6-2 key of memory(2)

「今日は時間制限はない。おまえが納得するまで観察しろ、覚えろ、見つけろ。俺からは以上だ」

「ありがとうございます!」

ケースは向こうの室に準備してある。時間制限がないからって、緩慢かんまんな仕事はするなよ」

「はい!」

 F県警察本部の地下は、昼間でも薄暗い。

 廊下を歩いてずっと奥まったところに、特別専従捜査室はある。

 思い鉄扉の向こう側は、まるで異世界へと繋がりそうな雰囲気を漂わせた。

 何人も許可なく立ち入ることは許さない。

 なぜならそこには。過去から現在に至るまでの未解決事件の箱--通称・コールドケースが保管・管理されているからだ。

 特別専従捜査室の稲本の声や言葉には、あまり無駄がない。

 若くして特別専従捜査室ここをしきっているので、それなりにと斉藤も認識している。

 それでも、なんだかゆるキャラっぽく稲本が見えてしまうのは。

 結んだネクタイが、クマのグミの柄だとか。

 肩から、若干ふっくらした腹を通過すキャンディみたいな色をしたサスペンダーの紐だとか。

 誰が選んだかわからない〝萌え〟アイテムを堂々と着こなしているからなのだろう、と。

 斉藤は無理矢理、自分を納得させた。

(でも、なんか似合ってるんだよな、この人)

「おい」

 前を歩く稲本が突然振り返り、驚くほど鋭い眼光で斉藤を見据える。

 萌え要素高めの服を着用しているとは思えない稲本の圧のある様相に、斉藤はごくりと喉を鳴らして姿勢を正した。

「人を、ジロジロ見るな」

「ハイ、すみません」

 後ろに目があるんじゃないかと疑いたくなる稲本に一礼した斉藤は、薄暗い室内を抜けて奥の小さな部屋へと続くドアを開けた。

 瞬間、ヒヤリとした冷たい空気が、斉藤に纏わりつく。

 斉藤は少しだけ、足を止めた。

 そして深く深呼吸をすると、古い鋼製机に置かれた箱のある方へ一歩踏み出したのだ。


 一方、人身安全・少年課では。

 池井と栗山が恵まれた体躯を縮こませていた。

 あえて横に並べた小さな丸椅子に腰掛けている。

 二人とも眉間に皺を寄せ、腕を組んでいた。

 まるで双子のような佇まいを見せる池井と栗山の視線の先には、ノートパソコンの液晶画面。

 口をへの字にしてチラチラと動く画面を、二人して食い入るように見ていた。

 画面の中には、小さな斉藤の後ろ姿がぼんやりと映し出されている。

「なぁ、栗山」

 眉間に皺を寄せ、険しい表情をした池井が小さく呟いた。

「なんすか、池井補佐」

 同じく、表情を一ミリも変えず栗山が返す。

「なんで、カツ丼だったんだよ」

「え?」

「なんで、斉藤にカツ丼食わしたんだよ」

「いや、別に意味は……。強いて言えば、一番脳に糖分が回りそうだったから、ですかね」

「頭に糖分ならチョコレートじゃねぇのかよ」

「チョコよっか腹持ちがいいでしょ? カツ丼」

「まぁ、そうだけどよ」

「あとは……あれっすね」

「あれ?」

「〝己に勝つ〟で、カツ丼」

「……」

「なんすか、池井補佐」 

「おまえ、脳外科で一回精密検査受けてこいよ」 

「執拗に聞いてきたのは、池井補佐ですよ? キレイなオチだったんじゃないですか?」

「そこからのフリだったら、話のオチはイマイチだな」

「厳しいっすね」

「で、何でわかったんだ?」

「え?」

 冗談めいた会話から一変。

 声音を抑えた池井が、画面を注視しながら呟いた。

 空気が変わったのを察した栗山は、振り返ると目を丸くして池井の横顔を凝視する。

「何で、斉藤が記憶の底を見てるって分かった」

「あぁ……それっすか」

 栗山は髪をかき揚げ、面倒そうにハァとため息ついた。

「俺、モテますから」

「そんなん聞ィてんじゃねぇよ。栗山」

「モテるからこそ、分かるんです。相手の視線とか表情、手の動きやクセ。何を考えてるか、何を望んでいるか。それに合わせて、相手より先回りの行動をしたり、喜ばせたりすんですよ」

「だからなんだよ」

 栗山の武勇伝は別に興味はない。

 若干、イラつきながら、池井は栗山に無愛想に返事をする。

「あの時の斉藤は、いつもの斉藤じゃなかった。視線も言葉も。ただ、眼球だけは。何かを追いかけるように忙しく動いてた。何かを……。目の前じゃない、何かを見ている。そう思ったんです」

「すげぇな、お前」

「伊達にモテてませんから」

「でも、俺はお前が俺の配偶者だったらゾッとするな」

「え? なんでですか?」

「隠し事なんて、できねぇだろ」

「配偶者同士とか、隠し事なんてないんじゃないんすか?」

「一パーセントいや、一パーミルの隠し事があった方が上手くいくもんだよ」

「そんなもんすかねぇ」

「そんなもんだよ」

 自分をネタに池井と栗山が、生産性のない会話を繰り広げられている中。

 それを全く感知しない斉藤は、短く息を吐くと胸ポケットから白手袋を取り出した。

『--被害者不詳。F県K市及び周辺地域における未成年連続誘拐殺人事件類推事案』

 ダンボールの側面に、油性マジックで力強く書かれた文字を。再び目にしようとは。

 しかし、不思議と。斉藤の中に以前のような息苦しさや不安定さは感じない。

「……っし! やるぞ!」

 斉藤は慎重にダンボールの中身を取り出し、あの時と同じように、鈍色の机の上に並べた。

 チャック式のビニール袋には、幾度となく見た〝遊撃者〟のカード。

 斉藤は机の端にカードを並べると、ダンボールから薄いファイルを取り出す。

(もう一度、頭に入れなければ……再度)

 無意識に入った肩の力をほぐすように。

 斉藤は腕を軽く回してファイルを捲った。

『六月七日午後六時頃。K警察署Y交番においてY小学校三年の児童・永井浩史による来所通報。児童は、『お手伝いをしてくれたら〝遊撃者〟レアカードをあげる』という男性に、空き家に連れて行かれ、そこに怪我をした児童が二名倒れていると主張。交番に待機中だったK署Y交番勤務警部補・田島晃平、同勤務巡査・池井貴文が児童の言うY小学校から徒歩十分の空き家に臨場した』

 斉藤は、ファイルに鋭い視線を落とす。

(空き家か……榊がいたのも、空き家だったな)

 そのタイミング良く、誘拐されていた浦井綾人が保護された。

 この時点で、榊が浦井綾人と関係性があるのは、想像の範疇であるが可能性は大きい。

 保護され、入院し経過観察中である浦井綾人からは、未だ証言が取れない以上、確固たる裏付けはない。

 何か、思い出さねば。

 気持ちばかりが焦る。

 〝時間ならいくらでもある〟という稲本の言葉を思い出し、斉藤は深く息を吸った。

『空き家に臨場するも、永井が主張した児童二名の姿はなく、周辺検索を続行。対象となる児童等を発見には至らなかった。室内は経年劣化により大分荒廃していたが、奥の四畳半の部屋にカードゲーム用の遊具が数枚散乱しているのを発見。永井が主張したカードゲームのレアカードと合致したことから、池井巡査は、同日午後六時四十五分頃、県下全域に緊急配備を要請。同時に、F県K市及び周辺地域における、未成年連続誘拐殺人事件に類推する旨を、通信司令室に報告している。同日午後七時、県警本部機動鑑識による鑑識作業が開始。カードゲームの他に、僅かな血痕と崩壊した足跡痕を採取。カードや室内からは指紋等は検出されず、残留血痕からのDNA及び足跡痕から特定はできなかった。なお、足跡痕の形状から、おおよそ十八センチから二十二センチであると推測。永井の足跡痕とも合致せず。永井が主張する被害者二名のものであると推測する。六月八日午前十時三十分。通報者である児童・永井浩史に事情を聴取。永井に声をかけた男は、黒いパーカーに黒いワークパンツ。パーカーのフードを目深に被り、マスクをしていた。頭髪や耳鼻、目等は見ていない。身長はおおよそ一八〇センチメートル、体型は痩せ型であると証言した』

 そこで、斉藤の手がパタリと止まる。

 斉藤を襲った男。

 痩せ型ではなかったが、斉藤と対峙した時、身長は一八〇センチくらいあったように記憶する。

 体型は経年で変化することを考えると、あの男が、永井のいう被疑者に合致しているように思えた。

(先入観と思い込みは、正しい判断をさまたげる……。落ち着け、俺!)

 斉藤は再び深く息を吸うと、ファイルに視線を落とす。

『遊撃者のカードゲームを他の子たちとしている。君も来たら、レアカードをあげる」と言われ、はじめは断ったものの、男は永井の腕を掴み強引に当該空き家へと連れていった。その際の痣が永井の左上腕に十五センチにわたり紫斑として残っていることを、池井巡査が確認している。空き家には二人の児童がおり、一人は仰向けに倒伏。もう一人は体育座りをして蹲っていたと永井は記憶している。永井は怖くなり、男突き飛ばし、手を振り払って逃げた。その時背後で男が叫ぶ声と、児童が「わっくん、逃げろ」と叫ぶ声が聞こえたと証言した』

 --〝わっくん、逃げろ!〟

 榊の声が、耳元で聞こえた気がした。

 握りしめた手が、氷を握りしめているかのように急激に冷たくなる。

 やもすれば、不安定な闇に引きづり込まれそうな感覚。

 斉藤は全身に力を入れ、必死に堪えた。

 早くなる呼吸を努めて、緩やかにうながす。

 --〝わっくん、逃げろ!〟

 未だ耳にこだまし重なる、榊の声。

 いや、違う……この声じゃない! あの声は……あの声は……!!

〝わっくん、逃げろ!〟

「あ……あれは」

 クリアな聴力が拾うあの声。

 淀みのないそれは、斉藤の記憶を開く鍵となった。

 一気に脳内を駆け巡る、隠し閉ざされた幼き日の記憶。

 心拍数が上がり、呼吸は浅くなるのに、不思議と苦しくない。

 斉藤は椅子ごと振り返り、カーテンの隙間から見える小さなレンズを見つめた。

 真っ直ぐに見つめる斉藤の目には、もう不安や迷いの色はない。

「池井補佐、思い出しました。……全部、思い出しました」

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