんって、多分近い存在だったと思うんです」

「思う? 思うってどういうことですか?」

 榊の発した口調が、よりピリッと車内の空気を震わす。

「実のところ、俺小さい頃の記憶がなくって」

「……」

「俺、この間よくわからないことを口走ってて。だから、榊さんなら。俺が知らないことを、教えてくれるんじゃないか、と思ってます」

「斉藤さん」

「〝わっくん〟をご存知でしょう? 榊さん」

--なら、まだいけるかな?

 榊は僅かに口角を上げた。

「そうですか。ならば、行きましょう」

「どちらに?」

 斉藤は目を見開いて、榊を見返す。

「私と、斉藤さんと。〝わっくん〟の思い出の場所です」

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